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September 2005

2005.09.30

アスベスト対応の遅れ

朝、NHKのニュースを見ていたら、日本政府によるアスベスト禁止施策が、EUに比べて7年も遅れていたということが取り上げられていた。厚生労働省の発表による。

仕事関係でしばらく前からアスベストの情報を集めているのだけど、日本政府の過去の対応遅れ(または不作為)はいやでも目に付く。マスコミは不思議と取り上げないなあと思っていたが、そんなものなんだろうか。

つつかれる前に素早く発表した厚労省の対応はうまい。
というか、この話しをマスコミが大きく取り上げないように手を回してタイミングを計っていたのかな。

いずれにせよ、過去の話よりこれからの対応が問題。焦点は除去と保障の費用。

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2005.09.29

仕事の報酬は次の仕事

三洋電機のリストラがニュースになっていた。その中身については賛否あるようだけど、私は特に意見はない。

三洋の会長はいま、野中さんが務めているが、彼女が昔、キャスター時代だったろうか、何かのインタビューに答えて、いいことを言ったことがある。

-質問
「あなたにとって、仕事の報酬って何ですか?」
-答え
「仕事の報酬は・・・次の仕事ですね。」
私はこの言葉が気に入って、時々思い出しては反芻している。


ところで、今走っているいくつかのプロジェクトの中で、気になることがある。外部の業者を使ってあるものを作っているのだが、その出来があまりよくない。スケジュールぎりぎりのところへ来ても品質が向上しないので、やむなく私が自分で手を入れたりしている。

その業者への支払いは、なるほどあまり高いとはいえない。むしろ、相場からすれば、この金額ではできの悪さも仕方がないかとも言える。

だが。
そこで私は冒頭の言葉を思い出す。

仕事の報酬が金額だと思うならば、この報酬にはこの程度の仕事と割り切ることができるのだろう。それをプロだと言う人もいる。しかし、仕事の報酬が次の仕事と思い定めている人ならどうだろうか。金額の多寡に関わらず最善の仕事を心掛けるのではないか。それが次の仕事へとつながっていくと考えるものではないか。

自営業をやっていれば、金銭にうるさくなるのは当然だ。私はそれを否定はしない。けれども、自分の分身とも言える仕事の成果を、金銭ごときものと引き比べて出力を調節してしまうようでは、次の仕事の確保さえ覚束ないのではないか。


と、他人の批判をまずしてみる。
次に、自分を振り返って、その批判をそっくり当てはめてみる。
最近軽くやばいことがわかる。(笑)


私のような平凡な人間は、自分を正面から批判などしようとすれば、たちまち自己保存のホンノウが働いて批判を抑制してしまうので、こうやって、自分を騙しながらチェックするとよいのだ。

あ。また騙したなムキーッ(笑)。

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2005.09.28

ネットメディアのポジション

ちょっと遅めだけど、重要だと思うので書いておきたい。

選挙という格好の素材があったおかげで、既存のマスメディアと、ブログをはじめとするネット上のメディアの比較があちこちで行われているらしい。

私が読んでいるあれこれを見る限りでは、どちらかというとネット上のメディアは既存メディアに十分対抗するには到らなかったという意見が多いようだ。

私はそれを否定はしないけれど、しかし、ネットメディアには十分意味があった(ある)と思っている。それは、多様な意見を生で聞けたということだ。

マスメディアには、これからも毎日大量の情報を流し続けてもらいたい。ネットメディアのような個々人に立脚したメディアが、その真似をすることはないだろう。
その代わりにネットメディアは、マスメディアが取り上げたテーマについて、生で多様な意見を流通させる場になるはずだ。また同時に、マスメディアが取り上げないテーマについての意見を聞ける場にもなるだろう。

そういうわけで、ネットがマスメディアに対抗できないという見方をとって悲観する必要はまったくない。役割が違うものなのだから。

[追記]
よくわからないのは、既存メディアがネットを飲み込もうとする動きだ。なにか自己矛盾しているような。
あ。ネットを無力化しようということなのかな。「マス」メディアに変容させることで。

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2005.09.27

雑記050927


SUICAジュース自動販売機と硬貨流通量

逆に言えば、KIOSKほど慌ただしい場所でオペレーションがスムースに回るようであれば、自販機はもとより、ほとんどの場所で電子マネーが使えるはずかと思います。
そうか。だからNewDaysを増やしているのかな。従来型のKIOSKでSUICA決済なんて悪夢だし。


IT上級者の会話は意味不明……「もっと易しく話して」とのリクエスト多

まるでIT上級者が見知らぬ外国語でも話しているように感じたことがあるとの回答は56%、使われたIT専門用語を理解できずに困っていることを、会話中のITスタッフは気づいてすらいないようだったとの回答は40%に達したという。

今回の調査では、「帯域」「HTML」「ホスト名」「エイリアス」「IPアドレス」が、難解なIT専門用語のトップ5に挙げられたようだ。また、約7割の回答者が、自分のよく知っている例に置き換えて、もっとわかりやすい説明を行ってほしいと望んでいることが明らかにされており、・・・

「自分のよく知っている例に置き換えて」・・・"HTML"は無理だと思う。

それより、これがトップ5ということは、その「IT上級者」はずいぶん回答者に気を使いながら話してくれたのじゃないかと推察。
違う世界の住人間のコミュニケーションはかくも困難であるというお話し(笑)。

