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August 2006

2006.08.31

雑記060831


知らないうちにケータイで撮った写真がネットに流れているという話

まさか盗んだケータイに、撮った写真をインターネットの写真サイトに自動的にアップロードできるShozu のサービスがセットされているとは気がつかなかったでしょうし、そのことをケータイを盗まれたBenvolutさんのブログで書かれただけならまだしも、そのブログが注目されDIGGにも掲載されて、こんな風に世界中のさらし者になってしまっているということなど夢にも思っていないでしょう。
日本の片隅でこんなものを見ているおいらがいる。
まさに「世界中のさらし者」。
おそろしいですなあ(笑)。


Make: Technology on Your Time Volume 01

スーパーマーケットのショッピングカーにエンジンを取り付けてゴーカートを作る人、アフリカの巨大ゴキブリを頭脳とするロボットを作る人、自宅で低温核融合の実験を続ける学者、中古マウスを自律センサーで動き回るロボットに作り変える人、VHSビデオを猫の給餌マシンに作り変える人、などなど。
「自宅で低温核融合の実験を続ける学者」は居そう。
知り合いの量子物理学者なんか、やってそう(笑)。

ところでこの話しで「宇宙のスカイラーク」シリーズを思い出した古い(笑)人、挙手。

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YouTube 外交の可能性

イギリス政府も政府広報にYouTubeを利用

ビデオインフラとしてすっかり定着した感があるYouTubeですが、イギリス政府が政府広報にYouTubeを利用している。
「立ってる奴は親でも使え」的なイギリス人のそういうところ、好きです。(笑)
日本政府もhumorあふれる政府広報ビデオを無料でYouTube上にがんがん流して、世界の人たちに見てもらうよろし。

すると対立意見のビデオも各国政府からがんがんUPされて、わしら庶民はバーチャル外交をパソコン桟敷で観戦、ていうことに?(笑)

あ。それは外交じゃなくてプロバガンダか。でも双方の「プロバガンダを対等に見比べられる」っていうのはすごい進歩なんじゃないか(笑)。

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また一歩、野望に近づくGoogle

Google、企業向けパッケージをリリース

 このパッケージにはWebメールサービス「Gmail」、インスタントメッセージング(IM)サービス「Google Talk」、オンライン予定表「Google Calendar」、Webページ作成サービス「Google Page Creator」が含まれる。これらサービスはすべてGoogleのサーバ上でホスティングされ、企業はGmailなどで自社のドメインを使うことができる。
これで接続サービスまでやれば本当にISPそのものなのだけど、当面利益を出しにくいとされる接続は他のISPに任せて、データの移行が面倒で顧客の乗り換えが置きにくいサービスだけはがっちり押さえると。これを free ride という言い方もあるらしいけど(笑)。

接続では儲からず独自ドメインなどでどうにか利益を上げてきたプロバイダに、Googleのこうしたサービスは引導を渡すことになるかもしれない。


ところで、いまさらの話しだけど、垂直統合と水平統合のモデル間競争という点で、このケースはわかりやすい例だと思う。

国内のサービスプロバイダは垂直統合モデルになっている、あるいはそれを目指す傾向があるらしい。垂直統合モデルのほうが優れているとする見方が根強くあるからだろうか。

しかし一方で、垂直統合モデルは「儲からないレイヤを一緒に抱え込むモデルである」と言うこともできて、儲かる分野においては、専業企業との競争で不利は免れない。上の例で言えば、接続のような儲からなくなったレイヤも一緒に抱え込むということになる。

この不利を補うには、「サービスをパッケージで提供するので手間いらずで簡単」、あるいは「自社内でインターフェース部分を処理するので取引コスト等が省略できて割安」というくらいしか手がない。その考えにも一理はあった。レイヤ間の接続インターフェースが公的規制や私的クラブの取り決めによって決められており、複雑でコスト高なものになっているような場合は、確かにパッケージ提供は有利だった。

しかし、インターネットのレイヤ間接続ルールは概ね公開されていて、技術力があれば参入の敷居はそれほど高くはない。そういう世界では、垂直統合モデルの優位は薄れていくだろう。それを受け入れられない企業が「ただ乗り」論を展開しているのが現状と見ることもできる。

いまのところGoogleは、すでに公開されているインターフェース仕様を最大限活用して、また、時には自社の仕様を公開しながら、既存の垂直統合モデルの破壊を推し進めていくように見える。Googleの野望(笑)がどの辺にあるのかは知らないけど、結果的には主要な垂直統合サービスを解体することになるのだろう。
その後の世界で、Googleがどんなサービス分類を思い描いているのかは、まだよく見えない。マイクロソフトのようにすべてを自社のサービス内に吸収してインフラ企業になるのもありかもしれないし、そうはしないかもしれない。

googleのシェア拡大ペースが鈍ったなどのニュースもあるようだけど、googleが世界に与えるインパクトの本質は、それとは少し異なるところにあるように思う。

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2006.08.28

ユーザサポート2.0 = さぼり

bloglinesのMyフィード欄は、未読があるblogを太字で表示してくれて便利なのだけど、ときどき、新しい記事が公開されているのにMyフィード欄が太字にならないことがある。
一時期ここのblogがそうだったし、おとといあたりからここがそうなってる。ついでに言うと自分のblogもしばらく前からそうだ。

登録をいったん削除して新しく登録しなおしても症状は変わらないから、サーバ側に問題があるのかと思うのだけど・・・。


で、ここからが本題。

サポートにメールを送ったら、「問題を話し合うblogがあるからそこで質問しる!」みたいな英語のメールが帰ってきた。

・・そんなところまで 2.0 化すな!
っていうか、それってさぼってない?(笑)

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2006.08.27

狩人と犬 最後の旅

原題は"The last trapper"。この"trap"という言葉は"trap line"という熟語として作中に頻繁に出てくる。主人公ノーマンは実在の狩人だが、その狩とは銃で獣を狩るよりはむしろ罠を仕掛けるスタイルが主であるらしい。

内容に特異な主張は何もない。山で実際に生きる人の生き様を淡々と描く中で、「必要なだけ獲る」「自分はいずれ死ぬが命は受け継がれる」、「狩人は生態系のバランスを保つのに一役買っている」など、この種のお話しでは定型となった主張が盛り込まれている。森林の伐採が進む現代社会との葛藤もおなじみ。

そんな中で、都市住まいの私にとっては意外に聞こえる言葉があった。

「自然を崇拝しないが感謝する」。
普段、あまり自然に接することなく暮らしていると、自然に対して崇拝、畏敬などの感情を抱きがちだ。そこへ投げこまれる「崇拝するのではない」という狩人の言葉には、現実のバランス感覚が読み取れてはっとする。真に「自然の一部になって暮らす」とはそうしたものなのだろう。


映画は、犬そりの新しい一員として加わったシベリアンハスキーの成長に焦点をあてながら、カナディアンロッキーの厳しい冬を中心に、狩人の1年間を美しい映像とともに淡々と描く。生死の境も何度も行き来しているはずだが、特につくられた感じもしない。そこに描かれているのは、生きるためにこそ生きるあたりまえの狩人の自然な姿だ。


「今年度の売上げ○○%増」とか、「起業して10年後には上場企業の社長に」など、目的意識をもって生きることが人間の正しい生き方であるとする、一見もっともらしい主張がはびこるこの盲目の時代に、狩人の自然で淡々とした生き方を見て、静かに自省してみることも、また必要なことではないかと、久しぶりに思ったのだった。
そういう意味で、劇的につくられてはいないが、よい映画です。

もちろん、人口の膨張する現代で、全員が全員そんな生き方をしたら、世界(自然)のキャパシティを越えかねないという醒めた指摘はあるだろうけど。(それこそが現状を盲目的に肯定する罠でもあるのだが)

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2006.08.26

雑記060825


『装甲騎兵ボトムズ』新シリーズ発表

昔はLDというものが世の中にはあったのです。
そのLDプレイヤーもLDBOXも捨てました。
それ以来ビデオは家では見ない生活です。

プレーヤーをまた買うか、買わざるか。
それが問題だ。

こちら経由。

いや・・バンダイチャンネルがあったかっ!



