2005.12.31
今年は目の前の仕事を片付けるのに目まぐるしく、あっというまに過ぎた1年だった。これはこれで幸せなことではある。来年も同様にあっというまに過ぎ去るように願いたい。
とはいえ、自分で枠組みを創造したわけではないので、その点では反省もある。決められた枠内で動くことは単純に技術的な話しになるので、楽なのだ。技量は必要だが思考は必要ではない。
思考と技量との間に貴賎や優劣をつける気はないが、自分としては枠組みづくりのほうにより面白みを感じる。
そういうわけで、来年は、苦労が増えることを予想しつつ、多少創造的な領域にも踏み込もうかと思う。年末年始はその具体像を考えねばならない(ホントか)。
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「FBSカンファレンス(2):セマンティックに資金を投じるEU」
今後、システムを経由した取引が増えてくることとなると、セマンティックの問題は単なるコンピューターの仕様統一といった話でなく立派な経済政策となる。
これはどの産業分野についても言える、たいへん汎用性のある話し。共通のコトバをひろめることが経済効果につながるという点で、自分の来年の取り組みのヒントにもなる。
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「リクルートの地域検索はGoogleを超えるか?」
1:リクルートが体力のある会社である
2:ユニークな地域情報を莫大に持っている
3:収益に直結する戦い方ができる。
リクルートという企業の強さはこれまでも2と3を中心に様々に分析されてきているが、今年はそれに1が加わって鬼に金棒という感じ。もっとも、1による気の緩みには注意が必要ではある。
上のエントリの中に、リクルートは人海戦術を使ってニッチでローカルな情報を集めており、Googleのようなシステム主義の企業には真似ができないという指摘がある。
そのテイストは、おおいに参考にしなければならない。とかく「システムをつくればあとは左団扇でウハウハ」なことに惹かれがちな怠け者の自分としては、「世の中そんなもんぢゃないのよ」という声に常に耳を開いていなければならない(笑)。
▽
ということで、今年も自戒を込めて締めくくることにする。
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「「やめること」を先に考えよう」
「さて来年こそは何か新しいことを始めよう」と考えている人は、「やめること」を先に考えよう。そっちのほうがうんと難しいからだ。
中学のときの体育の先生は、元陸上の選手だったらしい。その先生が長距離を走るときの心得として、こんなことを言っていた。
息をまず、全部吐き出すようにしなさい。そうすれば、自然に吸える。
そんな感じかな。
最近は「選択と集中」とも言うらしい。
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「『亡国のイージス』を観る」
最適な戦略的選択をためらわない冷血さと同胞に対する制御できないほどの愛情という矛盾を同時に引き受け、それに引き裂かれてあることを常態とすること、それが「戦争ができる人間」の条件である。
その「引き裂かれてあること」を徹底的に身体化するというのが、「考える前に考える」ということである。
(中略)
愛国心や国防について声高に語る日本人を私が信用しないのは、彼らの多くが戦略的思考を欠いているからであるが、理由はもう一つある。
ジョン・レノンは言った。
All you need is love
これを「愛こそはすべて」と訳した人がいるけれど、それは違う。
「君に欠けているのはね、愛だよ、愛」
年の終わりにこれはまたいい記事を。
[追記]
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「来年の抱負」
竹中平蔵総務大臣の主催される「通信・放送の在り方に対する懇談会」のメンバーにとのご指名を頂き、私は謹んで委員をお受けすることにいたしました。
おっと見逃すところだった。メモメモ。
約5年ほど前にBS放送の標準化に関する委員を拝命したときには、80名を越す合同会議の席で、「古川君、インターネットのような邪悪なものを放送業界に持ち込まないでくれ」と、ある委員の方からの発言を受け出席者全員が何ひとつ反論できる状態でなかったのですが..今こそもう一度議論を尽くす絶好の機会なのでしょう。
がんばってくだされ。
来年はここのblogはヲチリストに入れねば。
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2005.12.30
和む。
「らくだの涙」をつくった監督の二作目。捨て犬の問題とか、近代的なプラスチック文明の脆さとか、宗教的な昔話のうっとうしさ、選挙の話題などを盛り込んで、草原の国の現在を描いた・・はずなのだろうか。
