「グラン・トリノ」
“クリント・イーストウッドのアメリカ”というものが、もしあるとするならば、この映画がまさにそれ。老いて益々味わい深くなるイーストウッド。しびれます。以下ネタバレ。
お話しは、結末も含めて、絵に描いたように予想どおり。それをじっくり味わい深く見せてくれる。
多人種国家アメリカでは、映画は人種のバランスに気を配って作るというけれど、この作品は別の意味で人種、というか移民というものに、意味を持たせているように思える。観終わってから公式サイトのプロダクションノートを読むと、その一端が窺える。
あるいは、イーストウッドには、古き良きアメリカを継承するにふさわしいのは、古くからの自国民の子孫か、それとも移民達かという想いがあるのだろうか。フォードの自動車工としてのキャリアを全うして、引退後もまめに手仕事をこなし、家でも車でもcomfortableに保つという主人公の生活スタイルは、情報を操作するだけで高収益を上げ、身の回りの手入れなどは金を払って人にやらせればいいという在り方にさりげなく異を唱えて、自分を継ぐ者は別にあると言っているかのようだ。
もちろん、イーストウッド自身は、ロケ地に選んだデトロイトの町について、
「ハイランドパークもすっかり様変わりしたよ」---「昔は自動車産業の一大ベッドタウンだったんだ。全盛期には住民のだれもが自動車づくりに関わっていた。今の生産工場はかつてほどの活気はないけれど、新たに越してきた人たちもすっかり町になじんでいる。ハイランドパークにも苦しい時期はあったけれど、今も善良な市民がたくさん暮らしている」と言っているから、表向きは古い住民も移民も区別なく見てはいるのだが、作中での描かれ方は、少し異なるように思える。
この映画には、隠し味もあれこれ効いている。例えば、隣家の姉が主人公と交わす会話の中に、親以上の世代は古風で頑固でのようなお決まりの愚痴を言うところがあり、主人公は、自分だってそういう老人だと混ぜっ返すのだが、そこで姉がこう言う。「でもあなたはアメリカ人なのよ」。
自分の子や孫世代に幻滅しつつも、イーストウッドがアメリカという文化に寄せる信頼が、ふと見えたような気がした。
ノートの中には、監督イーストウッドの制作姿勢に触れているところもある。
僕は奇をてらったり、マジックを使うのが好きなほうじゃないんだ。そうするのであれば、ごくさりげなくやるべきだと思う。基本的にはスタッフ全員がいい仕事をして、持ち場で力を発揮してくれればいい。おかげで、また一本、イーストウッドらしい、筋の通った、それでいて豊かな機微を含んだ、味のある作品を観ることができた。
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