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2008.01.13

雑記080113

そういえば、国土交通省の英語表記が変更になって、"tourism"の一語が入ったそうな。


あっちから見ると、こっちから見ると

自分たちが育ってきた教育システムを信じている人も多いと思うんだが。あのころと違っているのは、学校ではなくて、社会じゃないかと思いますがなぁ。
教師も。


写真から不要な友人や電信柱を消し去るphotowipe

電柱が消せるのはいいかも。
不要な友人・・・。なんだか不穏当な言葉だなあ(笑)。旅行の記念写真の背景にたまたま写ってしまった赤の他人、というのは消す対象になるのかも。
とはいえ・・・

オリジナルのサイトでは用途説明として「動物園で檻を消したり、昔のガールフレンドやボーイフレンドを消し去ることができる」とのこと
やっぱり不都合な過去(笑)を安易に改変するのはどうなのかと。

これはデジタル社会が陥りやすい罠かも。


情報と情報化

次は消せない電柱の話し(笑)。

脳はすでに「食材」に加工された情報を巧みに調理することはできるけれど、生きて動いているものを殺して、皮を剥いで、毛をむしって、不可食部位を削り取って、細切れにするというようなワイルドなプロセスには関与できない。
このあたりは、「解剖」をネタに話しをする養老孟司と同じことを言っているのだろうと思う。

それだけなら、単に、今の若者は昔の人があたりまえに知っていた生のプロセスを経験していない、といった話しに落ち着くので、どうということはないのだけど、実はもう少し踏み込んでいるかもしれない。
上の記事の出発点はこうだ

「いきなり」目を背けるというのは、「悟性的な判断になじまないもの」に対処するときの仕方である。
「それ」を入力すると判断装置そのものが壊れてしまうようなものについては、入力する前にはじき飛ばしてしまうのである。
これは、単にナマモノについての経験不足というレベルの話しではないように思える。むしろ、人間というシステムにあらかじめ組み込まれている何か、に触れるのではないか。本能的にヘビを怖れるとか。
まだ見ていないものについて「見てもいい/見ちゃだめ」の判断が下せるというのは、やはりある種の「能力」といういうべきであろう。
ここに、経験で培われるレベルとは異なるものを読み取ろうとするのは、単に私が天邪鬼だからですかそうですか。(笑)

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