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December 2006

2006.12.31

「長い散歩」

いじめや教育問題がクローズアップされた年の最後に見るには、まことにふさわしい映画だった。泣ける。
かねがねこうした問題について私が考えていた答えとぴったり一致するのも面映いものがあった。案外この意識は広く共有されているのかもしれない。

少々脱線するが、そのシンプルなはずの答えがなかなか一本化しないのは、いたずらに事件化させることが商売になる報道機関と、人と違うことを言うことが商売である評論家が多いためだと、私は勘繰っている。深刻ぶった仮面を付けて人の不幸を喰いものにするだけなら、さっさと退場してもらいたい。

さて、以下はネタバレ。

 

昭和の昔。今ほど管理社会の弊が深刻化していなかった頃、近所には、なんだか暇そうで何をやっているのかわからないおじさんというものがいて、子供の遊び相手などを時々していたものだった。それは、家庭や学校でめげることがあったときの逃げ場になっていた。どこでもそうだったかは知らないし、私自身は世話になったことはないが、そういう人が居たのは知っている。

大人にとっては忙しい身過ぎ世過ぎのなかでつい出てしまう一言や仕打ちであっても、こどもにとっては大層いたたまれない扱いになってしまうことが、よく起こる。そういうときに、浮世と少し距離をおいた、世間的には少々ずれた大人というものが、子供にとっては格好の逃げ場、調整と再起の場になる。こどもが社会化するときのストレスを乗り越えるための仕掛けがあったのだ。

この映画の主張は、ひとことで言うとそれだ。現代風の問題意識を随所にちりばめてはいるけれど、それらに対する答えはただひとつ、「ああいう人が必要なんだよ」の刑事の台詞に集約される。

昔との違いは、そうした「ああいう人」が、昭和であったなら人情味ある世話好きおじさんで済んだかもしれないものが、いまや有無を言わせず犯罪者に分類されてしまうことだろう。
映画は、それが避けられないことを示しながら、最後に、そうした扱いに対してよろけながらも再び立ち向かっていく緒方拳の背中で終わる。私にはそう見えた。

彼、安田松太郎は、その役をこれからも繰り返し引き受け続けるのだろうか。

 

と、ここまでが、この映画のメインストリームだ。だが奥田監督の問題意識はそれだけで終わっていないように見える。もうひとつの難しい要素、「わたる」という青年が登場する。

この青年の登場から死に至る過程は、少々唐突な感じはする。役割はもちろん、日本村の外からの目線を盛り込み、かつ、死というテーマを身近に引き寄せることだ。それはこの映画にずいぶんと奥行きを与えてくれる。

しかし本当にそれだけか。
この青年を自殺に到らしめる一方で、少女の方は最後に松太郎の手で生き延びさせる結末は、90年代に発生したニートとそれ以降の世代との、それぞれの異なる未来を暗示してはいないだろうか。

考えすぎかもしれない。私はそれを容易に口にはできないと感じている。

ひとつの救いは、この青年が、松太郎のような老人に比べてはるかに簡単に少女と気持ちを通わせていたことだ。一見窮地に追い込まれているこの世代だが、老人松太郎の世代とはまったく違うコミュニケーションスキルが隠れているのかもしれない。

そういう願いを込めて、私はこの映画を観たい。

 

松太郎役の緒方拳、刑事役の奥田瑛ニはいつもどおり。緒方拳は、動作で演技するより表情で演技する人だと思うのだけど、今回もそれは如何なく発揮される。奥田瑛ニは俳優の印象が強いけれど、この映画の奥行きを考えると監督としてもやはり注目されるだけのことはある。

で、この少女役がまた凄い子役の登場です。大人を睨み付けるあの目はどこで覚えたんだろう。私にその目を向けないでね(笑)。
もちろん、ほかの映画でも変幻自在の演技を大人の俳優と同じように見せるということではないだろうけれど、しかし、この子のおかげで、この映画は完成を見た、といってもまったく過言ではありません。

それだけのために観てもいい一本。

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大晦日の雑記

当たって遺憾な来年の予想

「失われた15年」に失われたもの

1980年代のアメリカ経済では、LBOによって成熟企業が解体・再編され、浪費されていたキャッシュフローが投資家に還元されて新しいIT産業に投下された。90年代後半の韓国でも、海外からの直接投資の引き揚げとIMFによる緊縮的な金融・財政政策のおかげで財閥が解体され、投資が効率化された。90 年代の日本は、そういう政策転換によって高度成長期の産業構造を脱却するチャンスを中途半端な不良債権処理と量的緩和による銀行救済でつぶしてしまった。「失われた15年」に失ったものの大きさをわれわれが知るのは、これからである。
だそうです。

縮小する産業の中でも業績を伸ばす企業があるように、周りがどうであろうと自分のスキルと業績を伸ばすことを、考えるようにしたい。その上で環境の制約が無視できないほど大きいと思えば、環境を変えるも自分のスキルのうち。

年末の締めくくりとしてはそういうことかなあ。

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2006.12.30

雑記061230

今日は朝から掃除。古くなった台所のカーペットを剥がして、きれいに拭いて、新しいカーペットを敷いた。たいへん気分がよい。
ごみを捨てようと思ったら、なんと今日の朝8時が最終らしい。世の中は私より1日早く年末を迎えている。
掃除の途中で粗大ごみ回収の民間業者が軽トラックでまわってきた。プラウン管テレビを3000円でひきとってもらう。市役所に頼むとたぶん2000円くらいだと思ったが、業者の話では6000円くらいになるそうな。はて(笑)。



さて、今年はどうだったか。
ある人に問われてふと浮かんだイメージをそのまま言葉にのぼせてみれば、「今年は楽しく仕事をした」年だった。それはなかなか得がたいことだし、よいことだったと思う。


