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January 2006

2006.01.30

和をもって貴しとなす

「憲法論議で忘れていること」 日経本紙 インタビュー領空侵犯

今日の記事は脳科学者の茂木健一郎さんへのインタビュー。英国のコモンローの英知を引きながら、日本の憲法論議における条文主義を批判している。

記事では「人口頭脳の失敗」という言葉で、人間の知能・知性は、ルールの集合体では書けないということがすでに明らかになっている、としている。確かに、単純な機械的操作で人の知恵に比肩するものをつくろうとするのは、少なくとも現時点では無理そうに思える。

この記事の面白いところはその次だ。記者のやや強引な誘導に、いい答えが返ってきた。

茂木:「どうでもいいことは規則で決めておけばいいが、人の生き方とか国の運営の仕方とか、根幹にかかわることほど、実は明文規定などできるはずがないんですね」
記者:「日本にも「見えない憲法」があって、その第一条は「和をもって貴しとなす」でしょう」
茂木:「(聖徳太子の)十七条憲法を日本の憲法の方言のひとつとして考えようというのは、いい話ではないですか。自分たちはこういう人間だとリアルに見つめ直すことでしか、日本人にとっての憲法は見つからないのではないでしょうか」
毎日新たに起こる課題に、教条的な押し付けや思い込みで反応して軋轢を生むのではなく、穏かに議論して進む道を探っていくこと。それが、太子がわしらに残してくれたものだと思う。

憲法のような生活の根幹に関わるものを考えるときはとりわけ、どこかの時点で偽善や条文主義を捨てて、「自分たちはこういう人間だとリアルに見つめ直す」ことが、確かに必要かもしれない。

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2006.01.29

勝ち負けと身の程

身の程を知れ

かつては性が違い、年齢が違い、地域が違い、職業が違い、社会的立場が違うひとは、それぞれ固有のエートスを保持していた。
それぞれの社会集団が、それぞれ固有のエートスを保持している限り、そこに単一の度量衡をあてがって、「どちらが社会により適応しているか?」「どちらがより成功しているのか?」というようなことを問う人はいなかった。
しかし、今は1億3千万人の日本国民を「年収」だけを指標にして一元的に考量することが可能であると考える人々がマジョリティになった。
そうやって、ひとびとは「身の程をわきまえる」という規範を失った。
「身の程」というのは、自分がそれを基準にして生きている規範の地域性・特殊性のことである。
勝ち組とか負け組みとかいう言葉は、このエントリの言葉を借りれば、身の程をわきまえない愚かな言葉ということだ。

私は幸いそうした概念とは無縁に生きてはいるけれど、しかし特定の地域性に依拠しているわけでもない。すると、残る拠り所は特殊性か。多様性の中のひとつを特殊であるというなら、それは確かに特殊性だといっていいだろう。私はそれをまだ言葉でうまく表現できないし、この先もできるという確信はない。

確かに言えそうなことは、「ただ生きている」ことに意味を認めるという考え方を基本に据えるだろうということだけだ。勝ち組負け組概念はその点で既に選択対象からはずれる。

他人と違う行動をすることから快楽を得るような生き方にシフトした方がいいんじゃないですかとご提言申し上げたかっただけである。
より正確に解釈すれば、同じか違うかに拘るより「上級審級に照らして正邪理非を考え」ながら生きるということだろう。

この生き方は同質性の高い国・地域では常に苦闘を強いられることが、経験上間違いなく言えるのだけど、上の記事の書き手はそこまで親切には言ってくれない(笑)。

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2006.01.28

視野狭窄

「みんな」の呪縛

京大アメフト部員が起こした事件についての解釈が簡単に書かれている。彼らの視野狭窄が原因だということらしい。

大衆社会にはさまざまな特徴があるが、その一つは「視野狭窄」である。
どうしてそうなるのかというと、大衆の行動基準は「模倣」だからである。
オルテガが看破したように、「大衆とは、自分が『みんなと同じ』だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。」(『大衆の反逆』)
彼らの行動準則は、「他人と同じであるか、どうか」だけである。
何らかの上級審級に照らして正邪理非を弁ずるということをしない。
事件を起こした学生は「パーティとはそういうものだと思っていた」そうだから、なるほど「みんなそうだから別に悪くないと思った」ということか。

この「みんな」概念にはこどものころからずっと悩まされてきた。結果として他人と違うことにつながるようなことをしようとするとすぐにお咎めが来るのだから困ったことだ。しかも、そうしたことを逐一咎めだてする人は、その鼻糞(失礼)のようなルールが世界を絶対的に支配しているかのように思い込んでいることが多いので始末に困る。その理由がわからなかったのだが、ここに答えが書いてあった。

無知な人間の方がそうでない人間よりも自分の判断の合理性や確実性を強く感じることができる。
それが大衆社会にかけられた「呪い」である。
私は人様を無知などと決め付けるつもりはないのだが、なるほど呪われていたわけか。判断は停止しているのだから迷いは無い。強いわけだ。

