予算減らしの方法など
毎度素人のお笑いということで。
まず長い前置きを。
例の事業仕分け劇場は、検討対象の選び方がよくわからなかったけど、次年度の本予算では全事業を対象にごりごりやってもらいたいと思う。
しかし一方で、あの仕分けでも目標より一桁少ない額しか達成できなかったことをもって、もはや予算に削れるところはないかのような主張が優勢になっているように見える。
言論に携わる人たちのかなりの人数が、国の補助金を源流とする研究や公益法人の仕事などで口を糊していることを思えば、予算削減をこれ以上進行させない趣旨の説が巷に溢れることは無理からぬところがある。
では本当に、国の予算にはもう削れるところがないのだろうか。
そんなこともなかろうとわしは思う。
身近な事例を観察していると、お役所から発注される仕事には驚くような無駄が現実にある。無意味にコスト高になるのが明らかなことでも平気で要求してくるようだ。もちろん、嵩んだ費用には一定比率の利益もしっかり乗せて受注者からの請求に反映されるから、請ける方は美味しくて有難いわけなのだけど(笑)。
単にコスト意識が欠落しているだけでなく、途中あちこちで摘み喰いされてしまう金額もばかにならない。例のスパコン予算の件でも、現場の研究者は、自分達の手元には予算総額の数分の一しか回ってこないと言っていたそうな。研究者の間ではよく知られた事実。
そういうわけで、国の予算にはまだ削れるところが少なからずあるのは事実だと思う。
ここで、社会保障費などの大きな塊に比べれば、削れる事務系予算の割合など小さなものだという主張に、一理あることは認めよう。確かにそのとおりで、全体で考えれば結局、増税で予算不足を解消する以外にあまり方法もないのだろう。
けれども同時に、単なる増税に納得できないわしらの感覚は、日頃目にしている現場でのお役所的無駄遣いの事実に根ざしているのだから、増税不信を覆すためには、比率は小さくても絶対額では巨額にのぼる無駄を、削減するなり、もっと意味のあることに使うなり、してもらわねばならないという主張も、また一理認めてもらいたいものだ。
で、やっと本題。予算の削減方法について。
これは、簡単なのぢゃ。誰でも知ってる。
現行の予算費目は、一切の例外なしに、一律定率で削減する。いわゆるシーリング予算。毎年10%程度でいいかな。
同時に、必要な費目については、新規に要求させる。これは優先順位をつけて厳しく吟味。当然ながら、税収を睨みながら基本的には認めない方向。
こうしておくことで、従来予算の中に薄く広く紛れ込んでいる無駄は、嫌でも搾り出さざるを得なくなるし、新規は原則認めない(認める場合は国民目線の厳しいチェックに晒す)のだから、水ぶくれや費目換えの抜け道を潰すことは可能だろう。戦略部門への傾斜投資も、国民目線のチェックという形で行える。
更に怖いことを言えば、削られる予算にぶら下がって生きている人たちの必死の抵抗も封じることができる。なにせ、例外なし一律削減なんだから。泣いても喚いても無駄。(笑)
どうなんでしょか。やりませんかね。新しい財務大臣さんは。一年かけて。
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