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2007.06.30

公式と非公式の恣意的な使い分けは三流国の証

メルマガ「JMM」にいい文章があったのでご紹介。
書いた人は作家の冷泉彰彦さん。

 例えば、安倍首相の姿勢に関して言えば、訪米時のブッシュ大統領やペロシ下院議長に対する「説明」や外務省当局の姿勢は「公式」のものだとしても、同じ安倍首相を支持している(らしい)勢力から「ワシントンポストへの意見広告」のようなものが飛び出したり、安倍首相自身の著書『美しい国へ』を読むと第二次大戦の戦後処理に対する精神的な異議申し立ての宣言のようなことが書いてある、こうした「非公式」の姿勢と「公式」の文言の乖離をどう理解したら良いのか、そんな苛立ちが大きいのだと思います。

・・・

 アメリカが政財界挙げて小泉政権には一定の理解を示したのは「イラク派兵と言うイヤな仕事」をやってくれたからではありません。小泉政権が掲げた構造改革の中に、アメリカの商機を増やす効果だけでなく、規制緩和によって「公式の問題解決システム」が動いてゆくだろうという大きな期待があったからなのだと思います。

 それが立ち行かなくなり、感情に流されるままに「非公式の決定」へ依存するような流れが出てきている、今回の「慰安婦決議」に関してはそうした流れの警告も含まれているようにも思うのです。そう言えば「ふるさと納税」などという「非公式の納税制度」がまだ取り沙汰されているあたり、病理は相当に深いと言えるのではないでしょうか。

フェアである、恣意的でない、ということは、いまの日本社会に何よりも必要なことだと思う。右とか左とかよりもはるかに重要なことなのだ。

上の引用の元になった記事は、そのことを簡にして要を得た文にまとめている。他にも年金問題への対処のしかたなど、本当は全文を紹介したいくらいなのだけど、それはこちらのメルマガで。

 

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