« January 2007 | Main | March 2007 »

February 2007

2007.02.26

雑記070226

ほとんど雑記


精巧すぎるCG

DELLのデスクトップノートの、明度の低いモニタでは、写真としか見えません。


再掲:au携帯電話のバーコードリーダでジャンプ先URLが偽装される(2005年4月)

銀行や著名なネットショップへのジャンプ用のQRコードを読み取ったつもりが、フィッシング詐欺用の偽サイトへと誘導されてしまうといった事態が起きかねない。本物のポスターに偽サイトのURLを記したQRコードのシールを貼られて誘導されるという恐れもあるので、QRコード画像が掲載された媒体の物理的な真偽を見極めるという対処は現実的でない。
これが、いま再掲されるということは、事態はあまり改善されてないということだろうか。
やっかいなことだなあ。


Winny問題解決への糸口が今、山梨県警の手に託されている

ついでということでもないのだけど、

中継だった可能性があっても4パーセント程度だと(他の状況と総合して)「故意に公衆送信可能な状態に置いていたもの」と見なされてしまうという、なんだかすごい判決になっている。
無理繰りというか。
誰がこういうことをさせているのかなあ。


沖で待つ

それから「働く」ということも現代の小説らしいテーマなのだと改めて気がついた。昨年度に芥川賞を受賞した「八月の路上に捨てる」(伊藤たかみ)、昨年度の直木賞の「風に舞いあがるビニールシート」も、エリートキャリア、正社員、フリーターと設定の違いはあるが、労働は主人公たちの思考や生活の中心にあるように描かれている。

もしかすると有名文学賞受賞作品における場面描写を分析すると、年々職場の割合が高くなっていたりしないだろうか。漫画「働きマン」も大ヒット中である。主役が何を職業にしている人なのかわからない小説は受けなくなっているような気がする。

一日のうちの過半を占める労働が、考察や著述の対象にならずに来たことが、これまでの異常さをよく表していると思う。もし、そうした著述が増えているのだとしたら、ものごとは正常化に向かって一歩踏み出しているのかも。

少なくとも、エスカレータに任せきりという悪弊は後退しているのだろう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「世界最速のインディアン」

細かいことにくよくよせず、しかし人の機微をよく弁え、危険を恐れず、したいように生きる。そういう快男児(快老人?)を描いた映画。随所で思わず拍手したくなる価値ある作品。「快男児」はもはや死語だが、この作品中ではリアルに生きている。以下ネタバレ。

 

お話しが目指す目標は単純で、そこへ向けて真っ直ぐ進む。のだけど、主人公の彼が行く先々で人々と交わすコミュニケーション(笑)の味わいがよい。「コミュニケーション」に(笑)が付いている理由は、観てのお楽しみ。

彼の辞書にはまるで「困った」という言葉がないようだ。いろいろと持ち上がる課題を、次々に何とかしていくのだけど、その切り抜け方を通して見える、楽観主義、メカニックとしての腕前、頑固さ、惑いとためらいの少なさ、そしてなにより明るくて壁をつくらない人間性が、この作品を光らせている。お話しの展開が出来過ぎてるのじゃない? と思わなくも無いけれど、こんなキャラクタなら、実際にあったのかもと思わせる。マッチョな力強さではなく、素朴な逞しさというか。

なんだか形容詞が多いな(笑)。でも、べた褒めしたくなるのは事実。


はるばるやってきた、彼が「聖地」と呼ぶ目的地のレース場で、参加者から"Sportsmanship of the Year"に選ばれるのが、ひとつのクライマックス。さわやかに嬉しくなる。でも、この映画はもちろんそれだけでは終わらない。

もうひとつの最後のクライマックスは、彼のバイクがスピードをぐんぐん上げて前人未到の領域に差し掛かるところから先にある。
ここまではスポーツマンシップで来た。しかしここから先は、彼を彼たらしめている形容しがたい衝動の本領発揮だ。