それだけのために雑記を書く。

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2006.08.21

雑記060821


「守旧の院をどうする」
今日の日経本紙「核心」の記事。

参議院の定数は人口比をもっと考慮した配分にさっさと是正してほしい。これはたぶん、ほかのどの課題よりも優先順位は高いはず。いわゆる「諸悪の根源」的問題。

「次もこのままなら違憲」と、比較的温和で保守的なはずの最高裁にまで言われてしまっている状態では、反対意見に説得力はないと思います。


15秒でツカみ90秒でオトすアサーティブ交渉術

× 「社運を賭けた新製品を、ご紹介したい」
○ 「御社のコスト削減に役立つ新製品の特徴をご理解いただきたい」
「○○術」というと薄っぺらく聞こえてしまうけど、自分と相手、双方のメリットをきちんとテーブルに載せて交渉しましょ、は基本線。のはず。

ところがそれをやると「最近は人間関係じゃなしに損得の話しばかりですなあ」など寝ぼけた反応が返ってくることがたまさか在るのも事実。

そういう世界があるのも知らないではないけど、相手を見て使い分けが必要。「相手の立場に立つ」というのは相互的なものだし、思うほど簡単ではない。
と、これは半分自戒。


cat@log

うわーい。再開だ。
最近なごみ系に飢えておったですよ。


愕然とした話

ふーん。そうなの。
そりゃ受験者激減するわけだ。もっともそれで数は丁度よくなったと制度設計者は内心思っているかもしれん(笑)。

どこ経由で見つけたのかわからなくなってしまいました。

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2006.08.20

スーパーマン リターンズ

いままでスーパーマンを映画で観たことはなかった。なんだかあの理想主義のキャラクタが好きになれないし。
でも悪役にケビン・スペイシーと聞いては観ないわけにはいかないのだ。

映画のできは、まあ悪くない。どころかファンタジーとしてはかなりよくできてると思う。細々した危険や悪をまめに取り除くいつものパターンは偽善臭くてやっぱり好きになれないけど、ここという見せ場ではさすがにスーパーなパワーを見せつけてくれる。

で、肝心の悪役レックス・ルーサーは・・・少しコミカル味だった。orz

ケビン・スペイシーだから、もちろん粗野でつまらない悪人であるはずはないのだけど、もっと極悪でそれにふさわしいむごたらしい最期を迎えるかと思っ(て期待し)たのに(笑)。アメコミの悪役はたいてい逃げ道を用意していてなかなか死なせないのがパターンだとはいえ、何かもう少しあってもよかったなあ。

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時をかける少女

よいなあ。青春していて。
映画館のロビーに「もしあなたがタイムリープできたら何をしたい?」という質問の答えを書き綴った短冊がたくさん貼ってあった。「女子高生にもどりたい」とか「○○の時に戻って謝りたい」とか「おじいちゃんおばあちゃんに会ってお礼をいいたい」とか、出来すぎの答えが多かった。タイムスリップものの狙いはその切なさにあるから、こういう反応を多数引き出したこの映画は大成功と言っていい。
以下ネタバレあります。


この映画は、主人公真琴のキャラが実によく立っている。こんな真っ直ぐでオープンで明るい人間が現代の東京に居ていいのか!(笑)というくらい。それでいて不自然さはほとんど感じさせない。こんなのがいたら毎日が楽しいよなと思わせる。アニメの世界では典型なのかもしれないが。

その真琴がクライマックスで、これまた開けっぴろげにわんわん泣くシーンがいい。何というか濁りのない涙というか。書いててこっぱずかしいが(笑)。

そういう、おじさんも久々に心洗われるジュブナイル映画がこれ。原作の主人公をうまい形ではめ込んでいるのも懐かしさをくすぐる。


この映画はいろいろよく練れていると思うのだけど、中でもそのうまさをひとつだけ挙げるとすれば、例の不思議な「絵」を入れたことだ。
タイムスリップを繰り返していると、お話しの全てが相対化されていって流動的になってしまうものだけど、この「絵」が主要登場人物、真琴、千秋、魔女おばさんの3人をつなぎ止めて、確たる時間の流れを感じさせるアンカーになっている。

お話しの筋からは浮いているかに見えたこの「絵」のエピソードが、最後にどう生きてくるか、映画にどんな余韻を与えるか、それは観てのお楽しみ。


私は金曜の昼に観たためか、観客には若い人が多かったけど、巷の映画評によると中年にも受けているらしい。広い観客層に訴えるものがあり、それをいかんなく表現できる力量が作り手にあり、そうして出来上がった幸せな映画がこれ。至福のひとときを楽しめること間違いなし。褒めすぎか(笑)。

最後に、オフィシャルサイトにある監督の言葉の一部を引用しておきたい。

この映画には、ふたりの女性が登場する。ひとりは、かつて、「時」をかけた女性。もうひとりは、今、「時」をかける少女。このふたりのヒロインを通じ、時代によって変わっていくものと、時代を経ても変わらないものについて考えてみたいと思う。「時をかける少女」には、その時々の言葉で、時々の方法で、時々の少女たちで、何度も語られるべき、世界の秘密が隠されているのだと思う。

[番外]
筒井康隆原作といえば、「パプリカ」も映画になるらしい。そういえば「日本以外全部沈没」も(笑)。「パプリカ」はともかく、「日本以外・・」は大丈夫なんだろか。期待して待とう。

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2006.08.17

紀州行060817

今日は最終日。
宿を後にして、徳島行きのフェリー乗り場へ。
ここから2時間ほど、南海フェリーで一旦四国へ渡る。
そこから東京行きのフェリーに乗り換えて、あの排気ガスと灼熱の地、東京へ。

船中で「愛のひだりがわ」を読む。この年代の主人公に作家の興味が集まっているのだろうか、近頃少し多いような。内容はもう筒井康隆ですから。面白く読めた。これはジュブナイルとは少し違うのだろうけど、そういえば「時をかける少女」がアニメ映画になっていたな。帰ったら観よう。

これで、今回の旅はおしまい。
いつものツーリングと少し違って観光旅行の趣が強かったろうか。旅先で面白いコミュニケーションがあったということは少なくて、むしろ名所旧跡を見て回ったという感じ。キャンプに来ていた人たちも家族連れが多くて、都市生活の延長みたいな感触があり、つまり、隣は何をする人ぞ、という感じだった。

次はもう少し観光らしくない旅にしたい。

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2006.08.16

紀州行060816

6:00起床 他の人を起こさないように静かに撤収して出発。キャンプ場のおやじはちゃんと起きていて出掛けに挨拶を交わす。案外あれが商売の基本かもね。次もまた来てくれるように。

