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2006.11.11

「トリスタンとイゾルデ」

どの人にも特段の大きな落ち度もなく、むしろいい人達であって、それが善意の行動をとった挙句に、誰もが悲しむ結末に向かっていく。それを悲劇という。
そこに恋の要素が絡めば「悲恋」ということになる。

これは、悲恋の物語を周辺の要素も含めて隙なく描いた、たいへん仕上がりのよい映画。あまりにもよい出来栄えで、観る側の涙をあざとく誘うよりもかえって感銘を残す。
ちと褒めすぎか。

背景に映る海辺の風景が美しい。イングランドとアイルランドというのは、ああいう距離感なのかとはじめて知る。ローマ人が撤退した後、一時アイルランドがイングランドを支配していたというのも知らなかった。文明国家ローマの遺構が悲恋の舞台にもしっくり似合う。

お話しは、有名な戯曲とは少し違うようだ。マーク王はより人格者として描かれているし、媚薬の話しは出てこない。イゾルデとトリスタンは媚薬の力で結ばれるのではなく、恋に落ちるべくして落ちる。さらに、偽名を使うのは、トリスタンのほうではなくイゾルデの方だ。このあたり、女のしたたかさと二面性の表現を、媚薬から偽名に移し変えているようにも取れて興味深い。

主人公二人の恋は、中世にできあがったお話の原型に比べてたぶん現代風にアレンジされていて、感情移入しやすい。この二人はもちろんだが、私は、三角関係の一極に置かれた王様に感心した。人間が出来ている。出来過ぎ。なかなかこうはなれないものだが、なれているからこそ王なのだろう。
現代の市民社会に生きるわしらには、「王」というものがもうひとつわからないが、ここに示されているのは、ひとつの地方領主達の王(リーダー)の像(現代風解釈による)には違いない。

この王が当事者の一人であるがために、この悲恋はより強い力を見る者に及ぼしていると思う。物語は、よくできた脇役が大切なのだ。


そういうわけで、死ぬの死なぬのと殺伐として子供じみた浮世の話に疲れたとき、見て損はない一本。

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