振り返るとここまでの道中でも、それは彼のさまざまな言動の中に少しづつ散りばめられていたかもしれない。幼くして亡くなった双子の弟の影が彼の中にはあって、この作品の味わい深さは、そのお陰でもあるだろう。

それが、このラストで存在を主張する。たぶん。

実は、映画はその点をほとんど語らず、ただライダーとバイクを描写するだけに止めているから、これは私の思い込みかもしれない。だが私はそのように観た。

あの世の弟はこう言ったかもしれない。「ここまでおいで、もう少し。」
そして彼は、自分のその片割れに向かって不敵に牙を剥くのだ。

最高。

このタフな老人は、ついに長年の夢だった世界最速記録を塗り替え、その後転倒しながらも大事無く、故郷の町に凱旋する。

たいへんよい後味の、気持ちが明るくなる映画。誰にでもお勧め。

 

 

[追記]
牙を剥くのではなく、祈ったのかもしれない。
どちらとも決めがたいところ。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

2007.02.24

「バブルへGO!」

オフィシャルサイトにある作り手の独白が、この映画をよく表している。

もしもタイムマシンで好きな時代に行けるとしたら、あなたならどこに行くだろう?
ロバート・ゼメキスは1955年のアメリカの地方都市を、角川映画は戦国時代の越後の国を、浅田次郎は昭和30年代の新中野を、そしてホイチョイはバブル絶頂期の1990年の六本木を選んだ。
バブル時代の、名前どおりのバブリーな表層とは裏腹に、バブル男である主人公が見せる意外に古い男女観が懐かしい。一方、バブルとは無縁の現在の若者である彼女が見せる、あっけらかんと大胆な男女観がこれまた可笑しい。

考えてみると、バブルの頃はまだ、奥ゆかしさとか生身の感覚とかが、多少は生き残っていたのだった。そうした感覚を含むひとつのパラダイムを破壊しつくしてきたのがこの15年だった。バブルの時期はその意味で、ひとつ前の時代に属するものだとは言えると思う。

そういうわけで、作り手の(自らの全盛期を振り返る)懐古趣味に付き合わされて、なんだか居心地の悪さを感じる映画。おまけに結論は、家族に回帰しようとかいう、冴えないお話し。

こうしてみると、本当にわしらは、作り手が懐かしがる時代とは、はっきり断絶した時代に生きていることに気付く。自分の現在地を確認するのに、たいへん役立つという点では評価していい映画。

もちろん、この映画どおりの世界を生きている人は、それはそれで幸せなのだろうから、特に言うべきこともないのだが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

雑記070224


黒川紀章、石原慎太郎に喧嘩売るの巻

メタボリズム以降のことはよく知らない黒川紀章。
公約を出しているらしい。

1) 石原都知事が立候補を辞退しない場合には、都知事選に立候補する。
2) 無所属(どの党からも、推薦されれば受ける)で出馬。
3) 1期のみ
4) 無給、官舎(公館)公用車は使用しない。
5) 石原都政の良かった点は、当然継承する。
6) タレント知事の乱立(すべてが悪いわけではないが)に歯止めをかけたい。
7) 都知事の期間、KKAA((株)黒川紀章建築都市設計事務所)は都の計画や設計を受注しない。
8) 東京オリンピック中止
9) 都を区中心の多核型の都市として活性化する。
10) 一部の首都機能の移転を積極的に支援し、都心に再開発のタネ地を将来のために確保する。そして緑地率を高める。
11) 東京を金儲け主義の投機から守り、文化と経済の共生を目指す。
12) 傲慢な態度ではなく、都民と対話し、都民の声に耳を傾ける。
13) 議会(民主主義)の重視
14) 中米露との関係重視
15) 知事のリーダーシップ確立、側近政治はおこなわない。
・・・できれば、次を加えて欲しいです。
16)時間の約束を守る。遅刻はせめて30分以内に。
orz


