2005.07.31
暑い。
昨日はつまらないプログラムの改修に半日かかってしまったおかげで消耗。
それでいくつかの他人の苦しみが消えるわけだが、それがこうした消耗に突っ込んでいく理由ではない。そのことが不思議。
やっぱり暑さで一部壊れているようだ。
▼
「ヨブの苦しみには意味がない… 」
意味は、世界と他者を裁く。それがあるようにはそれをあらしめない。つまり、私の意識は常に裁き、闘っている。しかし、それは、かなり虚しい。
たいていの苦しみには意味がない、に同意。ただやり過ごすための、他人による無責任な意味づけが跋扈するのみ。
意味づけに胡散臭さを感じてしまうと、新たな地平が開けたりするのかも。髑髏と隣り合わせの南米ラテンの明るさに、近いものをなんとなく感じるのは錯覚か。
神のようないいかげんな被造物ではなく、実在と死の方が重要。というような。
それはそれとして、商売としての宗教はおいしいと思う。(笑)
▼
「マックス・ウェーバーはえらい」
「どうして、ここに鍵があるとあたなは思えたの?」という問いにウェーバー自身は答えることができない。
「知性の節度」というのは、「どうして私はこんなに賢いのか、自分では説明できない」という不能感のことである。
「どうして私はこんなに賢いのか」について得々と理由を列挙できるような人間はたくさんいるが、それは彼らが「理由が説明できる程度の賢さ(つうか愚かさ)」の水準にいるからである。
そういうもんなのか。
いいこと聞いちゃったよ。
メタな話しの多くはやっぱり眉唾なんだな。
という程度の理解でとりあえず今日は終了。
▼
と思ったが、借りた本を読んでいるうちに、なんだか似たような一節に出会ったのでメモ。
自分の生をつくづく省みるとき、わたしはそれが曖昧な形をしているのに驚く。英雄の生涯は、物語によれば、単純なものであって、矢のようにまっすぐ目標に向かって飛んで行く。そして大部分の人間は自分の生涯をひとつの公式にまとめるのが好きである。
・・・・
彼らの記憶力は親切にも説明可能な明白な人生を彼らに描き出してやるのだ。私の人生はもっと輪郭がぼやけている。・・・・
「ハドリアヌス帝の回想」より
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2005.07.29
「日本道路公団の談合問題に見る建設業界の病理」
日本の建設業界は非効率的で高コストなのは有名。
こういうものは、当事者(中の人)が変えることは難しい。なにしろその構造の中で食べているわけだから。
そういうわけで、パイ全体を外から絞るという現在の戦略は正しいと思う。
絞る過程で、生き残るべき企業や人が残り、そうでないものは去る、ということだろう。その、「生き残るべき」ものを選ぶ過程が、政治力や金銭力ではなく、技術力や勤勉さなどに基づいて行われることを希望したい。
それがうまくいけば、この業界は再生できると思う。
人間はバーチャルな世界に生きているわけではなくて、生身の世界に生きているのだから、この業界が取り組むテーマは、実はいろいろあるはずだし。
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2005.07.27
「債権取立屋と戦う - matter of principle」
話し方、話す内容が、保険屋の威圧ねーちゃんとほとんど同じである。同一人物かと疑うほどだ。ということは、同じようなマニュアルで話をしているのであろう。
修羅の大陸。(笑)
こういう話しを聞くと、日本ってば確かに高品質社会だよなと思う。高信頼という言葉もあるけど、「間違いは許さない:自社の間違いでも」という意味で、高品質としておこう。(それは「信頼」とは違うものだから)
もちろん、見方を変えればわしらは温室育ちでもある、というのがお決まりの展開だけど、今日は少し違う風にも考えてみた。
実はこの種の2段3段構えのバリアは、日本にもある。ソフィスティケートされているので気付きにくい、というか、突破する前にこちらの考えがいつのまにか修正されていて、自分でも気付かないうちに押し返されていることがある。具体例はあえて挙げないが。
だから、米国との違いは、バリアの有無ではなくて、バリアの特性にあると思う方が、たぶん当たっていると思う。
自分の考えはいつもチェックしておかねば。
アメリカでprincipleを守るのは時として面倒くさいことなのです。
日本でも、自分の内なる、明文化されにくいprincipleを守るのは、
やっぱり面倒なことなのです。
てなことを言ってるから、変人とか、偏屈とか、付き合い難いとか、いろいろ言われるんだよね。
変人首相もそう思ってるのかなあ。
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2005.07.26
「決断力」
将棋の羽生善治さんの書いた本の紹介。その後半がいい。
「
どの世界においても若い人たちが嫌になる気持ちは理解できる。周りの全員が同じことをやろうとしたら、努力が報われる確率は低くなってしまう。今の時代の大変なところだ。何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている。
