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2008.02.23

「ライラの冒険 黄金の羅針盤」

脚本はすごく悩んだろうと思う。でも残念だけど失敗していると私は思う。原作の雰囲気は微妙で壊れやすいから、2~3時間以内の映像だけで表すのは誰がやっても難しいだろう。ましてや、ライラのお話しは、1巻目は単なる序章として謎と伏線を張りまくる位置づけだから、ここだけを取り出して映画1本にするのは、どう考えても納まりが悪い。

序章としての「黄金の羅針盤」で大切なことは、ライラのキャラクタの確立、ダイモンという存在の定着、そして背景となるライラの世界のおぼろげな輪郭の描き出し、といったところだろう。この辺りが達成できれば、次回「神秘の短剣」以降の話しに納得感が出てくる。映画ではそれができたかどうか。以下ネタバレ。


話しの展開を急ぎすぎたために、ライラの世界は何だかよくわからないものになってしまった。ライラのような年頃にとって、世界というものは、断片的な情報がちりばめられた謎の塊だ。自分で歩き回って冒険を経て、それなりのヴィジョンを得ていくものなのだ。
ところが映画では冒頭から、この世界の全体像を陳腐なパターンに落とし込んで説明してしまっている。これでは、ライラの目線で世界を見て、不屈のライラ・シルバータンと共に冒険するこの小説の醍醐味を味わえない。

急ぎすぎたことは、他にも悪い影響を与えている。イオレク・バーニソンは人間の勇者のようにパターン化して描かれていたけれど、本来は人間とは違う世界観を持った生き物だ。これは後々尾を引いてしまいそう。セラフィナ・ペカーラの登場と活躍も唐突すぎて、彼女が一体何者なのかさっぱり見えなかった。小説では寄り道して魔女達のエピソードを描いてその背景もよく見えるのだけど。ロジャーは映画では親友と呼ばれていたが、むしろ弟のようなものだろう。Ⅱでは彼がライラの行動の鍵になるから、これはかなり筋違いな話しになってしまいそうだ。リー・スコーズビーだけは、原作のイメージに近いが、人間だから描きやすかったということだろうか。

こうして挙げてみればきりがない。これだけ違ってしまっていると、あるいは原作とは違うお話しにする予定なのだろうか。それならそれで、次作を待ってみるか。

良かった点も一応挙げておくと、コールター夫人は雰囲気出ていた。ニコール・キッドマンの瞳に不自然なくらい青を上乗せしていたのが効果的。女の子にとって母親ってどういうものなんだろうと思いつつ、夫人だけはⅡ、Ⅲも期待できそう。

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