政務調査費

地方議員の政務調査費というものは、報告時に領収書の添付が義務付けられていないらしい。
引用されている議員さんの話しがすごい。

議員の間には添付した領収書が公開されることに抵抗感は強い。栃木県議会の阿久津憲二議長も、「領収書添付を義務付けて公開したところで100%訴えられる。
それって「私は犯罪者間違いなし」ってこと?(笑)


NHKの視聴料てのは、半分だけ払うわけにはいかないのかな~

コメントにこんなご意見が。

技術的に言えば、民法の契約自由の原則により、受信契約は双方が合意したときにのみ成り立ちます。
ところが放送法で受信契約が定められていることから、特別法が一般法に優先するため、受信設備を保有する受信者(視聴者ではない)は契約しなければいけないことになります。
ここから先が重要なのですが、放送法は契約の内容まで定めているものではないため、内容についてはなお契約自由の原則が適用されると考えるのが自然でしょう。
おお! それじゃ例えば、「受信料の金額を○○円として契約する会」とかで、受信料引き下げできてしまうのだろうか。
本当にそんな穴があったら、すぐに塞がれてしまいそうなものだけど。


「NHK受信料 義務化、強く反対 総務相専門チーム」 日経本紙

松原聡東洋大学教授を代表とするタスクフォースが、反対しているそうな。
会合には菅総務相も出席との由。

迷走中なのかな。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

2007.02.17

「生む機械」発言の捉え方

忙しさのあまりしばらくネットを見ず書かずだった。それで、随分タイミングをはずしてこの話しについて書くことになってしまったけど、人によって見方が違うようなので、自分のこの時点での考えも一応記録しておこうと思う。

大方の反応は、生理的な反感だったようだ。人をばかにするなということだろう。反感に少し理屈を付けてみる意見もあった。女性だけに少子化の責任を押し付けている、などがそれだ。
発言を擁護するような意見もあった。人間機械論というのだったろうか。あれを持ち出して、人間を機械に例えるのは別におかしいことではない、というものだったか。

このうち、人間機械論風のお話しはまるで的はずれだ。件の発言に一斉に反発した女性たちだって、体調が悪くなれば薬を飲んで直そうとするのだから、人間の体が生化学的あるいは力学的な分析や入出力の対象であることなど言われなくても知っているだろうから。
あの発言が引き起こした反応の由来は、そんなところにはないのだ。


さて私の考えはといえば、あの発言はやはり問題があると思うのだけど、その理由は、ごく単純に、人の尊厳を傷つけたと思うからだ。
どのように傷つけたかというと、他人は自分の命令や指示どおりに動くものと、あたりまえのように言い放ったのと同じだから。それで反発するなという方が無理。

機械というものは、人が指示を出しさえすれば指示通りに動く。そのように作られている存在だ。その機械に人間を例えたことの裏側に、世間は、発言者の「他人は自分の指示通りに動いて当然」との意識を嗅ぎ取ったのではないかと思う。

なるほど発言者は勉強家で権力もある偉い人だろうから、周囲が自分の指示通りに動くことは日常の風景なのかもしれない。けれども、彼にそれほど近くない、どころかまるで縁のない大多数の人たちは、彼の指示があったからと言って、自分がそのとおりに動かねばならない謂れなど、全くないと感じている。

その、彼我の意識の違いが、このたびの世間の反発という形で表れたのではないか。

偉い人、特に、自助努力に対する当然の対価としてその偉さを手に入れたと思っている人たちは、気の毒なことだが、本当に気を使わなければならない。自分も相変わらずただの人間だということに。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.02.14

雑記070214

もう目も当てられない雑記。


東芝G900 Windows Mobile 6 スマートフォン

いまのところ、これが本命かな。
手のひらサイズの800×480ですがな。びっくり。
やっぱり解像度は高いほうがいい。


ノートのディスプレイがいよいよだめになってきたかも。
今年いっぱいは持つまい。案外短い寿命だった。


わしのような化石人間もようやく、パソコンから携帯に関心が移りつつある。そういう商機を逃がさないメーカー各社はさすがというか。

willcomがせめてもう少し、持って普通のスマートフォンを出してくれたらなあ。
いまのラインアップではどれを買っても、ちょっとアレゲな人にしか見えない。(泣)


