「バベル」
日本の映画関係者はたぶん、日本人俳優とハリウッドスターが同じ映画の中に出るというただそれだけのことを、最大限、宣伝に使ってやろうと意気込んでいたのかもしれない。でも、観る側からすると、そういうことははっきりいってあまり興味がわかない。映画として面白いかどうか、感ずるところがあるかどうか、だけが問題だ。
映画の賞の関係で話題になっていたこの映画を、ずいぶん遅れて観に行った私は、その点、少々期待しすぎていたのかもしれない。以下ネタバレあり。
人にはそれぞれの生まれ、生い立ち、現在、未来、つまりは文脈というものがある。この映画はその越え難い溝を描いている。
それは、登場するアメリカ人、モロッコ人、日本人の間の溝ではもちろんない。それら異なる文化の中で共通して存在する、親子の溝、人種の溝、そしてなにより他人の溝を描いたものだ。
それは日常のわずかなずれから、言葉の違いによる大きなずれ、さらにそれぞれの人が背負っている文化や生活態度の違いから生まれる。ずれがもたらす結果も様々。些細な行き違いで済むものから、回復不可能な悲劇に発展するものまで、いろいろある。私たちは他人と一応分かり合っているかのように思って日々過ごしているけれど、一皮剥くとそうしたずれがすぐに顔を出す。
この映画には、そのずれがもたらす悲劇がいくつも並列して描かれる。それぞれにずれを生み出した原因を想像して、はて、自分ならどう行動するだろうかと考えて、優越感にひたったり戦慄したりする。そのあたりが、この映画の楽しみ方のひとつだろうか。
米国や日本の話しは、私の周りにはそれなりに情報もあるから、凡その見当はつく。少し残念だったのはモロッコの状況についての自分の知識不足。社会の在りようについてもう少し知っていれば、思うところもより深くなったかもしれない。
それも推測しながら、なんとか退屈しない程度には楽しめた。
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