雑記090511
価値はどこにあるか、ということなのだと思う。
結局のところ、流通はこれまで、あまりに非効率だったので、効率化することで差別化を図って価値を生むことができたけれど、その流れが一段落して、次の価値はやっぱり商品そのものだ、ということに。
こうして、価値のあり場所は、競争環境の変化とともに、右に左に振れているのかもしれない。
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「「勤勉革命」を超えて」
イギリスの産業革命では、市場経済によって農村が工業化され、資本集約的な産業が発達したのに対して、日本では同じころ逆に市場が農村に取り込まれ、品質の高い農産物をつくる労働集約的な農業が発達した。二毛作や棚田のように限られた農地で最大限に収量を上げる技術が発達し、長時間労働が日常化した。確かに、手作業手作りの精度や味わいを高く評価する伝統はあるとは思う。
そうはいっても、全体には、農村から都市へ人口移動が起きたことには違いないのだけど。
起業というのは、多くの人が誤解しているように金もうけではなく、自分の好きな仕事をする生き方なのだ。欧米人が言う「自由」というのはそういうことなのだろう。
カイゼンのケーススタディ。
発明でどーんと儲けるとか、新ビジネスモデルで巧みに儲ける以外に、こういうやり方もある、てことで。
あいやー。
連休で立ち寄ったとき、観瀑台に警視庁の人達が数人いて、トランシーバーであちこち連絡してはいた。こんなところになぜ栃木県警ではなく警視庁がと思ったけど、それ関連だったのかも。
結構ぴりぴりした空気で、変なものでもあがったのかと思ったが、探し物だったのか。
あの滝、止められるとは知らなかった。
上流のダムで水量調節するのね。
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