来年はどうか。
来年もそうであるかはわからない。むしろ、そうしたことは長続きしない予感もするが、まあ、そんなもんだろうと思う。

思いつつ、ちと仕事以外のこともやらないとな、と思う。あちこちブログを拾い読みしているお陰でなんとかなっているものの、世の中への注意関心がこのところ薄まっている。それは明らかに良くない兆候だ。

私は特定の狭い領域のプロではないのだから、他を広く観察・洞察することから微妙に力を引き出さなければと思う。

来年がよい年でありますように。

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2006.12.29

雑記061229

Windowsを3台相互に認識。今はなんでもウィザードがやってくれるから楽ちんだ。

うち1台のCDドライブから3台にウイルスバスターをインストール。ネットワーク上に「見える」というだけで、手でマウントした実感がないところが、なんとなく不安な気分。

ということで、期限切れが近かったNorton(2004!)はご苦労様でした。


個人情報保護に必要以上に神経質になる必要はないとはいえ、これはなあ・・

ユビキタス社会の歩き方(1) もらったEdyはam/pmで使わない。am/pmで使ったEdyは渡さない。

合法/非合法化の判断はとりあえず置くとしても、利用者に十分説明がなかったとしたら、それはまずかろ。姿勢として >Edy

そういえばSuicaなんか、最初から住所氏名書かせてるし。

最近はあきらめの気分。なるべく現金で処理するのが吉かも。



「お名前は?」「ボンド。ジェームズ・ボンド。」

ただしこのボンドはミス・マネーペニーから「ジェームズ、あなたどこにいるの?探し回ったわよ」という電話がかかってきたとき、阿片を吸飲してラリっている。
爆。

「瞼の上にコインなんか乗せて寝てる場合じゃないのよ。ジェイムズ。」

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2006.12.28

幸せはイメージひとつ

このところ新しい調和点を求めて彷徨っており、少し粗削りなのだけど書いてみる。


時代と二人三脚できた中産階級というものが、成長横這いの時代に入って、解体することは避けられないように、最近思うようになった。

日本の中だけを見ていれば、何を言うかということになるのかもしれないが、途上国と呼んで内心密かに優越感を抱いていた国々が、高度成長時代の自分たちと同じように立ち上がり始めているのを見れば、こちらもまた、安易なまどろみを捨てて別のバランスポイントを目指さなければならないのではないか。

世の中でなんとなしに不幸感が増しているのは、頭でイメージする幸福な生き方と現実との乖離が激しくなっているからだ。現実の変化を押しとどめて、従来どおりの幸福イメージに戻すことは、世界を見回せばもはや難しいことはわかると思う。であれば、現実を認めつつ、新しい幸せイメージを作って安心することが、大多数の人間にとっては必要だろう。


金持ちは、金持ちであるということだけで癒されるところが多々ある上に、そもそも数が少ないから、これについては特に考える必要はない。問題は、そうではない層についてだろう。

私が考えているこの層の幸せイメージは、比較的低所得であっても自由な時間が持て、意義を感じられる活動ができることだ。それを特徴づける考え方は、働き手が、金のための労働を一定以上はしない、という矜持を持つことだ。もちろん、その層の中からも、寝る間も惜しんで仕事をして財を成す道は残されていなければならないけれど、すべての人をそうした方向に駆り立てるのは、もはや無理だという気がする。

このイメージを安定的に確立するにあたっては、さしあたり、物理的には、食料や交通手段などのインフラが安価に供給されることが、また思想的には、他人の顕示的消費を妬まず貶めない心理が、必要になる。


言うまでも無いけれど、新しいバランスポイントに移行するまでには苦悩は避けられないだろう。古い幸せイメージを急に捨てられるものではないから、それが残っている間は辛いことになるに違いない。中には暴発するケースもあるかもしれない。しかし、それを嫌がって止まろうとしても、世界の方は容赦なく変わっていく。変化が避けられないならば、むしろ先に踏み出していった方がいいことがあるかもしれない。

これは欧州的な労働感と似ているといわれればそうだと思う。とりあえず、そういう方向で、しかしラベルを貼って忘れるのではなく、現実と突き合わせながら考えていこうと思う。


今年は暮れも正月もなく働かなければならない予感がしているわしは、もしかすると最悪のケース?(笑)

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2006.12.27

雑記061227


P2Pビデオストリーミング「Venice Project」はYouTubeに勝てるのか?

これはメモせねば。

彼らは、何が重要なのか、そしてそれを達成するのにはどのような仕組みと運営が必要なのかを、熟知しています。彼らが重視しているもの、それは速度と画質/音質。VeniceProjectは、P2P技術を駆使して、帯域コストをほぼユーザーに負担してもらいながら、高品質な動画を提供します。そのクオリティは、YouTubeや他のビデオストリーミングサイトとは比べ物にならないほどです。
仕掛けているのはKazaAとSkypeの生みの親だそうです。

これで、「番組」の概念を持ち込めれば凄いことになるかも。


JET-MAN
こちらは機構の説明が見られる。

悠然としたフライトはこちらがよい。

マジンガーZ(古語)が空を飛んだときに匹敵するカタルシスというか。


リンデンラボのCEOが語る「セカンドライフ」の第2章

メモ。

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2006.12.25

ホワイトカラー・エグゼンプションの生かし方

a man with a Midas touch

ホワイトカラー・エグゼンプションの話。

現実のミダス王が神話と異なる点は、黄金を手にする者と食物を失う者が別々の人間であるということだ。
うまい。座布団3枚。


私自身は残業という概念とは無縁でずっとやってきているから、この話に直接関わりはない。むしろそんなものは無い方がよいという感覚だが、世の中それでは済まないだろうとは思う。

