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2007.04.15

「サンシャイン 2057」

ほとんど宣伝を打ってないけど、GWに合わせて公開してくるだけあって、なかなかいい出来。静かな展開の中でも手に汗握らせるヤマがいくつもあって、リズムの作り方も申し分ない。なにより、この宇宙船の居住区側にある絶対の宇宙の静寂と、シールドの向こう側にある、逆巻く太陽エネルギーの怒涛との対比、その圧迫感が全編に漲っていて、すごい。以下ネタバレ。

 

自己犠牲にはよい自己犠牲とわるい自己犠牲がある。それを分けるのは何だろう。ということを、この映画を観て考えた。その問題意識は、この映画単体だけではなくて、他の映画で描かれるそれと比較して浮上してきたものだ。

例えば、「硫黄島からの手紙」に出てきたシーン。手榴弾自決を上官から迫られて、なきながら自分の胸に手榴弾を当てて死んで行った兵士がいた。ああいう死に方でも、「お国のための尊い犠牲」などと持ち上げられる傾向があるのだけど、私には単なる意気地のない犬死に見える。彼には、自分の死がどんな未来につながるのか、そのビジョンがあっただろうか。おそらく何もあるまい。ただ、生まれてからずっと慣れ親しんで、心地良ささえ覚えてきた同化圧力が、今、自分が嫌がることを強制してきている。それに逆らえない。その葛藤だけしかなかったのではないか。
こういうのが、わるい自己犠牲。彼はせめて、手に持った手榴弾を、彼に理不尽な自爆を強いる上官の足元に転がして様子を見てみるべきだった。

一方、よい自己犠牲とは、と書こうとして、ふと思いとどまってみる。そういうことは気楽に書いたりするものではないかも。

なぜかというと、人間というものは非常に悪賢くできていて、「よい自己犠牲」を普遍的に定義できるのなら、それをうまく利用して自分の利益につなげようとするからだ。私などは半端に頭が働くので、いざというときはそういう方向に行くかもしれん。

だから、この話しは、必要になるまで考えないでおこう。書かなくても、この映画の登場人物を見ればいくつものパターンが見えるのだから。

 

真田広之とミシェル・ヨー以外はあまり意識に留めていなかった配役だけど、誰もが知っているスターではないことで、かえって映画は引き締まったと思う。もちろんよい台本と映像があってのことなのだけど。

他にもいろいろ見たい映画が目白押しのGWだけど、この映画はその最初に見ても後悔しない、一級の出来でした。


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