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2006.01.29

勝ち負けと身の程

身の程を知れ

かつては性が違い、年齢が違い、地域が違い、職業が違い、社会的立場が違うひとは、それぞれ固有のエートスを保持していた。
それぞれの社会集団が、それぞれ固有のエートスを保持している限り、そこに単一の度量衡をあてがって、「どちらが社会により適応しているか?」「どちらがより成功しているのか?」というようなことを問う人はいなかった。
しかし、今は1億3千万人の日本国民を「年収」だけを指標にして一元的に考量することが可能であると考える人々がマジョリティになった。
そうやって、ひとびとは「身の程をわきまえる」という規範を失った。
「身の程」というのは、自分がそれを基準にして生きている規範の地域性・特殊性のことである。
勝ち組とか負け組みとかいう言葉は、このエントリの言葉を借りれば、身の程をわきまえない愚かな言葉ということだ。

私は幸いそうした概念とは無縁に生きてはいるけれど、しかし特定の地域性に依拠しているわけでもない。すると、残る拠り所は特殊性か。多様性の中のひとつを特殊であるというなら、それは確かに特殊性だといっていいだろう。私はそれをまだ言葉でうまく表現できないし、この先もできるという確信はない。

確かに言えそうなことは、「ただ生きている」ことに意味を認めるという考え方を基本に据えるだろうということだけだ。勝ち組負け組概念はその点で既に選択対象からはずれる。

他人と違う行動をすることから快楽を得るような生き方にシフトした方がいいんじゃないですかとご提言申し上げたかっただけである。
より正確に解釈すれば、同じか違うかに拘るより「上級審級に照らして正邪理非を考え」ながら生きるということだろう。

この生き方は同質性の高い国・地域では常に苦闘を強いられることが、経験上間違いなく言えるのだけど、上の記事の書き手はそこまで親切には言ってくれない(笑)。

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