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2005.07.11

匿名と実名(顕名)は両立する(再)

匿名は本当に悪か?

 まとめよう。私たちは顕名的なコミュニケーションと匿名的なコミュニケーションの双方を必要としている。その理由は、私たちが、共同体の内部でのコミュニケーションと外部(市場)でのコミュニケーションの両者を必要としているからである。
さすがに、考えるのが仕事の人は、きちんとまとめてくれる。が、今度はちょっとやっかいだ。
 21世紀の人間は、19世紀の村人が異人を恐れ、20世紀の国民が外国人を差別したように、「匿名なもの」を社会空間から排除しようと試みる。私たちがいま見ているのは、その入口の光景だ。
なにしろ、自分は知性あるエリートだと思っている人の中にも、匿名を嫌う人は山ほどいる。おそらくその理由は、彼らが失うものを山ほど背負った不自由な人達だから。

自分の村の平穏だけを望んだ19世紀の農夫。自国の繁栄だけが願いだった20世紀の国民。その人々とさしたる違いはないのが、21世紀の我々だ。だがそれでは共同体の外とのコミュニケーションは図れない。共同体の外の価値観と断絶するのではなく、なんらかの折り合いを見つけ出すのがグローバル化というものだろう。

 だとすれば、求められるのは、社会空間から匿名性を全面的に排除してしまうような制度や技術の開発ではない。現実的に私たちが考えなければならないのは、匿名的な存在をあるていど退けるのはしかたないにしても、その存在を同時に部分的に許容し、コミュニケーションの回路も準備していくような、デリケートで余裕ある知恵の獲得ではないだろうか(というのもあまりに抽象的だが、要は、市民全員がスマートカードだか携帯電話だかでゲートをくぐるハイパーユビキタス社会よりも、よくわからんやつでも小額の現金をもっていれば交通機関や公共施設を使えるような社会のほうがいいんじゃないか、ということである)。

いいんじゃないか。ということなんであーる。
 実際、19世紀のひとびとも、20世紀のひとびとも、異人や外国人に対してそのようにいいかげんに接していたはずなのだ。
うんうん。といっても、酔っ払って線路に落ちて血まみれになるほどいいかげんかというと自信はないが(笑)。

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