一路和歌山へ。ここからは高速で脇目もふらず一直線。和歌山について宿を探す。ここは和歌山駅(JR)と和歌山市駅(南海)があり、ややこしい。JRの駅前には観光案内所はないので南海の駅前へ。観光バスの案内所で市街地の地図と宿のリストを手に入れ、駅の喫茶店で宿に電話をかけまくって決める。5千円で結構まともなところがあり嬉しい。ただしキャンプ場と違って、チェックインは午後遅くなので、バイクの荷を降ろして身軽になることは原則できない。この辺りが都市ホテルの不便なところ。

和歌山城近くに移動し、比較的大きな本屋で帰りのフェリーで読む本を探す。筒井康隆の新刊「愛のひだりがわ」があったので買う。その後となりの食堂で豆腐定食を食べる。
ここ和歌山は高野山への入り口なのだ。だから名物としては南高梅、備長炭のほかに、精進料理がある。それなりに工夫されており不味くはない。

あまり観て廻るところもなさそうだが、マリーナシティという新しい施設があるそうなので行ってみる。
ヨーロッパの町を模したテーマパークと、海産物の大きな食べ物屋などがある。テーマパークは入場料があり、パス。ディズニーランドでもう十分だし。海産物売り場は、最初入った時は大きな魚屋だと思ったのだが、売り物の半分くらいは串に刺して売っている。変な魚屋だと思ったら、それを買って隣接するバーベキュー場で焼いて食べるという趣向らしい。なるほどと思ったが結構高いのでめげる。

みやげもの館に70ミリの映画館(新宿TIMES SQUAREのと同じやつ)があり、「ダイノトピア」という50分くらいの映画をやっていたので観る。何かのダイジェスト版なのだろうか、お話しはかなり飛び飛びだったが、それなりによくできていた。地底シリーズの設定をうまく借りているところがおもしろい。ちゃんと作りこめばもっと観られるものになるだろう。

映画のあと、土産物屋を見て廻る。柑橘類の本場だけあって、100%ジュースのシリーズが面白い。最も甘い「みかん」から一番酸っぱい「夏みかん」まで7種類ほどの生ジュースの瓶詰めがセットで売られている。試しに夏みかんを飲んでみたが、酸っぱくて美味しい。暑さでばて気味の体がしゃきっとする。はっさく、セミノール、バレンシアオレンジなどなど、甘さ(酸っぱさ)順にならんでいて、これはギフト用に面白い商品かもしれない。7種全部セットにすればよさそうなのに、5種選んで詰め合わせなどと言っている。半端はいかん。

そろそろチェックインの時間。宿に行って荷をほどき、たまっていた未読blogを読む。
1週間分の量は半端でなく、夜半過ぎまでかかる。

徹夜では翌日きついので、少しだが寝る。

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雑記060816

いま和歌山。


米国若者の約半数,ケータイやiPodでTV番組を視聴したくない

一応メモ。

日本でも,ケータイでワンセグを視聴したり,PSPなどでTV番組を視聴する人を見かけるが,大半は確かに10代や20代前半の人ではない。春にワンセグケータイが登場したときも,自慢げに見せびらかしていたのは,30代後半の人が多かったようだが。
金にあかせてモバイルデバイスの新製品を即買いできるのは、やっぱり20代より30代なのかも。


ユーザ行動モデル AIDMAからAISASの時代へ?

テレビ放映情報、ネット上のニュース情報、検索エンジンの入力キーワード、ブログのエントリ情報の4つのデータソースを分析の対象にしています。これはマスメディアとネットメディアを、高度なデータマイニング技術を駆使して、複合的に分析する野心的な試みです。
ということで、一応メモ。
不確定性原理との折り合いが難しそう。人間は動的に変化するし適応も早い。できれば、研究はこっそりやって、一定期間経ってから公表する方がいいのかも。
でもそれだと、話題づくり(商売)につなげたい思惑からは外れることに。そういう思惑があれば、なんだけど(笑)。


ジブリ版「ゲド戦記」に対する原作者ル=グウィンのコメント

ふーん。舞台裏はそういうことだったの・・。それが本当なら、ジブリは映画の出来うんぬん以上に致命的に評判を落とすことになる。

まあ、大人の話しはそれとして。

どうも納得がいかないのだが、世界三大ファンタジーって本当に「指輪」「ナルニア」「ゲド」なの?
「指輪」は不動だと思うが、私なら「ナルニア」を抜いて「エルリック」を入れる。人によっては「コナン」を入れたがるかもしれない。
古典に拘らなければ、「ハリーポッター」も確定だろう。
私の3大は「指輪」「エルリック」「パーンの竜騎士」だが、みんなはどうよ?
おおお! その通りですとも!
全面的に同意します。



いかん。もう寝ないと明日のフェリーの時間に起きられなくなる。



ネット「世論操作」 請け負う会社の正体

企業にすれば、ネットが無い時代から続く当然の対応。特に悪いことというわけでもない。

火消し発言にはきちんと向き合って議論の質を上げればいい。企業側の姿勢が真摯であれば、案外有益な結果がそこから生まれる可能性もある。
仮にそうならなくても、感情的な議論を抑制して問題点をより浮き彫りにすることができるのだから、むしろいいことなのじゃないかと思う。

もちろん、「きちんと向き合って議論の質を上げる」ことが出来れば、という前提で(笑)。



えええ? 東京で大停電があったの?
紀州に居る私には何の関係もないが。

えええ? イスラエルとレバノンが停戦?
日本でバカンスしている私にはほとんど関係ないが。

なんだか、テレビを見なくても生きられる練習をしているようだ。


ロースクール 曲がり角の法学教育

資格試験というものが抱える課題がこの話しには集約されているような。
一発試験と一定期間の学習実績、双方の長所短所のバランスを考えて、どこかに着地するしかないのだろうけど、どう配分してみても問題は無くならない。


いかん。いまから寝たら明日のフェリーの時間に起きられなくなる。(笑)


1週間分のblog・・多杉。

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2006.08.15

紀州行060815

6:00起床 例によって簡単な朝食のあと、すぐ出発。このキャンプ場がある島の隣島へ行ってみる。昔、この付近で遭難したトルコの軍艦の慰霊碑などがある。灯台に登ってみたりしてしばらく時間をつぶしてから、応挙芦雪館というところへ。無量寺という寺の境内にあるこの展示館は、円山応挙の弟子の芦雪の水墨画が収められている。開館までの待ち時間の間、地元の人が法事の恰好で三々五々集まってくる。今日はお盆の施餓鬼なのだ。

展示は、本館にはわずかな作品しかないが、加えて収蔵庫を開けて見せてくれる。潮風の影響で、公開は年2回に限っているのだが、それ以外も短時間であれば随時開けて見せてくれるそうだ。収蔵庫のほうは結構充実している。

円山応挙とその流派の絵は、案外現代的というか自由闊達な感じがする。いろいろな技法を自在に取り入れているからだろうか。それで絵を破綻させないのには相当な技量が要るはずだろう。ということは、定式化された流派と違って長く継承され難いということでもあるかもしれない。十分な技量を持った後継者に必ず巡りあえるとは限らないわけだから。
本州最南端の地で思いがけないものを観て感慨ひとしお。

この辺りの海は、本州ではほとんど唯一、サンゴの群生が見られる。そのためラムサール条約で指定され保護されている海域らしい。その真ん中に水中展望塔があるというので寄ってみる。展望塔と海中観光船、水族館のセット券を買って、全部見る。