年収400万円以上に適用という条件は人件費圧縮のための見え透いた暴論だけど、例えば年収1000万円以上に適用ならば、検討してみてもよいのでは。

理由は、そのレベルの高年収なら、残業代がどうこうという質の低い仕事はそもそもしていないはずだから。なおかつ、質の高い仕事とは言えないのに、残業代を加算することで不可解な高収入になっている業種(例えばあれとか(笑))に、多少まともな金銭感覚(笑)を取り戻させることができるのではないかと思うから。


感覚が狂っていては、まともな営為は生まれない。

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2006.12.24

雑記061224

明日の朝までに4本のビデオ(各30分)を見て、何をどうすればよいのか指示を決めなければならない。のだけど、どーもやる気が出なくてブログに逃避。


自宅の机は、横倒しにしたカラーボックスに大きな製図版を乗せただけという、シンプルイズベスト的なもの。座卓よりは高く普通の机よりはもちろん低いこの机に、これまでは籐製の椅子で向かっていたのだけど、FRANCFRANCで良さげなフロアクッションを見つけて購入。

硬めの布製の袋に、細かい粒々の材料を封入したもので、お尻の形や重心の掛け方に合わせて自在に変形する。包んでいる布袋が変形にほどよく抵抗して変形し過ぎを防ぐので、そこそこ良い座り心地。
安物にちょっと高めの値付けが上手なFRANCFRANCにしては上出来。

無印良品でも同様のクッションを売っていて迷った。こちらは、変形の自由度が大きいのでフィット感は抜群。なのだが、一度座ったら立てない底なし沼(笑)。立とうとしてクッションに手をつくと、ずぶずぶと手首がもぐってしまう。床に一度転がらないと立ち上がれない仕様。
お店でお試しになるときは、特に女性は注意されるとよろしいかと。


一方、机の上はというと、奥行きが50cmもあるような昔風のブラウン管ディスプレイと、リサイクル屋で買ったこれもブラウン管のテレビが、でん、と座っていたのだが、両方ともお払い箱にして、代わりにアナログTVチューナ内臓の液晶ディスプレイを購入。新調したデクトップノートのディスプレイと並べて、机の上が大変すっきりした。
ディスプレイの後ろにできた空間に小振りの棚を移動してきて、部屋が広くなった。

それで知ったのだけど、量販店でパソコン用のディスプレイを買うと、古いものは交換で引き取ってくれる上に2000円貰える。今どき、ディスプレイを捨てようとすると、自治体に3000円くらい払って引き取ってもらわなければならないのがご時勢だが、量販店はさすがに客のココロをよく知っている。

その分売価に薄く上乗せでしょとか野暮なことは、言わないお約束。
むしろ、規模の利益ってやっぱり大きいなと思うのが前向き。



「黙れ!ケイタロー」:マナーにうるさい貴方のために

半径3M以内を圏外にするアイテムとのこと。デムパ嫌いは必携。ただしこれ自身もデムパを出すのかどうかは知らない。
これはスパイの親玉にも必須のアイテムですな。ちょうど007の"M"とか(笑)。

ただご注意して頂きたいのは、自分の携帯電話も圏外になってしまうということ。
「ご注意していただきたい」ってどこの国の方言ですか、という突っ込みはそれとして。
他人の携帯に目くじら立てる気はなくても、寛いでいるところを仕事で呼び出されるのは絶対嫌!という人にも、絶好のアイテム。

システム障害が出ると自動的に携帯が鳴るシステム保守の人とか。メールには1分以内に返事を出さないと仲間はずれにされると気に病むお子様とか。「いやーなんか圏外だったのかなあ」などとシラを切るのにうってつけ。

・・・そう言って売るほうが、売上げ一桁増えると思われ(笑)。


「ストリートサーファー」:ハッとするスタイルを持ったエクストリームギア

このコーナリング危なくね? といわれそうなトンデモ自転車。正確には自転車ではないかも。アライメントとコーナリングが無関係のような。



そろそろ仕事せねば。
ビデオ見るのは時間が掛かるのが難点。速読みたいに時間を短縮する方法を、GIZMODEが紹介してくれるといいのだけど。

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2006.12.23

セグウェイの進化

歩道を走って郵便配達に使う程度では「世紀の大発明」とはとうてい言い難いと思っていたけど、こういうアプリケーションが出始めると、なるほどセグウェイが見せたビジョンは大発明に化ける可能性はあると思った。
ジャイロスコープつき通勤用二輪車Lotus

セグウェイという移動機械のコンセプトは、思うに、4輪では難しい小さな回転半径と、人の筋力では出せないパワーとを結びつけることだ。バランスをとるためのジャイロ機構が注目されがちだが、それは手段に過ぎない。
本当に重要なのは、そのコンセプトの方だ。

上の記事の絵はこのコンセプトが持つ可能性の広がりを感じさせる。

別の場所で開発されている、車同士の衝突を自動的に回避する技術と組み合わせると、高速で移動する小さな移動ポッドが、高密度で隣り合うことができそうな気がしてくる。
車というものが、服と同じような感覚で身にまとうものになるのだから、考えただけで楽しい。


自転車の手軽さと、車のパワーとスピードを持った移動機械といえば、私が下駄代わりにつかっているバイクがあるが、あれはお洒落着で乗れるようなものではないし、操るのにそれなりの熟練がいる。そこがいいところでもあるのだけど、一般的とは言うにはやや抵抗があるだろ。

しかし、上のような移動ポッドなら、話は断然違ってくる。誰がどんな服装でも乗ることができる、汎用的なものになれるだろう。TOYOTAが試作して愛知万博でお披露目したコンセプトモデルと同じ流れだ。

