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2008.01.04

「その名にちなんで」

絆と共にある自由、とでも言うべきものが感じられる作品。何の留保もなく「自由」と言えば、そこには殺伐とした個人の孤立が見え隠れするが、この映画では、それとは異なる「自由」を、移民の夫、妻、息子の三者三様に描いているように見える。以下ネタバレ。


米国に住むことになった移民は、そこが「何でも本人の自由」にすればいい場所だということに向き合うことになる。ならば、東海岸在住ベンガル人だけの閉じた社会を作ってそこで暮らす自由もあるわけだ。もちろん、息子のガールフレンドが初対面の父母をファーストネームで呼ぶ自由も認めなければならないが。
仮に日本で、息子が連れてきたガールフレンドが、父親に初めて挨拶するときに、「太郎さん、元気?」と言ってハグしたら、驚天動地だろう。そういうことが普通に起きるのが、表向きの米国という国らしい。

どこまでなら受け入れられて、どこからは距離を置かざるを得ないかは、それぞれの来し方次第。自己中心的な自由あり、相手を思いやった末の自由あり、裏切る自由、未熟な自由、沈黙する自由、どれも「自由の国」に移民として居てこそ見えるものがあるのだろう。

米国風のコミュニケーションスタイルは、グローバリズムと一体になってハリウッド映画などを通じて世界に知られるようになったけれど、世界の大部分の共通感覚からは、むしろかなりローカルなルールかもしれない。本当にグローバルな感覚は、この映画が描くような自然発生的なものを指すとする方が、しっくり感じられる。

観終わってみれば、移民家族の半生を普通に描いただけと見えるのに、観た後で温かい気持ちになれる良作でした。

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