海中展望塔は海に囲まれており、水族館とは逆のシチュエーションで独特の興奮がある。ここでは人間はむしろ観察される側なのだ。魚は自由に泳いでいるしえさは自前で捕っている。もっとも撒き餌はしているらしいが。小さな展望窓に額をくっつけるようにして海の中を覗いていると、目の前を突然色鮮やかで小さな熱帯魚が横切ったりして驚く。

海中観光船は、船の海面下部分が透明な窓になっていて、船を走らせながら海底の様子を観察できる。20Mくらいの海底から、いきなり海面すれすれまで岩がせりあがっていたりして、改めて魚が住んでいる空間の立体性に気付かされる。わしら人間のように、基本的に平面状の地面に暮らしている者とは違うのだ。

海中展望塔を後にして、次の宿泊地、白浜へ向かう。
キャンプ場はいくつかあるが、臨海というところに泊まることにする。浜の目の前でほとんど海の家と変わらないものに、キャンプ用の敷地が付属しているという趣だ。海が目の前というかわりに砂はやや黒く、白浜のメインビーチ白良浜の真っ白な砂とは異なる。設営後すぐに少し泳いでcooldown。海沿いの旅はこれができるから助かる。

身軽になったバイクを駆って白良浜へ。天然の湾曲した地形に真っ白な砂。これこそまさに南紀白浜。ビキニで歩道を歩いている女性が多数いて、渋滞はそのせいか。よくわからんけど。
喫茶店に入って涼みながら携帯で帰りのフェリーの手配をしておく。もう終着点に近いのだ。

一休みの後、千畳敷へ。石灰岩が侵食された地形だろうか。白良浜の砂が白いわけがここの岩を見るとわかる。同様に真っ白だ。

続いて三段壁洞窟へ。断崖に地層が現れているのが三段壁だが、この中に洞窟ができており、熊野水軍の隠れ基地なっていたらしい。秘密基地と聞いては見ないわけにはいかない。観覧料を払ってエレベータで洞窟内に降りてみる。

これが結構すごい。確かに奥深い洞窟になっていて、海から奥へ走る洞窟には船着場もある。今日は台風の影響でうねりがあり、狭い洞窟内の船着場に波が押し寄せるたびに、大音響とともに逆巻く渦が洞窟奥まで押し寄せる。大きな波が来たときは、観光用に作ったコンクリート製の手摺のわずか下のところまで激しく打ち寄せて、正直、危ないんではないかと思った。すごい迫力。
こんな荒っぽい船着場から、義経に味方する熊野の水軍は本当に出港していったのだろうか。おそるべし。熊野水軍。

これだけ観終わると、もう陽が暮れてくる。土産物屋も店じまいを始めて、あたりには寂寥感が漂いはじめる。

適当に蕎麦屋で晩飯を食べたあとキャンプ場へ戻り、暮れなずんでいく海をぼーっと見る。とっぷり暮れた海を見ていたら、浜からライトが列をなして海にはいっていく。どうやらナイトダイビングの一行らしい。陸から眺めていると海中の光線が交錯してなかなか美しい。深いところに潜った光は見えないが浅い辺りのはよく見える。あれで宝探しゲームなどやると面白いかも。

海辺の風は涼しく、ぐっすり眠る。

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2006.08.14

紀州行060814

6:00起床 ビスケットと果物で適当に腹ごしらえをして、まだ起きだしていないキャンプ場を尻目にぱたぱたと撤収、熊野本宮大社へ。

熊野本宮はちょっとした丘の中腹、急な石段を上ったところに社がある。八咫烏がシンボルで、修験道をおもわせる賑々しさがある。皇大神宮の静かで奥ゆかしい感じとは対照的。加えて「日本」というものをなぜか強く意識しているようだ。幟には日本がんばれ的なキャッチフレーズが書かれていたりする。妙に俗っぽい神様だな(笑)。
祀られている主神が家津御子大神(スサノオノミコト?)だそうだから、まあそういうものなんだろうか。よく知らないが。

石段を登っていく途中、枯れた感じの中年の男とすれ違ったら、向こうから「おはようございます」と挨拶してきた。こちらも同様に返す。
実は今回の紀州旅行で、すれ違う人と挨拶を交わしたのはこれが最初だ。山道を歩いていたりテントを張ったりしているときに、すれ違う人にはこちらから挨拶はするものの相手から返礼はなかった。観光地化して都市の流儀が浸透しているのだろうと思っていたが、ここ熊野山中ではそんなことはないようだ。

社を見た後は、大鳥居があるという大斎原へ行ってみる。熊野川の横に開けた水田を抜けていくと、はるか向こうに巨大な鳥居が出現する。その高さ34m、幅42m。日本最大らしい。もちろん木造のはずもなくたぶんRC造なのだろう。笠木中央には菊御紋ではなく八咫烏の紋。そういえば、社の妻側の紋も八咫烏だった。菊御紋とは一線を画しているのだろうか。

大鳥居をくぐって奥へ歩いてみる。ここは熊野本宮大社がもともとあったところだそうだ。明治時代に熊野川の水害で社殿が流されて、今の丘の中腹に社が移された由。この河原に近い平地では危なすぎるということだったのだろうか。
しかし歩いてみるとここの方が神域としてはふさわしいように思う。くつろいで開けているし杜も懐深い。余裕が感じられる。

水害はかなり制御できる世になったのだから、この場所に社を戻してもいいのではないかと、勝手な感想を持ったのだった。

熊野本宮はこれくらいにして、新宮へ向かう。十津川にあるという日本最長の吊橋も見たかったが、また今度。

新宮駅前でまずはコインランドリーに寄る。洗濯物を放り込んでから、熊野速玉大社へ。こちらは、本宮と違って赤白緑の色鮮やかな彩色。イタリア国旗ですな(笑)。もっとも、寺社の本来の色彩はこうした派手な色合いのはずで、経年変化で色落ちしたものを「侘び寂び」などと言って有難がっているに過ぎないという説もあるそうだから、極彩色を軽く見たものでもない。

新宮大社のあとは、徐福公園へ。駅前から歩いてすぐのところにある。中国風の派手な門で飾られた小さな公園だ。徐福を稀代の詐欺師とする見方もあるが、秦という強力な中央集権国家の堅苦しさを嫌って新天地を東海に求めた哲人とする見方もある。私は後者の見方が好きかな。あーこれからわしらの国も多少秦みたいになるかもね。すると金持ちの教養人は海外へ避難ということに(笑)。

さて、洗濯も終わって次は熊野那智大社へ。これで熊野三山をすべて廻ることになる。
那智大社では社と滝が目当て。社のほうは、まあ普通の社ですな。平安調の装束を貸す衣装屋があって、男も女も平安貴族のような気分でお参りと滝見物ができる。丁度、一組の母娘がこの装束で歩いているのを見かけたが、なかなかに風情がある。静御前に姫があればまさにこんな感じかというような。
小学校4年生くらいの女の子が特に可愛らしくて、滝をバックに記念写真を撮るおばさんたちの集団に一緒に引き入れられていたり。一般人なのに(笑)。ところで、この母娘の写真を私も撮ろうと思っているうちに、周りにつきまとっている社務所の事務員風のお邪魔男に気付いた。よくよく見ていると、この男、母娘の旦那らしい。半ズボンに野球帽といういでたちで手にはハンドバッグを持たされている。一緒に男用の装束で歩いたらいいのに。烏帽子被って。でも芝居っ気がないと恥ずかしいかな。こういうとき女は度胸が据わってるね。単に楽しみ方を知っているということか(笑)。

