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2008.10.12

「私がクマに切れた理由」

原題は"Nanny's Diary"。「子守の日記」ではインパクトがないと思っての邦題だろうけれど、スカーレット・ヨハンソンがぶち切れて大暴れするのを「うほっ」と(笑)期待して観にいった私は、みごとに一杯くわされました。むしろ、子供のいじらしさに心揺れる若いnannyを、庶民の女を演じるのがうまいヨハンソンが上手に務めたという感じ。上流階級の内実を庶民の視点で皮肉に見るというありがちな内容でやや退屈だけど、邦題の付け方のうまさに免じてあげたい気分。以下ネタバレ少々あり。

殿様が居た時代なら、社会的身分の高い者が子供の面倒をみることはむしろ珍しかったのだろう。そこには、伝統と格式に裏付けられた重みがあって、異を唱える方が逆に気後れするという事情があったかもしれない。
これが現代アメリカの上流となると、そうもいかないようだ。特に、金儲けで成り上がった人の家庭というものが、いかに庶民の好奇と嫉妬にさらされるかは、想像に難くない。
そういうわけでこの映画も、どれくらいの誇張がはいっているのかはわからない。登場する上流家庭は見るに耐えないありさまで、さすがにそれほどひどくはないのでは、とも思う。知らないけど。

圧巻なのは、子供が高熱で倒れ、Nannyとその母の看病で容態が落ち着いて寝付いたところへ、気晴らしのスパ旅行から、行った先の客あしらいがひどいからという理由(子供を心配してではない!)で帰ってきた母親が、初めてこの間の事情を聞いたときの反応。
子供の高熱を、帰り着いた玄関先で初めて知った母親は、子供は寝付いたかと確認し、それならもう大丈夫なのねと一人合点して、次の慈善活動だか何かの話しを始める。

これにはさすがに驚いた。ここが作り話しめいてみえるかどうかは、この作品の評価にも関わるけれど、私には、ありそうな話しに思えた。ということは、この作品は、そんなひどいことも米国の上流社会ではあり得ると、観客に思わせることに成功した、ということになる。本当はどうなのかは、繰り返すがわからない。
もしこうした話しが真相に近いとすると、子供はとんでもない人間に育ってしまいそうに思える。

もっとも、かつて働き蜂だった日本人の勤め人の男親も、人のことを言えた義理かと思わなくもない。それでも、その子供世代もどうにか普通に育っているところを見ると、案外人間というものは、足りないものは自分で適当に補って勝手に育っていくものなのかもしれない。いや、普通に育ってないのかな?
なんにせよ、そこに一片でも、親でも子守でも構わないが、他人の愛情があれば、という前提だけれど。

てなことをつらつら考えるにはよい映画でした。


そうそう、この映画はもしかすると、公開目前の「ブーリン家の姉妹」の前振りなのかもしれない。スカーレット・ヨハンソンの庶民ぶりを見せ付けておいて、次になだれ込もうという・・戦略商品でしょうか(笑)。

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