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2008.11.23

「ブラインドネス」

人間の小集団を隔離して、その内部で起きる様々な出来事を描く作品。伝染性の視覚障害という設定は目新しい感じがするだけでなく、発症しないただ一人の例外という特異点を作り出して、お話しを立体的にしている。以下ネタバレ。

「蝿の王」という小説があったと思う。たしか、隔離される小集団は全員、小学校くらいの子供だったか。この映画の前半は基本的にはそれと同じだ。ここでは、子供ではなく大人だが、代わりに目が見えない設定にしている。これが非常に有効に作用して、蝿の王とはかなり違う種類の物語にも見える。

隔離された小集団でやがて発露していく人間の本性を、淡々と描くという点では同じなのだが、ここで、たった一人目が見えている主人公の視点が新たに加わって、面白い作品になっている。彼女は、この無力な集団内では圧倒的な優位にあるのだが、それゆえにか、理性を失わず実力行使もせずに、ことの成り行きを見守る。視力を無くした夫がいみじくも言ったように、それは病院における看護婦の視点だ。

それに比較すると、第三病室の王を名乗りはじめた男の傍若無人が、いかに脆い基盤の上に成り立っているかがよく見える。彼の権力は、「見えない」点で同レベルの人間の中で、片時も離さず握り締めた銃という虚像だけに立脚している。「見えている」彼女にとっては、それは無力で滑稽でもあるはずだが、なぜかお話しは、その状態で僭主の横暴をしばらく続けさせる。観る側は、彼女がいつ行動を起こして文字通り神のごとき力を発揮するのかを待ちながら、王の暴虐を見守るのだ。

形勢はいつでも逆転できる(はず)という安心感の中で、蝿の王的理不尽さを黙って観ているというのは、少し居心地が悪いといえなくもない。観ていると、知らずに内省的な気分にさせられる。何か自分はさぼっていることがないだろうか、という具合に。案外、それがこの作品の狙いなのかもしれない。

仲間の女性の一人が、撲殺されるに及んで、彼女は決意を固め、あっさりカタをつける。混乱の中であがる火の手。収容所は焼け落ち、彼らは外の世界へ出て行くことになる。


蝿の王的な、人間の暗い側面のお話はここまでで、後半は実に不思議な空気が流れる。まだ、後半が、あるのだ。
病は街中に広がっているが、収容所に比べればそこははるかに自由な世界だ。隔離された自分達が特別に惨めだったのではなく、実は世界中が、等しくそうだった。そこに流れる安堵感は、前半の絶望とは好対照だ。

おそらく彼らは、目が見えない状態に「慣れた」のだ。このままでもずっと生きていける。むしろ、目が見えていたときよりずっと善良な人間らしい気持ちになれそうだ。目が見えることが生み出した様々な差別は、ここには無い。スコールの中ではじける歓喜は、そんな気分をよく表しているように見える。

この映画の真の価値は、この短い後半部分にある。これはおそらく、宗教的な受容を表しているだろうか。神への畏れを思い出し、現実を受け入れることで得られる安息の価値を謳っているようだ。
ただし、そこに、ただ一人の目明きである主人公の存在が、微かに楔を打ち込んでいる。彼女にとって、第一に守るべきは収容所から一緒に来た仲間であり、それ以外の、同じように目の見えない不幸な人々は、そうではない。そこには明確な区別がある。作り手の絶妙なバランス感覚がそこに感じられる。利害得失だけでも、宗教的な無垢だけでも生きていけない、現代の我々の姿が、そこには映し出されているように見える。

お話しは、始まったときと同じように、さっぱりと終わる。予想どおりの綺麗な終わり方で、前半の澱を洗い流してくれる。この辺りは作り手のセンスが光るところ。

観終わったあとの満足感が高い一本でした。

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