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2006.12.12

いじめと談合からの脱出

いじめと談合の話しは、村社会の弊害という点で共通している。これは身近にあるだけに、だれしも一家言あることなので、あまり踏み込むつもりはない。ということは以前も書いた。

ただ、自分に即したことは書いてもいいと思っていたら、上の記事で、核心に言及したエントリー。

崩れ始めた談合社会

「皆一緒でなくてもいい,仲良くしなくてもいっこうにかまわない,そんなことはもともと楽しくない」という独立自尊の精神が日本に定着して,はじめて日本のいじめ問題は解決するのである。もちろん談合問題も同時に解決する。

子供の頃の私の周囲の人間は、「どうしてこいつは村八分にも平気でにこにこしているんだろう」と訝しんでいたことだろう。理由は実に単純で、村の掟などよりよほど興味深いものが世の中にはたくさんあったからだ。

図書館に行けば先人達の歴史が膨大にあって終日浸っていることができた。海や山へ行けばこの世のものとも思われない美しいものに接することができて、日が暮れれば人知を超えた恐ろしいものを感じることもできた。優れた人間との対話と、人を超越したものとの対話。それ以上に一体何が必要だったろうか。
もちろん親の庇護があってのことではあったけれど、そういう子供時代を持てたことは幸いだったし、今の自分の基盤になっていることは間違いない。


このところ改革の反動やらで、従来型の村社会で生きてきた大多数の人たちが、再び快適な穴倉に閉じこもろうとしているようだけど、やっぱり私には馴染めない世界だなと思う。穴倉ごと崩壊する危険も増しているのだからなおさらだ。

そういうときは、また新しい世界を探して歩くのもひとつの方法かもしれない。見方によっては一種の逃避でもあるのだけど、それはなかなか悪くないことであると思う。とりあっても仕方が無いものは、敬して遠ざけておくのが吉というもの。

談合と訣別する土建屋さんにしろ、いじめ耐性を育む子供にしろ、これからの社会を担う人のあり方のひとつとして定着してほしいものだ。

そういえば、塩野七生さんの描く都市国家ヴェネチアの成立も、似たような起源だったと読んだことがあったなあ。

海の都の物語

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