質の低い新聞記事は学生のコピペ論文と同じ
「定型と批評性」
どうしてこのコラムニストは自分の書いている文章に飽きないでいられるのか。コピペだから。
大学が今でもレジャーランドなのか知らないが、先輩から受け継がれたレポートの模範解答のコピーを焼き直して提出する学生は、たぶんまだ大勢居るに違いない。ネットのおかげでコピー元が増えたろうとは思うけれど、構図は変わらず、自分の手足で情報を集め自分の頭で考える作業を通じて論理的思考について学ぶという本義は、単位取得の制度を”効率良く”くぐり抜ける戦術の前に霞みがちだ。
本来、正統な目的をもって立ち上げられた制度が、表面的な評価方法においてよく見えるために換骨奪胎されるケースの、これは代表的なものだろう。
新聞の凋落にはさまざまな説明があるけれど、「私には言いたいことがある。誰が何と言おうと、私は身体を張っても、これだけは言っておきたい」というジャーナリストがジャーナリストであることの初発の動機をどこかに置き忘れたためではないのか。効率的に表面を取り繕うために量産された意見などに、拘るべき動機などない、ということなのだ。
むー。固い文章だな。おまけに見事なまでに定型的だ。orz
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