原題は"The cave of a yellow dog"。黄色い犬の故事を引いて輪廻転生を説いた逸話がお話しの底流にありそうなのだが、遠く離れたここ日本で見ると、そんな説教じみたことは霞んで、ひたすら天空に近い、人の少ない国の生活を描いた和み映画に変容する。
彼らに比べて、わしらは何と激烈な日々をなにげに送っていることでしょう(笑)。人口密度が高い社会の宿命か。
登場する家族の3人のまだ小さい子供の様子にもたっぷり時間が割かれていて、それだけでも微笑ましい。長女の子でもまだ10歳くらいだろうか。それなのに馬をあやつり、家事の手伝いをし、生き生きとしている。牛糞集めの失敗など、観客の暖かい笑いを誘う。
とはいえ、その和やかな空気の中にも不気味なものが2点登場していた。ひとつは、ご近所(といっても、見晴るかす草原を馬で駆けていった先の住人だが)の老婆が語る、黄色い犬の故事。もうひとつは、父が町で土産に買ってきた毒々しい緑色に光る目のピンク色の犬のおもちゃ。
私はその2つを、草原の生活をおびやかす人間社会の脅迫観念の象徴と観た。前者は妙に宗教じみた熱を呼び込むものであり、後者は言わずと知れた文明の毒だ。
その、天空の生活にそぐわない熱と毒が、人間と飼い犬の関係という一応設定された軸に多少の奥行きをもたらしてはいる。
輪廻を説く年寄りの昔話は、飼い犬を捨てるように示唆するけれど、犬を飼うのは、やっぱり素直にいいことだ。そして、目が点滅するような気味の悪いおもちゃよりも、一緒に暮らす生きている犬のほうが、比較にならないくらいよいことはいうまでもない。
小難しく言えば、一種の病気ともいうべきヒトの熱と毒を多少は体験させながらも、多くの生き物の中でシンプルに生きることを教えるのは、子供の情操教育上はとてもよいことだ、というあたりだろうか。
そして、子供の心にとっていいことなら、大人にとってもたぶんいいことなのだ。この映画を観て和みを感じるのは、それがいいことである証だと思う。
私は、最近身の回りに増えている、妙にヤワで神経質そうな犬たちと、それを猫かわいがりするヒトの様子に「病気」を感じてしまうけれど、この映画には、それとは違う、犬と人と空と大地のありようが描かれていると思った。
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2005.12.29
「配架の愉しみと語彙について」
勘違いしているひとが多いが、「現代人は情感が乏しいので、情感を表す語彙が貧困になった」のではない。
「情感を表す語彙が乏しくなったので、情感が乏しくなった」のである。
ことの順逆が違うのだ。
言語の現実変成能力がどれほど強力なものか、それをほとんどの日本人は理解していない。
とりわけ理解の遅れた人びとが現代日本の「国語」を宰領している。
「瀰漫」は知らなかった。IMEが一発で変換するところをみると、一般的なんだろうか。爛れている感じがするが、あれは糜爛か。おお、これも一発で変換する。
なんだか変換ソフトの性能が上がったおかげで、かえって語彙が貧しくなっているかもしれないなあ。
いやいや、もちろん本当の理由は自分も含めて本を読まないことなんだけど。
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「ハートで感じる英文法(大西泰斗)」という番組をNHK教育でやっている。これが結構面白くてわかりやすい。さっきやっていたテーマは「仮定法」だが、その最後に出てきたのが "in your shoes" (もし、あなたの立場だったら・・)
というわけで、「イン・ハー・シューズ」は「彼女の立場だったら・・(仮定法)」っていうことかな(笑)。
この番組、PodCastしてくれないかな > NHK。因みに、わし、受信料はいつも1年分前払いしてます。スクランブル化されたら迷わず購入します(笑)。
さて、タイトルの謎はわかったが、映画の方は正直に言うとよくわからなかった。1ヶ月前に観たのをうろ覚えでいま書いているからという点は割り引くとしても、その理由はたぶん、この映画が表現しようとした要素が、私の中には少ないからだと思う。
姉と妹って、どうよ。男のわしにはわかりません。特別な結びつきがあるんだろか。
印象に残ったところはある。高齢者施設の老教授が、書物から読み取るべき真実は何かを妹に教える場面。そうだ。読書から得るものはそうゆうものだよね。
話しには、特に退屈するところはない。そういう意味では悪くない映画だった。
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18:25分現在、自宅のADSL(ocn)が不調。モデムなのか、プロバイダなのか原因不明。
PPPのリンクがおかしいみたい。
予備で加入している別のプロバイダに、ノートパソコンからAirH’でつないで、とりあえず呼吸(笑)はできている。
同じAirH経由でOCNに繋ごうとするとやっぱりだめ。てことは、モデムじゃなくてOCN側のトラブルなのかな?
