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2006.02.18

男達の大和

泣ける。いい映画。
と、ファンタジーなら言うところなのだけど・・・

そう遠くない過去に実際にあった出来事だから、いろいろと現実的に考えてしまうと、単純に泣かせてもらうわけにもいかない。

この映画のたいへんよいところは、「武士道と士道の違い」という表現の中で、誤った心構えと正しい姿勢の違いを簡潔に言ったことだ。微妙だが決定的なその違いをよく噛みしめておきたい。どう言ったかは映画で観た人も多いだろうからここには書かないが。

よい点はもうひとつあった。特攻のような犬死と思えるやり方に、ひとつの理由付けをしているところだ。これはこれで説得力はある。日本人に対しては。

一方、この映画の悪い点は、太平洋戦争を描いたこの種の作品に押しなべて言えそうなことなのだが、なぜそんな事態に到るまで何の手も打てなかったか、という、その後に生きるわしらにとっての最重要ポイントについては、ほとんど何の言及もないことだ。
 
 
特攻は犬死ではなく、日本という国が誤りを悟るために必要なことなのだと映画では言う。それはそれで、大和が最後の航海に出た時点では説得力があったのだろう。けれども、そうなるよりはるか前に、やるべきことがいくつもあったのではないかと、私は思う。
負けることが必要だったという言説は、後付の理由に過ぎない。大敗北を喫することなく事態を好転させる手は他にもあったはずだ、と考えてみる可能性を閉ざすわけにはいかない。
 
 
碁に「敗着」という言葉がある。ひとつの打ち手は、その前の打ち手によって作られた状況下で最善と思えるように打つものだ。だから、負けがほぼ見えた時点から一手ずつ遡っていけば、どこかで、負けに繋がったと意識できる手が見つかる。

太平洋戦争の負けを招いた敗着は、戦争が実際に始まるよりずっと前にあったのではないか。この種の映画は、ミクロの世界の「友情」「悲壮」「高潔」などの情緒を描くことで、敗着を覆い隠し、思考停止を招く。それはあんまりよいことではないと思う。

なるほど、大本営発表をそのまま掲載する新聞に朝日を選んだのは、製作側の精一杯の表現なのかもしれないが、それだけでは十分な示唆にはならないだろう。
 
 
こうなってしまう理由も、私はなんとなくわかる気がする。
それを言うことは、日本人が宗教の代わりに据えて重宝している「世間」というものを、ある面で否定することになるからだ。
 
そうした背景を抱える映画だから、よくできているとは思うけれど、単純に感動はできないのだった。
 
 
でも泣けるので一応お勧め(笑)。

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