雑記091214
GooglePhoneのニュースが出回っている。
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「google waveは人類の知的活動を大きくかえるかも」
有限な人間の時間についての考えが足らないと思う。
でも、技術がいろいろな可能性を拓く「必要条件」を満たしてくれるのはいいことだとも思う。
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「Twitterの公式RT、非公式RT、QTの違いを分かりやすく図で描いてみた」
時間がないので、あとでじっくり読む。
ざっと見た感じでも、なんか収拾がつかない感じがしている。
ccとbccの区別がわからなくて悩む高齢者の気持ちが、今日少しだけわかった気がする。
ミモフタモない真実。エスキモーに冷蔵庫を売る話は、営業自慢のような文脈で語られるけど、実は「売る人がいるから売れる」を言っているに過ぎない。
これをもっと敷衍していくと・・空恐ろしくなるのでやめ(笑)。
ことほど左様に、人間は余っているということか。
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「2011年メディアの旅」
通信の世界で「NTT対その他」という構造が生まれつつあるように、放送やマスメディアの世界でも「NHK対その他」という構造となる蓋然性が高い不景気のときはどうしても公的セクターの存在が相対的に大きくなる。メディアだけの話しでもないけど、民間セクターが危機ラインを割り込むほどになれば、その部分は確かに目立つ。
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「今年最後の死のロード」
私たちが交換を行うのは、そこにゆきかう商品やサービスが「欲しい」からではなく、端的に他者と交換を行いたいからである。むー。そうかも。高齢者相手の壺売りも、実は、孤独な年寄りの話し相手と、その代価という面があった、という話を思い出した。
経済活動の根本にあるのは、この「他者とかかわりをもちたい」という欲望である。
私たちは商品が欲しくて交換をするのではない。
交換をしたいから交換をするのである。
「利己的である方がベネフィットが大きい」というような経験則をひとびとに教示するような社会システムは、人類学的に言えば「ないほうがまし」である。このエントリはこの次がすごい。
手元に金があろうとなかろうと、誰に何を贈与すべきかをつねに考えている人間だけが「贈与者」の資格をもつ。映画「ペイ・フォワード」においらは教わった。
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「選択したテキストをさっと翻訳できる Google Chrome エクステンション、Bubble Translate」
メモ。
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@kazikeo
140字で意を尽くすことは不可能なので、誤解を与えたところもあるかと思うので、再確認すると、私のいいたいことは、(1)国債は徴税のタイミングを変更するものに過ぎず、マクロでみた税負担の現在価値合計を変えるものではない。(続く)そろそろついったーも文字数制限を緩和することを考えていいのでは、と思う。
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