滝のほうはごく普通というか・・TVで世界中の大瀑布を見ていると、慣れてしまっているのかもしれない。近くまで寄ってみてもこれといった感慨もなかった。損なことだなあ。海上からも見えるそうだから案外そちらの方が感慨深いかも。

三山を見終わってあとは次の泊地、潮崎へまっすぐ向かう。
このキャンプ場は広い。本州最南端の岬の根元に広がる大きな芝地で、旧海軍の望楼があったことから望楼の芝と呼ばれている。現在は展望台があり、「本州最南端訪問証明書」を貰って上に登ると、180度の水平線と、同じ広がりの芝地が眼下に見渡せる。上から見下ろして他のテント群や駐車場から離れた広大な場所に目星をつけて設営。テントの中に寝たままで、茫漠とした海が見渡せる。周囲100M四方に他のテントもない絶好の場所。

寝場所が決まったところで、串本駅付近の銭湯へ行き、それから町をぶらつく。大きな食品スーパーが2軒もあり、失礼ながら僻地とは思えない賑わい。通りに政治家の事務所があり、主の似顔絵とともに「祝経産大臣就任」などと書かれている。なるほどあの人の地元なのね。

土地の名を冠した飯屋に入って刺身定食を頼む。ここの給仕と年老いた女将がおもしろい。なにしろ客の注文を覚えていられない。しかも二人ともがそうで掛け合い漫才をやるものだから、店は混乱を極める。こういうときは刺身定食のような単純な注文を出した者の勝ち。「なんとかの刺身となんとかの焼いたのとあとなんとかの焼酎」などと凝った注文をしていた右隣の客は、次々に出てくる間違った品に翻弄されてついには笑い出していた。
味は、まあ普通。刺身定食を頼んだのに焼き魚が一緒についてくるのが変だが、まあサービスのつもりなのだろう。飛魚の焼きものだけ頼んでいた左隣の客は、半分ほど残して出て行ったから、口に合わなかったのかもしれない。
おもしろい店だった。

キャンプ場に戻って早めに寝る。
夜中、ふと目が覚めると、沖の方に漁船の灯り。飛び起きて広い芝地の中央に作られた小さな丘に立ってみる。マスト・船尾の白熱灯と、右舷の緑色灯、左舷の赤色灯が入り混じって、右に左に動いている。ときおり灯台の強い光がさっと芝生を舐めていく。空は雲ひとつ無く、半月と星が輝いている。海と空がひとつになった光の競演。ときどき流れ星も加わって大層な賑わいだ。
やあ、これだけでも今回の旅行に来て良かった。ときどきはこういういいことがないとね。

寝静まったキャンプ場で一人だけ、この贅沢な公演をしばらく楽しんだのだった。

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2006.08.13

紀州行060813

5:30起床
パンとチーズと水の軽い朝食をとって、テントを畳んで出発。
今日は熊野本宮まで一気に南下する予定。
志摩のお別れに横山展望台に上るが、もやがかかっていて英虞湾もおぼろにしか見えない。もう少し日差しが強くなればもやも晴れるのだろうけど、その時間まで待っている気はない。
そうそう、知らなかったが、Wikipediaによれば、志摩半島沖は「海底地形はなだらかである為、海底光ケーブルの陸揚げ地に適し、2002年現在世界最大の陸揚げ地となっている」のだそうだ。へー。

五ヶ所湾を通りかかる。船と水辺が日常の一部になっている光景をあちこち見かける。ここでも水面は生活にとても近い。まるで波など来ないかのようだ。実際には例えば台風のときなどは、そんなことはないのだろうけど。
こんなところに住んで小さい船を持っていたら楽しいだろうな。

尾鷲まで海沿いに南下してから、内陸側の道をとる。ここから奥瀞へ。北山村にある道の駅は、筏下りやラフティングの出発点になっている。バイクを停めて、当日参加できるか聞いてみるが、次の週まで予約だけで満員とのこと。残念。
さらに山中の道を走る。途中、川へ張り出した木々の梢に隙間に渓谷が見下ろせる。雨が少ないせいか、水量は少ない。これでは筏もラフティングもいまいちだろうな、とちょっ負け惜しみ気味に思う。

奥瀞を抜けると瀞八丁、さらに下っていき熊野本宮への分岐点近くにあるウォータージェット船乗り場に着く。なかなかの混雑で人気があるらしい。乗ってみる。

これが、すごい。
走り出しての船内の音声ガイドによれば、この船は水深50cmでも航行可能とのこと。それってうちのバスタブより浅いんですけど?!
実際に、走り出して20分ほどは、熊野川の浅瀬をぐんぐんスピードを出して遡っていく。なるべく深いところを選んで走っているのだろうけど、それでも水深1Mもなさそうなところだ。なにしろほんの5Mほどしか離れていないところで、釣り人が膝くらいまで水に浸かって糸を流していたり、家族連れが幼児を浮き輪に乗せて水遊びをしているその横を、水面を切って体感時速30キロくらいで飛ばしていくのだから。商店街のひとごみのなかを自転車ですっとばしていくようなというか(笑)。
座席がまた低いので、座ったままでもあと少しで水面に手が届く。浮き輪の子供の顔がこちらと同じ高さくらいに見える。手を振ってくるので振り返す。

浅瀬をしばらく走った後は、瀞八丁の奇岩の中を抜けていく。いつのまにか船の天井がスライドして全開になっている。空と木と岩壁がよく見える。
この辺りではカヌーを漕いでいる人たちとすれ違う。これも距離が異様に近い。波を立てすぎないようにゆっくり進む。この流域はカヌー遊びが盛んらしい。いろいろな人がいる。若いカップルとか、学生らしい一団とか。中には、一生懸命パドルを操る旦那を尻目に、舳先ですました顔の普段着の奥様と愛犬がちんまり涼しげにしているのとか。あれでもしひっくり返ったりしたらひと騒ぎだな。旦那顔を伏せていたが、がんばれ(笑)。

瀞八丁の入り口、下瀞を過ぎたところで、休憩地の洲に上陸。急峻な崖の上には廃業した旅館が一軒あり風情がある。自家用のつり橋なども備えた立派な建物だが、主人が亡くなってからは奥さんも子供も山奥で旅館業をやる気はなく朽ちるに任せている、とは洲に張ったテントでみやげを売っているおやじの言。固定客が多くいたろうにもったいない。でもしかたがないか。
ラフティングのボートもこの洲に着いている。ここが奥瀞を下ってきた終着点らしい。

下瀞を出てさらに少し遡り上瀞の奇岩を見る。この辺りは日本のあちこちにある渓谷美のひとつということで、まあよくある風景。ここで折り返し、来た航路を戻る。
大変涼しく楽しいひとときだった。

船をおりて、本宮近くの川湯野営場へ。河原とその一段上の芝生が既に大型テントで一杯だ。私のテントは一人用の小さなものだから、それでも川に面した芝地に割といい隙間を見つけて設営。さっそく海パンに着替えて川でひと泳ぎ。cooldown。

もう午後も遅いので、お参りは明日にして、川湯温泉に行く。銭湯よりも安い値段だから、まあ・・文句は言わない。近くの定食屋で鮎定食というものを食う。これも値段の割には?だが、観光地価格としてはこんなものか。旅館のレストランで場違いなフランス料理とか海の幸とか食べさせられるよりはまし、ということで。