[追記]
19:27現在、復旧した模様。
ローカルな障害のようでした。
http://flets.com/const/nw_t_kanagawa.html
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武器商人の話し。あっさりまとめていて、ストーリーも飽きずに最後まで見られる。悪くない出来。
冒頭の、ノリのいい音楽をバックに流れるクリップ映像が、銃弾が製造されてからどんな人の手を経て誰に渡るかを、手短にまとめている。そこまでは、社会勉強。そして、そのクリップの最後、そこでノリのよさは一瞬、凍りつく。
だが、ニコラス・ケイジ演じる武器密輸商は、それをなにげなくひきとって、映画を始める。
監督は、これは武器密売に対する批判を含んでいるとインタビューの中で言っているけれど、批判というよりは事実の指摘だと思う。この手法はうまい。
思想に基づく批判は、その思想自体を攻撃することで切り返すことができるけど、単なる事実の指摘に対しては、反論の糸口がない。そして、その事実を、批判される当事者が世間から隠したいと内心思っていることであれば、この方法は最も効き目がある。この映画は、それをエンタテインメントとして処理することで、多くの人に見せることに成功している。
さて、武器密売に対する社会派的な批判の視点は置いておいて、私はむしろ、この主人公の淡々とした商売の進め方の方に興味を覚えた。妻のために半年ほど本業を休んで、通常の商売に切り替えたときの台詞がいい。「これで儲けるのは難しい。競争相手が多すぎる」
過当競争を避けて、できれば独占できる市場を見つけるか作り上げることは商売の有力な手法だ。この主人公はそれがよく分かっている。
映画の最後には、こうも言う。「生き延びる方法は、自分自身はそれに関わらないことだ」。
これも、よく知られている話しだ。金鉱を探す山師になるのではなく、彼らにジーンズを売ること、あるいは、株の銘柄を選んで投資するのではなく、その取次ぎをして手数料を稼ぐこと、それが、低いリスクで確実なリターンを得る方法には違いない。
この主人公は、その、商売の法則が分かりすぎていて、取引の合法性にはやや無頓着だったようだ。最後には、最愛の妻の通報で尻尾を掴まれてしまうのだが、そこからリカバーする方法に、この男の達観が見える。
ところで、私にはわからないことがひとつある。武器の売買と武器の密売では善悪に違いがあるのだろうか。あるとすればそれは何だろう? 文民に制御されているかどうか、だろうか。少し違う気がする。
RPGの中で辺境を旅しているときに武器屋に出くわしたりすると、実は嬉しい(笑)私には、そこがよくわからなかったりする。
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2005.12.26
「耐震強度偽装の深い闇」 日経本紙 経営の視点
イーホームズの藤田社長は偽装物件の建築主だったヒューザーの小嶋進社長から「行政が見抜けなかったものを公表し、正義を貫いて何の意味がある」と迫られたと衆院参考人質疑で答えている。
私は、一応、学校を出て2年で一級建築士の資格も取ったし、そのころは設計もしていたから、闇としてではなく実情としてある程度知っている。
技術的な対応としては、施工後にも配筋などの構造をチェックできる安価な技術を普及させ、インチキは後で必ずチェックできるという環境をつくることが最善だろう。それは技術的にはできない話しではない。少なくとも、半導体やバイオテクノロジの分野で技術開発するのに比べたら、赤子の手をひねるようにやさしいはず。
つまりは、事前調整型から事後チェック型への移行を徹底させるというだけのことなのだ。
しかし、その程度の単純な話しでさえなかなか浮上せず、保険だとか確認申請の厳密化だとかの目くらましばかりが強調される点にこそ、この問題が抱える困難があると思う。
ヒューザーの社長の言い分は、業界村の一員として村の利益に反することはけしからん、ということだろう。それがまさに、この業界の昔から変わらない体質だ。
対してイーホームズ社長の行動は、自社の生み出す付加価値、存在意義が、施主からの信用を源とするという確信に基づいている。それが、新しい時代のまともな感覚だ。
世代論は限定的にのみ使うのがよいと思うけど、これはまさに世代論があてはまるケースだと思う。ある年代以前に属する人にとっては、業界村は世界の全て。倫理と論理の基準なのだ。自分が生み出す価値は誰に向けたものかという意識が薄い。
いま、改革という名前で呼ばれるものは、ほぼ共通して、この時代遅れになった村感覚を駆逐するというベクトルを持っていると思う。
構造偽装問題やアスベスト問題に対する国交省の対応は、改革と呼ばれるものに対する社会の姿勢と強い相関関係を持ちながら、今後の社会の向かう先を決めることになるかもしれない。上で書いたような意味でまさに改革者である現首相の、その引退後が取り沙汰されている昨今、この問題への対処は案外大きな意味を持ちそうに思う。
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2005.12.25
「集中講義終わる」
本を開いた瞬間に見開き二頁分の視覚情報を入力するくらいのことは朝飯前である。
だから、私たちは実は頁を開いた瞬間に二頁分「もう読み終えている」のである。
しかし、私たちは「すでに読んでしまった文」を「まだ読んでいない」ことにして、一行ずつ本を読む。
このところ、スタッフもまだ手配できない立ち上がりかけの企画のおかげで、大量の申込書のデータを自らパソコンで入力する羽目に陥っている。氏名とか電話番号とか生年月日とかをEXCELにどんどん入力していくのだ。
まったく単価の低い仕事を黙々とやっているわけだが、そこは、「箸が倒れても先生(吉川英治)」などと子供の頃親に吹き込まれた私であるから、何か面白いネタを無意識に探してしまうのである。
そこでふと気づいたのが、上のエントリで触れられているのと似たような現象。
生年月日を見る。これを「昭和35年4月25日」という言葉に変換して覚え、それをキーボードで入力しようとすると、ものすごくまだるっこしい。ところが、意識を言葉から切り離して(という気分に脳味噌を置いて)ぱっと見てぱっと入力、とやってみると、これが速い速い。入力を終えたあたりで、やっと言葉が追いついてくるような感覚がある。
人の脳って不思議だなあ。
ところで、私はサッカーなどのスポーツもこれと似たところがあるように思う。ああいうものには、言葉で表し得ない敵味方の配置とベクトルと各地点のポテンシャル(重力)を認識する空間感覚、それに、移動=時間感覚を加えた、流転する世界についての瞬間ごとの認識があるのではないか。私自身はバスケットボールでそういう感覚を体験したけれど、サッカーもたぶんそうだろうと思っている。実はテレビゲーム第一世代のシューティングゲームなども同じだ。それから狩をするときの獣もきっと同じだろう。やつらは餌のイメージをいちいち言葉などに置き換えたりせずに可及的速やかに噛み付いているに違いない。
という話しをどなたか新書で読みやすい形にすっぱりとわかるようにまとめていただけないものだろうか。
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2005.12.24
登場
「昨日聞かれたから書いておく」
両方ともWindows用。
→ http://www.videora.com/en-us/Converter/
→ http://www.videora.com/en-us/Converter/iPod/
Macの人は、Video2PodとかiSquint、Podnerでいいのかな。
→ http://www.onlymac.de/html/video2pod_en.html
→ http://homepage.mac.com/tylerl82/
→ http://www.splasm.com/products/productpodner.html
こちらではiSquintを詳しく紹介
Appleの方法よりも5倍早く、操作も簡単。20分のビデオは50〜150MB程度になる、としています。
QuickTimeProよりも、てことかな。
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2005.12.23
▼
「ビクターエンタテインメント、iTMSに参加」
GOOD.