4輪車は移動に対する人の感覚を大きく変えたけれど、この2輪車は、その基盤の上に立って、同じくらい大きな変化をもたらすものになるかもしれない。長い時間を掛けて。

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2006.12.22

雑記061222

用もなくコンビニに入って棚をざっとなめていくと、時々不思議なものが見つかる。
今日の不思議はこれ。

 「史上最も細いポッキー」

プラスチック製のサンプルまで展示してあって従来型とは確かに細さが違う。まじめに開発した技術者の苦闘が目に浮かぶよう。

0.3mmと0.5mmと0.7mmのポッキーが仲良く棚に並ぶのも時間の問題となってまいりました。


仕事で使っている1280×800もそこそこ広かったけど、1400×1050はまた一段と広い。
台数も増えたし、こうなると家庭内LANをつくるべきだろうか。WindowsどうしはEtherケーブルでつなぐと勝手にお互いを認識するのかと思っていたが、そうでもないみたい。本読まないとわからん。


ローマ人の物語が始まってからもう15年も経つのだという。
毎年2400~3000円づつ著者にクリスマスプレゼント(笑)してきたけど、それも今年で終わり。どの巻も面白かったけど、共和制のころの話と「ユリウス・カエサル」あたりが一番印象的だったかな。


podcastの番組で「編集長の終わらない話」という日経ビジネスの宣伝ものがある。これが結構面白かったりする。少なくとも最初の10分くらいは(笑)。
んで今週は、ブラジルの日本企業の話し。
熱い。

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2006.12.18

雑記061218

朝3時半。NHKがまともに映らない。何を放映しているかは一応わかるのだけど、基本的に白黒で、画面の一部に滲んだ色が出る。他の民放は普通に映ってるのだけど。。
TV屋さんの悪口をよく書くから、もしかして一足先に停波くらってますか?(笑)。

パソコン用のワンセグチューナーでも買うかなあ。



「フランダースが独立しました。ベルギーは終わりです」
JMMから。ジョークだそうですが、笑えない背景があるらしい。

 ベルギーは1830年にオランダから独立して誕生しました。当時の国力を支えていた産業が主にフランス語圏地域にあったことから、「ベルギー建国の立役者は自分たちだ」という、今日まで続く伝統的な考え方につながりました。しかしその後産業構造の変化により、フランダース地域の方が経済的に強い立場となったのですが、フランス語圏はフランダース地域からの各種補助金を支えに、内部の構造改革を全く行なうことなく過ごしている、というのが現状です。フランス語圏にとってフランダースは「豊かな財源」でしかなく(ちなみにベルギーの消費税は21%)、だからこそ上記の「年金はどうなっちゃうんだろう」発言が、真情の吐露として重みを持つとも言えます。

 わたしはフランダース地域に8年住んでいるため、考え方はフランダース寄りです。フランダース人はよく「財政補助はハイウェイでフランス語圏に行く」という言い方をします。例えば、フランダースでスピード違反で罰金を徴収されると、そのお金はそのままフランス語圏に落ちる、のだそうです。

そういえばわしらの消費税、上がるのかな。
一応、釣られてみる。


自信と劣等感の話し。同じくJMMから。

 ある種の日本人はどうしてストレスに耐えられないのでしょう。それは自信が欠落しているからです。自信の背景にあるべき十分な自尊感情を持てないでいるからです。それゆえに、大きなプレッシャーを抱え込んでしまうと、冷静な対応ができなくなってしまうのです。本論の主旨とはやや離れますが、意識的な愛国心の鼓吹が問題なのもこの構図に似ています。愛国心論議の最大の問題は、その背景に「自国への自信のなさ」が見え隠れすることであり、その愛国心がどうして暴走するのかというと「どうせ自分たちは遅れているから何をやっても良いんだ」という勘違いを生むからでしょう。

 今回の教育基本法改正の最大の問題は、こうした「劣等感の裏返しに過ぎない意識的な愛国心」が無自覚なまま言葉になってしまったことにあります。愛国心を口にすることを憚ることに強さがあるというのは、何も日本が敗戦国だから自重しなくてはならないのではありません。イーストウッドが二本の「硫黄島映画」で自国を見事に相対化して見せたように、一般的な真理なのだと思います。

ふーん。
硫黄島の二本の映画は、人によって受け止め方にいろいろな違いがあって興味深い。自国の相対化は、他人の目を気にする傾向が強い日本人が比較的上手な事柄であって、米国人に比べてずっと進んでいる。と思っていたけど、案外そうでもないようだ。
特に、栗林という司令官について、「戦争中でも冷静さを保っていた」ことと「投降せず兵達を玉砕させた」ことが一緒くたに語られていて、かつ、その二つのできごとのギャップに気付かない昭和世代が多いことに、いまさらながら気付く。

気付かない「振り」をしているのかもしれないが。

 

とか言っている間に4時15分。NHK直ったみたい。
局側の問題だったのかなあ。

誰も見てない丑三つ時と思って手を抜くと、たまに見てる意地悪な奴がいる(笑)。

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2006.12.17

「王の男」

権力と風刺の対立と、それと裏腹に微妙に共鳴する両者の関係とを見事に描いた、とでも言えばいいだろうか。俳優の男らしさと女らしさ(女形らしさ?)も嫌味なく立っていてお話しに花を添えている。見ごたえのある1本。以下ネタバレ。


権力を批判する自由が確立されている社会にいて、それが幸せなことなのだということを私はともすると忘れがちだった。
しかし、風刺というソフトな方法を使っても、権力批判をするということには、本来は相当な覚悟、決して屈服しない強い何かが必要だということを、この映画は示している。

