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2009.02.22

「チェンジリング」

村上春樹が「壁と卵」の話しをした直後に、同じテーマのよくできた映画を観ることができるとは。「壁」に押しつぶされそうになった「卵」がどのように壁に向き合うのか、ひとつの解を見ることができる。以下ネタバレは読まずに観にいくのが吉。


システムという「壁」は、自身を維持することに過大な精力を割くようになりやすい。そのため、そのシステムが作られ存続している本来の目的を忘れがちだ。この作品は、1920年代のロサンジェルス市警というシステムが、本来の目的をはずれて、いかに人々を抑圧したかを、取替え子の不祥事を題材に描いている。

システムを駆動するポジションには、通常、選ばれた人間が着き、そのシステムの役割遂行に力を尽くすはずだが、いつのまにかシステム維持の方に傾いてしまうことがある。ここでは、担当警部、本部長、市長の三者いずれもが、その落とし穴にはまっている。聴聞会で糾弾される警部が、自身が指示した非人道的で抑圧的な行いを、特別なケースでは特別な対応をしなければならないのだ、と主張し、なぜこのケースが特別なのか聞かれると、感情を昂ぶらせて「従わないからだ」と答えるのは、まことに象徴的だ。

彼らが使うレトリックとして繰り返し出てくるのが、「専門家がそういっている(のだから素人のあなたは従え)」、と「(善良な)○○としての義務を果たせ」、の二つだ。もちろん、裏で専門家を権力で操ることとセットになっている。いずれも、その弊害が広く認識されてきた結果、いまでは程度問題と受け止めるのが一般的に思えるけれど、行き過ぎからくる反動も観察できて、微妙なところだ。

この「壁」に、壊れやすい「卵」が対処する方法として、ひとつには「黙って従う」ことがあるだろう。映画に登場する、警察お抱えの医師、偽の子供に嘘をつかせる親、精神病院の医者や看護婦などがこれにあたる。見慣れた普通の小悪人達だ。

もうひとつの方法は、壁に楯突くことがある。この事件以前に精神病院に収容された12号案件の女性達が、これになる。当然ながら卵は壊れてしまうことが多い。医者や看護婦も卵のはずだけれど、おそらく自分を守るために、より弱い卵を壁に差し出し、自身は壁に同化することで難を避ける、という構図がそこにはある。

壁に対する第三の方法として、別の壁をもってあたる、という方法がある。この映画の主人公が採った方法がそれだ。背景にはもちろん、別の壁を維持する人々の意思と行動があり、それを駆動する主人公の強い意志がある。
こうした意志を持った人たちの一歩づつの積み重ねのお陰で、今日私達が享受している、(昔に比べれば)住みやすい社会がある。ごく当たり前のそのことをきちんと見せてくれる、よい映画でした。

あまり宣伝をしている風でもないのに、初日からかなり大勢人が入っていて、よい作品の噂はすぐ伝わるのだとわかって嬉しかった。


ところで、村上春樹が取り上げた、あの地域の「壁」に、どんな別の「壁」と意志を向き合わせればいいだろうか。それを考えることはこの映画の射程からはずれるけれど、それを見出せなければ、あの混乱はいつまでも続くことだけははっきりしている、と思った。


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