▼
「郊外の出店規制について。」
正直に言うと、地方の商店街には危機感が足りないと思います。郊外や他の街に住んでるお客さんから、自分たちがどう見られているか?責任ある立場の中高年の方は、もう少し考えた発言をしてもらいたい、と心から願ってしまいます。よく会合などで、平日の「夜6:30分から」なんて言われると、ノンキな私でも考えちゃいますね。「おいおい、美容院じゃ若い子たちが立って働いている時間じゃないか・・・ノンキだなあ」と。
特色の無い地方都市の衰退はもう避けられないと思う。
もっとも、東京で喜多方ラーメンのチェーン店を見ていて思うのだが、特色づくりに腐心しているところは生き残るのだろう。
都市に限らない話しではある。
▼
「asahi.com: 「ディグ」創設者、ケビン・ローズさん(29)に聞く」
だが、「社内で情報が流れない」ことを社会人としての常識として理解してないといけないとは、何て変な話だと、やっぱり思う。
くすくす。社会人の常識だったのか。確かに、会社外の人との間で情報が流れないことは当然として受け入れているわけだから。
期待されるイメージと現実とのギャップということだと思う。ならば、期待するイメージをつくりかえるのも手。
▼
「ブロガー言及集作成中」
essaさんが、面白いものを作ったみたい。ひとことエッセイみたいでエッセンスが詰まっている。
そこから、別館というところに飛んでみて、いかにもなモノを発見。
「造語癖」
珠玉の造語集(笑)。
「不登校、ニート、労働を巡る問題」の中には、こんなものも。
なんだ俺ら結局年金財源かよ
「なんだ俺ら結局年金財源かよ。あんたら、宝くじでも当たって財源確保できたら、俺らのことなんかどうでもいいんだろ。欲しいのは財源と労働力で、子供は本当はいらんのだろ」
昨夜のワールドビジネスサテライトに出ていた榊原とかいう人の居汚なさを思い出してしまった。
ヒトの一生というものには、労働やそこから搾り取る税金などとは関わりのない、「何か」があるということは、忘れないようにしたい。
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2005.12.21
▼
「「W-ZERO3」ファーストインプレッション」
うー。・・だんだん欲しくなってきた。いまのA5ノートも捨てがたいのだけど・・・。
PCとして使った場合のバッテリの持ちはどうなんだろう。昼休みにネット見てブログで雑記書いたら電話が通じなく・・なったりすると、やっぱり問題あるし。
▼
「ブログにスパムの悪夢再び 抜本的対策なく」
困ったことです。と呟いてみてもしかたがない。
トラフィックが集中するところ(人が大勢見るところ)にはつきものの悩み、なのだから、そうか、分散すればいいわけだ。メッセージはWinnyみたいなものを使って流す。誰が書いたかはDRMで管理。
・・それってIRC・・。
▼
「[06予算原案]「財政再建へのささやかな一歩」 」
コメントもろた。そうだ。インフレのときはカネを借りるが勝ちだったな。わっははっは(笑ってごまかす)。
そのコメントには、「長期固定金利で借りている人は」っていう隠れた前提があるはず。
ローン屋の甘言にのって、最初は固定低金利あとで変動高金利で借りた人が・・そんな人はいないと信じたいがもしいるとすれば・・・。
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2005.12.20
▼
このところの寒さで、ノートのバッテリが不調。朝、コーヒーを飲みながら何か書くことにしているのだが、蓋を開けて起動するといきなり、バッテリ残量低下の表示。そういえばバイクのバッテリーも冬は調子が悪い。長持ちもいいが、寒さでも問題ないものを開発してくらはい。>メーカーさま
▼
たまに大阪あたりへ出張に行ってみるといろいろ発見がある。今回の発見は電車の吊り広告にあった、イコカの新しいサービス、「こども用イコカ」。気が付けばあたりまえなのだが、スイカでこういう連想が、私はなぜか働かなかった。
さすが大阪。
ていうか、にぶいんちゃう?>自分
▼
日経本紙 「こうなる新税制 相続税、物納しやすく」
によれば、農地も物納の対象になるのだという。なるほど、その手があったか。
農地物納→競売→企業による落札。
というわけで、徐々にではあるが変わっていくわけだ。気の長い話しかもしれないが。
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KING KONG も理解した beautifull を理解しないニンゲンが多いらしい。
「みずほ証券によるジェイコム株の誤発注問題は「美しくない」」
つまりだな、個人投資家は持ち株しか出せないけど、大口プレーヤーならありもしない株がかんがん出せるという普通のシステムは変わらないということだ。
空売りはやっぱりおかしい。と素直に大声で言ってほしい。そうでないと、
私の感性では、証券会社というのは一義に株取引を適性に円滑に行うことで社会に寄与することであり、取引の儲けとはその株によって産業が興隆することにある。マネーゲームが美徳だと抜かす神経がわからん。
という感性が廃れる。
上下を問わず動きさえすればいいという感覚は、回転売買手数料時代のセンスから一歩も出ていない。もっとも、伝聞だが、最近はビジネススクールのアカウンティングでも似たようなことを教えているらしいから、世も末。