私はこれを、いま引退時期に差し掛かっている人たちを見ていて感じることが多い。以前しばらくいたことのある会社の取締役殿が、いわれなく他人を非難する際に「だってみんな言ってるよ」と宣ったことがあった。人生も終盤に差し掛かった年齢でなお、そんなことしか言えない彼がさすがに哀れに思えたので、「みんなとは具体的に誰と誰と誰ですか」と聞き返すことはしなかったが、代わりに次の文を彼に送ることにしよう。

ある程度世間を見てきて、世の中にはいろいろな人間がおり、いろいろな価値観や美意識や民族誌的偏見やイデオロギーや臆断があるということを学んできた人間はめったなことでは「みんな」というような集合名詞は使えないということがわかってくる。
逆に、世間が狭い人間は軽々に「みんな」ということばを使う。

さて、翻って自分はどうだろうか。「みんな」という言葉は確かに使わないが、自分に限ってそんなことはないという思い込みもまた、視野狭窄には違いない。

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2006.01.27

東横イン社長の弁

土日もなく単純作業に拉がれている昨今(笑)、やっと多少余裕ができて9時のニュースを見られるくらいの時間に帰ったと思ったら、いきなり、東横インの条例違反の話しが流れていた。

一定以上の規模の建築は障害者用の駐車場を設置しなければならない条例があるところ、はじめは駐車場を設置して確認申請も工事完了検査も通ったのだが、その後、駐車場をロビーに作り変えたらしい。
その社長の言がこんな感じ。

車で60km制限のところを67kmとか68kmで走ってまあいいだろうと思っていたが、60kmで走らねばだめだと。言われてみればそれはそのとおりなので、きっちり60kmで走ることにします。
うーむ。これは難しい。

もちろん、コンプライアンスがとか障害者への配慮という社会的責任がとか、言いだせばきりがない。社長たるものがそんな突っ込んでくれといわんばかりの発言をして軽率ではないかと言うこともできる。

しかし。

「汝らのうち罪なき者、この女を石もて打て」

どうだろう。


設計者の立場からすれば、たしかに馬鹿げていると見える制約は多い。その当初の由来を聞けばなるほどと納得はいくのだが、敷地条件など千差万別の状況に照らしてみると、一律の規制はやはり馬鹿げているとしか思えないこともある。

だから、この種の「改築」はよく行われる。そして結果は「不適格建築」ということで黙認される。のがよくあるパターンだった。

これはいわゆる世間知のひとつかもしれない。やりすぎれば咎められるのは致し方ないのは承知で、誰もが適当にやり過ごしている。

このホテルのケースは、想像だが、工事完了検査後すぐに改築したのではないか。さすがにそれでは、役所は怒るだろう。馬鹿にするなというわけだ。
 
 
 
駐車場の計画上の処理は難しい。エントランスの近くにあるべきだが、風景を台無しにするものでもある。都市計画の分野ではもともと、モータリゼーション自体が批判の対象として取り上げられることもあるのだ。それくらい、ヒューマンスケールの景観や建築と車とは相性が悪い。

社長の発言によれば、条例違反となったこの比較的小規模なホテルの場合は、近くに大規模な駐車場を持ったホテルが別にあるそうだ。経営者としては、車の客はそちらでサービスし、小規模な方は徒歩の客向けだという。
私は中区のあのあたりもよく行くが、この社長の言葉はごく自然でまともに聞こえる。確かに、終電が終わったあと、帰りそびれた勤め人が徒歩で泊まりにいくような立地なのだ。

そう考えてみると、そんな場所でそんな小規模なホテルにまで、杓子定規に駐車場の設置を要求する条例の方が、見直しを求められてもおかしくない。歩行者優先ゾーンとして、そのエリア内には駐車場はつくらせないといった細やかな街づくり計画があってもいいはずだ。
 
 
当面は60kmがルールだからといわれれば、はぁそうですかと言わざるを得ないのだが、ルールの遵守だけを声高に言うニュースを見ていると、釈然としないものが残った。

あえて言うが、子供の言を聞いているようだった。

[追記]
こちらの記事に、この種の問題のうまい対処方が書かれている。空中権や二酸化炭素排出権と同様に、交換可能な権利として取引できるようにする、というものだ。なるほど、うまいルールのつくりかただなと思った。
取引量や全体に占める割合などをエリアごとに決めれば、かなりコントロール可能なのではないか。

横浜市長は力んでばかりいないで、こうした手法を検討してみてほしい。

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ブログ政治?

