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August 2005

2005.08.31

選挙雑記050831

ネット使えない選挙運動「困らない」--堀江貴文氏に聞く公選法の問題

--意外にインターネットに対する選挙の利用についての見方はドライなのですね。
(中略)
 それに変なことにもなりかねないですしね。たとえば、田代まさしを当選させようみたいな、そういう事件も起こりそうですよね。
まぼろしの球団名祭りの教訓はしっかり生きているようです(笑)。


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2005.08.29

ランド・オブザ・デッド

ゾンビ映画というより、アメリカ国内の微妙な空気を反映したイデオロギー映画・・かなあ。そうだとすると、ゾンビになぞらえられた人たちにちょっと失礼な気もする。

ゾンビ映画はあまり見ないけど、それにしても緊迫感がない。ゾンビの動作がのろいのが原因だろうか。おまけに、このゾンビは銃で簡単に倒せたりもする。
倒しても倒しても起き上がってくるのがゾンビの本当の怖さだと思うのだけど、この映画では、その怖さは抑制されている。かわりに、込められているのが政治的メッセージだ。

ゾンビ映画の範疇から少しはずれるかもしれないが、以前見たこの系統の映画の中で記憶に残っているのは「28days later」。「ランド・オブ・ザデッド」と同様、カタストロフ後を描いているのだけど、悩みつつも醒めた感じが気持ち良かった。
人の内面を描く「28・・」と、政治や制度やらを描く「ランド・・」。好みでいうと私は前者の方が好きだ。

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2005.08.28

Know Your Blind Spots

Gartner:新規テクノロジーの2005年ハイプサイクルを発表

この絵はちょっと面白い。

micropaymentは今が底かあ・・・そうかも。
corporate blogging は真っ逆さまに急落中だそうです。つまり、仕込み時(笑)。
text mining ってそんな位置なの? どっちかというと、底あたりで停滞中かと思ってました。

他にも興味深いものが並んでいる。
そういえばそんな技術があったなってことを、思い起こしてみるのに便利。

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アメリカの底力

少し古いのだけど、
ネットの開放性は危険で悪なのか 巨大な混沌こそがフロンティア

 アメリカが圧倒的に進んでいるのは、インターネットが持つ「不特定多数無限大に向けての開放性」を大前提に、その「善」の部分や「清」の部分を自動抽出するにはどうすればいいのか、という視点での理論研究や技術開発や新事業創造が実に活発に行われているところなのだ。
そういうアメリカはいまだに憧れの対象だ。
インフラだけ作って何かやった気になっているわしらから見れば。

どうしてその違いが生まれるんだろう。という問いは立てておこうかな。

[追記]
インターネットトラフィック,爆発的な伸びにブレーキが
そろそろコンテンツの勝負に移行。ブロードバンド普及率一位などと浮かれているうちに、内実ではどんどん取り残されていくおそれあり?

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2005.08.25

妖怪大戦争

つまらなかった。というか、そんな程度のことが、いちいち泣き叫ばないと言えないのか。
てなことを言い始めるのは年取った証拠なのだろう。
子供向けの映画としては、多少誇張した方が受けがいいのかもしれない。

一握りの英雄行為と、その他大勢の無関心、というのが基本構図なのだけど、その場合、その他大勢無関心が悔い改めて英雄に手を貸す、というのがありがちな黄金パターン。

ところがこの映画は、その他大勢は悔い改めたりは決してしない。代わりに、英雄の活躍を見世物として楽しむというパターンのようだ。いわゆる「祭り」にしてしまう、と。

変に肩に力が入っている英雄と悪役が、まるでアホに見える。

安っぽいインテリ臭さがあるけど、なるほどそういうものかもしれない、とも思った。
今回の衆院選なんか、もしかするとそういう構図なのかもね。

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2005.08.24

チーム・アメリカ ワールドポリス

どぎついので見ていていやになった。
実は先々週見たのだが、何か書く気にもなれず放っておいたのだった。

前回の米国大統領選の盛り上がりの中で公開されたといういわくがついているけど、どうでもいい。これをギャグと受け止めろという斜に構えたインテリめかした意見もあるそうだけど、やっぱり自分には合わないなと思う。

後ろのほうでしきりにばか笑いで盛り上げようとしていたグループがいたけど、制作側のさくらなのだろうか。はじめの30分くらいまではぎゃはぎゃは笑っていたが、その後は静かになった。

さくらにせよそうでないにせよ、日本人の感性ではさすがに笑えないということに気づいたのだろう。

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2005.08.23

集団知3連稿

なめらかな集団知
知識人 VS 小泉さん
ワンイシューを集団知がマニフェスト化する
衆愚とかポピュリズムとかと違うものとして、集団知という新しい意思決定方法を提示している。
これについたコメントがまた面白い。特にjounoさんという人のこのコメント

ぼくはあくまでも、ネットを何か擬似主体のようなものとして、高度な決定を行う、ひとつの結果を出すものとしてイメージすることを批判している
これは確かに正統な知識人の考え方なのかもしれない。ネットに浸かっているとつい忘れがち。この人は、こうも言っている。
よい意見は多数を取るという仮定は根拠ない楽観であると考えます。ただ、悪い意見が落とされるということは傾向としては、いえます。だから、意見の複数性は最後までどうしても残る。そして、そのような複数の結果を出すものである以上、たまたまネットでヘゲモニーを暫定的にとっている意見をあたかもネットの意見のように考え、ネットを擬似的な主体のように見てしまうと、問題が大きいということです。
前半は一理ある。蛇足だけど、後半を読む限りでは、この人は多数決そのものを否定しているのだろうか、という疑問が残る。