タイトルからは女形役のコンギルが主役に思えるが、観てみると相方のチャンセンの存在が大きい。風刺を行う者の覚悟を体現しているのはこの男の方だ。

それだけだと、妙に熱い市井の批判者のお話しで終わってしまうのだが、コンギルをその相方に据えて、陰謀の中で一人生きてきた王の悲哀を伝えさせることで、権力というものを、無表情な、単なる批判の対象としてではなく、もっと普通の人間に身近なものとして描いているかのようだ。

チャンセンは、その身近なものに生身で対峙して代償を払いながらなお、芸人としての自分を貫くのだが、そこには不思議なことに、朝鮮半島の文化の基層にあると言われる「恨」の感じが無い。あるいは、私が「恨」を間違って受け止めているだけなのかもしれないが。

この映画を韓国の人たちは高く評価したそうだが、そのことはよく記憶しておきたい。TVドラマを見ない私にとって、この作品は、半島の人たちを考える良い手掛かりになりそうに思う。

むしろ、「グエムル」よりもこの映画の観客動員が低いという日本の方が、映画を観る目は無いのかも知れないと思うと、ちょっと憂鬱。

コマーシャリズムの弊害と、言ってしまえばそれまでだが。

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2006.12.16

「エラゴン」

「真の名前の持つ力」はゲド戦記、「ドラゴンとその乗り手の共感」はパーンの竜騎士、ということであちこち借り物で構成。筋書きはこの種の典型で、しかも展開が速いのでじっくり味わうようには出来ていない。ということで、その辺りには見るべきものはない。

やはり、優雅なドラゴンの飛翔をSFXでたっぷり見るのがこの映画の醍醐味だろうか。その点はとてもよく出来ている。
もうひとつ、ドラゴンとライダーの会話を映像で見るのも、これまでのドラゴンのイメージと異なっていて新鮮。ドラゴンをこれほど人間的に描いたのは、初めてなのではないかと思う。


映画としての評価はそれとして、最近の映画を見ていて気付く変化がここにも見られて、そちらの方に私は興味を惹かれた。それは、今風の若者の振る舞いをはっきりわかる形で取り込んでいることだ。例えば、アーリアを見送るシーンなどは、まるで安っぽいナンパでも見ているよう。

それが嫌かというと、私はそうでもない。

この感じは「武士の一分」や「硫黄島からの手紙」の主役の台詞においても見られたもので、このところ立て続けに出合っている。完成されたストーリーや予定調和的な感受性を揶揄するようなこの傾向は、次の世代に映画というメディアを引き継いでもらうための試みだと思って評価したい。

この映画(と、同様の2本)の本当の価値は、よくできているがどこかで聞いたようなお話を繰り返すことではなくて、若い世代の感覚を映画というメディアに取り入れるための試行錯誤を行っていることだと思う。
いつまでも昭和の感覚を墨守していいわけでもないだろう。

少々穿った観方とは思うけれど、私はその点に興味を持ち続けたいと思う。


俳優の力量は少々物足りないが、この映画の一方の主役はドラゴンなのだから、人間の方はまあこれくらいでもよしとしよう。最後の「つづく」のシーンに出てきたガルバトリクスの竜は、恐くて強そうで、続編に期待大。

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雑記061216

12月とは思えない暖かさ。こんなに暖かいなら、どこかへキャンプに行けばよかったか。でも、年末にかけて良さげな映画が目白押しで、そちらも放っておけないのだった。


否定について

ポイントはついにボトムラインが遂にはそこまで下がっているということなのではないか。
(中略)
ひきこもりにいたるまでおいつめられる人間と、自爆攻撃する人間の心性のおいつめられかたのどこに差があるのか、とも私は考えてしまう
同意。

少し別の局面を考えてみる。例えば・・
定年で仕事を終える人が増えて、なけなしの退職金やら年金をうまく巻き上げようと知恵をしぼる人たちがいて、阿鼻叫喚の地獄図がこれから一部で展開されるわけだ。

60過ぎて騙されたともし思ったなら、侘しく自殺なんかするよりもいっそテロリストにという人が居ても、私は驚かない。自分を責めつつひっそり死んでいくなんて、まったく団塊らしくない。ということで、がんがれ。何を。


FOMA M702iS

いいなあこれ。
日本のものとははっきり違うセンス。もとは米国で売られてるものなのかな。
この「マイアミグレー」っていうのがほしいんだけど。

厚いのもあるみたい。

販売員さんの話では、USBに問題があって、本邦発売は今日まで延び延びになっていたとか。で、発売したからには問題解消かと聞くと、「直ってません」との厳かな宣言。パソコンとの間でUSB経由のデータ交換はできないのだそう。「モトローラ携帯購入」によると、USB経由の充電もできないらしい。充電はACアダプタ経由でいいけど、パソコンと通信できないのは困る。Bluetoothがあるらしいからそれかな。
ノートパソコンのモデムとしても使えるなら、今のWillcom+AirH"(2回線)に置き換えてもいいんだが・・・調べないと。

あ。
モデムとして使うとバッテリの持ちが問題なのだった。USB経由充電ができないとすると、連続通話時間がにわかに重要になってくるわけで・・・・・・・120分。。

 ○| ̄|_



バーガーキング「デルモデル」で日本再上陸(予定)

品川のバーガーキングが撤退して後がロナの店になったときはとっても悲しかった。復帰大歓迎。デルモデルは関係ないでしょ。
プレスリリースはこちら

この度のフランチャイズ契約締結により、ロッテおよびリヴァンプは、世界有数の個性的で強力なブランドであるBKCと組むことで、ロッテリアとのシナジーを高めながら、さらなるフードサービス事業の更なる成長を図ります。
ロッテリアとのシナジー? 何ですかそれわ? 物流のことかな。

