雑記091112
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「近況」
人生おさき真っ暗、でもどうにかなる今日の至言。
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「河内小阪から梅田を経由して築地へ」
大瀧さんはそのときおそらく高速度で映像をscanしていたのである。だから、あまりに凄いものを見せられるとトラウマになったりもする。
映画は「観る」ものではなくて、その中を「生きる」ものだ。
(1)JAL以外にも年金の実質的な積み立て不足に悩む企業は複数有る(JALより大規模な不足の企業も複数あるはずだ)。年金債務を削減する方便ないし先例を作ると、こうした企業の経営が傾いたときに、支援(公的支援の場合だけか、私的支援も含むかは注視すべき今後の問題だが)にかこつけて政府(政策投資銀行が債権を持っていたりする)や金融機関が年金削減を狙う可能性がある。検討すべき視点の提示としてメモ。項目ごとに反対の視点はすぐに提示できそうだけど、少し別のことを考えてみた。(2)年金は退職者の老後の生活設計の前提条件として重要だ。これを事後的に同意に基づかずに削減することは、退職者の生活にとって非常に影響が大きい。既に裁定された年金額が事後的に強制削減されるような場合を作ると、年金に対する不信・不安が高まる。
(3)年金は一定の契約の下に期待される労働対価の後払いだ。JALのOBも現役時代に給料・ボーナスに年金えお合わせた条件に対して納得して働いていたと考えるべきだ。同社の過去の経営が立派なものでなかったことは確かだろうが、法的な過失などがない過去の社員の期待財産を事後的にルールを変えて削減することは「不正義」だろう。
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事後的に法律を変えて古証文を破り捨てるようなことは好ましくないという主張には、一定の説得力がある。一方、「無い袖は振れない」ことになった場合に(そういうことは日常的にある)、人はどう腹を括るか、については、より深く考える必要がある。
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・税金を投入して守ってもらえるような特権的な企業のメンバーの方の正義が守られる一方で、そんな特権には縁のない大多数の人が、倒産やら解雇やらの中で老後はおろか今日明日の生活も定かでないことは、不正義にはあたらないのだろうか。もちろん、それは自己責任という主張が、努力なり運なりで特権を手に入れた側からは展開されるのだろうけれど。
・税金を投入して守ってもらえるような幸運な時代を生きたメンバーの方の正義が守られる一方で、そんな幸運には縁のない大多数の若者が、倒産やら解雇やらの中で老後はおろか今日明日の生活も定かでないことは、不正義にはあたらないのだろうか。もちろん、それは自己責任という主張が、高齢者側からは展開されるのだろうけれど。
「法的な強者」という、厭な言葉を思いついてしまった。法の下の平等を標榜する国にあって、それは聖域なのか。もちろん、そうですとも(笑)。
・・「法律」と「正義」の間に齟齬は生じていないか。
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ま、そもそも ChaoticNeutral なおいらは、lawful と相性が悪いわけだから、「正義」なんてものも半分くらいしか信じていないけんども(笑)。
Google的広告の考え方でいうと、「いい広告だったら見られる・クリックされる」はず、ということ。たとえば今の仕様のままだと、どの広告がユーザーに支持されて、どの広告が拒否されてるのかがわからないので、広告クオリティをあげることができない、ということなのだ。よくぞ言った。
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