Google Earthで見る“地球の秘密の場所”

いまやこういうものに神秘性など無くて、地主さんや農業の皆さんは、新しいデザインを作ってはGoogleEarthで披露して自慢してまわってるのではないかと思う。

こういうのまとめサイトがあって、毎年「○○アワード」とかイベントやったら面白かろ。


カーレースに酒税2000万円、エタノール燃料使用で

インディカーシリーズの第3戦が4月19~21日に栃木県のツインリンクもてぎで開催されるが、今季から導入されるエタノール燃料に関し、「酒税法」の適用を受けることが分かり、関係者は頭を抱えている。
(中略)
日本では「90%以上のエタノールを含むものは、基本的に酒税の課税対象となる」(関東経済産業局産業部アルコール課)。
飲酒運転禁止(笑)。



さて、次の商売は何にするか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.02.12

「カンバセーションズ」

表面上は、ほとんど台詞だけで構成された会話劇。一応、不倫を材料に取り上げているから、不倫ドラマが好きな人にはもしかするとお勧めかも。ただしこの不倫はほぼ会話でつくられているから、痴的な劣情ドラマ好きにはあくびが出そう。以下ネタバレ。

 

実験的な映像が面白い。画面を横に二つに割って、最初から最後までこれで通す。デュアルフレームというらしいが、私としてはニンテンドーDSシステムと言って欲しい(笑)。
宣伝文句では、男視点と女視点で描いていることになっているらしいが、その表現は誤解を生む。

確かにそういう視点から撮影した映像が多い。観る側は、会話する男女の微妙な表情やしぐさの動きを同時に見るから、普通に撮影編集されたものとは明らかに密度が違う。しかし、そうはいっても、音として聞こえるセリフは普通に交互に交わされる会話だから、互いに全く違うことを考えたり喋ったりしているわけではない。

むしろ、この映像処理は、会話の途中でそれぞれの頭の中に浮かぶイメージ--過去の思い出や遠く離れている家族など--を、現在進行中のものごとの横に、同じ大きさとリアリティで映し出す点に、新しさがあると思う。

不倫に落ちようとしている、中年の男女の頭の中に去来するあれこれ。若い頃恋に落ちた自分たちの思い出のあれこれ。そういうものが、いま現在のリアルな自分たちに重なって、やるせない感じや、諦念や、時の流れに対する妥協や、いろいろな苦さ甘さを醸し出す。
表現が難しいけど、微妙な色合いの変化を連続させた、他に類を見ない作品、とは言えると思う。


「男はズルいロマンチスト、女は罪なリアリスト」という宣伝文句は、はじめのうちはよくわからない。映画の終わり近くになって、一夜のアバンチュールの後、日常に戻ろうかというところになって、やっと納得がいく。そこは、この映画の売り文句ではあるけど、売りではないのだ。

これは、興行的にはきっと苦しいだろう。オフィシャルページには、物販のリンクなどがあって、資金繰りの苦労を偲ばせる。

私には、苦さ甘さのところが割と面白い映画だった。「サンキュー・スモーキング」のアーロン・エッカートが、再び台詞中心の独特な役を苦もなく演じて見せてくれる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「墨攻」

切ないお話しだが、見て損は無い。

映画宣伝の中では、漫画が原作となっていたが、私は酒見賢一の小説でこのお話しを読んだだけだ。どちらが本当の原作なのかはわからない。
映画の終わり方は小説とは異なるようだから、漫画の方により近いのかもしれない。
その小説の終わり方が印象に残っていたので、映画も観る気になったのだった。以下ネタバレ。

 