いや、他山の石か。

こちら経由で知る。


ネタナシ

関係ないが、はてなの関心にキーンな層が学生化している感じがする。
就職試験に出るんだろうか。
そのうち、就職試験出題率で朝日新聞とせりあうようになれば、プロ野球に続いてネットの社会化のいい例(笑)になるのだけど。

うっ時間が無い。

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2005.09.26

iPODnanoゲト

おそまきながら銀座のアップルストアでiPODnanoを買った。
2Gで十分なのに、4Gが店頭にあれば必ず買ってしまう自分だから、4Gだけが売り切れる頃合を計っていたのだ。という屁理屈を考えてみたがどうだろう?(笑)。

正直なところ、4Gが売り切れていてよかった。7000円の差というと映画が6本くらい見られるわけだし。USBディスクとしても、256Kのスティックで十分用は足りているから2Gで困ることはあるまい。
とりあえずピアノ曲のCDを何枚か入れてみる。ご機嫌。

USBを繋いだままイヤホンで聞くとノイズが入る。これを初期不良と言って交換するか、まあそんなもんでしょと言って放置するか、悩む。

ともあれ、月末のオフィスの引越しもこれで退屈せずに済みそうだ。
もうちょっとしたら画像とか音声とかも入れてみよう。

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2005.09.25

キーレバー

ストリンガーさん、終わったかも…

傾きかけた会社なんて多かれ少なかれ縄張り争いと既得権益死守の両方で幹部同士がいがみ合ってるんだから、そのぐちゃぐちゃのどこを「象徴」のボタンとして最初に押すかというのを、慎重に見極めてやらなきゃダメ。
そのままいただいてメモにしよう。
目の前にうまく当てはまるケースがあるので(笑)。

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NANA

いい映画を観た。もっと早く観ればよかった。
ボーイッシュだけど繊細なナナと、きゃぴきゃぴ自己中だが人を和ませるナナのうまいコンビ。話しの展開がうまい。台詞まわしがいい。このあたりはきっと原作がいいのだろうな。少女漫画侮れん。以下ネタバレあり。
 
 
私は首都圏で生まれ育って、地方で生活したことがない。(横浜は大きな田舎ではあるのだけど)。だから、地方から上京してきて、それでも地方時代の人の縁を失わずに、都会でたくましく泣き笑いしながら成長する話しというのは、本当のところではたぶんわからない。

そういう都会育ちの子供たちは、いまや千万の単位でいるだろう。そういう人たちには、こういう映画はぐっとくるものがあるのではないか。それともくさい芝居と思うだろうか。私はいいなあと思った。少し羨ましい。

自分にはボーイッシュなナナが持っているような繊細で深い情動は無いなと思う。男と女の違いを勘違いしているかもしれないが、やはり都市と地方の違いと思いたい。

例えば、成功したレンを訪ねていったナナが、自分の力で生きていこうと思うと言ったあと「でも、もし年をとって歌うのにも疲れたら、あそこ(レンの原点の倉庫のアトリエ)に(自分も)戻ってもいいか」と聞く場面がある。そういう、帰るべき「原点」や「故郷」は、いまの都会育ちのわれわれが失ったものなのじゃないか。

都市と地方、男と女、アーティストとパンピー、いろいろな違いが微妙に入り混じって、うまく奥行きを出しているのが、この映画の良さだと思う。

後でよく考えると、ありがちな類型なのだが、構成も演出もオーソドックスでありながら巧みで、うまくのせられる。完成度の高い映画とはこういうのを言うのだろう。

いろいろ書いているうちに原作漫画を読みたくなった。明日は休みだな・・・
 
 
そうそう、ナナ役の中島美嘉の歌は紅白に出るほどの本職だけあって圧巻。これも嬉しいことのひとつ。レイラ役の伊藤由奈の歌もよかった。

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2005.09.24

雑記050924


雨でみなさん遠出を諦めたのだろうか、映画館はすごい行列。
昨日はファンタスティック・フォー、今日はNANAを見に来た私だが、「ルパン、頭文字D、シンデレラマンは全席売り切れ」などというアナウンスの絶叫を聞いて動揺。うーむ。世間の趣味は私と違うのか。


「そのファンタスティック・フォー」だが、頭からっぽにして見るにはよかった。たまにそういう空っぽな時間は必要だ。でも2があってもたぶん見ない。
そういえば、X-Menの続編は無いのかなあ。ウルヴァリンとストームとローグをまた見たいな。


「スターバックス ディスカバリーズ コンビニで! 9.27登場」というチラシを見かけた。値段が書いてないのだがいくらで売るんだろう。まさか300円・・どうだろうな。

コンビニも差別化や話題性が欲しい時期だろうけど、メーカーに対して棚の価値を売ってきた路線から大きくは踏み出せないだろう。スタバのようなブランドものにその路線の原則を当てはめようとすると、売れないときの対処が難しい。調査結果どおりにいくといいのだけど。


ハイテク刺青「Dermal Display」
さっそく娘の背中に宝物を埋めた場所の地図を書き込む人がいそう・・なんだ、まだ概念だけか。


寄付でなく、ホワイトバンド貧困救済効果は“まっ白”
物議を醸しているみたいだけど、こういうことを通じて、ものごとを進めていくには何が必要か、多くの人が学んでいくんだなと思う。

それについて、古川さんがいいことを書いてた記憶があるのだけど、バックナンバーが見られない。。。! FIREFOXだからだ。と気づくのに10分かかった。
気を取り直してIEで開く。
ホワイトバンドの流行について、思うこと


ところでその古川さんが、「言いまつがい」に絡んでまたまた面白い楽屋ネタを披露してくれています。音声認識ソフトのデモのリハーサルでのお話し。

もう夜明け近くで空も白み始めていたころ原稿の読み上げではなく、デモのリハーサルを始めたときに私はマイクに向かって「Windows XP」と喋ったところ、画面には

運動セックスP(ピィー)

と認識結果が文字で表示され眠気も吹き飛び、気絶しそうになってしまいました。最後のPは放送禁止用語を隠すPって音かな?