よい部分を抽出して組み合わせ整合させた意見を短時間で作り上げることができる、という部分に、いつも顔馴染みの個人(複数)の協働とは異なる仕組みを見出しているのが、essaさんの考えだろう。その作り上げられた意見が複数あることを否定してはいない。
最終決定の俎上に載せ得るレベルのものが得られたところで、単純投票でもいいのではないか。そうした接木のような仕組みでも、役に立てばそれでいいと思う。

この議論をしている優れた知識人たちは、仕組みという道具の整合性に気を使いすぎているのかもしれない。

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雑記050823


その場で話をまとめる技術―営業のカリスマがその秘密を大公開!

この話の目標は何か、時間内に何をまとめるべきか、を片時も忘れずに、脱線しそうな状況に対して適宜テクニックで応酬できるのがスーパー営業マンなのだ、と分かった。
仕事の種類に限らずそうなんだろうと思いつつ反省。
意識しているときはうまくいくのだが、意識が緩むことも多い。

いつもできることが「スーパー」な人とわしら凡人の違いなのかも。


ウォームビズ・・・
ネクタイ業界は何か人の不興を買うようなことをしたんだろうか(笑)。
冬はネクタイすると暖かいんだけど。
だから冬はネクタイ好きだけどなあ。

誰もツッコまないのが不思議。

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2005.08.22

読者の質に関わるもの

中国アウトブレイク関連エントリーについての感想

ブログとマスコミの一番の違いは、読者の質だと思う。この方に限らず、しっかり読んでいるなあと思うことはたくさんある。マスコミの人は、そのレベルの読者を簡単には持てないだろう。
毎度繰り返しになってしまうのだけど、規模の違いの表れに過ぎないと思っています。先駆的少数者のものだったブログであってみれば、「マス」メディアに比べて読者の質が高いのは当然で、真価が試されるのはこれからではないでしょうか。

コミュニケーションの方式によって読者の質に違いが生まれるのかどうか。
単に規模の問題に帰着できるのか。

ブログは読者をうまくセグメント化することができる、ということかもしれません。
essaさんはもちろんわかった上で書いているとは思います。


・・・mixiあたりはどうなんでしょう。

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2005.08.21

民営化は先延ばしできない

KISS第110号「すり替え」

郵政民営化って、つまり国の借金を踏み倒す戦略?(笑)
国の発行する「返済のあての無い」債券(=国債)の多くを、現在の郵便局が、郵貯や簡保の資金によって引き受けていますからね。
民間企業になれば、国債が暴落(=金利急騰)したとしても、損をするのは民間企業としての「郵便局」であって、国ではなくなるというわけですよね。
そこに預金を続ける人が、間接的には損を被ることになるわけだから、自業自得ですが。
そのとおりだと思います。
だからこそ私は賛成。郵貯してないし(笑)。

どう転んでも、国債(=年寄りの医療と年金)はこれから大きな負担になるわけだけど、なるべく公平に薄く広く負担するようにしてほしい。
政府保証のある金融商品とそうでないものの2つのカタマリが国内に在る状態は、何かひどくまずいことを引き起こしそうな気がしてしょうがない。

そういう問題が顕在化する前に、イコールフッティングにしておくことは、とても重要なことだと思う。


民営化の意味がわからない、と言われるけど、分かってからでは遅い。問題が顕在化したときには、それを乗り越えるための政治的な負荷は、越えられないほど高まっていると思う。

[追記]
実は、年金問題はすでにその領域に入ってしまっている気がする。
民主党が言う年金一元化は、いいところを突いているとおもうのだけど、言うことと政治的な解決まで持っていくことの間には隔たりがある、というのが、こんどの投票の悩ましいところ。

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2005.08.20

サヨナラCOLOR

中年の純情、というのが売り文句だそうだ。
竹中直人が全面出ずっぱりという意味において、その売り文句は正しい。
でも、結構クサい。以下ネタバレ。

たまさか、撮影中に亀羅が動いてしまうって何?とか、プロンプターの真ん中に亀羅が来てなくて出演者の視線があさっての方を向いてるのに気がつかないAND直さないって何?とか、同じ映像づくりのプロでもいろいろだなあ、てなことを体験した週末だったので、この映画の手作り感には共感できた。(この映画は、もちろんそんなへまはしていません。為念)

感動を誘うシーンのあとで、「はいカット。OKです。」の空耳が聞こえるような感じというか。

さて。
原田ともよは歳をとらないという神話は健在だった。
原田ともよは決して体を使った演技ができるようにならないという神話もまた。
でも、その素材をうまく使う線で周囲も握れているから、それで全然OK。

原田ともよは決してトイレに行かないという神話は・・・それは見てのお楽しみ(笑)。

この映画の教訓はただひとつ。死ぬときは残される人を変に縛るようなことを言ってはいけない、ということだ。その点、佐々菌こと竹中直人は見事というしかない。まさに中年の純情(笑)。(なぜここで「笑」かという突っ込みは、観ないうちはなし。)