「ネット政治の新たな空間」 日経本紙 大機小機

ネットが政治の道具としてすっかり定着した様子を書いている。

政治家がブログで情報を得て、それを国会の場でぶつけ、ブログでまたそれを公表していく。---ネットによる政治の新たな展開といっていい。
ネットは優れた双方向コミュニケーションツールなのだから、この現象は当然のことといえる。とりわけブログは、自分のコンテクストを維持しながら他人とのコミュニケーションもしやすい、という点で他のツールより使いやすいから、普及していくのにも無理がない。

「きっこの日記」の怪しさを指摘する向きもあるが、利用する側はそれも織り込み済みだろう。匿名情報が怪しさと背中合わせなのはネットに限った話しでもない。実名情報では得られない手掛かりを入手する手段として、実名と匿名は今後も混淆していくことだろう。
もちろん、手掛かりに過ぎないものをそのまま転送したり鵜呑みにするのは論外だ。検証と判断がその次になければならない。

大衆がエリートに取って代わり、ファシズムになだれこんだ「大衆の反逆」(オルテガ)はネットの世界と無縁ではない。

そういえばこのところ、やや自我肥大気味。反省。
単純作業で潰れそうなときは、潰れないように頭が自然に防御体制をとるのだけど、その副作用で思考力が低下するんだよね。風薬の薬効と眠気の関係。注意せねば。

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2006.01.25

雑記060124


Disney、Pixarを74億ドルで買収

JobsがDisneyでどんなことをやろうとするのか、興味津々だ。Appleのハードとの組み合わせを考えたりすると、すごいことになりそう。
わくわく。


iTunes利用者、アメリカのネット利用者の14%に
これは結構すごいことだと思うんだが・・。


んで、日本での展開だけど・・
ベストプライスと学割とテレビ番組とポッドキャスティングの可能性

さて、肝心なイベントカレンダーですが、興味深いのは1月26日木曜日の15時からあるやつです。

3:00 p.m. - 4:00 p.m. 「情熱大陸+P」〜テレビとPodcastingの新しい挑戦〜

これまでラジオの延長線というのはあったけど、テレビと絡むってのはもしかして初めて?

メモ。木曜か・・。

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2006.01.24

雑記060124


中国人が日本の水産物を買い占めている!(NHKクローズアップ現代)

今晩のクローズアップ現代。中国人が日本の鮨とか刺身とかを争ってむさぼり食うようになって、日本の水産会社から買いまくっていると。なんでも中国の成金は、魚介類の高値はモノともしないらしい。魚を食うことはカッコイイのらしいのだ。すごいビジネスチャンス!
すばらしすぎる。何か落とし穴が?と思ったら・・
しかし実際はうまく買いたたかれているようだ。長崎の魚市場では、鯖の価格は、規格品がキロ250円、規格外だとキロ30円になってしまう(これは養殖の餌に回される)。ここに目を付けた中国業者がキロ30円の規格外の鯖を大量に買い付けているとのこと。
やっぱり中国人あなどれん。
でも日本人も、アメリカ人が捨てていたマグロを安く買い叩いたり、アメリカ人なら貧乏人が食べるようなくず肉を仕入れて牛丼のタネにしたり、中国人においそれと遅れはとらないわけだけど(笑)。


まず隗より始めよ

これ、私の恩師の座右の銘です。いい言葉。

在学生に対する教育サービスの充実をまず優先的に配慮することは、何年か先の志願者の頭数を皮算用でふやしてみせることよりもよほど大切なことである。
いまいる学生の一人一人が私たちの「隗」である。
いまいる利用者一人一人がポータルサイトの「隗」である。
ってことで、ライブドアは出直してがんばってみたらいいのじゃないか。
金融くずれの首脳陣がいなくなっても、きちんと財産は残っていると思うよ。

こんな現象もあるみたいだし。
たとえ、興味本位の大衆的行動の現れであったとしても。


通信・放送懇談会

ビッグバンに必要なのは、業界の縄張り争いではなく視聴者の立場から考えること、既得権をどういじるかという発想ではなくゼロベースで考えること、そして「原則規制」から「原則自由」に180度転換することだ。「公共放送」が必要だとしても、その担い手が「官営放送局」である必要はない。「民間にできることは民間に」という小泉政権の原則を忘れないでほしいものだ。
NPO法人による公共放送とか。
よさそうな気がします。
対外広報もNPOの方が熱心にやるような気が。いまのところ根拠はないけど。

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2006.01.22

NHKは世界を向け

サーバー型放送

けさの日経新聞によれば、「サーバー型放送」が2007年度から始まるそうだ。不可解なのは、これがHDDレコーダーに番組を蓄積して見るのとどこが違うのかということだ
一面トップだったので驚いた。上の記事でも指摘されているように、この仕組みには現状のHDDレコーダーがあれば十分だ。

つまらない屁理屈をつけて、間に入って通行料だけピンハネしようという人たちが、エスタブリッシュを中心に多すぎる。日本国内の生活費が妙に高いのはそうしたピンハネ構造による物価押し上げも原因のひとつと言われているらしいが、改まる気配がない。今回も不可思議な「専用受信機」というしろものをつくるらしい。