もしこの文字が私のプレゼン途中で会場の巨大なスクリーンに表示されていたら、きっと私の人生はその時点で終わっていたかもしれない、と思いました。それ以降、私は音声認識のデモを人前でしていません。

自社のお茶目な製品に人生終わらせられなくてほんとに良かったですね(笑)。


人生終わるといえば、これ
まさしくテロ(笑)。

こういうのを読むと、「メゾン・ド・ヒミコ」じゃないが、「ヲタのためのホーム」というものがいずれ出現しそうな気もするのだが、どうでしょうか。引き取られるときには、ヲタであることをひた隠しにする、と(笑)。

こちら経由で知る。

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製品には作り手の日常が滲み出る

「トヨタ、最高益でも倹約令」 日経本紙から

海外で儲かってはいても、国内はそうでもないということなんだろうか。慢心を許さない姿勢は見上げたものだと思う。思うのだが、気になることもあり、あえて書いておきたい。

トヨタは国内でのレクサスブランド確立に向けて動き出したところだろう。その顧客はビジネスクラスなんか使っているのだろうか。最低でもファーストクラスなのではないか。あるいは、少なくともそう思われたいのではないか。

今度の倹約令で、トヨタは常務クラスでもビジネスクラスを使うことになるという記事が本当であれば、レクサスを買う客は、そのクラスの客だということを自ら示すことにならないか。

大きな企業だから引き締めは常に必要なのだろうとは思うのだけど、どうもタイミングがあまりよくない気がする。


もっとも、倹約令には「原則として」の一言があるらしいから、レクサス関連部署は例外扱いにして、顧客にはそれを個別にアピールする気かもしれないが。
「レクサク関係者に限って、ビジネスクラスなど使う者はおりません。ご安心ください(笑)。」

規模の大きい企業で特徴あることをするのは、ほんとに難しい。

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2005.09.23

アサマシさへの対処

P2Pに関わるアサマシ系のジレンマ

WEBとP2Pの違いは、アサマしさの程度ですね。WEB上の各種サービスはタダに見えても、実はユーザを広告や買い物に手練手管で誘導していくアサマしさがあります。P2Pは管理しづらくアサマシ系と相性が悪い。P2Pに移行するには、アサマしさを捨てなければいけない。

それができないから、GoogleやYahooは、P2Pに移行できないという制約があるのですが、eBayにはそれがない。だから、時代の針を進めることが自社の利益につながる。

確かにそうだなとは思うのだけど、その考え1本でいくと、最も効率よく儲けられるビジネスは金融業というありきたりの結論の、その周辺にたどり着いてしまうような気がする。

この線に沿う意味でいいことを、コメントも書いている。

『伽藍とバザール』で引用されていた
「完成」(デザイン上の)とは、付け加えるものが何もなくなったとき
ではなく、むしろなにも取り去るものがなくなったとき。
を思い出しました。

 
 

けれども、うまい立場に立つ企業だけで世の中が回っていくはずがはない。そこがこの種の要領よさを競う話しの難点だ。

私はむしろ「人はパンのみに生くるにあらず」の方を思い出す。
アサマシさを他につけまわしすることで自らのアサマシさをスマートに拭い去るのか、それとも、アサマシさが生き物にとって必要なことを知った上で、それに対処する方法を泥臭く(笑)考えるのか。
 
 
好みの問題かな(笑)。

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2005.09.22

iPODnanoはどこへ消えた

このところ私が悩んでいること…

「iPod nanoを買うべきかどうか?」は悩むべき問題かどうか?
miniを買ったばかりの人には辛かろ。

その前にそもそも「売り切れだヨー!」
秋葉だけでなく厚木や小田原でも確かめた私が言うのだから間違いない(泣)。

あいかわらずだなあ。APPLE。(号泣)


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選挙情勢分析ギワク(笑)

surveyMLで、選挙報道についての議論があった。その中の少し気になる部分をメモ

http://www.h-yamaguchi.net/2005/09/post_413d.html

英文は山口さんが紹介してた記事から部分的に抜粋。(拙訳は萩原)

> One participant, who is well acquainted with newspaper editors,
> said that the newspapers intentionally reported the conservative
> forecasts because if they report the most likely results, it
> would surprise the readers greatly and might influence their
> voting behaviors.

(....とある会合で新聞の編集局と親しいある参加者が、今回複数の新聞社で、世論調査結果をそのまま記事にすると読者を驚かせ投票行動に影響を与えてしまうことを恐れて、控えめな(conservative)予測を意図的に(intentionally) 報道したのだと話した。)

> Needless to say, the most likely outcome would be a land-slide
> victory for the LDP. In a sense, the opinion polls made a correct
> prediction.