小説では、主人公の革離は、梁城をみごと趙軍から守りぬくのだが、物語の最後に、意外な相手の矢で後ろから斃される。「七人の侍」では、農民達は恩人の野武士を有難がりながらも遠ざけたが殺しはしなかった。それに比べて、革離の最後はもっと非劇的だ。
その最後を情けないとみるのではなく、それが世の中というものだと知ることが大切だ、ということを、私は酒見の小説に読んだのだった。

映画では革離に、小説よりもさらに悲しい結末を与える。それは見てのお楽しみとして、結局、この局面で得をしたのは、軍事のプロフェッショナルたる革離でも巷淹中でもなく、また純で学習中の若者、梁適や子団でもない。暗愚な王、梁王だ。

これもまた示唆的ではある。暗愚に見せて政治的な立ち回りに優れた者が生き残るのが世の常であるという、これは警句なのだろうか。


革離を演じた香港生まれのアンディ・ラウが相変わらず渋い。
巷淹中のアン・ソンギは韓国出身、子団のウー・チーロンは台湾出身と、俳優も東アジア色豊かで多彩。こうしてみると、東アジアにほとんど国境はないような錯覚を覚える。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

「幸せのちから」

この映画はバランスがよい。劇的な誇張はないが、見て素直に嬉しくなる作品。以下のっけからネタバレ。

 

この主人公に、ひとつの見習うべき特質がある。
それは、「怒らない」ということだ。

この男が置かれた状況は、かなり困難で打開するのが難しい。確かに、最初のつまづきは、勇んで大量に仕入れた骨密度測定器がさっぱり売れないという、リスクに対する自身の備えの甘さが原因だったわけだが、それにしてもこの男は忍耐強い。

それも、怒りたいのを押し殺しているというよりは、その怒りを別の前向きなエネルギーに変換しているかのように見える。それがこの男の力だ。つまらない種類の怒りをいつの間にか溶かしてしまう習性とでもいうか。

映画はその力を、まだ小さな息子を手元に置いておくことに帰したいようにも見えるけれど、あまりそれに拘ってもいない。むしろ、この男の、幸せを信じる気持ち、未来の不安ではなく目の前の課題に対して自分で立てた打開策に集中する、根っからの頭の良さに焦点を当てている。

そう、怒らない、ということは、頭の良さの証明でもある。
怒る、ということは、課題や障害に対して打開策を考え出すことができず、持て余したやるせないエネルギーを感情として爆発させ(て自己崩壊を防ぐ)ことに他ならない。何も生み出さず、幸せを遠ざけこそすれ引き寄せることにはならない。

もちろん、不条理や理不尽や不公正に対する深い怒りというものは、人間が失ってはならないもののひとつではある。映画の中でもこの頭の良い男は、そうした不公正に対しては怒りを隠さない。

しかし、彼が示しているように、日常の身過ぎ世過ぎのあれこれについては、怒るのではなく、淡々と、できることなら楽しげに対処するのが、むしろよい結果を生むようだ。

そういった、身の処し方のお手本を、この映画を通じて、観る側は感じ取ることが出来る。そうした人が、実話として成功を収めていると聞くのは、たいへん励まされることだ。
 

怒らない頭の良さに加えて、もうひとつ、貧民救済院で彼がホームレスに混じって歌う一節も重要だ。

「神よその石を取り除かないでください。私の躓きであるその石を」
古い起源を持つこの言葉は、曲解されやすいけれど、主人公の頭の良さと結びつくと、ごく自然に聞こえる。ものごとを他人のせいにしない、自分で対策を考えて実行するというあたりまえの一節が、この男の置かれた状況の中でたいそう力強く響く。

年金やらニートやら世代の責任やらと見苦しく言い争っているわしらは、ここから何を読み取るべきだろうか。

そんなこんなで、観た後たいへんに気持ちが良い、お勧めの1本。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.02.11