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2005.12.19
「まず所有があって、その後にコミュニケーションが生まれる」
メディアを使って宣伝する、じゃなくて、メディアを作って宣伝する、メディアそのものが宣伝、というふうに。街がメディアだし、宅配便だってメディア。
私はメディア関係者ではないけれど、自分が関わっているあるものを世の中に広めるには、既存の媒体を使って宣伝してもだめだろうという気がしている。
だから、そのもの自身をメディアにしてしまおうとぼんやり方向だけは考えているのだけど、鶏と卵なところがあって難しい。しかし、糸井さんの上の言葉を聞いて心強い。
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2005.12.18
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「ブログをまめにやってる人のことを「放電生活者」というようです。」
放電生活・・うまい。
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「ロシア・アムール川に有毒物質が到達・中国から」
アムール川はハバロフスク地方を中心に100万人以上が水源としている。事故発生後、同地方は活性炭による浄水装置を設置したが、汚染度合いによって有毒物質の除去が保証されない可能性が指摘されている。ハバロフスク地方は3日分の水を貯蔵、非常事態省は飲料水を確保するため、100近くの非常用の井戸を開放することを決めた。
日本人としては、これがオホーツク海に流れ込むのが気になる。
気になるどころか、はっきり言っていやだ。
当分の間、北の魚が食えなくなるのだろうか。
▼
「今日の頭音:「Presto Vivace」U.K. (Key=Bm?)」
iPodがネットに常時接続されるようになったとき、どんな変化がありうるだろうか。とりあえずカネゴンが思い付くのは、データも何もかもネットの上に追い払ってしまうだろうということ。
しまいにはヘッドホンすらその辺のどのジャックに挿してもよくなってしまい、単なる電子証明書と秘密鍵だけがぽつんとiPodに残されて電池すらいらなくなり、それがアップルのブランドの力で売れ続けてしまったりするだろうか。そして人々はゆりかごから墓場まで、たった1つの電池なしiPodを首からぶら下げて右往左往するようになるのだろうか【何が何だかおれカネゴン】。そこから先何も新しく作るものがなくなってしまったりするだろうか。
大丈夫。ネットの向こう側では創作活動が変わらずに続いています。
ああ。なんてMATRIXな世界。
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2005.12.17
「こちら」の記事に気になることが。
そういえば来年の中頃にiPodが無線対応になりそうです。
iPod家電計画といい、来年も奇抜なことをやらかしそうだな。
ちと対応が難しい時期。前倒しであれこれ考えるべきか。メモ。
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名作みごとに復活。素晴らしい。何か読んだりする前にまず観るのが吉。以下ネタバレ。
KONGの島へ着くまでが、ダレるかと思ったがとんでもない。映画製作にまつわるあれこれが上手に消化されて飽きさせない。島に着いてからは・・・これがすごい。観るべし。ニューヨークへ帰ってきてからは、尺は短く中身は濃い。最後はキングコングの筋書き通り黄金パターンでEND。
この話しは美女と野獣の悲恋、それに加えて文明社会の身勝手さへの批判、というのが一般的な解釈だと思うけど、私はむしろ、孤独の中で生き長らえるよりは、他者との共感や理解の中で死ぬことを選ぶ、われわれ社会的動物のことを描いた、という風に観た。
自分の強さを褒めてくれる他人がほしいとか、言葉やしぐさを交わす友達がほしいとか、何かを守る生きがいがほしいとか、それからもちろん、美しいものは大切だとか、そういう強い気持ちを、この映画はコングを通してよく表現したと思う。
映像のすごさと共に、わかりやすい骨太のメッセージがあったことで、これは超一級の娯楽映画になった。
欲を言えば、島の現地人の位置づけに工夫があってもよかったが、そこは軽くスルーして、もっと見せたい映像があったということでOKだろう。
ナオミ・ワッツは、コングと最初の意思のやりとりを演じる場面で、元コメディ俳優という役柄を、表情も含めて演じ切ったと思う。わがままな観客を思わせるコングの反応にも笑えた。
この2人に比べれば他は脇役だから多少控えめではあるが、それぞれの持ち味を十分発揮していたと思う。
それにつけても思うのはゴリラのことだ。絶滅危惧種だったろうか。わしらは架空のキングコングだけでなくて、現実のゴリラをも、死に追いやっているわけなのだよなあ。
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「ブログの住民たちはどちらが素顔か?」
ひょっとして、ブログの顔のほうが本当の素顔で、職場とか、実名で暮らしている世界のほうで仮面の人格を演じていらっしゃるのかもしれません。(いや失礼しました。)それよりは、どちらが本当の素顔なのかと問題をたてるほうが不自然で野暮なのでしょう。