(自民党の地滑り的勝利の可能性が高いことは明らかであり、実は世論調査は実は正確に予測(correct prediction)していたといえる。)


生の世論調査結果を「政治部や取材網の感触で修正して報道」するのと「世論に影響を与えないよう結果に手を加えて報道」するのでは、意味合いがぜんぜん違いますよね。後者は世論操作って言わないんでしょうか。

確かにあの時点で圧勝が報じられたら行動は変わった気もしますが...

二つの証言が事実かどうかはまだわかりません。でも、本当に世論調査が今回の自民党圧勝を当てていたのなら、世論調査としては名誉なことです。でも生データは決して表には出てこないでしょうし、ここで「外れた理由」をああだこうだと検証するのは的外れだったわけだ。

surveymlでは、いつも選挙後に、マスコミ各社の情勢分析の当たりはずれが議論の的になるのだけど、そもそも発表された情勢分析が恣意的なものだったという可能性が議論されている。

頭の隅に入れておいてもいいかも。
人の話を聞かないという悪癖を有する私にはそもそも関係ないといえばそうなのだけど(笑)。

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2005.09.20

僕のアキバを返して(笑)

昨日のことだけど、アキバへ久しぶりに行ってきた。行ってみてびっくり。ずいぶん再開発されちゃったなおまえ。という感じ。美容整形で別人になったというか(笑)・・
岩本町方面と電気街方面がつながって行き来がしやすくなったのがいい。おお、あんなところにワシントンホテルが見える、とか、やや、書泉ブックタワーってあんな方角だったのか、とか、新鮮な驚きがあった。ずいぶん人の流れも変わりそうだ。

アキバの変遷をごく大雑把に、ラジオ→マイコン→パソコン→ゲーム→萌え、とすると、私はマイコン~パソコンあたりしか知らないのだけど、今度の大改造はこれまでの街のありかたを吹っ飛ばすくらいのインパクトがあるかもしれない。

ヨドバシが子供向けフロアや書籍、レストランなどを取り込むのは、川崎ルフロンで既に見ているから、目新しくはない。むしろ、赤ちゃん本舗とか無印良品とか、いろいろな専門店が入っているルフロンに比べると、いかに巨艦店とはいえヨドバシ単館では量販店ぽさを払拭することはできないようだ。
もちろん、アキバが一気に家族連れやビジネス向きの街になるわけではないだろうから、アキバヨドバシの方向はあれでいいのだとは思うけど。

以前、知り合いが「アキバはボクの生活に必要なものが、服から鞄から含めて一通り揃うのがいいんだ」と力説していた。私は内心(あれまあ、だからヲタク風のファッションから抜け出せないんだな)などと失礼にも思ったりしたけど、ヨドバシ7階にはなんとスーツ売り場もあるから、アキバ人の需要も一応満たすのかもしれない(笑)。

新しい客層と古くからのそれが交じり合って、また新しい理解と共感が生まれる・・よりはむしろ憎悪と反発が生まれるのかもしれないな。

アキバの新しい顔は、ヲタクと普通の人の接点に光と影を投げかけているようだ。

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2005.09.19

チャーリーとチョコレート工場

痛快で後味さっぱりのファンタジー。以下ネタバレありすぎ。

まず町の軸線上の一等地に立つわざとらしく傾いだぼろ家がファンシー。
次に、チョコレート工場のオーナー、ウィリー・ウォンカの変人ぶりがファンキー。
そして最後に、末永くみんなで幸せに暮らしましたのオチがファンタスティック。

いけすかないお子様たちとこの親にしてこの子ありと思わせる親たちのキャラづくりに、嫌悪感を掻き立てられてうずうず。そやつらがひどい目に会うのを見てうっとり。
という、とても良くできたお話しの展開。つい嵌められます。

が。このお話しの良さはそんなところだけにあるのではない。

一番良いと思ったのは、実は始まって間もないシーン。拾ったお金で見事ゴールドチケットを引き当てたチャーリー少年が、工場見学に行って来いという家族を前に、「これ高く買う人がいるはずだ。家にはお金がいるんでしょ。」といじらしくも言ったときの、じいちゃんの骨のある言葉が鮮やか。

「お金というものは毎日山ほど刷られている。それに引き換えこのチケットは世界にたったの5枚しかない。見学に行って来い。」

これいい台詞だなあ。やせ我慢という言葉はこういうときのためにあるんだ。偉いぞじいちゃん。よくぞ言った。

というわけで、最初にがつんと爽快な気分になって、後は素直に勧善懲悪を楽しめばいいようにできています。この展開はうまい。

さて、おわりの方にも見せ場はある。ウォンカ親子の和解なんだけど、これは映画的にはややしっくりこない。少しわざとらしいのだ。原作にはないらしいから、少し冒険だったか。

しかし、難しいことは抜きにして、このウォンカ(父)役がク、クリストファー・リーですよ。ジョニー・デップとクリストファー・リーが、和解する親子を演じるですよ。
うははは。お互い腹の中では舌をだしているに違いない。うへぇ(笑)。

そこに仲を取り持つフレディ・ハイモア君の爽やかな笑顔が絡んで、ここは近頃稀に見る怪場面となっております。

出だしの金言、中間の勧善懲悪、おしまいの怪場面と、まさに見所満載。
必見と言ってよいでしょう(笑)。

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雑記050919


一昨日、昨日、は丹沢の山中で月を見ていた。いい月だった。
森の中で見る月はlunaticなんだけど、街に戻ってからみると、ただの大きな電球なんだ。
光があふれてるからかな。それともデムパが飛び交っているから?