それにしても、このあたりは都会的な利便は期待してはいけないようだ。コンビニがないからといって文句を言ってはいけない。


今日あたりになると疲れがたまってきているのだろうか。暗くなった川で相変わらず騒いでいる子供達の声にも邪魔されずあっというまに深い眠りに落ちる。

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2006.08.12

紀州行060812

5:30起床。朝飯のサンドイッチを頬張りながら鳥羽湾の眺めを楽しむ。
テントを畳んで出発。朝市のようなものをやっているので見てみる。こうしたものは、地元民が相手なのか、観光客が相手なのかで趣が異なる。ここの市は中身は地元民が相手のようなのだが、観光パンフにも案内を載せたりしていて意味づけが中途半端。例えば新島の朝市では、観光客にも見せられるお祭りというコンセプトを地元民がよく理解して合意ができていたように思うのだが、そうしたものを参考にすればもう少しなんとかなるかも。

水族館の開館とともに入場。やや古い水族館だからたいしたことはないかと思ったが大間違い。確かに、最近の水族館に多い周遊型の展示ルートや凝った演出は無いのだが、珍しい生き物も多く居たりして大興奮間違いなしの展示内容。
私が面白いと思ったのは・・

まずはフィロソーマ。これは伊勢海老の子供なのだが、体調は1センチほどで透明、驚くことに紙のように薄い。横から見るとほとんど見えなくなるくらい。光の当たり具合によっては、この水槽は空かとおもうほどだが、反対側から見ると突然たくさんのフィロソーマが目に入って驚く。TVなどでは正面からの映像しか見たことが無いから、まさか厚みがほとんどないとは思わなかった。こんな透明で薄っぺらい寒天のようなやつが、何年もかかってあの硬い殻を持った伊勢海老になるんだなあ。

それから多足蛸。足の数が85本というグロテスクなやつの標本が展示されていた。再生異常でこうなったのではないかと言われているそうな。癌ていうことかな? 

スナメリは愛嬌があってひとなつこい。世界最小の鯨なんだそうな。顔に表情があるように見えるうえに、水槽のこちら側の個々の人間を識別しているようだ。近づくと寄ってきて、水槽のガラスに額を押し付けたりする。全身が真っ白で顔も可愛らしい。よく人魚にたとえられるのはジュゴンだが、スナメリの方がその役にはふさわしいように思う。

ここまでは伊勢湾に棲息する生き物達。ここの水族館にはそれだけでなく世界各地の生き物がいる。

ジャングルワールドでは南米産のピラルクが見もの。でかい。こわい。体長2mはあるだろうか。TVで見たことはあるけど、この大きさは実物を見なければなかなか実感できないだろう。中に背中の曲がっているやつなどもいる。せむしのピラルクだろうか。
アフリカマナティは世界中でここでしか飼育していないそうだ。これもまたでかい。
ジュゴンは飼育期間の世界記録を持っているそうだ。フィリピンの大統領から寄贈されたメスのジュゴンもいて、大切に育てられているとのこと。

極地の海ゾーンでは、イロワケイルカが楽しい。パンダイルカの愛称からわかるように、黒い頭部と真っ白な胴体、再び黒い尾と、くっきり色分けされていてカッコイイ。最近生まれた赤ん坊もおり、親といっしょに泳ぎの練習をしている。よく観察していると、赤ん坊の方が大人よりも水の抵抗が小さいのだろうか、楽に泳いでいるように見えるのが不思議。大人のパンダイルカが力強いドルフィンキックでスピードを出すのに、赤ちゃんイルカはほんの少し尾を振るだけですーっと苦も無く親の横を泳いでいる。狭い水槽だから親のフルパワーが見えないだけなのかもしれないが。
このパンダイルカの赤ちゃん、よくみると顔が陸上のバクにそっくり。

パイカルあざらしは淡水のパイカル湖だけに棲むずんぐりしたあざらし。えさにはアジを与えているとのこと。ん?アジって海水魚だよね。水族館の生き物はグルメなのかな。自然に生きていたら決して口にできないようなご馳走を毎日食べているなんて(笑)。

ほかにも水族館にはおなじみの、イルカやアシカのショーや、日本の川、森の水辺、水の回廊、特別展示の各種シードラゴンなど盛りだくさん。見終わるとお腹いっぱい感がある。


水族館を出て次はミキモト真珠島を見学。養殖真珠の生産工程から、宝飾品としての加工の工程まで勉強できる。
真珠というのは一言で言えばアコヤ貝の貝殻裏側を表に出したものだ。この貝殻を生成する機能を持った生体組織片を真球に削り出した核に付着させて丸い真珠を作り出そうというわけだ。天然真珠との主な違いは、核をあらかじめ球状につくっておくことと、それを手術で埋め込む場所を生体の活動が活発な卵巣にすることだろうか。

施術したアコヤ貝は生簀で大切に育てられる。この間、海水の状況によって死んでしまう貝も多数でるそうだ。最近では、貝の口の開き具合を知るためのセンサーを取り付けて、それを見ながら、貝にとってよい環境を保つように生簀を機動的に移動したりするらしい。

何年か後に引き上げられて真珠を取り出し、貝柱は食用にする。そのとき宝飾品として使える真珠は全体の5%ほどというから、簡単なことではないようだ。使えないものはカルシウム剤の原料になったりするらしい。


取り出した真珠は、今度は宝飾品として完成させる工程にのせられる。知らなかったのだが、真珠のネックレスは真ん中が両端より粒の大きめのものが使われるそうな。粒の並べ方は何度も入れ替えながら完成に近づけるらしい。
真球ではない真珠はそれぞれの形にふさわしい宝飾品として活かされる。涙型などはたとえばブローチの縁飾りになったりとか。半球型のは台座に埋め込むようにして使うとか、全然知らなかったよ。

ここ伊勢志摩の真珠はアコヤ貝の内側と同じピンク~白色だけど、世界にはほかに黒いのとか青いのとかもあるらしい。そういえば映画パイレーツ・オブ・カリビアンに出てくる船の名はブラックパール号だったな。

ほかに、模造真珠と本物との違いの簡単な見分け方なども体験できた。全然違うことが簡単にわかるんだね。

真珠島を見終わって次は鳥羽湾めぐりとイルカ島見学。3隻ある周遊船のうち竜宮城という名前の船に乗る。船内は浦島太郎が竜宮に出掛けてからのお話しを題材にした装飾で飾られている。船首には金ピカに塗った凛々しい浦島が亀に乗った像があり、船内は竜宮城のような内装、上甲板には物語の結末として、白髪になった浦島の泣き叫ぶ実物大の像と無表情に遠くを見つめる乙姫様の巨像を対置させるというなんだかなあな趣向。せっかく亀を助けてやったのに・・。人間欲をかくとろくなことはないという戒めか(笑)。

イルカ島の展望台は以前立ち寄ったことがある。そのときは台風が来ていて、4層あるうちの3階まで上るのが精一杯だった。体ごと吹き飛ばされる恐怖を感じたのはそのときが初めてだ。なにしろ風上に顔を向けると息ができないのだから。
今回はおだやかな日和でなんということもなく鳥羽湾の全景が見渡せた。

そろそろ正午もまわって、鳥羽を離れる。次の宿に向かう途中、海の博物館に寄る。ここも以前来た記憶が微かにある。建物は建築学会賞を取ったものだ。当時としては斬新な集成材の使い方だったと思う。いまでは特に珍しいこともなくなった。

展示は漁民の生活を中心に漁具の展示が豊富。板材を外骨格のように使う和船の作り方と、竜骨を軸に肋骨のように組んだ内骨格ともいうべき構造の西洋式の船との違い、その構造形式からくる和船の大きさの限界などを知る。そういえば生物でも、内骨格は外骨格よりも発達した形式とされているのだった。