なるほど、標準をつくって利用者を囲い込み利益を出そうとするのは、悪いことではない。しかし、天下のNHKや総務省なら、世界でそれをやるべきだろう。

世界の標準づくりでいつも後手に回り情けなく損を強いられているからといって、そのつけを国内に廻してほしくない。エスタブリッシュを気取るなら、世界標準にこそチャレンジして見せてほしい。

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2006.01.19

いまさらながらの「個の確立」

ライブドア・ショックで東証は売買停止。

ありがちな「額に汗している零細企業を忘れるな!」という文章は、実際には空調の効いた場所のデスクで書かれていることが多いと思います。
同意。本物の零細企業は、「額に汗」状態からなんとか脱したいと切に願っているものだ。だから、「額に汗」という言葉は、実際に則して使うと誤解されやすい。むしろ精神論のひとつ程度に考えておくのがいいと思う。
「それみたことか。ライブドアの錬金術が暴かれた。ざま~みろ」。そんなことを言っても、自分が豊かになれるわけではありません。
「ざま~みろ」という言葉は確かに醜い。にも関わらず日常的によく聞こえてしまう言葉でもある。その点では持てる者も持たざる者も大差ない。

これに対抗する言葉は「明日はわが身」だったはずなのだが、格差拡大の影響で、わが身が相手の立場に立つことが想像しづらい状況が生まれている。対処するには別の考え方が必要になる。


私はそれを、いまさらのようだが「個の確立」に見出している。「個人主義」とはおそらく異なるこの概念は、輸入されてから随分経つのだろうけど、そろそろこの国に根付いてもいいのではないか。(いま、根付いているとはとても言えそうにない。)

これまでのように未消化のままでは浮ついた捉え方しかされないが、よく噛んでいろいろな方向から眺めてみれば、そのままにしておくのはもったいない良い言葉なのだ。

もちろん、見出すだけでなく自分のものにするには、時間と修練が必要だが、それだけの価値はあると思っている。

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2006.01.18

知識や知恵の力

現場力は、頑張れだけでは強化できない

知識や知恵、専門能力が怖いのは、100倍、1000倍、あるいはそれ以上の決定的な差が付いてくるということでしょう。
いまの仕事のプレゼンにこれ以上はないというプレゼント。
いや、駄洒落ている場合か。
しかし、やっかになことに、知識とか知恵を蓄積し、それで差を付けるというのは、個人的努力だけでは限界があるということです。実は、体力勝負よりも、組織的にやらないとできないとか、ビジョンやミッションが見えていて、何をすればいいかが見えているとか、情報を共有しあって効率よく学べるとか、また違った方法や努力が必要なのですが、ついつい頑張れといいたくなるのです。
それはいつでも言えることなので、いちど、ほんとうに現在の仕事の仕方がよいのかどうかという点検をやってみると案外、違った解決法が見えてくるように思います。そういった視点で仕事や組織を眺めかえしてみてはいかがでしょうか。
とまあ、そういうことです。

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2006.01.17

あざとい一日

阪神大震災から11年目の今日、なぜかこの日に合わせたように、ライブドアの家宅捜索と、ヒューザー小嶋社長の国会証人喚問が行われた。

偶然と言ってしまうことは可能だけれど、報道と世論の圧力をなるべく分散したい当事者の意図を勘ぐられてしまうのは避けがたい。なんともあざといやり方ではある。

最も重要な話題はもちろん証人喚問だろう。土地にこそ価値があって上物はむしろ資産価値を下げるとさえ言われるこの地震国の価値観を、根本から問いただす問題なのだから。

しかし、TVから流れるニュースは、このイベントがほとんど無意味だったことを伝えるのみだ。30回を超える証言拒否などというものがまかりとおるなら、喚問などセレモニーでしかない。

そういえば、「記憶にございません」で最初に誰かが切り抜けて、それが可能だと実証して以来、喚問というのは単なる儀式だということは分かっていたのだった。

その意味で、この日は二重にあざとい一日だった。

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2006.01.16

雑記060116


やっとアップルらしい進化を見せた「iLife」と「.Mac」

ほいきた。メモ。PodCastが簡単に。


みんなでみかんを買ってあげよう!