山中湖水深15m。そういえばここの遊覧船には乗っていなかった。乗ってみる。湖面はプランクトンの緑色。
水上スキーの水しぶき。頭上にはライトプレーン。お気楽な観光地気分がよい。
水面から見る湖岸は比較的うまく修景されている。河口湖のむきだしのあれとはかなり違う。
大学の寮などが多いのも影響してるのだろうか。


「心を入れて演技すると、逆に伝わらない」(イッセー尾形)

本音を押さえた方が生き易いのはわかってはいるのだけど。


民放番組のネット配信

テレビの側からインターネットを取り込もうとする動きも出てきた。インターネットをよく知らないまま恐れていたテレビ局が、ようやく「通信と放送の融合」のメリットに気づいた・・・のであればいいが。
メリットとデメリットを秤にかけているのは当然として、潰せないなら取り込もうということは言えそう。コンテンツも資金もあるのだから、中堅以下のネット企業に対してはそれが可能。
ソフトバンクとなると・・取り込むというのは少し違うのかもしれない。というか、本当かな。通信が出自の大きな企業とはやらないんだろうか。


渓流沿いの急斜面を登ったり降りたりしたせいで、腿が少し痛い。
今日は秋葉へヨドバシでも見に行こうかな。

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2005.09.17

弱者と自由

どうも衆院選の結果を受けて、多少バランスを取ろうというエントリが増えているような気がする。

勝者の非情・弱者の瀰漫

私は一応弱者の部類に入ると思う。経済的にも政治的にもそうだ。ほかの面でもそうかもしれない。精神的に、とか。

だから、上のエントリのようにめりはりの効いた批判を浴びせられると、思わず手で顔を覆いたくなる。のだが、弱者というものの意味がはっきりしないので、先の選挙において私はどのように弱者らしかったかを書いてみたい。

本筋に先立って、上のエントリについて揚げ足取り(笑)。
弱者は醜いとか、弱者は自分の同類の足を引っ張りがちなどの説には、簡単には頷けない。なぜなら、弱者「だけ」がそうであるかのようなこの説は、弱者でないものについては触れていないからだ。たとえば、既得権益を守るために理節を捻じ曲げる強者は醜くはないか。より強い者の足を引っ張り、より弱い者の頭を抑え付け、少しでも強い立場に立とうと奔走する有様はどうなのか。強者が弱者と比べて、こうした点で特段に優れているとは、必ずしも言えないだろう。

本筋に戻って私の話だった。

投票で弱者である私が求めたものは「公正さ」もしくは「公正であろうとすることの表明」だ。

弱者の平均と大差ない(と思われる)人達が、既得権を背景に強者として振舞うことに、私は強い不満、違和感、不公平感、そして何よりも醜さを感じる。だから、その構造を破壊する動きには基本的に賛成だ。私にはそんな心情があるようだ。
なにしろカオティック・ニュートラルだからな(笑)。

たまさか、私が賛成する動きが、強者の権益を破壊するだけでなく、結果として弱者の経済的な利益も損なうことがあるのかもしれない。私にはよくわからない。
たとえそうなったとしても、おそらく私は結果を受け入れるのだろうと思う。自分が機会を活かして強者に転向しない・できないからといって、機会の平等が世の中から失われること自体を認めるわけではないからだ。そんなことを認めたら、弱者の唯一の拠り所である「希望」が失われてしまう。それは最悪だ。

そういうわけで、私は、比較的公正さ実現してくれそうな、つまり希望が一番感じられるところに票を入れた。もちろん、本当にその政党が、こちらの希望どおり動いてくれるかどうかなどわからない。未来を予測できるかのような不埒な言説は控えたい(笑)。


さて、以上が、弱者たる私が投票で考えたことの大筋だ。
私は、「公正さ」を価値基準の上位に置くことが、「自由」を最大にする方法だと思っている。自由主義とは、「自由に振舞ってよい」という意味だけでなく「自由に振舞える環境が保たれる」ことを望む立場だと思う。

弱者たる私は、自分の自由を拡大するために、世の中がなるべく公正であることを望んでいる。

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2005.09.14

効率主義でないデザイン

さるメルマガからの引用

ブランド創造に欠かせないデザインの現場が、効率主義に毒されて久しい。

柳 宗理氏がアスペン世界デザイン会議にスピーカーとして出席した時、「米国のデザインがコマーシャリズムによってスポイルされている」と指摘したのは1959年とか1960年だから、最早半世紀近くになる。

そもそも米国でコマーシャリズム以外のモチベーションで商業デザインが成立した例なんて、あるのだろうか。

ともあれ、コマーシャリズム、効率主義のデザインが捨象してきたインビジブルなものをぼくたちは復活させなければならないのではないか。

これを、てらい無しに言える世の中が、私は好きだ。
その半面、そんな甘ちょろい話しがあるもんかね、と思う(古い)自分もいる。

よく考えてみると、デザインの現場で効率主義や商業主義とは異なる価値観を持ち続けるのは、とてもではないが、甘ちょろくなんかない。どちらか一方だけなら話しははっきりしているのだけど、両立させるのが難しそう。

ところが、それをやることが、普通のビジネスにおいてさえ必要になり始めている、ように思う。

OnlyOneを確立するためには何が必要か、考えてみるとよい。
技術。の場合もあるだろう。政治? それもあるかもしれない。
デザイン。それもありなんじゃないか。OnlyOneと効率主義という名の合理主義とは、相性が悪そうだ。