ハンバーガー売るのに取って付けたようなMBA用語は不要。また満腹感いっぱいのハンバーガーを早く食べさせてくだされ。

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2006.12.15

雑記061215

なぜか複数案件で日程がいきなり同時に殺到してくる年の瀬。



WS009KE
発売になったので触ってみたのだけど・・・
角が痛い。
なんとなくつくりが安っぽい。規模のメリットが薄い会社だから、どの端末もそうなるのは仕方が無いことではあるけど。

やっぱりもうしばらく待つか。


Office Liveで始めてみよう。個人ベースのサーバー活用

outlookかあ・・・残念ながら良いイメージが無い。
最近は違うのかもしれないけど。

例えばアドレス帳のような個人情報に深く関わりそうな部分で、囲い込みを画策するのは逆効果だと思う。


三菱自欠陥隠し:改ざんの事実は認定 無罪判決の横浜簡裁

上記のような「狭い」捉え方が、今後、上訴審で否定され「広く」捉えるべきであるとされる可能性はあるでしょう。

横浜簡裁も、そういった可能性はわきまえた上で、今後も重要な争点になる改ざんの事実について認定したものと思われます。

なるほど。そういう見方もあると。
やっぱり専門家の意見にはちゃんと耳を傾けてみるのがいいみたい。


東芝、東芝EMIの全株式を売却し、レコード事業から完全撤退へ

原発と音楽では、ちょっと離れすぎているとは思う。
総合○○業の名に拘って茹で蛙になるのに比べると、きちんと決断ができる企業ということで。

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2006.12.13

携帯の料金を販売員から正しく聞き出すには

公正取引委員会が携帯電話事業者3名に対して警告

正直、softbankだけでなく、どの会社の料金体系も、私にはさっぱりわからない。もうちょっとまともでシンプルなものにしてほしい。

対抗手段として私は、SoftBankの例の0円広告の実際の費用を調べるとき、法人顧客を装ってみたのだった。「稟議書に書くので、全部でどれだけの費用になるのか正確に教えてくれ。後からあれやこれや追加とか言うと、稟議ではねられてしまう」

これはたいへん効果的だった。個人向けの騙し・・もとい、営業トークを封じ込めて、極めて短時間にまともな情報を得ることに成功したのだった。

パンフレットをじっくり読んで全貌を掴むような緻密な作業ができない私のような頭の悪い人間には、神様は別種の知恵を授けてくれるものなのである。主なる神に栄えあれ。

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2006.12.12

雑記061212


ノキア、フルキーボードを備えた携帯電話「E61」を年内発売

うーむ。キーボード小さすぎないか? それでいて、携帯としては朝青龍みたいだし。
実機を触ってみたいなあ。


★9(nine)/WS009KE

とりあえず、もう今の携帯は限界だから、このあたりを買うかと思わなくもないのだけど・・どうも澄まし過ぎ・・な感じがする。機能が絞られてるわりに、安くない値段だし。

悩むなあ。

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いじめと談合からの脱出

いじめと談合の話しは、村社会の弊害という点で共通している。これは身近にあるだけに、だれしも一家言あることなので、あまり踏み込むつもりはない。ということは以前も書いた。

ただ、自分に即したことは書いてもいいと思っていたら、上の記事で、核心に言及したエントリー。

崩れ始めた談合社会

「皆一緒でなくてもいい,仲良くしなくてもいっこうにかまわない,そんなことはもともと楽しくない」という独立自尊の精神が日本に定着して,はじめて日本のいじめ問題は解決するのである。もちろん談合問題も同時に解決する。

子供の頃の私の周囲の人間は、「どうしてこいつは村八分にも平気でにこにこしているんだろう」と訝しんでいたことだろう。理由は実に単純で、村の掟などよりよほど興味深いものが世の中にはたくさんあったからだ。

図書館に行けば先人達の歴史が膨大にあって終日浸っていることができた。海や山へ行けばこの世のものとも思われない美しいものに接することができて、日が暮れれば人知を超えた恐ろしいものを感じることもできた。優れた人間との対話と、人を超越したものとの対話。それ以上に一体何が必要だったろうか。
もちろん親の庇護があってのことではあったけれど、そういう子供時代を持てたことは幸いだったし、今の自分の基盤になっていることは間違いない。


このところ改革の反動やらで、従来型の村社会で生きてきた大多数の人たちが、再び快適な穴倉に閉じこもろうとしているようだけど、やっぱり私には馴染めない世界だなと思う。穴倉ごと崩壊する危険も増しているのだからなおさらだ。

そういうときは、また新しい世界を探して歩くのもひとつの方法かもしれない。見方によっては一種の逃避でもあるのだけど、それはなかなか悪くないことであると思う。とりあっても仕方が無いものは、敬して遠ざけておくのが吉というもの。

談合と訣別する土建屋さんにしろ、いじめ耐性を育む子供にしろ、これからの社会を担う人のあり方のひとつとして定着してほしいものだ。

そういえば、塩野七生さんの描く都市国家ヴェネチアの成立も、似たような起源だったと読んだことがあったなあ。

海の都の物語

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2006.12.09

「硫黄島からの手紙」

「父親たちの星条旗」に比べると、こちらの方が数段よい出来。と思うのは私が日本人だからか。敗戦国である日本人にとって、戦争は「悲惨」という言葉と分かちがたく結びついているのに対して、米国人にとっては、時に「栄光」と感じられるところが少し違うのかも。
二本でセットと考えなくても、日本軍の視点から描いたこの一本だけで十分存在感がある。広い年齢層に観ていただきたい一本。以下ネタバレ。

 