収蔵庫には、使われなくなった和船がずらりと並べられている。3つの庫のうち公開されている1つに足を踏み入れると、木材の朽ちた匂いがする。まさに船の墓場。

陽もだんだん傾いてきて、伊雑ノ浦の水辺にあるエバーグレイズACへ向かう。このキャンプ場の名前は、フロリダの湿地帯にある同名のリゾートの名前をとったのだそうだ。設備も整っておりアメリカンな雰囲気。プールまである。

水に近いところに設営し晩飯へ。天保元年創業という鰻屋へいってみる。まあ値段なりの普通の味。わさびをといたタレをかけて食べるのがこの店の味らしい。タレが濃いのでわさびがはいっているのかどうかさっぱりわからん(笑)。昔はこのあたりでも鰻が普通にとれたのだろうな。

キャンプ場に戻ると中央ホールはアメリカ風にビンゴゲームとかで盛り上がっている。外に出ると水面に少しもやがかかっている。ここの水辺は一応海のはずだが、水位は恐ろしいほど陸に近い。満潮なのだろうか。これでちょっとでも波があれば、キャンプ場は水浸しだが、奥まった浦だからそんな心配は無用なのか。

陽はとっぷり暮れて、コインランドリーを廻しながら売店のテーブルで道すがら買ったグイン・サーガの最新刊をぱらぱら読む。おお!そういうノリですか豹頭王。旅の疲れを癒すには丁度いい軽さ。

今日も空はうす曇りで、星は見えない。

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雑記060812

昨日から紀州を歩き回っている。
とある鰻屋でAC電源につながったので、限られた時間内で書き散らす。


blogolonyを逃げだそう

いまさらな話しなのだけど、だから匿名環境というものが必要。
実名での発言は当然とか恰好のいい言葉に縛られていると、この新しい時代の言論環境に磨り潰されることになる。
そういう事態は伊藤譲一さんはじめ多数がはるか以前に予想していたとおり。


旅行ガイドをWikiで構築する「WorldWiki」

現地に住んでいる人と過去に訪れたことのある人が、世界中の都市の現地の視点の情報を提供することを目指す
この発想はおもしろいかも。
「現地の人」が入っていて、かつ、それだけじゃないところがミソ。

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2006.08.11

紀州行060811

今年の夏は紀伊半島を廻ってみることにした。
もともと5月の連休で行くつもりだったのが、天候不順でなんとなく流れたのだった。今度も行くつもりが、東京~大阪のフェリーなんてものは無いのだと分かって気分が盛り下がっていたところ、なんと、渥美半島の先端から鳥羽へフェリーが出ていると分かったので、俄然やる気が盛り上がったのだった。我ながらいいかげんというか(笑)。

とはいったものの、そう決めたのが休暇の2日前。旅の準備などはいつものキャンプツーリングだからどうにでもなるのだが、どんなところに寄るのか全く未定。縮尺50万分の1というとんでもなく荒っぽい地図しか掲載してない「全国キャンプ場ガイド」なるものだけ買い求めて、いざ出発。大丈夫なのか?>自分

まあ、国内だし、なんてこともないだろ(笑)。

6:40出立。東名を西へ。高速はバイクにとっては退屈そのもの。居眠りしないように注意が必要だ。実際、途中で猛烈に眠くなり、SAに寄ってカフェイン入りの栄養剤もどきを飲みどうにか事なきを得る。以前、北海道で居眠りしながら蛇行運転していて、あやうく死にかけたことがあるが、東名のような混雑した道路で再現したら確実にあの世行きだ。
それにしても、普段いかにコーヒー漬けになっているか、たまの旅行に出るとよくわかる。朝の1~2杯から始まって1日10杯は飲んでるのが、突然切れるのだから、危ないわけだ。

途中のSAで面白いところといえば浜名湖か。ここで降りて浜名湖見物も魅力だが、今回はパス。売店の青島みかん酢がうまい。果実酢はコンビニで見かけるようになったけど、流行はじめなんだろか。ほかにシアトルズベストとかリトルマーメイドとかSAらしからぬ店も入ってる。その一方で、うなぎを使った「うなドッグ」とかいう面妖な食い物を売ってるのも観光地らしい(笑)。

目的の豊川ICで降りて豊橋市街へ。使い捨てカメラを買う。たまの旅行に使うなら故障や落とすリスクを考えるとこれが一番いい。出来上がりはCDに焼けるし。
それにつけても豊橋のカメラ屋の、来客は迷惑と言わんばかりの態度は何なのか。高校野球を見るか店を見るかどっちかに集中しる。

渥美半島に入ってひたすら西へ。このあたりはメロン栽培が盛んなのだろうか。大型のビニールハウスが多い。空調、散水などの設備を備え立派な骨組みを持ち、中には越屋根まで付いているハウス群を見ると、農業の風景もずいぶん変わってきているなと思う。
そういえば今日の日経に、日本の食料自給率は相変わらず4割台てなことが書いてあったが、当然か。毎年豊作貧乏の危険がある基礎的な食料品を作るよりは、高額な商品作物を少量確実に栽培する方が経営も安定、利益率も高いのだろうから。そうした農家を単純には責められないだろう。食料自給率を上げたいのならば、基礎的な食料を地道につくる生産者が安定してやっていける仕組みが必要か。
他産業とのバランスをどうするかはまた別の難問だけど。

半島の先端に到着。伊勢湾フェリーに乗る。乗ってから、料金の1割ほどの金額で1層上にある特等席に入れるというので買ってみる。振動と騒音が段違いに小さい。納得感のある値付け。

船内で、鳥羽水族館、真珠島、遊覧船の割引セット券を売っているので買う。これで明日の行動予定は決まった。

1時間ほどで鳥羽港に到着。まずは「かんぽの宿鳥羽AC」へ直行して設営。荷を降ろして身軽になったバイクを伊勢に向けて走らせる。まずはお参りしないとね。

時間がないので、内宮だけにする。以前に一度来たときは確か手前側の敷地を使っていたが、遷宮があっていまは奥側の敷地に社が建っている。あいかわらず宇宙的な造形の唯一神明造。千木にしろ鰹木にしろ、もとは屋根押さえの機能があったのだろうと勝手に推測するのだが、デザインとしてうまく昇華している。一般人からは屋根の一部しか見えないのが残念。

この内宮(皇大神宮)は、後で寄る熊野の社と比べても、ゆるやかに蛇行する森の中の道の奥にひっそりとあり、まったく権威的ではない。西洋のこうした建築が直線的な道の焦点に立って威容を際立たせているのとは実に対照的。
ふと思うのだが、これは天皇家のプライベートな社という感覚なんだろうか。社の起こりは疫病沈静祈願の名目で政教分離のために天照大御神を皇居の外に移したことから始まるとも聞くから、あるいはとも思う。もっともそんなことを聞いたら頭から湯気を立てて怒りそうな人が大勢いそうだから、あまり詮索はしないけど。

お参りのあとはおはらい町を歩く。赤福を食べる。つきたての餅が美味。裏手に五十鈴川が流れ縁台は涼しげ。おかげ横丁というものが出来て賑わっているが、日光江戸村だと言われたら信じそう(笑)。まあ、テーマパークだから。
なかで、益屋茶坊という店がなかなかいい。通り側は焼き物の店で川側に茶坊があるのだが、川へ降りる石段と渡り廊下、それに付いた中庭や軒の高さなどの構成とスケール感がたいへんよい。