確かに、実名世界では仮面を被らないとやっていけないところがあります。
仮面によって、行為と責任の交換市場に参加するインターフェースを形成するとでも言えばいいでしょうか。
それに比べて、ネット上の仮想空間にはその拘束がない、もしくは弱いために、それとは異なる仮面を使うことができるのだろうと思います。
その、ネットで採用できる仮面には、真実に近づくものもあれば、真実から遠ざかるものもある、ということではないかと。
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今週もいろいろコメントを記録しておきたいことがあったのだが、いかんせん忙しい。もう少し、仕事を効率的にやりたいものだが。足を引っ張られることもあり。自分の能力不足もあり。
2~3日前の日経本紙大機小機だったろうか、株価50円割れ企業の復活をとりあげて、この15年のどたばたを振り返った記事があった。中で、DCFで未来を予測できるかのような幻想に振り回されることへの疑義があった。確かに、割引率算出方法については、私も胡散臭いものを感じないわけではない。
ああいうものは、むしろ、予測不可能な将来に向けた厚みと目の前の実利とのバランスをとるための方法論を与えてくれるものだと思うのがいいのだろう。実利と厚みのバランスを割引率という指標に集約して、評価を割り出す手順を効率化してくれる。
その結果、ぼんやり考えているときよりもはるかに多くの企業のケースについて、機械的にあたりをつけることができ、企業間の比較を同じ指標で行うことができる、ということなのだ。たぶん。
それをあたかも、その企業の将来の時価総額が、計算によって割り出せるような錯覚を振りまいてしまうところが、精緻を装う計算方法の罪作りなところだ。勘違いするほうも悪いとはいえ(笑)。
未来を絶対値で予測することはできない。
ただ、現在時点の似たものどうしを相対評価することができるだけだ。
指標というものはすべからく、そんな風に捉えるのがよいと思った。
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2005.12.15
帰ってくるなりTVをつけたら、丁度NHKの「ニュース10」をやっていた。構造計算書偽装事件で、問題の建設会社が工事した物件で、例の建築士が関わっていない建物の中にも、鉄筋量が異常に少ないものがある点を取り上げていた。そのニュースの最後にキャスターが言った言葉が、いつもらしくない言い回しだった。
「国土交通省は、姉歯建築士が関わった物件以外についても、調査する必要があります。」
「必要があるとの意見が増えそうです。」とかではない。きっぱりと「必要があります。」だ。
拍手。
この話し、まだまだ尾を引きそう。
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2005.12.10
勘違いの日本趣味を見せられるだろうかとあまり期待せずに行ったのだけど、嬉しい誤算。心に沁みるところがある映画でした。筋書きもさりながら、構成のバランスに不思議と品のよさが感じられる。ハリウッドもこういう映画が作れるんだ。といってもスピルバーグだから、これくらいは当然か。以下ネタバレあります。
この映画は、芸者というものが一種の職能だったということを教えてくれる。この頃世間を騒がせている建築士などと同様、特殊な技能をもって社会に価値を提供する人々だ。だから、売春をテーマに下層社会の情念を描く種類の映画とは違う。
ただ、その職能が、人の情念に触れる領域に近いために、大工などの職人とは違って、職能人の人生に微妙な陰影を落とすのだ。
主人公の千代は、その職能の部分を、都で一番の芸者さゆりの名前で毅然として全うしながら、千代としての人生までも飲み込まれないように生きた。この映画は、その二重の在り様を、さゆりに惹かれる2人の男に象徴させて描いている。
お話しは、置屋の日常や商売敵との競争、華やかな芸者の演技などを絡めながら進み、飽きる暇がない。特に、さゆりが主演する劇中劇は、映画と演劇を混ぜ合わせたような、迫力あるシーンに撮れている。芸者というものが、実際にもあんな劇を演じるのかどうかは知らないが、ここだけでも観る価値はある。チャン・ツィイー、お見事。
ツィイーのほかにも、アジアの俳優が参集する配役はなかなかよかった。再婚が決まった渡辺謙は存在感あり。豆葉役のミシェル・ヨーはマレーシア人だけど、まるで日本人に見える。中国人のコン・リーも同様。そしてやっぱり役所広司、桃井かおりがいるおかげで、これが「日本の映画」に見えてくるのがすばらしい。スピルバーグの慧眼なのか、ロブ・マーシャル監督の腕なのか。
さゆりと2人の男との関わりが、結局どのように決着するか、それは観てのお楽しみだ。劇場は比較的空いていたけど、観て損はない映画だと思う。
[追記]
そうそう、花街の都市計画的視点からの解説が、こちらにあります。
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「生き延びる力」
それはどんな場合でも、とりわけ危機的状況であればあるほど、「他者からの支援」をとりつける能力の有無が生き延びる可能性に深く関与するということである。
他者からの支援をとりつけるための最良のアプローチは何か?