他は概ね、どこかで見たor聞いたような場面が多くて少し退屈だが、話題作としてなら十分よかったと思う。

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2005.08.18

真性IT企業

サイボウズ・ラボに入社した世界的プログラマの抱負と横顔

「IT業界の中でよくありがちなサービス企業ではなく、テクノロジを重視する企業であること」
サービスでもマーケティングでもなく。
金融でも投資でもない。

真性のIT成功譚をつくってほしいと思います。

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2005.08.17

雑記050817


新物の秋刀魚が先週あたりから出回ってきた。解凍ものはやっぱり買いづらかったので、嬉しい。そこそこ大きいのが100円v(^-^)。今年はよさそうだ。
と思っていたら、こういうことらしい。

その前にキャンプに持っていくはずだった肉隗を平らげねば(汗)。


るぱんぶろぐ
うーむ。おやじ趣味と言うべきなのか。>nifty
ブログが世の中に浸透するにつれて、徐々に大作・話題作のブログ化権(?)を取り合うことになりそうな気がする。

スターウォーズブログがもしあったとして、期間限定入会金300円ぽっきり、特製○○付きだったら、会員は集まりそうな気が・・しませんか?(笑)

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2005.08.16

雑記050816

ウクライナ売ります
ちょっくらメモ。ティモシェンコという人の横顔が書かれている。本当かどうかは知らない。

日本のメディアが信頼できないからといって、では欧米メディアが信頼できるかというと、よくわからなくなってしまう。もちろん、識者にすれば、ブログなんてもっと信頼できないのかもしれないが。

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表と裏

土井健郎

書評的なことを書くのがためらわれるようないい本。
平易な言葉で味のあることを書いている。と思う。

書評のようなことを書くのがためらわれる理由は、この本の言いたいことに由来する。
この本が伝えたいことを手短に書こうとすると、「世の中には容易には、あるいは表層的分析的には、さらに言うと万人が科学的に共有できるようなかたちでは、知り得ないことがあって、それこそがヒトの希望の源である」、というようなことを言わなければならない気がするのだけど、言葉にすると「ふーん」で終わってしまうようなものなのだ。

というわけで何も書けなくなった(笑)。


とりあえず、いくつかの印象だけメモ。

・「オモテとウラ」は太極図みたいなものかな。置換可能な対称性のある二つのもの。
・「建前と本音」は「公と私」に繋がっている点で、対称性が多少崩れている。(私:それは深みをもたらす)
・この二面は互いに依存しており不可分な関係にある。
・米国流の個人主義というものは、建前と本音の区別がないという建前を持つが、個人の最も深い要求が認知されていないのは奇妙だ。(それは米国社会の病理となって表れている)

そのあとは、本音と建前のバランスを欠くことが如何に問題を引き起こすかを説きながら、「本音」の話しを「秘密」の話しに移行させ、秘密こそがヒトの希望の源であることを言っている。


この本はもう少しよく読む必要がある。というか、現実の問題を考える際に手元に置いて参照する必要があるかも。
とりあえず即物的には、「希望」のレシピとして。

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2005.08.15

敗戦の日の雑記

今日のNHK「これからの日本」は、長いかと思ったけど最後まで見てしまった。簡単にメモ。


「和解」とは何か、という点が一番印象に残った。
最初の問いはそこに立てるのがいいと思う。

盲目のまま象を撫で回すの愚を避け、目的である「和解」について明確に認識し、盲いた目を開いた後に、象について考えるのがいいと思う。


誰にも負けないほど一生懸命象を撫で回してはいるが、肝心の目が開いていない。それが櫻井よし子さんについての印象だった。
だから、わしらはその愚を犯すまい。

もちろん、撫で回しながら資料を集めてくれるのは全然構わないんだけど。反対側の人たちが集めた資料と一緒に使わせてもらうから。

町村外相の発言には、国対国の関係に責任を負っている立場の者としての自覚と節度が感じられた。そこが、責任のないジャーナリストとの違いか。


後半の年寄りの印象的な話し。

あの戦争に意義を感じて死んでいった兵隊なんかいない。こんなつまらない戦闘行為、こんな戦争で死ぬなんてくやしい。犬死だ。
そう思っている者がほとんどだ。
靖国を語るときに「英霊」という概念がよく出てくるようだけど、この老人の述懐を聞く限り、英霊概念はまやかしだと言える。

自分の親に聞いた話からも同様のことを感じたのだが、英霊だとか威勢のいいことを言っている人は、旧軍隊の中で比較的いい待遇を受けていたか、ひどいのになると陰でうまい汁を吸っていたか、そういう者が多いのではないか。

この老人の意見について、櫻井よし子はだんまり。ずるい、というか賢い奴。

靖国というものは、どうも一部の人に都合のいいトリックとして使われてしまっている感が強まった。


全体を通して、議論の背景が二つあると思った。民あっての国か、国あっての民かという異なる視点がそれだ。この二つの間には、埋めようのない溝があるように感じた。
とはいえ、民も国も、お互い無くしては成り立たないのではあるわけだから、軸足の置き方の違いと言ってしまえるのかもしれない。

まあ、その違いも含めて、「和解」とは何か、なんだけど。
 
 
 

