価値と報酬
「守る組織、守る人」
「価値あるものを隠し持っていると、人は全速力で走らなくなる。だから全部出せと言ってるんだ」今日の至言。
もちろん、工夫も無しに汗をかけとかいう根性論とは次元の違う話なので、勘違いのなきよう。
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この話は、個人の生き方の指針として好ましくはあるけれど、組織の運営上は悩ましい点もあるように思う。全力で走ることに対する評価と報酬の問題があるからだ。
評価を形に表すために、管理者あるいはその集団の外部者は、報酬を渡す必要がある。報酬にはお金がわかりやすいが、これは蓄積できる。蓄積が全力疾走を鈍らせるということであれば、すなわち盛者必衰の理ということになる。
戦国時代の領国経営者は、茶器のような実質的な価値のないものを配下の武将に下賜することで、精神的な安堵と高揚という報酬で報いたと聞いたことがある。安堵と高揚は蓄積できない(お館様のご機嫌次第ですぐに消える)から、これはなかなかうまいやり方だ。しかし、これを継続的にやられる方は、普通は保たない。特に自我の目覚めを迎えた近代以降は。
やはりこの話は、あくまでも個人の内面の問題なのだろう。”仕事の報酬は次の仕事”と言い続けられる人は、多くはない。
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派生的な話として。
上の記事は、権利や地位などを想定して書かれているようだけど、例えば、不動産のような目に見える資産について考えてみると、面白いことがわかる。人は働いて得た報酬を、形あるものとして蓄積して将来(の不確実性)に備えようとするのが常だけれど、蓄積の代表的な形は不動産だ。その所有を否定した社会主義の破綻は、個人の生き方として好ましい指針が、必ずしも集団の運営にそのまま適用できるわけではないことを示しているように見える。
もう一歩進めると、”報酬”をめぐる諸々を工夫すれば、不動産所有の否定が持続的に成り立つような方策があるのかもしれない。
それは考え過ぎ?(笑)
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