たぶん、ほとんどのひとは驚かれるだろうけれど、それは「ディセンシー」である。
「強い個体」とは「礼儀正しい個体」である。
職場や職業を何度も変わっていると、これは肌で分かる。いままで意識することはなかったけれど、親から躾けてもらったあれこれが、振り返ってみればありがたい。
思うに、礼儀正しいということは、相手と浅く関わりますということの表明だろう。「礼儀」というコードを守ることによって、関わりもまた形式に則ったものになる。
これは、援助を求められた相手にとっては大きな安心となる。見ず知らずの人間に援助を与えようというからには、最初は浅い付き合いに止めておいて、だめだと思ったら関係を切ればよい。それには浅い関係にとどまっておくに越したことはない。
そういえば、転職にあたっては「弱い靱帯の力」が有効であるという話しを聞いたことがある。これなども同じような理屈に基づいているのかもしれない。
今の日本社会において、転職できる能力は「離脱可能な自由」を生み出す。だめな組織から離脱できることは、それだけ生き延びる力が強いということでもあるのだ。
もちろん、そのために手に入らないあれこれもあるわけだが、そこは単に「使い分け」の問題(笑)。
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2005.12.09
「ウィルコム、VGA液晶のWindows Mobile端末を投入──W-SIM対応の「W-ZERO3」」
一応、iPod5Gの競合はこのあたりか。
しかし、どうも中途半端の感じは否めない。
ガジェット好きのおたくには受けるかもしれないが、一般にはどうだろう。
キーボードは、古の名機HP2000(だったっけ?)よりさらに小さい。完全におまけ。スタイラスは当然だけど、日本語入力はどうするんだろう。
一応電話機能もあるわけだけど、携帯電話としてはいかにもでかい。
というわけで、あれこれ盛り込もうとして、どの機能も半端になりそうな予感。
こういうパターンは以前も繰り返されてたような気が。
やっぱり電話とパソコンの機能は、そう簡単にはひとつにならないのじゃないだろうか。
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「300回目のレトリック。あるいはblogのオワリ」
こんなことを書くのは、『ブログ普及委員会』の発足したことを聞いて、はじめて「あーブログ終わったわ」と感じたから。
真っ白に降り積もった雪の上に、真新しい足跡を付ける気分は、確かにもう終わったと思う。それを契機にブログを閉じる人もいて、残念にも思う。SOUL for SALE さんとか。
「「SOUL for SALE」その他ブログ閉鎖のお知らせ」
学術関係者のブログが増えたことで、私自身にとって、ネットの言説と共軛的な関係を保つことの意義が、相対的に失われたことに主たる動機があります。
しかし裏返せば、「学術関係者のブログが増えた」とあるように、これからも、探せばいい文章や考えに出会える時代が続くということでもあるだろう。
なにより、ネットというものが既に、early adaptor の手を離れつつあるということだから、これは素直に喜ぶべきことかもしれない。
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2005.12.08
「未来の未知性について」
当然ながら、100種類の願望を抱いていた人間は、1種類の願望しか抱いていない人間よりも、「願望達成比率」が100倍高い。
おおかたの人は誤解しているが、願望達成の可能性は、本質的なところでは努力とも才能とも幸運とも関係がなく、自分の未来についての開放度の関数なのである。
「願望」のかわりに「幸福」を置いてみてもいいかも。こんな感じ。
幸福達成の可能性は、本質的なところでは努力とも才能とも幸運とも関係がなく、自分の未来についての開放度の関数なのである。
いわしの頭も信心から。
※もちろん、願望達成に向けたパワーが100に分散してよいという話しではなくて、ひとつの願望に集中しながらも、別の願望も常にありうると思っているもう1人の自分を持て、ということだろう。
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2005.12.05
まだ観ていない映画のことを書くのははじめてだけど、観たいので書く。
公式サイトにビデオクリップが「これでもか」というくらい載ってるのだけど、これがすんごい。
古い言葉で「サイバーパンク」というのがあったけど、それ風(電脳空間はおまけ)。クリップだけ見た限りでは、MATRIXよりすごいかも。
48カ国で公開日程が決まっているのに、どうしてJAPANはTBAなんだ。
はやく公開してください。
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2005.12.04
エンドロールのメイキングを入れて1本の映画といってもいい、スタントアクション映画。
お話しは・・・熱い熱すぎる。
熱すぎて目を背けたくなるというか、高度成長を終えてこれから少子高齢化に向かうわしら日本人にとっては、赤面するような落ち着きの悪さがある。
それはそうと、やられ役にはそれを観る人たちが忌み嫌うイメージの公約数が反映しているものだけど、この映画の悪役は中国共産党の人民軍のような服が多かったような。旧日本陸軍みたいなのも1人いたかな。