NHKの番組ではないけど、関連で。

新世代の66%「米朝戦争の際、北朝鮮に肩入れ」

 「米国と北朝鮮の間で戦争が起こる場合、どちらの肩を持つか」という質問に対し、「北朝鮮に肩入れする」と回答した新世代が65.9%に達した。

 「米国に肩入れする」という回答は28.1%、分からない・無回答が6%となった。しかし、「就職か移民などによって外国に行く場合、どの国に行きたいか」という質問には、北朝鮮と回答した新世代は1人もいなかった。

 その反面、米国は16.8%と2位、日本が15.3%と3位、1位はオーストラリアの17.9%だった。イラク、イラン、ベトナム、ペルーという回答も出たが、北朝鮮はなかった。

「表と裏」という本をちょうど読んでいるところなのだけど、上の記事など見るに、建前と本音の使い分けは日本に特有のものではないことがJUSTわかる。

こちら経由



[追記]
「干からびたチーズ」という政治的言語

サブカルでも食べ物でも音楽でも、このような鈍感さがいつのまにか、我々を取り囲んでいる。そして、鈍感さは正確さとして自らを正当化している。正確であることによって鈍感であることを隠そうとしている。我々を歴史から遠ざけるのは、この正確さと鈍感さなのです。
essaさんはこの一文を郵政解散の一場面を捉えて書いているけど、普遍性がある鋭い指摘なので、戦争と和解について考えるときもそのまま当てはまると思いました。(というか、essaさんは郵政解散の話しを装いながら、本当はこのテーマについて伝えたかったのでわ?(笑)と憶測。うまい言語化に感謝。)

「事実を正確に知ろう」という言葉は、一見、反論しづらい正統性があるけど、鈍感さを隠すための正確さに化けやすい。あえていうと「情報ヲタク」に陥りやすい。そして、正確性や無謬性の追求がいつの間にか自己目的化する。鈍感さに拍車がかかり、問題の真の解決からは遠のく。
NHKの番組中でもそれが見られて、案外あっさり馬脚を現わしてしまった人もいた。
なので気をつけないといけないな、と思うのです。不要といっているわけでは、もちろん、ありません。


[追記2]
靖国というコントローラー
なるほど。うまいなあ。

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雑記050815

あつい・・・

アスベストのことを調べようとして「アウベスト」と入力してしまい、ぐったり。
ところが2秒後にgoogle様が、ただ1件の「アウベスト」を得意げに表示。

世の中にはおいら以上のyAhoがいると知り、生き別れた兄弟に出会ったようなこそばゆさだ。

・・あついですな。

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2005.08.14

蕎麦つゆ

なぜにこれほど行楽地が混んでいるかというと、そうだ、今年は人と同じ時期に夏休みを入れたのだった。お陰でどこへ電話しても人混みの気配がして、東京を出る気になれない。慣れない時期の休みはとるものじゃない。失敗した。

半端に仕事をしてみたりしているうちに、ふと、先日雑誌か何かで紹介されていた蕎麦屋を思い出した。翁の弟子という人の一人が横浜でやっているというので、ふらっと行ってみた。

元町から運河を遡って左岸にあるらしいのだが、意外に遠い。バイクでなかったら途中で諦めてるところだった。

さて蕎麦だが、残念ながら当方、蕎麦の味などわからない。
で、この話しはおしまい。

ではない。そう、「つゆ」だ。

翁の蕎麦はつゆが格別だった。すだちだろうか、柑橘系を思わせるさわやかで微かな味で「清烈」という言葉が味の向こうに浮かぶような、そういう体験だった。もちろん、そばつゆとしての味がしっかりした上でのひと工夫なのだが。

その翁も広島へ引っ越して名前も「達磨」に変わったらしい。だいぶ以前に、代変わりした小淵沢の翁を再訪してみたが、あのつゆの味は失われていた。


普段はできあいの乾緬に、大手メーカー製のあわせだしで十分な私のような者でも、そうした違いがはっきりわかってしまうのが、食べ物のこわいところだ。調理の世界の芸術路線はまことに狭くて険しい道だなあ。

それにしても広島はないでしょ。遠いなあ。

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技術と芸術は選択の問題

技術は消費されるが芸術は賞賛される

このブログの書き手は、医者としてある程度キャリアを積んだところにいて、他の医療分野へ「転職(?)」するかどうか悩んでおられるようだ。他のエントリを読んだ限りで、勝手にその前提を置かせていただくことにしよう。間違っていたらごめんなさい。

さて、上のエントリは、医療分野における[芸術的]医師と[技術的]医師について、その違いと、置かれる立場を説明した上で、両者を対等な選択肢と捉えている。他の分野にも応用が利くいい考えだと思うので、メモ。


まず、芸術家と技術者の違いを説明するためにデュシャンを取り上げて

* 芸術家は作品にサインをする。「泉」には、R・MUTT と、デュシャンが記したサインが入っている。
* デュシャンは、買った便器に「泉」という題名をつけた。単なる工業製品であっても、芸術家が名前を付けると、それは「作品」となる。
* 名の知れた芸術家が便器を出品し、それが会場から拒否され、撤去されたという一連の事件は、それ自体が「アート」として賞賛された。芸術は、作品ではなくそれに伴う物語にも価値が見出される。
の3点を芸術家に特有のものとしている。その上で、
* ネットワークの力で、社会の変化を加速させようとする一般医
* 個人のサインの力、物語の力で、社会の変化の速度を抑えて延命をはかる専門医
という二者、技術者(的医師)と芸術家(的医師)という二つの選択肢を、対等に扱っている。
 