ところで、「消費されるデザイン」とこの話しはどうつながるのだろうか。
効率主義一辺倒でないデザインを考えたとき、それは、消費されることを否定するものになるのではないか。
それって、消費社会を乗り越えていくことになるんだろうか。

まとまらないな。

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2005.09.12

解脱

みじめさを知るというのはたぶん人間を知るということ

 悲しいかな、人は、普通は愛を得て生きているわけでもないから、権力の構図と悪魔の指図にきちんと収まってしまう。そういうものだ。

 言葉で言えば簡単だがそこから免れるものでもない。

神や悪魔とは異なる人間の方法論は、まず意識を持つこと、次に実践方法を模索すること。免れようとする意識を最初に広める者が教祖となる。

そうそう、「解脱」という言葉があった。
 
 
なんだか真面目だなあ。>自分。
真面目すぎる(笑)。

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選挙結果

3分の2を越えるというのはすごい。
ムーブメントになるかどうか、などと書いたけど、そうなった。
小泉首相が、これを受けて、郵政民営化以外の何をするのかが、今後の問題だろう。

3分の2というと、思い出すのは憲法だ。


どうなのか。

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2005.09.10

メゾン・ド・ヒミコ

穏やかな感情の起伏のバリエーション。行きつ戻りつの認識の揺れを楽しむ映画。後味もよい。以下多少ネタバレあります。
 
 
ゲイなどというものを私は直接には知らないので、普通の人とどう違うのかはよくわからない。しかし、それは実はこの映画では重要なことではない。この映画は、両者の違いではなくてむしろ共通点を、上映時間の全部を使ってゆったりと洗い出しているように見えた。
何か理解不能でおぞましいものではなく、普通と少し違うので疎外されている人たちが身を寄せ合って生きている。縁あってそれと微妙に関わり一定の理解を互いに得る。これはそんな立場に立った普通の人のお話しなのだ。

その一番いい現われが、終盤のやま場。仲間のひとりが脳卒中で倒れ、息子の家(普通の家庭)に引き取られることになったとき、ゲイであることを隠したまま彼らは仲間を送り出す。その卑怯に対して、ヒロインの沙織(柴咲コウ)は「そんなのインチキだ」と怒る。彼らの代表である若い館長はそれにこう応える。「ここはゲイが幸せになるためのホームなんだ。」
世間の抑圧に対して、彼らはひとりで立ち向かうことの愚を知っている。小さいながらも自分たちも集団を作って、表に出たり内に隠れたり時には駆け引きしながら生きていくことで、彼らは自分らしさを失わずに済む。

するとそれは、なにもゲイに限った話しではないではないか。

これ以外にも、細かい感情の動きのそれぞれに、ゲイに限った話しじゃないものをたくさん感じ取ることができた。つまり、ゲイといってもその思考の大部分は普通の人間とあまり変わらないことが、そこからは読み取れた。

そういうわけで、私はこの映画を、ゲイの話というよりは、普通と少し違う小数派の、しかし必ずしも閉鎖的ではない、穏やかな身過ぎ世過ぎを描いた作品として観たのでした。

上目遣い三白目で「フキゲン」のキャラそのまま(笑)の柴咲コウ、「美しい男」の双璧の一、オダギリジョー、ほぼ顔だけでいろいろな表情を作った田中泯、いずれもいい演技でした。

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2005.09.08

雑記050908

ここしばらく、どうにも忙しい。
エントリも簡単に。


否定するのに疲れを感じて 少し利口に振る舞ったりした
つまり、世界はまだ、ひとつの党派に埋め尽くされないほど十分に広いということ。


エンドレス・ワーク・サマー
つまり、消費されはじめている、ということ。


ごいすーな夕焼け
いい会話だなあ。
昔、ある女子高生が「おかあさん昼寝するとイノシシみたい。あたしもああなるのかなあしくしく。」などと宣もうておられたのを思い出す・・・。

きっと娘さんもいい酒飲みになられることでしょう。

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2005.09.07

雑記050907

GoogleがReuters買収に関心,実現するとニュース業界に激震が
噂ということだそうで。

時代を反映して、日本でも球団のスポンサーが入れ替わったりしましたが、同様の動きとみることもできる鴨。社会の公器たるメディアと、たかが野球の球団を一緒にするなと言われそうだけど、そんなに違いがあるかなあ。少しは違うkか・・


このあたり竹中の気持ちはわかる

自由主義国というものがどういう社会制度であるべきが重要なのに。
同意。
その前では、かなり大きい問題でも枝葉に見える。ところがその枝葉にこだわる知識人が意外に多いのが、馬の骨たるおいらには気になる。


「地震に弱い建物」は、なぜ放置されるのか
台風の次は地震だ。というわけでもないけど、関東の次の地震が気になるころ。情報がない。耐震工事をするインセンティブが感じにくい。は、そのとおり。

来てしまったらしょうがない、スクラップアンドビルドだ。というのが、日本人の平均的な考え方なんではないか。だからこそ、都市美についてもその場しのぎでいいとの考えが前面に出てくるのだと思う。

そのあたりを、関係者はどう思っているのだろう。

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2005.09.06

マザー・テレサ

素直に、いい映画。見て損はない。世の中を斜に構えて見ている子供や、普通におとなになった大人には、少しだけ後ろめたさを感じさせる映画。以下、おいしいところのネタばれあります。

