芸術の価値は権利にではなく豊かさへの感謝にある
「検索の次「推薦」エンジン」 日経本紙「新風シリコンバレー」
リコメンデーションのことがタイトルになっているけど、私が気になったのは、パンドラ・メディアという楽曲リコメンデーションをビジネスにする会社の創業者のことば。
「有名でなくても実力があれば曲が売れ生計が立つ。そんな中流階級をミュージシャンの世界につくりたかった。」こういうアーティスト観はありだと思う。以前聞いた話だけど、例えばイタリアの絵画の市では、普通のおじさんおばさんが気に入った絵を部屋に飾るために、3万円くらいの小遣いを握り締めてやってくるのだそうだ。ああでもないこうでもないと、絵を前にして議論する。自分の芸術観を人とたたかわせて楽しむ。等身大の芸術との関わり方。そういう場に出品する方もまた、その道の大家でも業界の顔でもなんでもない、普通の絵描きなのだろう。
普通の絵描き・・・そういうのに私は憧れます(笑)。
これまで、著作権のことを考えるときは常に、上の記事が書くように「一握りの著名アーティストに「富」が偏在する」現実を前提に考えていた。だからこそ、音楽のネット配信がインディーズ系の音楽家にとっては利点が大きいという考え方が発生したのだった。それは同時に、大手レコードレーベルによる音楽の寡占と産業化に対する批判でもあった。
著作権というものには、元来、人間の創造活動を対価の形で支援するという大切な目的があったはずなのだが、不思議なことに今は、大手事業会社の著作権ビジネスモデルが障害となって、中流の芸術家を育て裾野を広げて芸術の価値を守ることが難しくなっているように見える。
「最初は善意で始まったはずがいつの間にかマイナスの作用を引き起す」ひとつの事例に、著作権というものもなり始めているのかもしれない。
この課題を克服するには、たぶん新しい考え方が必要だ。
私が芸術家や創作物に金を払うのは、それが私の生活を豊かにしてくれる「サービス」だからだ。「著作物」というモノに価値を見出しているわけではないし、ましてや「著作権」などという権利に金を払っているわけでは全くないのだ。
おお!それってもしかしてIBMの戦略と同じか。
意外な相似。時代の空気。
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