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2008.05.10

「ミスト」

今年これまで観た映画の中で、最も深いところまで降りていく映画。「霧」の中を行く最後の旅路とその結末は圧巻。観た後知恵熱が出て昏倒しそうな問題作。余計な感想文は読まずに、まず観るのが吉。以下ネタバレ。


といっても、スペクタクルな結末が待っているわけではない。ただ「霧」に込められた無数の暗喩が頭の中を巡って、重い澱と疲れが残る。
最後の結末の遣り切れなさは、同じ監督の「グリーン・マイル」の切なさと似てはいるが、さらに問題意識を深めた感がある。もっとも、原作にはないこの結末を脚本として完成させた監督は、インタビュー映像を見るかぎりでは、ちっとも深刻ぶっていないけれど。

私達は、ほんの限られた知識と情報の中で、明日をも知れない道を歩いている。情報を遮断された中で、如何に合理的で前向きな決断をしたように思えても、それがよい結果に結びつくとは限らない。そして、情報が限られている状況とは、必ずしも他人事ではない。「霧」に閉じ込められた、近代を象徴するようなスーパーマーケットという空間で、繰り広げられる人々の行いは、まさに今日の私達そのものだ。

誰でも、自分が抱える問題が優先で、他人の苦境には気の毒と思いながらも冷淡だ。宗教懸かった変な人を、普段の私達は白い目で見る。合理的な理屈で武装した都市の人間は、迷信深く暴力的な田舎者を見下す。そして、開明的で進歩的で人道的で合理的で科学的な考え方に従って、明日を自力で切り開くことができる、と、信じて生きている。
そうした、今日では広く受け入れられ、好ましいとされる視点に、一見沿うように、お話しは進む。最後の最後までは。

然して、この結末。


霧の外から見れば、この人間達を哀れみ見物し笑うことはできる。冷静に考えれば、最後でもうひとふんばりできたと指摘することは簡単だ。けれども、その瞬間の自分の未来は、では、見えているのか、ということにふと気付くと、重い沈黙に沈まざるを得ない。


映像、音楽とも、このお話しにぴったりの素晴らしい出来。
クリーチャの映像は、はじめは、「霧」の中に潜むもの、未知で未開なるものへの生理的嫌悪を、そして最後の方では、その抗いようのない巨大さや神話的存在感を、よく表した。これが結末の後始末の映像へと繋がり、作り手の意図を正しく伝えたと思う。

霧を突破する旅に出るときの音楽は、残る者への悲しみの歌か、はたまた進む者への哀れみの歌か。これも、どちらの立場も全否定はしない、つくり手の意図を的確に表現したと思う。

クライマックスの後は、エンドロールの最後に至るまで、観客を徐々に日常空間へ送り戻すように、映画的効果をきちんと考え丁寧に作られている。


毎度ながら、フランク・ダラボン脚本・監督の手腕に脱帽です。


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