キリスト教のいろいろな教えの中で、私が一番いいと思っているのは、他人のためになることをするのはほかならぬ自分のためなのだ、という点。いいことをすると気分がいいよね、という話しなのだ。
それも、押し付けや慈善のようなファッションではなくて、ただ単純にいいことをする、ということが。
この映画は、それを徹底して、シンプルに、貫いた人のお話しだ。

印象的なエピソードがひとつあった。

かなりまとまった金額を寄付した西洋人のお金持ちが、本国で事業に失敗して訴えられた。彼はその事業の宣伝に、マザー・テレサと一緒に撮った写真を使って、出資者を信用させたのだという。そんなことを、遠いインドにいるマザー・テレサはもちろん知らない。
金を失った出資者たちは、マザーにも責任があると訴えた。そこで、新聞記者がマザーの孤児院に押しかけ、出資者たちが要求している金をかえすのか否か、詰問する。
降って湧いた災難に、他の神父やシスターは後で記者会見で答えるというのが精一杯。それを押しとどめて、マザー・テレサはその場できっぱりと言う。「返します」。

スクープかと気色ばむ新聞記者たちにマザーが見せたのは、ちょうど食事時で歓声をあげている子供たちだ。「これが、みなさんのお金です。」
ニュースネタを撮りそこなった新聞記者はいまいましそうに引き上げる。
 
 
これを、機転と呼んでもいいのだけど、私はむしろ、寄付で私服を肥やしたり、自分のために使ったりすることを愚直なまでに拒否した人にとっては、ごく自然な発想なのだと思いたい。金は何に変わったか? 子供たちの勉強や食事に。それ以外何も無い。極めてシンプル。
普通の人には、それがすばらしい英知に見える、ということなんではないか。
 
 
 
その、訴訟を起こした出資者たちの国は、こんな有様らしい。
ママなんか嫌いだい
フェミニストな人たちは、男か女かということに強いこだわりがあるのだろうな。マザー・テレサの話しとは天地の開きがあると思った。

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2005.09.05

にっぽんのアイデンティティは「高信頼社会」

ハリケーン「カトリーヌ」が水没させたニューオーリンズで、略奪行為が観測されているらしい。一方、同様に伊勢湾台風が水没させた濃尾平野では、そんな不法行為はなかったとされているらしい(日経春秋)。また、阪神大震災のときも、やはり略奪行為などは見られなかったという。

この現象は、いわゆる「高信頼社会」のひとつの顕現だが、これは、日本が世界に誇れる数多くの特質の中でも、最上位に位置づけてよいもので、日本のアイデンティティとして意識的に強化していくべきものだと思う。

経済力も上位に来るが、その原因をたどればおそらく社会の高効率に行き着くし、その理由は「見ず知らずの他人を基本的には信頼する」ことから生まれているのではないか。日本社会が高信頼社会であること、また、そんな社会は世界広しといえどもそうはないことは、多くの人が認めるところだろう。

もちろんこれは粗削りな考えで、突っ込みはいくらでも可能だとは思う。関東大震災のときにあったという朝鮮人に対する仕打ちなどは戒めとして語りづがなければならない。

けれども、「高信頼社会」を、今後、日本という国の基本理念のひとつにするという考えはあり得る。
「世界の歴史に貢献しない国」とか「経済侵略以外のことに関心のない国」などと卑下したり、その反動で「愛国」などという誤解されやすい抽象概念をふりまわしたりするのではなく、「高信頼社会」という優れた特質に磨きをかけて、外国人の緩やかな受け入れを含めて世界に貢献していくことは、この国のアイデンティティ確立に良い力となると思う。

[追記]
カトリーナのもたらした災禍

「市民」という概念がここでは内面的な規範としては機能していない。

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2005.09.04

のぼり旗と景観法

景観法が制定されて、これで都市(と農村)の景観も多少は良くなるのかと思ったが、実情は難しいものがあるらしい。
日経本紙エコノ探偵団「のぼり旗なぜ増える?」では、北海道大学の吉田教授のことばを載せている。

屋外広告物法に基づいて私有地内に設置されたのぼり旗でも規制することは可能ですが、現実には財産権を保証する憲法などとの兼ね合いから自治体は強制撤去に消極的です。
記事はこのあと尻切れとんぼで終わるのだが、補足メモを残しておきたい。

景観法制定はそもそも、これまで野放図に認めていた建築物や広告物に関する私権を、良好な景観を形成する目的で、より強く制限できるようにしようという意図のもとに作られたのだった。「どのような景観をよしとするか、自分たち(自治体)で景観条例の形で決めたなら、それをきちんと守りなさい。決めたことを守るための権限を与えます。」というのが、この法律の機能だ。これまでの条例による法的強制力のない景観行政が、強制力を持つ法律という後ろ盾を得て大きく前進することが期待されている。

だから、肝心の自治体が及び腰では、景観を良くする結果に結びつかないのは当然といえる。自治体には、都市間あるいは観光地間競争に勝ち残るという、強い意識づけが必要だ。

とはいえ、私権(財産権)が憲法に基づいている以上、おいそれとは制限できない事情も理解できる。自治体もおっかなびっくりというところだろう。

この話しの根っこには、言うまでもなく、公共概念の再構築問題が横たわっている。説得力のある公共概念に立脚した信念だけが、地域の景観ポリシーを一本に集約できる。国立のマンション上層階撤去事件に見るような固い信念を持ち得る地域はまだ少ない。