」
これを受けて、橋本さん自身はこう言っている。
そうした継続できる情熱が育ちにくくなっているのが現代なのではないかと思った。情報化社会では、個人の才能はすぐに全国、全世界の統一ランキングのどこかに位置づけられてしまう。
それはやる気を削ぐとして、かつては見える世界が適度に小さかったので、その中で上り詰めることができ、その後で次の世界・目標が見えるようになっていたとしている。
徐々に拓ける世界展望というモデルが、多くの才能を育てていたのではないか。
まさに。
アチーブメントテストと偏差値というものの害がここにある。
もちろん、統計はうまく使って、世のため人のために役立てることもできる。
それで、ついでに商売のタネにもできそう。ありがたくいただきます。
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2005.07.25
「脆弱なままで打たれ強い私」
この稿の前半部分は重要。
単純に脆弱性を取り除けば、危険性もなくなるが可能性もなくなる。必要な機能をリストアップして、その機能だけをサポートして一切変更できないパソコンを社員に与えたら、大半の企業の生産性は取り返しがつかないほど低下するだろう。
コンピュータというものは「遊び」の部分に本質があって、だから、ワープロやメールマシンとして割り切ることはなかなかできない。
遊びの部分を不用意に削ると生産性が著しく低下する、ということが解らない管理職やシステム屋がいるので、注意が必要。こうした人は「解っていない」ことの自覚が無いので、説得が難しい。
個人情報の管理がやかましく言われる中で、「営業担当に顧客一覧を見せるな」といった不可思議な意見がまかり通っていたりもするらしい。しかも、担当自身が集めた顧客リストをだ。
本当だったら噴飯ものだ。
thin-clientなシステムをつくるときは、この罠を回避する姿勢が必要だと思う。
最近流行りの言い方をすれば、「教養」の類が必要なのだと思う。偉そうに言えるほどそれを持ち合わせているわけではないが。
因みに上の稿の後半に一応触れておくと、
もしくは「眉唾人格」という風に権限を制限した思想プロセスを脳内chrootして被害をそこだけにとどめるという手法が必要。
昔、「銀河パトロール隊」というSFのシリーズがあって、敵に捕らわれた主人公が、心の深い部分を隠したまま、心の表面だけ敵に乗っ取らせ(て油断させ)るという、レンズマンならではの技を使っていました。潜入捜査官とか草とか、似てますね。
て、これは教養ではないですが。
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2005.07.24
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「「闘う知事会」レポート」
ココログだったのか。知らなかった。
TBだけでなくコメント欄も開放している勇気は称えたい。が、大荒れ。
議会は、限られた数の議員だけが相手だし、お互いにしがらみがあって、やりとりも抑制されがちかもしれないが、ネットの議論はそうではない。遠慮会釈なし、というのが実情。
閉鎖、ということにならなければいいのだけど。
こちら経由で知る
▼
「SNS使って麻薬取引したブラジル人が逮捕」
あらゆることがネット上で行われるのは当然として、
Web検索大手のGoogleが2004年1月にOrkutを立ち上げて以来、数百万人のブラジル人がこのサービスの愛好者になっている。ブラジル人は700万人を超えるOrkutの会員の半分以上を占めている。
そうなの? 一応予備知識としてメモ。
こちら経由
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「総務省・全国地上デジタル放送推進協議会」名による新聞広告。
タイトル下のこのゴシック括弧書きに大爆笑。
(予言ではありません。れっきとした予告です)
総務省がんがれ。超がんがれ(笑)。
法令で定められている以上、執行機関としては好きも嫌いもない。やらなければならないわけで。総務省、必死だなと。
NTTにしろ民放キー局にしろ、金は余っている。その金をデジタル移行に注ぎ込めという方針は、案外まともかもしれない。その見返りに、メディア寡占の既得権は、当面は残してあげましょうという、まあまあの落としどころと見れなくもない。
とはいえ、総務省はあえて言わないし言うはずもないが、この着地点は、長く寡占状態を謳歌してきた放送メディア業界に競争環境を導入する始まりになるだろう。それは悪いことではないと思う。
変化がかなりゆっくりなのは、まあ致し方ないとするか。
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反省、悔恨、罵倒、懺悔、そうしたどろどろを見せつけられるかと思って身構えていったけど、意外。魅入ってしまった。以下、ネタばれすぎです。できれば読まずに観にいって欲しい。
崩壊に瀕した様々な人間模様が綴られていて、どの感情や行動も微妙に異なっているのがよく伝わってきた。極限状態を描きながらも、観客を激情に巻き込むことなく、うまく観せた。監督の手腕だろうと思う。
