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2010.03.14

「バッド・ルーテナント」

脱帽した。面白かったのだが、どこがどう面白いのか、容易に言葉にできない。公式サイトによれば、1992年の作品「バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト」のリメイクだそうで、"暴力性と宗教描写から瞬く間に話題になった”そうだ。今年公開の本作は、舞台になるニューオーリンズと縁の深いニコラス・ケイジが、自らの芸域の拡大を目指してリメイクに挑んだとのこと。以下ネタバレ。


暴力性と宗教性といっても、それほど突出した感じはない。最初の作品に比べて世の中が追いついたのだろうか。それとも、抑え目に描かれているのか。

悪徳警官である主人公が、にも関わらず出世していく、しかも結果的に悪徳仲間の破滅をネタにしながら、という目も当てられない展開は、たしかにショッキングではある。観客は彼の悪の面を憎めばいいのか、それとも悪人をお縄にする善なる行動を賞賛すればいいのか。(でもそれって嘘と裏切りの結果なのだ)。おまけに、悪人どうしを噛み合わせて、プライベートで不都合な要求を突きつけてくる悪い奴らを、別の悪人達に屠らせたりもしている。

これが企んだことであれば、観客もそれなりに割り切って、主人公の変節に眉をしかめたり、ずる賢さを評価したりできるのだが、どうもそうは見えないから戸惑う。お話の進展に従って徐々に退路を無くして追い詰められていく主人公だが、もうだめかという瞬間に、驚愕の展開。その他の揉め事も嘘のようにハッピーな方向で解決。偶然でしかない、その力づくの回収に観ている方は唖然とする。

そこに生まれた空隙に、作品はうまくつけ込んでくる。これは神の御業ですか。そうなのですね。

仲間の悪人が、別の悪人グループを射殺し、場が静かになった後に、もう一発撃てと言ったあとの主人公の台詞が、この映画の白眉。ここが素晴らしい。

そのシーンを、作り手は、ドラッグによる幻視と重ね合わせて見せている。場に居合わせた悪人達も全員、そう思っている。しかし、主人公ただ一人が、別の歌を聞いている。神と薬を重ね合わせるこの部分が、作り手の米国観を鋭く表現していると言っていいのだろうか。一方で、人を喰ったようなイグアナの様子が、”神など居るわけがないだろう”という別の声を代弁しているかのようだ。


主人公の中では、おそらく、これで帳尻が合っているのだ。悪いところもあるが良いこともしている。こんなところでまあまあいいだろ。出世するのは嬉しいが、あまり関係がない。それが証拠に、めでたく警部に昇進した後も、以前と同じせこいやり口で、相変わらず乱暴で不公正な取り締まりを繰り返している。お話のはじまりと、何も変わっていない。
冒頭で命を助けた元囚人と二人で、最後に水族館の水槽の前に座り込んでいる場面で、主人公自身もそう自覚していることがはっきり示されて、この映画は終わる。

多くの混乱に直面して、遮二無二足掻いていたら、なんとなく帳尻が合って、昇進までしているという、この制御できていない、自律的でない、目に見えない何かに翻弄されて、でも結果はそれなりで悪くないという、この感覚が、たぶん面白さの源なのだろう。その諧謔を主人公自身も認めたからこそ、最後にへっと笑うのだ。

囮捜査ものという悲壮感あふれる枠組みを借りながら、それと全くそぐわないメンタリティを描くのに成功した、とでも言うべき作品。

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