5Kgで1280円・・・それは買う罠。


Public radio podcast directory

日本でも早くこうならないかな。
もともとラジオとネットは似てるのだし。

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2006.01.15

「ネットの向こう側戦略」の儲け方もやっぱりDRM

DRMとマイクロペイメントを握ることが、儲けにくいネットの世界で儲ける数少ない方法のひとつだということは、そろそろ広く知られるようになってきた。因みにもうひとつは広告。

さて、その事実は、ネットの向こう側企業であるGoogleにとっても、ネットのこちら側企業の横綱マイクロソフトにとってと同様、変わらないらしい。それは、例えばGoogleVideoで遊んでみるとよくわかる。

楽しい例として、コカ・コーラの飲料「Qoo」の古いCMを見てみる。

Google videoで、"coca cola CM"で検索すると出てくるのだが、これ自体はFlashだ。ここで、Google video Playerをダウンロード、インストールして、さて、"Manually download the video"で、「Qoo」のCMをダウンロードしてみると、このファイルは単なるポインターに過ぎず、開くとネットの「向こう側」から本体ファイルのDLを始める。なんのことはない、ストリーミングしているだけだ。


これを見る限りでは、Google提供のDRMを使わせる、ひいてはDRMプラットフォームのシェアを広げるということが、重要な戦略目標らしいことがうっすら伝わってくる。向こう側かこちら側かは、実はあまり重要ではない。


それにしても、こうしてネットの世界から徐々にフリーなコンテンツの居場所が減っていくのを見るのは、なんとも寂しい感じがする。

はじめから有料で見せるために作られたのならともかく、CMは広く見られてこそ価値があるのだから、ストリーミングなどとケチな方法を取らず、黙って全部をDLさせればいいものを。

この例で特に暗い気持ちになったのは、そこまでしてストリーミングさせたビデオが、元のFlashより格段に画質が悪いことだ。

いいコンテンツで勝負しようという気持ちからは遠く、だんだん、えげつなくて雑な感覚がGoogleの中で頭をもたげて来た気がちょっぴりした。

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2006.01.14

雑記060114


「はてなブックマーク」は、なかなか利用者が多いようだ!

「お祭り」を楽しめるというのがはてなの人気の秘密かな。でも、一種の集団心理も働くようで、ちょっと怖い。
「集団心理」の言葉を充てているのがうまい。


楽天、キャンペーンで付与したポイントを取り消す騒動

お粗末と言ってしまえばそうなのだが・・。

制度を悪用する、ということの是非について、もう少しいろいろな考察があってもいい。
それはつまり、法律や技術とは別の価値判断の尺度について思いを巡らすということなのだけど。

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2006.01.10

「そんなことは無理だ」

「なぜ中国のマイナス面だけ書く」 日経本紙 総合・政治面
先日来伝えられているこのエピソード。中国側の言い分は、

日本政府ももっとマスコミを指導すべきだ
ということらしい。

日本のマスコミも結構指導されてるうんぬんの議論はここではしない。しかし、次の部分は気になる。

日本側は「日本は中国とは違う。そんなことは無理だ。」と説明したという。
揚げ足取りを承知で言えば、「できればしているけど、無理だからしない」と受け止められなくも無い。そうした誤解を避けるためにはやはり本質をきちんと説明してほしかった。曰く、
「日本は中国とは違って民主国家だ。国の根幹に背くようなことはしない。」
毅然とした態度は、多少の摩擦よりも重要だし、結果としてよい方向へ向かうことが多いと思うのだけど。中国には早く民主主義を身に着けてもらわなければ、世界が立ち行かなくなるおそれすらあるのだし。

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2006.01.09

建築の近代

東京ステーションギャラリーで、前川國男展が開かれている。コルビジェのアトリエで仕事をし、日本近代建築の先駆と言われた前川だが、その発言や作品は実に素朴だ。

個人的には、前川の作品にとくに感じ入ったことはない。神奈川県立青少年センターでよく遊んだことはあったが、「やけにだだっぴろいところだな」くらいの感想だけだ。シルクセンターはあまり好きではない。あの絶好の位置に、しかも軸線を受け止めるべき位置にだ、なにゆえあのようなこきたないものががんばっているのか、素直な子供心には理解しがたかった。

ところが、近代というものを振り返ってみると、前川の態度は、なんのことはない、いまのわしらが建築以外の分野で行く道を、はるかに先駆けていたわけだ。

まあ、前川はデザイナーではないから、それはよしとしよう。それで許される欠乏の時代ではあったのだ。


展示会場には、前川の言葉の断片が、ところどころパネル化して展示されている。順路のおわりのほうに、こんなパネルがあった。

度重なる戦災もゴシックの建築を滅ぼすことはできなかった。しかしゴシックがその建築の真実を喪った時に、ゴシック建築は滅びた」といったラスキンの言葉が、今日に至るまでぼくの脳裡にやきついて離れない。
「1928年パリ・セーブル街35番地『a+u 1974年2月号』」
ステーションギャラリーの小さな窓からは、前川の手になる東京海上ビルと、つい最近できた近代建築の粋ともいうべき新丸の内ビルが一望できる。

極限まで材料・構造・工法を効率化し、ついには耐震性を偽装する者まで現れるに到った「近代」を、彼ならばどう切るだろうか。

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2006.01.08

歓びを歌にのせて

息が止まるほど、すばらしい映画。今年最高の作品に早くも出会ってしまった。スウェーデン国民の5人に1人が観たというのも頷ける。
派手な演出も凝った技術もないが、登場人物の背景とお話しとが響きあってすばらしいハーモニーを奏でる。