ともあれ、撤去不可能な見苦しい広告物が、敷地内に引っ込めることも可能なのぼり旗に取って代わられ始めている現状は、一歩前進とは言えるだろう。

事業主の飽くなき強欲とデザイナーの自己実現欲求が結託して生み出す見苦しい景観から、公共概念の枠組みと個性の主張との緊張をデザイン力で解決する魅力ある優れた景観へ、日本の風景が進化していくことを期待したい。

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2005.09.03

雑記050903


米Yahoo!,Flickrコミュニティの抵抗に手こずる
価値あるコンテンツが多いほどそうだろう。コンテンツをネットに出している人は、互助精神でやっていることも多いから、自分が提供したコンテンツがYahooIDと一緒に削除なんかされてしまったら、それはそれは悲しいに違いない。

Yahooに限らないが、ネットのハブになっているサイトは、自らの価値が多くの無名の人の無償の働きで支えられていることを忘れてはいけない。と説教垂れてみる。


少し早いけど、投票にいってきた。
近所の市役所分庁舎で不在者投票ができるので、当日投票所へいくより便利なのだ。

投票所というと、なんだかご町内の御意見番みたいなじじばばさまたちが、「不正する子はいねがっ!」って感じで善男善女の選挙民を首実検するところ、ていう強迫観念があって行きづらいのだ。
それに比べて、不在者投票はマターリしていてよい。葉書なんぞ持ってなくてもOKだし、なぜかバイトの女の子はいつもかわいい子ばっかりだし。

というわけで、来週はたぶん東京にはいない。晴れれば(笑)。

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方向性を見つける力

コピペレポート論議で思う大学教育の価値軸

高速道路と化したインターネットを前に、学問の価値軸が揺さぶられているというお話し。

この話しは理系の世界にはあんまりないと思うのだけど、どうなのだろう。文系の世界だって、必ずしも知識量だけが問題ではないだろうに。

とはいっても、理屈で考え出したことが、碩学の知識の蓄積にかなわないことは、確かにある。「ああ、それは○○に載っている□□の論文で既にふれられていますな」。そういう意味で知識量にも一定の価値はある。
知識量、思考力は学問の両輪だろう。
 
 
ところで、知の価値軸について、もうひとつ別の考えを出しておきたい。

ある場面で、その場にジャストフィットするような知識を引き出せるかどうか、言い換えれば、知識を有効に使えるかどうかは、単純な量とは別の話しだ。また、論理を展開する力とも少し違う。やみくもに論理を展開しても、無意味・無価値なことしか導けないことは多いからだ。(注1)

知識を有効に使う力、あるいは方向性を見つけ出す力、とでも言えばいいだろうか。それを第三の価値軸として、知の教育カリキュラム上に具体化することを検討してみてもいいと思う。
 
 
 
(注1):一見無価値に見えても、実は時代(という背景)が変わると価値が発見されたりすることはよくあるから、一概に否定はできないのだけど。
 
 
 
 
[追記]
この件で当事者らしき人の鋭いご意見が。
コピペレポート問題に、大学の先生方が沈黙を守る件

自分で曲を作る(楽器を弾く)ことができなくても、ネタの掘り方によっては、すごく面白いトラック(レポート)ができあがることもあるわけだ。

そして高得点をいただけそうなレポートの書き方について(笑)のご意見。
剽窃と霊感の間

私たちは模倣や反復を脱して真にオリジナルな知見や考想を語ることはできない。
はよく聞く話しだけど、それ以外の部分がたいへん興味深い。
結びのところがわからない。
あくまで「既知」を志向する精神と、「未知」に魅了される精神の間に、「剽窃」と「霊感」の、あるいは「狂気」と「正気」の境界線は存在するのではないか。

「「剽窃」と「霊感」の・・」まではわかるのですが、「狂気」と「正気」の順序は。。
この部分はとりあえず保留したままメモ。

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2005.09.02

郵政改革は計画倒産

入口改革論のダークサイド

コメントにこんな言葉が。

賛成か反対かは別にして
JRやNTTを見る限り
民営化=計画倒産ですよね
やっぱりそう思っている人は多いのかなあ。言い方は千差万別だけど。
処理には税金つぎ込むのでなく、郵貯に預けられているものをなるべく使うよう希望。

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2005.09.01

選挙雑記050901

9月だ。投票まであと10日あまり。で、ちょっとメモ。

心理戦
コメントの最後に、こうある。

その通りです。なにもしなければ破綻します。ですので片方で財政再建を進めるために国債の発行を減らし、無駄な政府機関を廃止していき、予算の規模を小さくしなければなりません。アメリカも全く同じ状況で90年代に財政再建に成功したので、これがモデルです。今アメリカの国債はおよそ50%が非アメリカの資金で買われている(日本が最多)というのがその答えですね。
選挙とは直接関係ないけど、そういうことか。

再び郵政民営化について

夏休みの宿題提出・・・再び郵政民営化!!

いずれもこちら経由で知る。

政治家の人・・だけでなく評論する人たちも、真意は別に方便としていろいろな説明をしているのだろうと思う。だから、「この議論のこの部分は間違い」という枝葉に入り込まずに、一番重要で本筋と思う部分に的を絞る必要があると思う。そうしないと、私の弱めの頭では問題を捉えきれない。

いまのところ、私が一番重要と思うのは・・民営化による情報公開かな・・。
きっととんでもないものが飛び出してくる悪寒・・。

というわけで、怖いもの見たさで(笑)、やっぱり民営化に賛成。

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