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2006.10.07

カポーティ

もうひとつ、掴みどころがわからなかった映画。たぶん「冷血」という小説を読んだことがないからなのだろう。

それとは別に、これはひょっとして英語で聞かないとだめかもしれないとも思った。例えば始めの方で、記者会見の場で「メキシコ人の犯行にきまってる」と記者が決め付けるのに答えて、ベテラン刑事が「メキシコ人、メソジスト教徒、エスキモーの集団、なんだろうと必ず捕まえる」てな返事を返して記者の軽い笑いをとる場面がある。でも「エスキモー」の文字は字幕にはない。でもそれは、この厳格ではあるがユーモアを解する刑事の公正な態度を簡潔に表現して、取材のために判決を先送りにさせようとするカポーティとの対比を顕にする支えになっている、とか。

たまたまそんなところが聞こえてしまったものだから、もしかするとこの映画の面白さは、そういう微妙さの積み重ねなのかもしれない気がしてしょうがない。でも字幕を追っている私にはそれが十分には分からない。

 

そういうわけで、あとは分からないなりに当てずっぽうで書いてしまうけど、この犯人は作家とのやりとりで見られるように、「普通で多少なりとも礼儀正しい」ことが重要だ。それが、犯行現場でふと冷静になった直後に発砲して4人を殺害する。狂乱状態ではなく、ふと我に返った「後で」ためらいなく人を殺す、その点も重要。

カポーティという人は、この「冷血」という小説を書いた後、1本も小説を書き上げていないそうだ。米国の輝ける60年代の初頭に、世に先がけてこういう闇を作品にしてしまったことが、ずいぶん負担になったのかもしれない。


自分はといえば、2000年代も後半の日本に生きていて、この犯人が特別なものに思えないのだから、なんとも言うべき言葉を失うというか。


[追記]
上の評はまったくの的外れ。反省。
カポーティの、取材中の犯人に対する親密な態度と、それを裏切る小説の内容との二重性に、「冷血」な作家の魂を見て取るべきだったらしい。
でもなあ。
思い返せばそういうセリフは十分はっきりと埋め込まれていたけど。
言葉だけでなく、表情やふるまいから感じ取りたかった。

それにもまして、「作家なんだからそういう二重性はあたりまえ」と思い込んでいて、目を向けもしなかった自分のほうが、問題ありかも。

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