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2007.08.25

「河童のクゥと夏休み」

この夏一番の映画と断言していい。これに共感できる自分が居て嬉しい。同時に、もしや時代遅れになってしまった映画かもしれないという危惧も感じる。例えばさざえさんのように。(さざえさんも続いているからには見ている人はいるのだろうけど)以下激しくネタバレ。読まずにすぐ観にいくのが吉。

 

出だしから極めつけに優れていると思う。人の姿も映らないまま始まる親子の会話が、その内容から人のものではないとわかった瞬間から、もう河童の存在を当然のものとして観る側は受け入れさせられてしまっていることに気付く。のっけから嵌められたというか。

この河童のポジショニングは非常に重要だ。人間くさすぎず、妖怪に寄り過ぎず、ほど良いところに落ち着かせなければならない。それにみごとに成功している。同時に、観る側のポジションもすんなり固定して、映画の世界に抵抗なく入れるようになる。

そうしておいて、今度は、非常にリアリティのある、都市近郊ミニ開発住宅の中流家庭の風景が描かれる。普通と違うのはただ、拾われてきた河童という点景があるだけ。それも新しい弟ができたような描きかたをしているので、リアリティに微塵の揺らぎもない。これはすごい。
居間のテーブルを脇に片付けて小さい子相手に相撲の真似事なんて、おとうさん、やったことあるでしょ?

こうして十分なリアリティを河童に持たせた上で、人間社会と河童との避けられない衝突を露呈させる。それを観る側への批判と受け取るか、あるいは共感を覚えて批判する側にまわるかは観客の自由。ただ、作り手は無言で、あなたもそういう下卑た人間の一面があるでしょ、と言っているように思える。

反省したり憤りを覚えたりしたところで、河童に締めくくりの台詞を言わせる。「でもおめえさまがたに拾われてよかった」と。「偶然なんかじゃね」と。河童に言わせるのだ。これが泣けずにいらりょうか。

観終わって筋を振り返ると、なんのことはない妖怪譚のひとつの典型。それに、思春期はじめの子供達の成長物語を絡ませて、古臭さも感じさせずに見せる笑いと涙と不思議の手法に脱帽。

 

この作り手の良いところは、人の愚かな部分を描きながら、その効能も同時に見ているところだと思う。それが、例えばエピローグに表れる。カッパのクゥの窮地を、どのようにして遠方の同類が知ることになったか、さらりと流して織り込んだこの部分を見れば、作り手のまなざしがわかろうというものだ。

八百万の神をそこはかとなく感じ、「日本昔ばなし」をこよなく愛し、そして現代人でもあるなら、つまりは、私のようなありふれた日本人であるなら、これほど楽しめる映画はそうはない。

 

で、これがいまの若い日本人に通じるだろうか、というのが気がかり。
来月公開のエヴァンゲリオンと、つい比較してみたくなる。

さらに本音を言うと、これを一神教を信じている人に見せてどのような反応があるかも、非常に興味がある。
せっかく文科省と電通が関わっているのだから、何か企画してもらえると嬉しい。

 

いや、そういう風にことを荒立てずに、そっとしておく度量こそが、この映画が伝える本旨だろうか。

 

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