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2009.05.31

「路上のソリスト」

路上生活者と新聞記者との関わりを描いた作品。型にはまった感想を書くことが、作品の印象を壊しかねない、繊細なバランスを持っている映画。最小限の情報以外は予備知識をなるべく持たずに、作品そのものを観るのがよい。

作品の感想を書くという作業は、作品の影響で頭の中に発生した、エコーの様に響いている何かを、理屈の力を借りて取り出すようなものだ。理屈というものは、骨組に沿ってものごとを序列化し、重要そうなものだけを取り出す。認識が明確になる反面、味のある微妙な部分を切り捨ててしまうことが、ままある。

この作品については、それゆえに、感想を書くのが非常に難しい。そういう微妙さを持っている。直接観て、観た後で原作者のインタビュー記事を読むのが、一番よい鑑賞方法のように思う。「「路上のソリスト」の原作者インタビュー

以下、ネタバレ。


“ソリスト”の言葉に、作り手はおそらく二重の意味を持たせている。文字通り楽器の独奏者の意味と、もうひとつは、「孤独な者」の意味。路上生活者の孤独を指しているのだろう。

主人公の路上生活者ナサニエルは、その孤独を「自由」と考えている。はきちがえているわけではない。ここが、この作品の微妙なところなのだ。

ステレオタイプな言い方をすれば、ナサニエルは孤独を自由と取り違えており、新聞記者スティーブ・ロペスは彼の人生(と才能)をより有意義な方向に向けさせるのに一役買おうとしている、とすることもできる。けれども、この作品はそうは言っていない。そういう方向を目指してロペスが慎重に動いていることは確かだろうけれども、同時に彼の迷いも表現している。

映画の終盤で二人は深刻な諍いを起こして関係は一旦破綻するのだが、ロペスはそこで、この関係の微妙さ難しさを再認識したように見える。後日、二人が関係を修復した際に、それまで”ナサニエル”とファーストネームで呼んでいたところを、”エアーズさん”と呼び直しているのが印象的だ。”I'm honored to be with you”という言い回しに、それがよく現れているように思う。その科白を口にするときの、ロペス氏の真摯な眼差しを見れば、彼が決してよそよそしくなったのでないことは分かるのだが、同時に、この関係の難しさも感じているように見て取れる。

この実話は、現在も進行中だそうだ。ロペス氏がこのソリストとの関係を、今後どのように発展させていくのか、あるいは、漸進的な現状維持に留めておくのか。ナサニエルのような特殊な才能に恵まれなかった、普通の路上生活者はどうなのか。そうした問題も絡んで、たいへん難しい課題だろうと思う。

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