そんなところに、ふーんと思った。
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「レヴィナスの時間」
同-時的(syn-chroniquement)に異なる空間に展開する「他我」が「私」の主体性を基礎づけているように、離―時的(dia-chroniquement)に異なる時間に展開する「他者」もまた「私」の主体性を共同主観的に構成している。
しかし、私たちは共同主観性というものを空間的以外の仕方で表象する知的訓練を受けていない。
これ、重要な気がするのでメモ。でも半分しかわからない。
確か以前の内田先生のエントリで、孔先生は周という国を(半ばでっち上げではあるけど)お手本にしたことを書いていたと思ったけど、それと同じ感じかな。
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「奈良先端大、講義ビデオのPodcast配信を開始」
日本でも始まったようだ。メモ。
Podcastの利用により、アーカイブに新しい講義ビデオが追加されたことを学生に通知できるようになった。また、第5世代の動画再生に対応した iPodを利用することで、講義ビデオを持ち歩くことも可能となり、場所を問わず授業の復習などを行なうことができる。90分の授業は約300MB強のファイルになる。
30GのiPodなら、100コマ収録可能。
砂原教授は、今後の課題として「iPodの小さい画面で見ることを想定した上で、見やすい講義ビデオを制作するノウハウの蓄積や、授業後速やかなデジタル化手順の確立」を挙げた。
このノウハウはiPod以外の機器に時代が移り変わっても使える。
「実験サービスとはいえ、一カ月強で登場したことは、Podcastが標準技術の組み合わせでできあがっていることの証明でもある」(砂原教授)という。 iPod以外の動画再生端末への対応も検討したいとしているが、そのためには「Podcastのような基盤整備がまず課題となる」としている。
相変わらす古い感覚で、ユーザーを自社デバイスに囲い込もうとするあまり出遅れが顕わになりつつある1.0な企業、例えばS○NYやSO○Yや○ONYなんかの担当者はよく読んでほしい。(いや、がんばってほしいのよ。2.0的に)。囲い込みはFelicaのレイヤでやればよろし。
こちら経由で知る。
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倦怠期の夫婦が、犬も喰わないやつをやった後、雨降って地固まるというお話し。それだけであんまりどろどろした深みはないから気楽に観られる。ハリウッド映画らしく、非現実的な量の火薬と銃と在りそうにないハッキングが出てくるのはいつものとおり。
はっとするようなカッコいいシーンがひとつ。始まって暫くして、Mrs.スミスが暗殺現場のビルの高層階から逃走するところ。草薙素子さんですかあなたは。
それに比べてやられ役の「組織」の皆さんの情けないこと。ここまで撃たれ役に徹しているのも珍しい。犬も食わないやつに口を出してぼろぼろにされるお隣さんといったところか。
それ以外は特に印象には残らなかった。観ても観なくてもどっちでもいい映画、といったところ。
そうそう、例の海賊版撲滅キャンペーンのフィルムは、今回流れなかった。期間終了なのかな?
ともあれ嬉しい。
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2005.12.03
やれやれ忙しい一週間だった。年末まではずっとこれが続きそう。
その間、世の中はなんだか騒がしいらしい。
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「RSSハイジャックが近く出現する? ポッドキャストも危うくなるかも」
放送局を乗っ取るのと同じくらい犯罪的。
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「非弁活動」
示談というのは、当事者が合意すればいいのだから、それを仲介するのに特別な資格がないとできないとは思えない。もちろん訴訟になったときは、弁護士が必要だろうが、法廷外の解決にはもっと門戸を広げたほうがいいのではないか。
なるほど。それはまあそうです。
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「耐震強度偽装問題に「現実主義」への原理主義的狂信を見る」
世の中は金と権力だけで回っているわけではない。金と権力が現実であるのと同等に、愛と理想も現実であり、愛も金と同様に人を動かす力を持っているのだが、なぜか「現実主義者」たちは、そのような現実に目をふさぎ、自分の人生を犠牲にして、金の為だけに尽そうとする。
ウェーバーのように、両方が存在する現実に直面して、その相克に悩むのが、本来の意味で現実的な対応だと思う。
そうなんだ。ウェーバーっていう人はまともだな。
でも、現実主義者はたぶん、自分の人生を犠牲にしているわけじゃない。
そうではなくて、それが彼らの人生そのものなのじゃないかと思う。
そういうのも含めて、いろんな人がいる、ということかな。
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