知らなかったのだが、スウェーデンという国は聖歌隊の活動が盛んなところなのだそうだ。国民のおよそ1割が、聖歌隊活動をしているらしい。

ケイ・ポラック監督は、その文化を調べる中で、聖歌隊のリーダーと語り合ううちに、この脚本を少しずつ作ったのだという。

広く行われている活動だから、参加者の様々な個人的日常的な事情とそれを反映したエピソードがそこにはあるのだろう。聖歌隊のリーダーの話しの中には、そんな話しがたくさん含まれていたに違いない。

国教の福音ルーテル教会についての話し、男女平等、高負担高福祉の話し、その環境で発達した個人主義の話し、その行き過ぎなど。

この映画は、そうしたエピソードの数々を消化して、さりげなくお話しに組み入れながらも、それに流されることなく、声を合わせて歌うコーラスの活動をしっかりと軸に据えて、生きる歓びを溢れるように描いている。福祉国家のお手本と言われながらも必ずしもいいことばかりではないスウェーデンという国で、それこそが、監督が最も描きたかったことだろう。

最大のテーマである生きる歓びを余すところなく演じたのが、レナ役のフリーダ・ハルグレン。惚れました。
主役のはずだがむしろ様々な場面で触媒の役割を担ったダニエルを演じたミカエル・ニュクビスト。そのほかのキャストも、実にいい演技でした。

いまは上映館は少ないけど、もっと多くの人が観られるようになってほしい。
そして、作中で牧師が音楽家に言った苦渋の台詞を、じっくり味わってみてほしい。

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不老不死を望まず

徐福

どうしたのでしょうか。唐突にこのロマンティックな文章は(笑)。

例えば、天下り先を作る、ということは不老の霊薬を手に入れるのと似たようなところがある。その基本姿勢は、現状を変えない、ということか。ごく自然な人の感情ではある。
国の年金があのような有様だし、企業は年金を払う気はもうないだろうから、それもやむなしか。

一方、天下られる側からは、概ねこんな見方。
縦並び社会・格差の現場から:時給は288円

大学を出て親元の新潟で大手食品会社の子会社に就職した。親会社からの天下りが多い。「この人たちの高給を出すために働くのか」と思うと、定年まで働く自分を想像できず、5年で辞めた。

それで自分はどうするか、だが。
彼(徐福)自身は不老不死を望まずその地で死んだ。現在の和歌山県新宮市である。
徐福、いいやつだな。
今年のGWは紀伊半島へ行ってみようか。。。

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2006.01.07

雑記060107


「人のいい」内田さんたちの世代

そういえば、「戦争を知らない子供達」という歌があったなあ。


ロサンゼルスタイムス 日本風漫画を連載開始

カリフォルニアを日本の49番目の県にする第一歩。
因みに48番目の県はハワイ(笑)。


イヤホンが難聴の原因に――『ザ・フー』のギタリストが警告

iPodを使うようになってから、これは心配の種。でもそれはiPodやイヤホンが真の原因ではない。

問題は、駅や電車の音公害だ。なにげなくやりすごしているとわからないが、イヤホンで音楽やら英語ヒアリングやら日本語ニュースなど聞くようになると、いかに音公害がひどいか自覚できる。聞きたい音が聞き取れないほどひどいのだ。

いきおい、イヤホンの音量を上げるようになる。で、これがあんまり耳の機能にとってはいいことではないなと、心配になるわけだ。

なので、駆け込み乗車はまだ間に合いますと言わんばかりに大音響で遠くの改札にいる人間にまで届くような発車メロディとか、おかしな敬語や前置きばかり長くて肝心なところは一瞬で過ぎてしまうような案内とかは、明日からでも、音下げ、短縮してもらいたいと思うのですが。>JR


ソフトバンクが大学設立へ
賛否ある模様。でも、はっきり「悪い」という意見はない。実施上の課題を指摘するコメントが多い。
その他、ディプロマ・ミルの話や京都精華大学漫画学部の話しなど。

放送大学は入っておいて学割利用というのがいいかも。
あ!それってすばらしいアイデアだな>放送大学。
割引に要する原資は他人負担。(この文に悪意はありません。単なる気づきということで。)


アンパンマンと毎日かあさんが激突!