 
この話しは、例えば企業の組織形態を考える場合にもよく似ている。
普通より少し優秀な比較的多数の集団で構成される組織を前者になぞらえ、少数の飛びぬけた芸術家的頭脳集団とその他大勢の普通の人たちで構成される組織を後者に擬することができるだろう。

上のエントリの重要なところは、その両者を対等な選択肢としているところだ。
 
 
自らを省みると、芸術家的なものを技術者的なものより上位に置きたがる習性が、ともすればあったと思う。若い頃関わっていた建築設計の分野ではとりわけ、それが当然とされていたから、その思想の影響から自由になるのに随分時間が掛かった。
いまでも、「Only Oneを目指す」などと形を変えて、この思想は私を誘惑する(笑)。

しかし、両者は対等だ。確かにそうだ。そして世の中には両方が混在する余地が十分にある。どちらが優勢な分野で生きていくかは、選択の問題なのだ。

そして私はといえば、「ネットワークの力で社会の変化を加速させようとする分野で、芸術家的能力を発揮する」という、おいしいとこどりにも見える(笑)方策で、どうにかこうにか生き延びようと企んでいる。

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2005.08.13

iTMSと人種隔離・・

iTMSの感想(1)……あるいはS社の人種隔離政策に対する皮肉

欧米のiTMSでは購入できる楽曲について日本のiTMSでは購入させない合理的な理由があれば、お聞かせいただきたいものです。
サービス開始に浮かれた報道やブログが多い中で、この点にきちんと触れているのは、ここだけか。
因みに、S社とはもちろんソニーのこと。

金融機関は、海外の同業と提携でもして、海外の口座を持てるサービスをすればいいのになあ。
預金通帳に人気キャラクタの絵をプリントしたりするのと比べても、案外、受けるかも。

法律上、それはできないのかな?

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2005.08.12

希望はどこから

一応、夏休み。
贔屓にしている「かんこ鳥」キャンプ場に電話をしたら、なんと、サイトがほとんど埋まっているという。どうしたことだ(笑)。でもよかったね。

私としては、そんなイモ洗い状態のキャンプへ行く気はないから、予定を変更して、このところ忙しくて読めなかったブログやメルマガや借りっぱなしの本など読んで過ごすことにする。

ブログは衆院選の話題で持ち切りという感じだが、あまり新味のある話はない。定性分析では、見方はほぼ一致しているように思う。
次は定量分析だが。。。果たして小泉新党が生まれるほどのムーブメントが起きるのかどうか。今後に注目。

民主党寄りの意見を書いているブログの中に、農政族はもとより、道路族も金融族も生き残っており、行政改革自体はさほど進まないおそれがある、という意見があった。各個撃破戦術で考えれば、それでも当面はいいわけだが、少し気になったのでメモだけしておきたい。


さて、今日はこちらの一節が心に残った。

将来への不安とは、自分の価値に対する不安なのです。
将来への希望とは、自分の価値と価値創造に対する自信から生まれるのです。
自分だけでなく、他人の中に希望を生み出すには、どうしたらいいか。
それが目下の自分の課題。

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2005.08.11

わからないことが暗示する

郵政民営化についてはよくわからない

「病根」についての言及がこれだけ組織的に忌避されるのだから、よほど根が腐っているのであろう。
病根に触れるとそれこそ、自爆覚悟の反撃があちこちから加えられるから、でしょうか。「ばらすぞぅ」という脅しが効かなくなって、自暴自棄を招いてしまうのでしょう。

マスメディアは、こういうときにこそ詳しい解説記事を書いて世論を喚起するのが仕事のはずですが、あいかわらず情緒的かつ扇情的な話題ばかり。ブログとメルマガの方がよほど考えるタネを提供してくれます。

マスメディアの中の人も気づいていておかしくないはずだがなあ。。それでも問題の根に触れないこと自体が、これも根深い病根の一部ということか。

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子供の頃触れる文化

ゲームをやらずにゲームを非難するのは40歳以上
ゲームをやらずにゲームを作って人に遊ばせてばかりいたおいらは一体・・。

19世紀にワルツが悪と捕らえられ、中には法律でワルツを演奏することを禁止した地域すらあったが今では笑い草。
そんな歴史があったですか。
ところで、このエントリのコメントが面白い。
ゲーム自体が悪いというより、その中毒性ですよね、問題は。ウチの子も、ほっとけばまる一日でもゲームやってしまって、勉強も運動もしなくなるし、最後のほうは「キレた」状態になってしまいます。
うーむ。そういえば韓国では50時間ぶっ続けにゲームやりすぎてお亡くなりになった方がいたそうですが。。

しかし、これに対する反論が鋭い。

「持続的に集中する」ということ自体が結構難しいことなので、よっぽど自分の興味のあることじゃないと出来ない、と。それが何になるかは、まさに自分が育つ環境の文化的背景に依存することになると思います。

だから「子どもがゲームばかりする」というのは、半分以上は親に責任があります。それは「ゲーム以上に面白いと思える質を備えた、他の文化に触れされてあげていない」ということなので。

私はこの点では本当に親に感謝しなければならんと思う。
それにも増して、受験戦争などといわれた時代だったけど、高校までは世間もそんなにヒステリーになっていなかったと思う。好きなことを好きなようにやらせてもらえて、責任もあったと、いま振り返るとそう思う。

