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2007.01.01

「無花果の顔」

元旦から変なものを観てしまった。
のっけからネタバレ。

最初は実験的な映画なのかと思った。ちゃぶ台を囲んだ一家団らんの様子が、各々の顔のアップで構成されているあたり、実際の誰かの視線で見たそのままを表そうとしているように見えた。作り物ではない日常の実際を作ろうとする実験。台詞についても同様で、気心が知れている家族どうしでなければほとんど意味を成さない言葉の応酬がちりばめられている。「おーい、あれ」で話が通じるというやつだ。

これがもしテレビドラマ(あるいは映画)という作り物であれば、視線は第三者のものになるだろうし、台詞は無駄なく脚本の意図を進行させるものになったはずだ。この映画はそういう定石をあえて採用しない意志を、出だしの30分くらいではっきり示している。こうした台詞は、頭で考えてもなかなか出てこないだろう。監督の桃井かおりが、自分の感性でひねり出したか、あるいは本当の誰かの日常から拾い上げたのか。
感覚的には、「そうそう、家族の間って、そういう言い方をするよね」という絶妙な線で落ち着かせている。監督桃井かおり、そういうところはすごい。

ではそういう映画かというと、どうもそうでもないようだ。お話は、一家を支えるお父さんがなぜか突然死んだり、お母さんが働いたり、女の子が身ごもったり、おかあさんが再婚したり、どんどん展開していく。

これはつまるところ、「女の半生」のようだ。そう考えれば、唐突に見える話の展開も辻褄が合う。

今となってはよくわからない理由で結婚して、毎日ご飯作って風呂沸かして父ちゃんや子供の心配して長電話して父ちゃんが死んで少しだけ頭がおかしくなって働いて再婚して娘が子供生んで、そうして娘に引き継いでいく、何の華も変哲もない女の生。

という風に私には見えた。


風呂を薪で沸かすところ以外は、私にもわかる要素がほとんどだった。桃井かおりの子供時代は、薪風呂だったのだろうか。

特にお勧めはしない。途中意味が取れず、中だるみと感じられかねない部分もあるけど、テーマに気付けば、そう観られない映画でもない。

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