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2006.12.03

「武士の一分」

これは傑作の部類に入れてもいいと思う。

木村拓哉を主演にしたのは大正解。日本社会の基層にある価値観を次世代に橋渡しするにはぴったりのキャラクタが出来上がった。その価値観は私にとっても懐かしい匂いがするので、この映画は嫌いではない。映画としての出来もいい。

その上であえて言うと、このお話しを素直に受け入れるわけにもいかないと思う。

主人公が失明にもかかわらず扶持を失わなかったのは単なる僥倖に過ぎない。それに普遍性があると錯覚したり、そういうことは殿様が目配りしてくれるものだと勘違いしたりすると、えらい目に会う。それがいまのところの現実というものだ。

もし、彼が普通に禄を失っていたら、この穏やかな日常の奥に武士の一分を垣間見せるお話しは成立しただろうか。もっと「分を越えて」荒んだ話しになったのではないか。もちろん、その中でも、控えめだが芯の強い妻の愛は存在し得るけれど、本作のような淡い感じは失われ、なにやらバタくさいものになっただろう。

だからこそ、稀にこのようなお話しを組立てることができれば、それは映画になり得るし、日本人の観客の共感を呼ぶことができるというわけだ。


ふと思うのだけど、こうした映画を組織的につくりだす人たちと、それをいい話しだなあと思って観る人たちの間には、不思議なことだが、越えられない溝が出来始めているかもしれない。それは、これを御伽噺だと知ってなお作り出すタフネスを持っている者と、それを情緒的に受け入れるばかりでその中に留まっている者の違いかもしれない。

その溝は埋められことなく、ただ映画という架空の世界を共有することによってのみ、一時的に癒されるように仕組まれているのだろうか。

ま、いつもどおりの天邪鬼の独り言なのだけど。

 

一点だけ蛇足を付け加えると、藤沢周平や東野圭吾や筒井康隆をいつまでも消費するだけに留まっていると、好調な邦画も遠からず息切れするのではないかと思う。

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