労働の意味は「人の役に立つこと」

以前、バブルとかITとか競争とかの概念が世の中にお目見えした頃、「他人に利用される人間ではなく利用する人間になれ」といった経営論まがいの話しをあちこちで聞かされたことがあった。いずれも、「リーダーシップが」とか「モティベーションが」とかのよくわからないカタカナをまくし立てる人達が言っていることだった。

私は何歳になっても多少知恵遅れの気味があるせいか、彼らの言うことがその場ではよく理解できなかったのは幸いというべきだろうか。

しばらくして、どこかの文章で、そうした「利用されることは悪」といった話しに対して、こんな言葉を読んだことがあった。

「人の役に立つことはそんなに悪いことなんでしょうか?」
この言葉はたいへん深く私の記憶に残って、以後の自分の行動にずいぶんと影響を及ぼしているように思う。現実にはなかなかなりきれない部分はあるにしても。

それで、これ。なぜ若者は労働しなくなったか、という問いに対する答え。
l'un pour l'autre

最初の数年は「あの人よりは自分の方が高給だ」とか「自分の方がプレスティージの高い仕事をしている」という比較意識がモチベーションを維持するかもしれないが、そのようなものはいずれどこかで消えてしまう。
そのあとの長い時間は自分自身で自分の労働に意味を与えなければならない。
けれども、「自分のために働く」人間にはそれができない。
私たちの労働の意味は「私たちの労働成果を享受している他者が存在する」という事実からしか引き出すことができないからである。
ということで、「人の役に立つ」ことを心がけましょう。「人の成果を横取りする術に長ける」のではなく。

 

と偉そうに言いつつ、利用しようというあからさまな意図で近づいてくる人間をどうあしらうかについて、まだスタンスが確立できているわけではないのだけど。
純粋な悪とか善はないから、是々非々とういうところか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.02.03

雑記070203

どうして人が忙しいときに限ってそういう爆笑ネタが発生しておるのか。
フォローが遅れるでわないですか。


やはりマイクロソフトが放つギャグはレベルが違う

34.名無しさん(2007-02-02T04:03:49+09:00)
つまりは、オフィスの館内放送で「シャットダウーン!!」と叫べば、職場のPCが全てシャットダウンできるということですか。

35.名無しさん(2007-02-02T05:05:36+09:00)
東京上空に気球を浮かべて、巨大スピーカーで「シャットダウーン!!」と叫べば首都機能が壊滅するんだぜ?

そして北朝鮮は核開発を中止し、テポドンにはラジカセ弾頭を搭載するのであった。

メンテナンス中

せめて簡単なゲーム仕立てくらいにしてもらえないかなあ。
これじゃ遊び心ゼロですがな。

おまけにあとで豆まき写真を投稿しろとか。

「CGMの時代」という言葉を、もしかして記号化してしまっているかな?
個々の事例で見せるテイストの積み重ねでしかないのだと思うけど。


いきなり!?

よし! 奥さまを説得じゃ。



当然の結末

多くの部長が口癖のように、「人材がいない」という。
確かにこれは正しい。

ある部長は、「餅は餅屋だ」という。
それも正しい。

自分で価値を生み出す鍛錬をせずに、他人の成果をネタに鞘取りだけ考えて生きてきた結果辿り着くのがここ。
この組織の戦略は、「皆で、雑用王になろう!」ってところだ。
「雑用王」。うまい。

もっとも、それを冷笑していれば済むわけでもないのが、面倒で難しいところ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2007.02.02

メディアは一線を越えずにうまく使いたい

blogを読む暇もないほど今週は忙しい。あと2週間ほどこの状態が続く。
そういうときに限って、面白いことが世の中では起きている。

本来、他所のblogをまるまる追い掛けるのはおかしいのだけど、あまりに面白いのでトレース。


テレビに「期待」してはいけない

コメント欄が玉石混淆であつくなってる。今回は丁寧に対応(笑)してるみたい。
 

このあたりは拾い読み。

ニュース価値は限界的な稀少性(珍しさ)で決まるので、絶対的な重要性を必ずしも反映しません。それはメディアが娯楽産業である以上、大なり小なり避けられないことです。このバイアスをわきまえてテレビを見ることがリテラシーです。