世の中みんなが脅迫産業になっているでしょう。「はげたらどうします」っていうノリで、「お子さんがニートになったら」とか「キレる子になったら」とか。みんなが親を脅迫するから、もうお母さん、怖くて仕方ないですよ。
「おおらか」という言葉の影が薄くなって久しいような気が。

「こうするとダメ」の方が「こうするともっと良い」よりも、セールストークとして強力なのは事実だから難しい。
すると、ビジネスの軸で日常生活まで評価するという背景自体を改める必要がある、という話しが、方向としては正しい・・はずなのだけど。

先頭の「人のいい・・」のエントリも暗示していると思うのだけど、「こんなのダメ」レッテル貼りという呪(しかもパターン化されたもの)にこそ問題がありそう。

「ダメ」を当てはめるかどうかで物事を見るのは・・ダメだな(笑)。

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2006.01.04

雑記060104


アルバイト資格(資格の電子証明化の可能性:PKIの本格活用に向けて)

メモ。アルバイト資格の方は置いておくとして、資格の電子証明化というのがおもしろい。具体的な記事はこれから。


資格といえば、「13歳のハローワーク」のマップが面白い。
本来は職業についてのマップなのだけど、やはり国家資格の名前がたくさんある。中には何の役にも立たない資格もあるから注意は必要。

このマップを眺めていると、職業というものは紙には書ききれないほどたくさんあるなあ、ということに気づく。


iRiverG10

これはいいかも。800×400、2万6千色。4~8GB。
パーソナルな映像再生装置として。
さすがに片手で簡単操作のiPodにはまだ及ばないが、ゲーム「も」できるというポジション取りで。

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団塊マーケットを獲るもの

退職する団塊の時間をどのようにゲットするか。それは日本のマーケット屋さんの最大関心事。因みに財布をどうゲットするかは金融屋さんの最大関心事(笑)。

さて、その団塊時間で大きなシェアをとりそうなのが、・・ゲームかもしれない・・orz
って、笑うしかありません。

リハビリや痴呆防止への応用は、まじめなアプローチとして地味にやっていただいてかまわないのだが、大ブレークの予感がするのがオンライン対戦ゲームの数々。いや、すでに碁会所や雀荘はブレークしてたかな。東風壮とかその後どうなったんだろ。

ハードコアゲーマーな高齢者が増加中
このエントリのコメンツにはそういった事例報告と指摘が満載。

私はヘルパーの資格を持っているんですが、お年寄りも娯楽に飢えています。
が基本認識。
ゲートボールを例に引けば、このようないわゆる高齢者向けの ものが、今後の高齢者に流行るとは思われません。
(中略)
簡単に言えば団塊の世代の高齢者はゲートボールではなく今までやってきたスポーツや 趣味を続けたいのです。(ここからの引用)
が具体的方向性。
ゲーム脳 (スコア:2, おもしろおかしい)
Anonymous Coward のコメント: 2006年01月03日 12時34分 (#858528)
になったら大変ですので、高齢者へのゲームは禁止すべきです。
はちょっとお笑い。
自分の老後は (スコア:4, すばらしい洞察)
snurf-kim (10835) のコメント: 2006年01月03日 15時08分 (#858570)
爺さんになっても相変わらず美少女ゲームをやっているに違いない・・・。
は大笑い。

面白そうだなあ・・。いまどきの若いもんはなっちょらん!いう高齢者の想いと鬱憤を存分にぶつけられるMMORPG・・・絶対流行りそう。

考えてみると、退職後なんて収入は限られているのだから、旅行なんぞでそうそう散財するわけにもいかない。退職後にやりたいことアンケートNo.1などの世迷い言に騙されてはいけない。現実は厳しいのだ。でも娯楽無しではやっていけないのも事実だろう。

その点ゲームなら文句なしだ。何時間でも時間を潰せて、支出はほんのわずか。なにより、対戦相手とコミュニケーションできる。孤独化しがちな高齢者にはうってつけではないですか。

ああ、考えてるうちに作りたくなってきた。
いまの仕事の次は本気でゲームの世界に復帰しようかな(笑)。

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2006.01.03

ディック&ジェーン

最後の台詞を言いたいがためにつくられた、軽快なコメディ。十分楽しめるつくり。「おかしな泥棒ディック&ジェーン」という昔の作品のリメイクらしい。アクション映画ではないので、ポスターのジムキャリーが走っているポーズとは印象が全然違うので注意。以下ネタバレ。


会社の倒産でディックとジェーンの夫婦が徐々に追い詰められていくところは、多少痛い。それでも別れ話しの方向にはいかず、なんとなくほのぼのしている。二人とも根が善人で暢気なんだろう。

その暢気者の二人も、最後の拠り所だった住処の明け渡し請求が来たところに、会社倒産時の風説の流布の濡れ衣で起訴されるというニュースが重なってさすがに切れ、強盗に転向を決意。ここからがお笑いの見せ場。
正月早々大いに笑う。

最後は、倒産の責任を部下に押し付けてのうのうとしているCEOにみごとに復讐して、自分達の生活と権利を取り戻して溜飲をさげる。それもスマートでさわやかな方法で。

そして、最後の台詞からエンドロールへ。

エンドロールでは、エンロンの社員さんの名前など出ていたり、風刺が効いてる。
現実も映画みたいにいくといいのにね。

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2006.01.02

雑記060102

正月ともなると、やはり襟を正した良いお話しが多くあって、年が改まった感じがする。


これも少しコメント

 審級性を廃して、私はこう思うということが求められている。という点で、真引きさんのお作文のほうが数百倍常識・教養的でありえている。

(中略)

