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2008.01.20

「ヒトラーの贋札」

ぎりぎりの状況で破綻せず切り抜ける人々を、重すぎずかといって軽すぎない微妙なタッチで描いた作品。実話ということなので、原作者はれっきとした贋札づくりの犯罪者のはずだけど、映画の中では悪人にはまったく見えない。犯罪とは何か、ここを糸口に考えることも出来る。いろいろな視点で味のある良作。以下ネタバレ。

これをリーダー論のように見るならば、思い出すフレーズがいくつかある。「キレてしまう人はリーダーには向かない」とか「他人が自分の思い通りになると思っている人は以下略」とか。
主人公は、その意味ではリーダーの条件は持っているのだけど、犯罪者の自覚のためか、あるいは、同胞意識の薄い自己中心的な性格なのか、教科書に描かれるようなリーダーではない。それでも元はやり手の独立自営業者(笑)だから、どうにかこのチームをうまくまとめて贋札づくりを推進する。全員の銃殺やガス室送りから逃れるために。

ここで、「全員の」というところはこの作品の要だ。ユダヤ人収容所から集められたチームの中には、ナチスに協力して贋札を作ることを受け入れられず、妨害工作をする者もいる。一方で、銃殺の恐怖から、その妨害者を排除しようとする者もいる。リーダーとしては頭の痛い仲間割れだ。元は孤独な職人でもある彼は、結局、リーダーとしての能力ではなく一流の職人の技量でこれを切り抜ける。

首尾一貫したリーダー論として見ようとすると、最後はしり抜けではある。しかし、机上の理論のような完全さは現実ではむしろ邪魔になることもあるから、これはむしろ納得のいく結末だ。完全な贋札を作って自分が生きながらえることと、チームの誰も密告のような形で死に追いやらないこと、2つの相反する目的を、彼はどうにか果たしたのだから。一方を一部犠牲にすれば他方の達成は容易だったろうけれど、そうはしないところが、この映画の味わいだ。

そのしぶとい彼が、結核で余命の少ない若者を結局は救えなかったこと、それも、救おうとして治療薬を手に入れたことによって逆に死に追いやる結果となったことは、達成感に酔いがちな人の傲慢をそれとなくたしなめる。

そして解放の場面。今度は、優遇されていた自分達が、他のユダヤ人達に殺される危険をどう切り抜けたか。それに反応して何が起きたか。その時孤独なリーダーはどう思ったか。それもこの映画の見所だ。

そのほかにも、ナチスという狂気に振り回された人々の映像の断片が適切なかたちで挿入されて、全体にたいへん味わいのある作品に仕上がっている。重過ぎないように描いたのが幸いしたのだろうか。


理想と現実のバランスポイントを必死に静かに探る贋札職人を演じたカール・マルコヴィクスの渋さが印象に残る、良作でした。

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