戦況が悪くなるにつれて、だんだん切羽詰って変わっていく地下司令部の人々の中で、主人公の女性秘書ユンゲだけが、少しぽーっとして日常性を失わなずにいたことが、この冷静な感じに、大きく寄与していたと思う。
この、ひとり日常的な感じは、しかし、観ている間ずっと違和感があった。どうみても「浮いて」いる。何か意図的なものを感じさせたまま、最期に彼女が少年と共に、終戦直後のソ連兵の囲みを通り抜け、陽光の中、拾った自転車で故郷へ向かう平和で開放的なシーンまで続く。違和感を残したままこれで終わりかと思わせておいて、その後に、真のエンディングがあり、「浮いている」主人公をつくった意図がみごとに結晶する。
ユングは実在の人で、2002年に亡くなったそうだが、そのインタビューが最後にある。うろ覚えだがそれを書いてみる。
脱出したあと、しばらくして、600万人のユダヤ人や他の人種の人が殺されたと聞いて、恐ろしいことだと思いました。けれども、それを自分と結びつけることができませんでした。自分とは関係ないことだと思っていたのです。でも、そうではありませんでした。
彼女が「浮いていた」のは、自分は無関係だという思い込みの表現だった。そして、映画という表現ではなく、インタビュー映像という現実の中で、無関係ではあり得ないと、皺深くなった彼女は語る。
この映画は、それが核心だ。
自虐史観とかいうものが、責任や反省などの情緒的な要素を多分に含むのに対して、ユングはただ「無関係ではあり得ない」という事実のみを語る。
既に、天寿を全うして彼女は旅立った。60年前の大戦を直接知る人も少なくなっていく。
この映画は、その時代に居合わせた人達からの、またとない贈り物だと思う。それを優れた映画として切り出したオリヴァー・ヒルシュビーゲル監督に感謝したい。
私的には優しい面も見せる一方、総統の立場では傲慢冷徹なヒトラーの二面性を、余さず演じたブルーノ・ガンツも名演。
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2005.07.23
「地下鉄で手荷物検査」
もしかりに10年後、都市生活をいまと同じように自由に匿名で送りたいのならば、僕たちはかなり強力な新しい思想を生み出さねばならない。
匿名でいきたいです。どうすればいい?
・不満への対処
・不満を穏当な方法で解決する習慣づけ
いま現在、残念だけど失敗が明らかになりつつある?
・不満はそのままで別の満足とトレード
・不満を不満と思わせない誘導
悪く言えば洗脳。よく言えば教育。
・自分への対処
・達観する
爆発というのはときどきあるものだ。交通事故と同じように。と悟りを開く。
あんまり思いつかない・・
それにしても、いったいなんでこんな社会になってしまったのか。戦争中ならともかく、普段はバスや電車は安心して乗りたいものです。
そういう時代。と言ってしまうのは defeatism かもしれませんが。
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2005.07.22
2005.07.21
「ネットで「地上デジタル」 総務省、光回線配信容認へ」 日経本紙
当初「地上波」デジタルと言っていたのがいつのまにか「地上」デジタルに変わったあたりから、おや?とは思っていましたが。
記事によれば、
総務省は居住地域の地上波で視聴できる放送以外は光ファイバー網経由で見られないようにする仕組みを導入することで、放送局に同意を求める方針。
とのこと。
・・・(笑)。
数年も経てばご破算になるかもしれない約束ですが、これまでずいぶんな投資を民放に強いてきたいいわけくらいにはなるかもしれません。民放の経営者の顔も立てなければいけないし。
放送局側も考えているでしょうから、有線経由でも使えそうな設備投資を優先しているはずだし。
ところで、いまの時点でも、同軸ケーブルを使えばもっと早くできるとか、もう少し安心とか、そういう意見もありそうに思うのですが。難しいのかな。
もっともこちらは、光ケーブルに投資を続ける通信会社への配慮もあるかもしれません。
あちこちに気配りの総務省。境界線の塀の上に危うく着地(笑)。
[追記]
「地上デジタルのIP配信」
IP everywhere で考えれば、こんな風な未来像も。
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2005.07.19
「年寄りの68%は悪徳商法や詐欺に警戒心なし。」
で、引っ掛かった話を聞くと、金をいくばくかとられて寂しさをまぎらわせてもらって、「ねえ、ひどいでしょ」って話のネタをもらったんだから、仕方ないかって、我慢している方が多い。
豊田商事のときもそういう話しだった。
政治家は、老人健康保険を所得制限つけて費用負担させて、支払われる年金も支給上限を決めて支給したいって思っているんじゃないか。「使わないなら、おこずかいなんていらないじゃない」って論法。
いやいや。所得再配分ていうことなのでしょう。
お金はなくなるわけではなくて、どこかを巡っているわけで。滞留しているならそれを流そうという人がいるのは一面ではいいことかも。おっと問題発言(笑)。