作中にはいろいろなタイプのキャラクタが登場する。合理主義的だが軍人として国に殉じる決心をしている司令官。合理主義的だが商人でありなんとか生き延びようとする兵卒。そのほかにも、自我と集団があまり分離していない典型的な「いい人」や、同じく集団主義的で序列が多少上なために横柄で独りよがりな者達。などなど。

群像として見ることももちろんできるのだけど、私は、等しく合理主義的でありながら、死ぬほかないと決心している司令官と、できれば生き延びたいと願う兵卒の対比として、この映画を観た。

そのように観ることで解ったことがある。司令官と兵卒では、異なる価値観を持つのはむしろ当然だ、ということだ。

司令官というものは、自分が死ぬことによって、広い範囲に影響を与え得る。直接には縁のない多くの人がその死を悲しみ、伝説を生み出し、集団を動かす力になり得る。
一方、兵卒の死にはそうした効果はない。単純に「死んだ兵隊は役に立たない」だけだ。
だから、両者の価値観が異なるのはむしろ当然であり、国にせよ軍隊にせよ、組織というものはそれを受容できるように作られなければならない。

考えてみれば、兵卒はおろか、市井の者にまで、司令官と同様の死を強要するところに、太平洋戦争後半の悲惨の原因はあったのだった。その理不尽を、この映画は効果的に思い起こさせてくれる。

さんざんな負け戦のあと、何が悪かったのか一向に反省することもなく、相変わらずの集団主義で走ってきたこの国が、ようやく自分のことを自分の頭で考え始めようとしているいま、それぞれがどのような自分をかたちづくっていくのか、じっくりと考えるきっかけに、この映画はなり得るのではないかと思う。


それにしても、監督を務めたクリント・イーストウッド。彼が本当に日本人をこれほど理解しているとしたらたいしたものだ。私はこの10分の一も米国人を理解していないと思う。「父親達・・」との出来の違いが腑に落ちないが、もしかすると「硫黄島・・」の方ではいいスタッフが付いたのかもしれない。

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iPhone & Mac 3点


例のMacのTV広告の、別のバージョン。
Campaña Apple en Español - Episodio 4

えーっと。何語?スペイン語?
言いたいことはすんごくわかる(笑)。



ユーザーによるiPhoneの妄想集

初期のネットでは「ユーザーの声が大切」なんてことが、まじめに論じられてたりしたけれど、もう議論などする必要もないくらい当然の世の中になった、その例。

「利用者の声をお寄せください」とか無粋なことを言わなくても、勝手にこれだけ妄想が湧いて出てくるのを見るのは嬉しい。
むしろ作る方にはたいへんなプレッシャーかも(笑)。



もちろん、完成度の高い妄想(笑)は、文句無くこれ。
iPhone

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2006.12.04

雑記061204

一昨日、あまりに安いHPのパソコンの広告を見てしまったのだった。
たいていHPが新聞広告で特価を出した翌日はDELLが対抗してさらに安価なキャンペーン広告を打つので、念のためDELLのサイトで確かめたが、なんとまあ、今度だけはHPに軍配が。

かくして、2週間後にはHPのL2キャッシュ4Mというデスクトップノートが届くことになった。DELL以外のメーカーからデスクトップパソコンを買うのは実に・・10数年ぶり。

それにしても、カードのオーソリに日単位の時間がかかるって。。手動なのかな。処理件数が偲ばれる。



FONの無線LANアクセスポイント

うーむ。しまった。HPのには無線LANは付いてないのだった。DELLには付いてたなあ。まあ普段ほとんど使わないから仕方がない。

写真を見ると、結構小さいルータなのね。


Crazy Girl On Wii

全く持って他人事じゃありません。

Wiiのおかげで人間は野生に戻る。らしい。


ギズモードで編集アシ募集

いいなあ、これ。


”自虐史観”否定のナルシズム

「美しい日本」の胡散臭さを簡明に指摘していて、これ以上の説明はいらないくらい。

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2006.12.03

「武士の一分」

これは傑作の部類に入れてもいいと思う。

木村拓哉を主演にしたのは大正解。日本社会の基層にある価値観を次世代に橋渡しするにはぴったりのキャラクタが出来上がった。その価値観は私にとっても懐かしい匂いがするので、この映画は嫌いではない。映画としての出来もいい。

その上であえて言うと、このお話しを素直に受け入れるわけにもいかないと思う。

主人公が失明にもかかわらず扶持を失わなかったのは単なる僥倖に過ぎない。それに普遍性があると錯覚したり、そういうことは殿様が目配りしてくれるものだと勘違いしたりすると、えらい目に会う。それがいまのところの現実というものだ。

もし、彼が普通に禄を失っていたら、この穏やかな日常の奥に武士の一分を垣間見せるお話しは成立しただろうか。もっと「分を越えて」荒んだ話しになったのではないか。もちろん、その中でも、控えめだが芯の強い妻の愛は存在し得るけれど、本作のような淡い感じは失われ、なにやらバタくさいものになっただろう。

だからこそ、稀にこのようなお話しを組立てることができれば、それは映画になり得るし、日本人の観客の共感を呼ぶことができるというわけだ。


ふと思うのだけど、こうした映画を組織的につくりだす人たちと、それをいい話しだなあと思って観る人たちの間には、不思議なことだが、越えられない溝が出来始めているかもしれない。それは、これを御伽噺だと知ってなお作り出すタフネスを持っている者と、それを情緒的に受け入れるばかりでその中に留まっている者の違いかもしれない。

その溝は埋められことなく、ただ映画という架空の世界を共有することによってのみ、一時的に癒されるように仕組まれているのだろうか。

ま、いつもどおりの天邪鬼の独り言なのだけど。

 