しかし、それがバイアスであることは間違いないから、「本当に飲酒運転は増えているのか?」などとバイアスを中立化する必要があります。ブログなどの新しいメディアに求められているのは、そういう役割でしょう。

もうひとつ、もういいかげんうんざりというコメント
このコメント欄を見ていると、ライブドアや飲酒運転の話のときとそっくりの展開をしてますね。私がメディアのバッシングに懐疑的な意見を書くと、「お前は甘い」「公共の電波なんだから間違いはゼロにしろ」「行政が出てきて取り締まれ」という話になる。こういう「岡っ引きバイアス」もかなり深刻な問題です。
本人もだんだん熱くなってきて、核心部分に。
「権力から自立」していないNHKには編集権の独立性は認められないが、自立している朝日新聞は大丈夫だ、とでも思ってるんですかね。このように「他人の言論は統制されて当然だ」といっているうちに自分の自由も侵されてゆく、というのが戦前の経験だったのに・・・

 

上を受けてまとめの記事
メディアの合理的バイアス

まとめたはずが、コメンテーターの人達はさらに燃え上がっております(笑)。変な脇道に飛び火したり。

この手の捏造って、そもそも放送してないのに事前にGRPの予測を立てて、広告枠を売り買いするテレビ広告ビジネスの枠組みが根本の原因にあるような気がします。
(中略)
仮にGRPを広告効果の指標にするならば、広告料金を成果報酬型にするのが筋だと思うのですが。そもそも視聴率を調査するのが電通子会社っていうのもありえないし。

みんな電通が怖いから、どのメディアもその手の話には触れないのでしょうか。


さて、この2つの記事の立場に対する、多くの人の素朴な疑問は、つまるところ、これだ。

ものを誇張して売ることはいろいろ規制がかけられているのに、これだけ影響力のあるメディアが「見る側のリテラシーの問題」と片付けられるのはおかしい気がする。
然るべき罰を与えよ、と。

そして反対意見は、再掲になるが、こう

「他人の言論は統制されて当然だ」といっているうちに自分の自由も侵されてゆく、というのが戦前の経験だったのに・・・
メディアに罰を与えようとすると、それに乗じて権力がメディアを規制しようとするおそれがある。結果として、小悪を叩くために巨悪を招いてしまうことになるので、それはしない方がよい。見る側がリテラシーを高めることで対処しましょう、と。

 

私の考えはもちろん後者なのだけど、注目したいのはこの短いコメント。

今までメディアが世論をリードしてきたことが崩れ始め、メディアをオピニオンリーダーと認めない市民が増えてきたのではないでしょうか。

この事からこの先ますます雑誌が売れなくなり、テレビは貧困者層の娯楽の王様と言われるようになると感じます。

リテラシーが高くならない大勢の人たちがいて、ことはそう簡単ではない。このコメントはここで終わってしまってその先を書いていないのだけど、とりあえず勝手に補完してみる。
「貧困者層の娯楽の王様」が、特定の意図に基づいて、数の多いその層を一定の方向に誘導することは、例えば過去の高度成長のような成果を生むこともあるけど、同時に戦争のような大変危うい方向に向かう可能性もある。
この「メディア」という道具を、これからどう使いこなしたものだろうか。

 

このテーマはとりあえずこれでおしまいだけど、話しが拡散しすぎるのを承知で少しだけ展開を書いておくと、目下の最大の問題、少子高齢化に対処するには、メディアの力を活用することが必要になると思う。伝津鵜はLOHASなんてスノッブでつまらないものを仕込む暇があったら、ここらで世間のために一肌脱いでみれ。

って偉そうなことを書きながら、具体的にどうすればいいのか自分でもよくわかっていないわし(笑)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« January 2007 | Main | March 2007 »