にしても、30年後には、いわゆる負け犬たちもお年寄りになるんだが………どういう世の中になっていくのやら。年をとってくると、寂しさを紛らわすにもお金が必要。哀しいけど、これ、ホント。
そこで宗教ですよ。
そうだ。教祖様になれば寂しさも紛らわせるしお布施ももらえるな。いまから教祖になる練習でもするか。
まず巫女を調達せねば(笑)。
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2005.07.18
▼
だらだらと20min程度のシナリオを書く。うちにはクーラーを付けないとはいえ、現実は暑すぎるので、バイクでしばらく風にあたって、クーラーが利いていてコンセントが使える茶店にいく。
▼
ぼーっと外を見ながら露出度の高い西洋人女性で目の保養などする。さっきの発育のよいほっそり美形の女の子は、上ほとんど着けてないに等しい。おなかのあたりが「軽くやばい」が、気にしないのだろうな。育ち盛りだし。
梅雨があったのかわからないが、あけた宣言とともに脳みそが煮崩れる季節が今年もやってきたよ。
しかし、肌も腹も出しすぎると却って暑いと思うのだが。
▼
このコメントに驚いた。錯視らしい。
▼
「「寄生獣」ハリウッドで映画化」
CGを駆使し原作を忠実に再現するという。
出来てしまうのだろうな。だからこそ見たくない。
たぶん、映像のグロさが際立ってしまって、お話しの面白さが霞んでしまいそう。漫画という簡略化フィルターのかかったメディアを通じてこそ、楽しめる作品だと思うのだけど。
ここ経由。
▼
「ブログとかってぷちうよばかりかと思ったら…」
うまく言えないがブログってなんだろなとは思う…いわゆるブログ論とかじゃなくて。
「ブログって」という部分を、「言葉を書き綴るって」と置き換えると、正しい問いを発せそうな気がします。
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2005.07.17
▼
「世界中どこでも技術者は愛されている(多分)」
なるほど、確かに必読。実証的精神というものの威力をうまく切り取っている。
モヒカン族というものがこういうものなら、それはいいことだと思う。それに反してモヒカン宣言というのは残念ながら誤読されやすいのでないか。
こちら経由で知る。
▼
しかしその一方で、モヒカン族とは、こういうものでもあるらしい。
「rir6システムを実装しよう」
要求仕様書を提示されたら、さっさと実装してしまうのが真のモヒカン族ではないでしょうか。
そこには、要求仕様を作成した人のコミュニケーションの拙さ、技術への無理解、さらには時として自分の業務への理解不足(そういうことが現実にあるのだ)など、諸々の陥穽を無視した、「契約書に書かれていることがすべて」という考えがあるのかもしれない。
ものごとは、それが置かれているコンテクストを含んで重層的に捉えるのがいいと私は思っているので、現実的な時間と費用の中では契約書に書き表し得ない諸々を無視する姿勢には同意できない。
やっぱり、モヒカンというものがよくわからない。単に、自分の(整合性に細心の注意を払って維持している内的)世界のルールから一歩も出ないぞ(=アクセスしたい者はそのルールに従え、金も払え)宣言のようにも見える。
全能感に囚われた若いコンピュータ屋さんにありがちな姿勢、と言ったら刺激が強すぎるか。
▼
さてモヒカンの話しはおわり。次はこれ。
「環境が無敵のポジショニング軸になる日」
スポーツカー愛好者がハイブリッドに乗りたがる理由はこう。
こういう人は、かつてトヨタ車などには脇目もくれなかったタイプだ。その彼がなぜハイブリッドが載ったレクサスなら買うのか?理由を聞いてみると、「モーターの加速を味わってみたいから」と言う。
低速時のモーターの加速力は実際かなりのもの。バイク乗りとしては密かに恐れている。信号ダッシュで車と一緒に走らなければならない日が来るかもしれない。低速時にやや不安定な二輪車にとって、これはかなり疎ましいことだ。
ホンダから一日も早く文字通りの「モーターサイクル」が発売されることを切に祈る。
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2005.07.16
▼
週末キャンプに行くつもりが、雑用を片付けているうちに昼。
予定を変えて、図書館で予約していたユルスナーという人の本を3冊借りてくる。
今週は見たい映画もないので、これを読んで過ごす。
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「モヒカン宣言」
これはいわゆる「科学的な態度」というものに近いと思う。その意味で、特に目新しくはないが、根っこのところで共感はできる。
ひとつ揚げ足取りを。
ここに定義と宣言があるが、「ムラ社会」の中にある、
反モヒカン族が信奉している旧世代の思想は「ムラ社会文化」と表現する
が少し引っ掛かる。
10~20代の若者が、目立つことを嫌がり、なによりも周囲との調和を重んじるらしいことを見れば、これが旧世代特有の思想ではないことは言えそうだ。
・・・ああ! ムラびととしてやってはならんことを! ついうっかり!