その割りに、たいした結果につながってないのは・・・あの世の両親には内緒(笑)。

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不自然な自然

【A面】
夜中の12時だというのに、横浜駅のホームでは、鳥のさえずりが聞こえる。
それもきっかり同じ間隔をおいて、同じ調子で。
あれを強制的に聞かされていると、気が狂いそうだよ。

考案者に対する明確な殺意を覚える。あの、掃除もされていないきたないスピーカーに対して激しい破壊衝動をおさえきれない。

もしこの件で公共物破損とかなんとかでタイーホなる報道があったときは、その犯人は私だと思い起こしてほしい。

あれ、やめてくれ。気持ちが荒むから。>JR


【B面】
キャンプの季節だけど、水や風の音、鳥の声を聞きにいった先で、馬鹿馬鹿しい音曲を大音量で垂れ流している輩に、よく出くわす。例外なく群れており、仲間内での自己顕示がなによりも重要という愚劣さだ。

もしそうした者どもの電池をコソーリ抜き取ったカドでタイーホなる報道があったときは、その犯人はきっと私に違いない。


ほんとに、やめてほしいのよ。ああいうことは。

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2005.08.10

サルなりの情報環境

考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人
「ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊」という本の紹介。携帯の影響で日本人は物事を深く考えなくなった、と主張する本らしい。また、物事を深く考えないだけでなく、自我の確立にも悪影響があるともいう。

で、橋本さんの引用の中で、これはと思うのは次のくだり。

大事なのはメッセージではない。それどころかメッセージが来るかどうかということですらない。メッセージがもたらされるチャンネルが確保されているかどうか、という点に関心の主眼が置かれるようになってしまっているのだ。
「有名であること自体がひとつの価値」という見方が広まったのは、確かに、マスメディアの機能の一部がIT系の新しいメディアに移った影響があると思う。

放送の形で一方通行で情報を受け取るのではなく、通信を使って口コミで情報を受け取ることが多くなったため、情報が断片化しやすいことは、確かに言える。

しかし逆に、激増したチャンネルから入ってくる多くの断片を自分の中で再構成するという、新しい情報環境の活用が始まっているとも言えると思う。

その情報活用のあり方が、「ただ有名であるというだけのこと」の価値を押し上げているというのが、私の考え。

さて、この本は前作同様、評価は分かれそうだ。
・・・
この本を読んで腹が立てばサルだし、同感ならばオヤジである。サルのほうが未来がある分、マシという見方もできるような気がするのだが、どうだろうか。
えーっと。人の書評でおいしいところだけ見て済ませるおいらが、本物のサルだと思います(笑)。

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2005.08.09

コンテンツサマリ配信という新しい戦場

ネット上の広告・広報手段はプラットフォーム構築競争の戦場でもある。その意味で以下のエントリはメモしておきたい。

Yahoo! Widgets が RSS を駆逐する?
テクノロジレイヤが異なれば競合しないのか?
Web フィード ≠ RSS / Atom

Yahoo!は技術的には後手に回ることが多いのは事実なんだけど。
かといって無視できるわけもないし。

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楽曲への課金は信頼醸成から

「私的録音補償を問う」 日経本紙 経済教室

権利者への利益還元のためのビジネスモデルを決めるのは事業者の創意工夫と消費者の選択であり、著作権法でも行政でもない。法律にできることは、過度な制度によって特定のビジネスモデルの健全な発展を妨げないようにすることにすぎない。
慶応の小泉直樹先生の寄稿。制度設計上の難しい点として、デジタルデータの記録媒体が、楽曲にもそれ以外の用途にも同様に使われるため、私的録音補償制度によるどんぶり勘定の利用料徴収と個別利用に対する個別課金が当面混在することによる二重課金を挙げている。その対応として、「落としどころは「軽め」の課金といったことになりそうにも見える」としている。

で、この稿で記憶すべき点はその後。この問題の本当の難しさとして、補償金制度そのものへの不信が消費者の間にあることを挙げている。補償金の支払い義務者である消費者に対して、課金額が示されていない点を挙げたあと、こう書かれている。

とりわけ重要なのは、集められた補償金の2割(04年度は録音録画合計で約7億円)が共通目的事業の名目で管理団体に留保され、権利者に配分されていないことであろう。
だそうです。
消費者に向かって倫理を説くつもりなら、まず隗より始めよ。だよね。>管理者団体

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2005.08.08

投票日は「SEPTEMBER 11」

というわけで、衆議院が解散され、総選挙が行われることになったヨ。
投票日は・・・

セプテンバー・イレブン
これは何かの符牒かナ?