一点だけ蛇足を付け加えると、藤沢周平や東野圭吾や筒井康隆をいつまでも消費するだけに留まっていると、好調な邦画も遠からず息切れするのではないかと思う。

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2006.12.02

「カジノ・ロワイヤル」

前半2/3はなるほど007、後半1/3は全然違う映画、というのが正しいかも。

ジェームズ・ボンドの運命の女を描くという点では物足りない。ボンドが007になる過程を描くなら、そのキーであるヴェスパーをボンドと同じくらい丁寧に描く必要があったと思うのだけど、ヴェスパーという人物の背景はほとんど描かれず、ボンドの推測とMの説明的なセリフで済ませてしまっている。だから、せっかくエヴァ・グリーンといううってつけの配役をしているのに、それが生きてこない。

普通に007映画としては、前半だけでいい出来だから、不満を言うべきではないけど、従来路線の娯楽アクションをつくるのか、それともジェームズ・ボンドの人間ドラマをつくるのか、どちらかに絞ってもよかったと思う。


TVで「衝撃のラストシーン」と宣伝しているシーンが、たぶん007シリーズの初期の作品に繋がるのかもしれないが、そこはシリーズに詳しくない私にはわからない。

そのラストシーンをあえて無視して言うなら、この「カジノ・ロワイヤル」は、007を再生するための設定の再構築だったのではないかと思う。鍵はテロという不安定要因。背後には軍需産業というか武器商人というか。

この設定はしかし、テロの側を深く描けば社会問題になりかねないところがあって、今後も敵方は軽くおざなりに描くしかないのだろう。むしろ娯楽映画としての路線がこれで再確認できたわけだから、よかったかもしれない。


それにしても、俳優の力というのは大きいと思う。ショーン・コネリーはともかく、そのほかのジェームズ・ボンドはどれも浮ついている上にもっさりした感じがして、私はあまり好きじゃないのだけど、ダニエル・クレイグという俳優には存在感とキレがあった。

この配役でまた007があるなら、観てもいいいかな。

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外交とコード書き

人はネットの言葉から受ける影響を自己管理できるか?

自分にとって意味があって有用な影響を及ぼす言葉だけを私は「コンパイル」して実行する。つまり、自分に影響を及ぼすことを許す。
いつ頃からだったろうか、私もこういうことがある程度できるようになった。

私は、プログラムとは言葉に近いものだと常々思っていて、そう思いながら長いこと日曜プログラマとして機械に対する語りかけ(コード書き)をしてきたら、逆に自然言語の方をも、そういう目で見るようになった。

そして、そうなってから初めて、外交というものが少し理解できるようになったと思う。
両者の共通点は、外界をシステムとして見て自分と対置させる境界線の引き方と、お互いに入力と出力を交換しあうプロトコルについてのイメージだ。

よく見回すと、優れた人間はそれを当然のように使いこなしているように見える。この世界も奥は深いのだろうなと思う。

現実レベルの思考とメタレベルの思考が並行、というか伴奏している関係に、このイメージがそのうち対応してくると確信を持っている。
一時、かなりはっきり見えていたのだけど、このところ現実レベルが優勢で、調和は少し遠のいた感じがある。

これは日々手入れをしないと錆びるものらしい。

 

余談だが、essaさんの考えるソースかバイナリかという比喩は、いずれ後退していくと思う。ソースはコンパイラが解釈する言葉であり、バイナリは回路が解釈する言葉であって、メタに見たときの構図は同じだから。

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2006.12.01

テレビ番組もアグリゲーションの対象に

YouTube,米国で来月からケータイで視聴可能に

 Verizon Wirelessの第3世代(3G)サービス“VCast”(月間15ドル)の利用者が,ケータイでYouTubeのビデオを視聴できる。VCastでは,既にMTV,ESPN,ABCのビデオクリップを提供している。

 NYTimes.comによると,YouTubeビデオの配信はしばらくの間,Verizonのケータイに限定するが,いずれ,すべての携帯電話キャリアに開放するという。

通常のTV番組もyoutube上でアグリゲートされる対象になっていく。言い換えれば、これまでのような視聴率調査によってでなく、もろにアクセス数で評価されランキングされていくということに。

youtubeの本当の怖さはその辺りにあるのかも。
例えばこんな記事。

CBS、YouTubeに大興奮

いずれにしても、最近のこれらプレスリリースや訴訟は、現在水面下で進行中の巨大な闘争におけるチェスの駒であるのは確かだ。コンテンツの所有者は非オンラインのテレビが死に絶える前に、何をどうすればいいのか頭をひねっている。これに対してYouTubeは「分割して統治せよ」の戦略を実行している。

漏れ聞いたところでは、まだオンライン配信に踏み切らずにいるコンテンツ所有者グループは、共同でYouTubeクローンを設立、自分たちのコンテンツをラインセンスしようと試みているらしい (そうすれば広告収入を100% 確保できる)。その後、YouTubeを相手に巨額の[損害賠償]訴訟を起こすという手はずなのだろう。しかし内輪もめと全般的なマヒ状態のせいで議論は中断されたままのようだ。

分割統治なんていう古くて新しい言葉が出てくるところに笑った。


アクセス数という指標だけを絶対的な価値と考えてしまうことに、私は抵抗を感じてはいる。発行部数が少ない良書というものはあまたあるわけだし。
しかし一方で、今のテレビというビジネスモデルが全面的に依存している視聴率というものにも、私は胡散臭さを感じている。

アクセス数を通じてSilent Majorityの動向をより正しく把握することで、視聴率というもののいかがわしさを乗り越えていくことはできるだろう。
その上で、有名なもの以外にも価値を見出せるような方法が、生き残っていかなければ、とも思う。

Googleはその方法を示してはくれない。

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