陽も暮れてきたので鳥羽へ戻る。晩飯だが、今回はなるべく刺身を食うことに決めている。小さな鳥羽の町街地に食事処がいくつかあるというので行ってみる。通りには一定間隔で太い竹筒が立っていて、所々抉った柱のようになっている。その抉った穴に、地元の人だろうか、蝋燭の灯を燈している。何だろう。
飯屋の1軒に適当に入って刺身定食を頼む。ついでに表の蝋燭のことを聞いてみると、付近の住人で夏の間やっていることらしい。特にいわく因縁のあるものではないようだ。
刺身のほうは、もちもちした食感で値段の割りにまあ悪くない。少々水っぽさはあったがまあこんなものか。

満腹して外へ出ると、辺りはすっかり暗くなっており、竹筒の灯りが幻想的。なかなか面白い試みかも。

空は雲がでていて星は見えない。

明日は朝いちで水族館だ。

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2006.08.09

雑記060809

どうも夏休みの時期になると仕事が立て込むようだ。
しかしぶっちしていく。あさってから。
でもノートと携帯は・・仕方が無いな。



タッチスクリーン型iPod、11月に発売か?

んー。タッチホイールが使いやすいんだけど、それはどうするのかな。

こんな噂も昔あった・・



このところ少々感覚が鈍ってるかな。
休み中に取り戻さねば。

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2006.08.06

ハードキャンディ

おそろしい。

最初は、大人と子供のすれ違いを描いてるのかと思った。
次はネット時代と石器時代の違いの描写かと思い、
後半からおしまいまではサイコ映画かとも思った。

それらどの要素も少しづつあるし、それがお話を前に進める駆動力になってもいるのだけど、この映画の本当の姿は、話しの展開とともに変わっていって、最後の最後の最後のシーンでついに観客の前に現れる。

それは・・・映画を楽しみたい人はこの先を読んではいけません。(笑)

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美しい人

原題は"nine lives"。9人の女性を描いた9つの短いエピソードを集めたもの。
ネタバレあります。できれば読まずにまず観ていただきたい。

 

8つ目のエピソードまでは、正直、少々辟易する部分もあった。確かに女の人生は男のそれより複雑でたいへんかもしれないと思いつつも、男の自分にとっては、女ってやっぱり鬱陶しいところがあるなあ、というか。

それが、最後9つ目の、たぶん一番短くてあっさりしたエピソードで、不覚にも泣いてしまった。それも二重の意味で。それまでの8つのエピソードの意味が一気に重なってきた感じで。

 

9人目の老婦人が、不思議に年の離れた幼い娘の膝に頭を預けながら言う「ちょっと疲れたわ」の一言は、観る方はその場はなにげなく聞き流してしまう。

ところが最後のシーン、この老婦人が起き上がって一人で立ち去るわずか数秒間で、この9つ目のエピソードの意味が稲妻のように観客に示されて、さきほどの一言の重みがずっしりとくる。それだけでも泣けるのに、これが引き金になって、前の8つのエピソードまでが、いきなりひと続きのように遡って次々と思い起こされて、その、数秒間に凝縮された時間の中に不意打ちのように一気に積み上げられる。そうして示された女の一生というものの意味のあまりの重さに、思わず涙が流れてしまったのだろうと、振り返ってみればそう思う。

これは、意図してつくったとすれば、卓越したセンスと言うほかない。

 

さらに私には、鑑賞者としてのほかに、これに涙する二重の理由がある。
ブログに個人的なことはあまり書かないことにしているので、自分の記憶に留めるだけのために簡単に書いておくのだけど、私はこの老婦人の一言と同じ言葉を聞いたことがあったのだった。

私の母は、サラリーマン家庭の専業主婦と違って、いろいろ苦労が多かったはずだが、ほとんど不平不満を言わず、いつも笑顔を絶やさないように努めている人だった。その母が、珍しくこの一言をふと口にしたことがあった。そのときも、私はなにげなく聞き流してしまったのだが、妙に心に引っかかってはいたのだった。

それを聞いてから程なくして母は他界した。
私はあの一言に報いる何もすることができずに、ただ母を見送ったのだった。

そういうわけだから、この映画は私には、ひどく泣けるものとなった。
悲しい、というのとは少々異なるのだが、ただ、泣ける映画だった。

 

だから、担当者には気の毒だが、この馬鹿げた邦題は全くの的外れだ。一体何を観ていたのか。
と怒ってみせることで、なんとか涙をこらえてみる。

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2006.08.05

ネットの作用:亀田某の件

ボクシングには興味はないのだけど、これだけ大きく話題になっていると、いやでも読まされることになる。放送業者と広告代理店の周辺に働く力についてのあれこれだけど、私は問題に真っ直ぐ踏み込むつもりは無い。そもそも事情通でもないわしら一般人が不用意に触れると危なそうだし(笑)。

ただ一点だけ、関心を持って注視したいことはある。
それは、ブログなりSNSなりが、この問題にどう作用するか、という点だ。

 

数年前にも鬼塚というボクサーをダシにして似たようなことがあったらしい。その頃は、ネット上で集合知を発現させる仕組みはまだ無いに等しい存在だった。

だからというわけでもないだろうが、鬼塚については特に大きく問題化することもなかった。いつもどおりに、メディアが一定期間煽って利益を上げたところで、申し合わせでもあったかのように沈静化したのだろう。

今度はどうだろうか。

 

集合知という概念は、ひとしきり熱く語られた後、どこかに影を潜めたように見える。表立って語られなくなったということは、一時のブームが去って消えたのか、それとも、わざわざ言葉にする必要もないほどネットの血肉となってあちらこちらに定着したのか。

既存メディアによる民衆感情の制御に対して、何らかの存在感を見せることができるのかどうか。
ネット宣伝部隊などと呼ばれるものから流される情報に対して、どんな対処の仕方を見せるのか。
何の建設的な提案もできずに、やはり一定期間が過ぎれば沈静化するものなのか。

それを注意して見ておきたい。


正面から見ればどうでもいい亀田某の一件は、その点でなかなか興味深い題材になりそうに思う。

 

え? 別に煽ってるわけじゃないですよ。(笑)

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雑記060805


水面に文字を書く

素晴らすい!
使えん!

でも素晴らすい!!


「チャイナPOP」問題が公式(?)認定

あれまあ。
中にぎくりとするコメントが。

この問題の外の人間ですが (スコア:3, すばらしい洞察)
Anonymous Coward のコメント: 2006年08月04日 9時49分 (#990706)
検閲されてると解って業務メール等をそのまま送ってるのでしょうか。
検閲内容が他の企業へ流出してると仮定したほうが妥当では?
なにしろ、中国は賄賂天国ですし。
ありそうな話し。で、
Re:中国では (スコア:5, 参考になる)
Napper (6812) のコメント: 2006年08月04日 16時13分 (#991067)
商用暗号管理条例 [ntt.com]のことですね。(参考:中国語の原文 [cc.gov.cn])
具体的にはこのあたりでしょうか。

第14条 いかなる単位または個人も国家暗号管理機構が認可した商用暗号製品だけを使用することができる。
自己開発作成した、または境外で生産された暗号製品を使用してはならない。

単位というのは政府機関や企業、学校など、まあ「団体」だと考えてもらえばよいかと思います。
個人での使用でも未認可の暗号は使用禁止です。

へむへむ。
ああ鬱陶しい。

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