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雑記050808


新幹線99の謎―知ってるようで知らない意外な事実

全世界で鉄道を利用する人は1日1億6000万人。そのうち40%にあたる6000万人は日本での利用で、その日本で1日平均利用者数1620万人を誇る世界一の利用者数を誇るのはJR東日本だそうだ。
えーっ。そうなんだ。

地方へ行くと、昔の(0系というのだろうか)グリーン車両が「こだま」になっていたりして、ゆったりできたりもする。


カネボウ粉飾:監査法人が虚偽報告書 債務超過を圧縮

約796億円が、全部が全部、立件されるとは思いませんが、そのうちの相当額が立件、起訴されるといった事態が生じれば、監査法人に対し、巨額の損害賠償請求が行われる可能性が、現実のものとしてあり得るでしょう。
えーっ。そうなんだ。

監査法人なんて、専門家の給料を信じ難いほど安くしたり四苦八苦の経営なのに、損害賠償までさせられたのではたまりませんね。でも、本当に粉飾に加担していたのなら、自業自得なんでしょう。自分の仕事に泥を塗っているわけですから。


丸善、産業再生法認定
えーっ。そうなんだ。

1週間ほど前のニュースらしいのだけど。



今日は人の話に驚いてばかり。
面白そうな日なのに、新聞はお休みか。

そういう紙の新聞って一体何?
ますますネットニュースに傾斜。

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2005.08.07

郵政をめぐる争いは「失われた10年」の区切り

参院採決の前に書いておこうと思うのだけど、郵政民営化問題は「失われた10年」に区切りをつけるマイルストーンだと考えていいのではないか。

様々な思惑のもとに表面的に言っていることとは別に、本音を聞けば、この10年で随分改革も進んだことだしそろそろ昔の「大きな政府」に戻したい人達と、改革はまだ緒についたばかりで、「小さな政府」の実現に向けてここで大きく一歩踏み出したい人達との間に、線を引くことができるのではないか。

マスコミが伝える政治方面の人達の言動だけを見ていると、総選挙などとんでもないという意見が多いように思うのだけど、郵政民営化を巡る争いを「社会全体に対する政府関与の大きさ」を決める争いと捉えれば、総選挙で国民の意見を聞いてみるのは悪くない考えだと思う。

私自身は、政府はあまり大きくない方がいいとは思うけど、日本人それぞれが、政府にどの程度の大きさを期待しているのかは、問うてみないとわからないことだ。そしてこれは、問うてみるだけの重要性のある問題だと思う。

過去、小泉政権を支持してきた国政選挙の結果でそれは十分だと、個人的には思うけれど、まだ納得できない人達も多いに違いない。それが反対派の強硬姿勢に反映されていると見ることもできる。

だから、選挙はやってみていいのではないか。ひょっとすると、株価が下がろうが財政がますます危なくなろうが自分の預金がどんどん目減りしようが税金ががんがんあがろうが、そんなことは眼中になくて(笑)、実は「やっぱりもう少し大きい政府がいい」と思っている人が増えているかもしれないのだし。

あるいは、もっと萎えなケースとして、大きな政府にすることでまわりまわって潤う人の数が増えているのかもしれないし(鬱)。

いずれにしろ、重要な問題について有権者に問うてみることについては、私は反対はしない。

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ドルフィン・グライド

久しぶりに、1000円と1時間を無駄にしたと断言できる映画。

確かに、異世界の映像で、最初の5分はほほぅという感じで見ていたのだが・・・
おなじようなシーンをその後20分くらい見せられて、いやになった。
美術館にときどき置いてある、自己満足度100%の環境ビデオのようなものなのだが、それを映画館の大画面で長々と強制的に見せられるとは・・・。
しかも、酔うし。

後半のメイキングもひどかった。
山も谷もなく一本調子。監督の解説は大画面から甲高い大声で脳みそに突き刺さる。


最初の5分だけ見て出てくれば、面白い映像だった、で済んだのに。

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2005.08.06

死すら相対化するヒトの想像力

「義体化」とプチ整形
ふーん。いまやそんなこともできるんだ。それにしても

脳までバックアップが取れるようになったら、「たぶん、私は3人目だと思うから」という綾波レイの世界が始まるわけですが。

はたして、私の孫の世代では、人は永遠に生き続けるようになるんでしょうか?

そうなったら、キリストもお釈迦様もお払い箱で、新しい教祖が必要になるのでしょう。
その前におさらばできそうで、幸せというか不幸というか。

しかし、そうなっても、やはりヒトはその状況に最後には適応してしまうだろう、という予感はあります。「綾波レイ」や「草薙素子」を想像できるという事実が、既にして限界を超える可能性を示しているわけですから。たとえ試行錯誤や大失敗を経験しなければならないとしても。

車がへこんだら5万円かけて板金するのに、自分の顔は何十年経ってもまったく補修しないというのは、よく考えてみればへんな話かも知れませんね。
「天から授かった体はなるべく傷つけずに返すもんだ」と親から教わった古い人間なので、私はピアス穴さえ開けるのは嫌ですが。
といっても、なにか不具合がおきれば手術は受けるのだろうから、この辺りは単に好みの問題なのかも知れません。
 
 
境界線は微妙。

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2005.08.05

大学がe-learningを導入する理由

るんちゃん・健ちゃんと日本の高等教育の末路
教育に情報化を持ち込むその理由とは?