 イデオロギーの完全な崩壊に「私」がどう耐えるか。そしてそこでどう笑うか、快活に。

もともとイデなんとかに依存してない人が私のまわりには多い。どう耐えるかと身構えられてもはて何のことやら(笑)。

快活に笑うこと、それは確かに生活の基本。


ということでお笑いをひとつ。

えーっと。どこで読んだのか忘れましたが、ブラジル人は血液型O型が人口の9割だとか。
血液型占いは非科学的という説を知りながらも、なんだか納得感が色濃く漂ってしまうのだった。そんなやつらに日本代表は果たして勝てるのでしょうか(笑)。


さて、読み残しの「ローマ人の物語 キリストの勝利」を読む。

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iPod販路拡大

正月早々驚いた。

品川の茶店でコーヒーをすすりながら、戴いた年賀状の返信を書いているのだが、インクが切れたサインペンを買い替えに隣のセブンイレブンへいったら、びっくり。iPodNANO、SHUFFLEが売られているのだった。お値段はもちろん堂々2万7千円とか。ここは本当にコンビニ空間ですか(笑)。

そりゃ、1個売れればすごいよね。すぐ隣の棚のうまい棒何本分だ。1日の売上げ50万円としてそのなんと5%だヨ。売れ行きがよさそうなら、iTMSのプリペイドカードという消耗品も置けるかもしれないし。もっともこちらの利幅は薄そうだけど。


気になるのは、イメージ戦略か。iPod、コンビニともに、これまでとは違うイメージを持たれることになるわけだから。
例えばの話し、ソニーの紫色のiPod(名前忘れた)がコンビニに置いてあって、買うかというと、買わないだろう。
でもiPodが置いてあってもおかしくない気がした。それだけ商品力があるということか。

今年ものっけから見せつけてくれるAPPLE。早くも大波乱の予感(笑)。

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2006.01.01

元旦の雑記

あけましておめでとうございます。
今年もよい年でありますように。


老師たちからのお年玉

これはまた、新年早々よい記事を。

この種の内省は、ある閾値を超えると、「虎」が「バター」になるように、質的転換を果たす。
「ま、そんなこと考えても埒があかないから、もういいや、ラーメンでも食おう」
という日常的なリアリティへの帰還の必然的であることを導出するために、ここまで手間ひまをかけて哲学的内省はなされてきたのである。
目の前の青い鳥の意味を知るには、世界を経巡った後でなければ叶わない。前にも同じようなことを書いたかもしれないが。

もうひとつの、自分を他者の視点で見る話しは、ほかにも方法がありそうだから、特に触れない。


展望2006:アテンション・エコノミーの本格化

google八分の話しは、引き算機能のことだったけど、今年は足し算機能に注目が集まる、と。

 情報技術におけるイノベーションの歴史は、常に個人にパワーを与える技術がブレイクスルーとなって始まり、次第に小規模グループ、そしてエンタープライズで使えるものへと発展していく道のりを繰り返してきた。
なるほど。それはそうかも。革新は常に辺境から。
 同時に、AJAXの一般化などによって「読むウェブ」から「使うウェブ」への転換が起こり、さまざまなネット上のアクティビティがクローズドな空間に閉じて行われるようになるにつれ、Googleに見えない深みのある世界が広がっていき、アテンション・ナビゲーションという必勝パターンにも変化の兆しが訪れるだろう。
うわあ。これは重要。「使うウェブ」。既にEXCEL的インターフェースと機能をWebで提供というサービスがあったような。マイクロソフトが勝ち残る芽はこのあたりにもありそう。

加えて、Googleに見えない世界が広がる、というのも容易に理解できる。googleに協力する損得を考えれば、得するところで開き、損するところで閉じようとするのは当然の帰結。そして、google側にはそれを強制したり選んだりする権利はない。

 「3秒ルール」といわれるように、より動物的で短気になっていく消費者の行動様式の変化に適応できず、高機能で立派だが価格もゴージャスで話題性に乏しいソフトウェアをつくり続ける企業は、去っていくアテンションをつなぎ止めることに四苦八苦し、ますます日陰に甘んじていくことになる。2006年は、あらゆる既存のソフトウェア企業にとってウェブ世界への適応度を本格的に試される受難の年になり、新興企業にとっては久々のゴールドラッシュの年となるに違いない。
大きく儲けるのがますます難しくなっていくと読むべきか。脊髄反射型顧客相手の薄利多売が世界を支配するようになったら、それはそれでなんだかなあ。

コンテンツの善し悪しを理解する人間が一定数いるかぎり、そう簡単にマーケットが動物的に流れる現象は起きないとは思うけど。

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