第一は学生の止まるところを知らない学力低下である。
その原因は学習時間の減少にあるので、家で自習をさせかつ教師の手間を省くため、学習進捗状況を機械に自動判定させるべくe-learningを使う、と。そして・・
もう一つ、e−learningに力を入れる理由は、入学した大学がつぶれた場合でも、大学がコンソーシアムに加盟していて、講義科目がインターネット配信である限り、学生さんはとりあえず支障なく卒業できるからである。
なるほど。こちらの理由は、学生側から見れば、妥当な仕組みだと思います。

その後の文は、実学と教養の、古くからの葛藤について。

日本の資本主義企業の質は世界最高水準である。
日本の高等教育の質は世界最低水準である。
同じ日本人がやっていてどうしてこれだけの差が開くのか?
理由は、いろいろあるのだが、差しさわりがありすぎるので、こんなところでは申し上げられない。
申し述べていただきたい。あ。舌の根も乾かぬ2行後にこのような・・・
大学の教師の代わりに企業人に授業をやらせた方が教育効果は上がるのではないか・・・とまあ、誰でも考えますわな。
でも企業人は単価が高い。それで・・・
というような諸般の事情によって教育の情報化が推進されているのである。
情報化とはつまりコストダウンである、と文科省は捉えているらしいことがわかります。それでいいのか > 情報産業関係者。

いや、そうだろうとは思うけど(笑)。

聞けば聞くほど、日本の高等教育は末期的であるなあ・・・との感を深くして、重い足取りで淵野辺を後にした出口先生と私なのであった。
教育、とりわけ実学を金儲けに接続してやらうと考えておる輩としては、なんとも申し訳なく。
 
 
でも、止めないんだけど。

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2005.08.04

雑記050804

暑苦しいのでさっさと寝て、多少涼しい丑三つ時に起き出して、ぽつぽつと先送りしていた企画書を書く。
飽きてきたらblogに逃避(笑)。


成功術 時間の戦略

・「頭は1日に1時間しか動かない」と考えて割り当てよ
・だが、「頭は100%使うな」
「blogに逃避」を理論的にバックウプしてくれる素晴らしいアイデア。
・仕事の価値判断と持ち時間の判断、すなわち切迫度と重要度の判断を常に意識せよ。
しまった。そういう前提があったのか(笑)。

それはそれとして、この本の紹介エントリは、いいことがたくさん書いてある。


類型化

見出しの大きさは新聞社では整理部が決めることになっている(らしい)。ニュースの重要度にしたがって見出しが「トップ」「四段見出し」等々決まるわけである。新聞の読者はなんとなくそれに誘導されてニュースの重要度を判断する。
一方でウェブのニュースの見出しの大きさは時系列に登場し、紙面ほどの誘導効果がない*1。
・・・
*1:見出しの大きさもウェブ上に復元できる有料サービスもあるらしいけど、金払ってまではしないよなあ。
見出しの大きさで表現される、「類型化」(または編集)にこそ価値があると、新聞社の人たちは主張したいはずだけど、「金払ってまでしない」程度のものだとすると、新聞の未来はやはり暗いと言わざるを得ないのだろうか。

もっとも、通信社からの膨大な配信を取捨選択している段階にこそ付加価値があり、その後の重要度判定(=見出しの大きさ)にはさしたる価値を認めない、ということならば、まだ希望はあるかもしれないが。


「(米国の)民主党と共和党は、コミュニティー・クラブに過ぎない」(ブッシュ)
おお! さんざんにこき下ろされてしまいがちな、ショージ・ブッシュたん。でも見直しました。

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2005.08.03

分割発注は談合問題の本質ではない

このところ、道路公団絡みの談合事件に関わる新聞記事で、「分割発注」の言葉が連日見られる。まるで分割発注が談合の原因とも受け取られかねない勢いだ。しかし、分割発注は談合の直接の原因ではなく、これにあまり注意を向けすぎると、談合発生の本質を見失い、談合当事者の思う壺にはまることになる。

もともと、総合請負業者(ゼネラル・コントラクタ)が、受注した工事を下請け業者に丸投げして鞘を稼ぐ実態が目に余ることから、工事を分割して工事能力のある下請け業者に直接発注すれば、ゼネコンによるピンはねを防ぐことが出来るのではないかとして、分割発注という方法が導入されたのだったと記憶している。

その分割発注方式が、月日とともに変質し、今では、建設業界のワークシェア(笑)の手段として使われているというのだから、なんともやるせない。「ああいえば上祐」という者がいたが、「ああすればこうする」この業界のたくましさ・・もとい、創意工夫・・、いやいや、そうだ、狡賢さに、辟易を通り越して感嘆の念さえ覚える。
いや、おやじ達、ほんとにたくましいな。それだけは心底見習いたいと思う(笑)。

さて、期待された分割発注方式が、あまり効果も上げずに今日に至ったのには、振り返ってみれば明らかな理由がある。

分割発注方式の本意は、技術と技能を持った下請け業者に直接工事を発注する点にあったはずだ。それが、業者の技術力に関係なく一律に工事を分け合う仕組みに変容してしまったのは、技術力を正当に評価して受注や入札に反映する仕組みをつくれなかったからだろう。

談合問題の本質は、業者を技術力や経営力で評価して区別をつけていこうという姿勢が、「発注側に」欠けている点にあった。

国土交通省は、道路公団の不正を受けて、一般入札の範囲を拡大するそうだ。これと歩調を合わせて、品確法の実務的・技術的側面を充実させていくことが、談合問題の本質を突く対策として有効だろう。

いつまでも分け合っていけるほど、もはやパイは大きくはない。建設業界も徐々に体質を変えていかなければ、談合という名の共倒れになりかねない。

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2005.08.01

花火050801

走る電車の窓から、色とりどりの光こぼれるビルの谷間に、大きな丸いイルミネーションが咲くのが見えた。
時が足を緩め、光の球はきらめきながらほどけて、ビルの陰に隠れていった。

それが今年見た私の花火。

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