▼
「feric」デザイナーのサイト?
なまめかしさをほのかに感じさせるスケルトン感がいい。
こちら経由
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2005.07.15
▼
「ロンドン爆破テロ事件の雑感」
欧州のなかに深く溶け込み国内で分断されたイスラム教徒が、それもイギリスで生まれ育った人間が何らかの示唆を受けて思いつめて自爆テロに及んだという切ない事件だったわけで。
まだ捜査中なんだろうと思うので、ことの真偽はわからない。しかし、この件とは離れて、コメントの中に面白いものがあった。
アルカイダが組織じゃなくて思想になったってことですな
この事件で顕在化したということか。ますます捉えどころがなくなってやっかいなことに。
▼
「CD購入や音楽番組視聴、「ここ1年で減った」が4割」
タイトルどおりの記事の中身はともかくとして、副次的な情報をメモ。
欲しいコンテンツが映画、音楽、ドラマ、アニメ、バラエティ、スポーツの順番になるのが通常だ
そうなのか。映画がトップとは知らなかった。ドラマ、まだアニメに抜かれずがんばっている。ていうかアニメに抜かれたらおしまい(笑)。
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2005.07.13
先日こんなエントリの中で
そもそも外国人旅行客はどうやって宿を探すのだろう・・。
と書いたら、さっそくお答えが載っているのを発見。感謝。
というわけでメモ。
「旅行情報は口コミより検索」
調査会社GMIによると、旅行情報を探すときは世界中でまず検索エンジンに向かい、知り合いの意見を求めるよりも高いということが分かった。
なんだそうです。
emarketer.comという出所の比較表も載っていて、それを見ると、概していわゆる先進国で、Websearch が personal recomendation をやや上回り、それ以外の国では、これが逆、つまり口コミ優位と読み取れる。思い込みで言ってしまうと、ネット利用の普及率を反映しているのかもしれない。日本のデータがないのが残念。
また、visit travel agent's office は、上記2つに比べてかなり低いのも特徴的。
といっても、旅行代理店のWebサイト経由がどの程度の割合を占めているか不明なので、これだけでただちに旅行代理店の凋落に結びつけることはできない。
むしろ、旅の要素をパッケージするノウハウ、あるいは、現地をサーベイしていないとわからない詳細情報などは、まじめにやっている小さな代理店が案外得意としていたりするから、ネット時代だからといっても、旅行代理業が消滅するわけでもなさそうだ。
大きい代理店は、これも推測だけれど、規模の利益とイベントを占有する政治力で勝負、ということになろうか・・。
利用側にすれば、目的に応じて各種代理店やWeb経由直接契約の使い分けができる、いい時代に入りつつある。
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2005.07.12
「司法は技術中立性を貫け」日経本紙 経済教室
P2Pファイル交換ソフトを使った著作権侵害についての米最高裁判決について、要点をまとめた成蹊大学の城所岩生先生の寄稿。
この稿では、判決のバランスの良さを評価しながら問題を整理し、要点を4つにまとめている。
1.著作権侵害行為の蔓延にある程度歯止めをかけられること
2.P2Pという将来有望な技術を禁止はしなかったこと
3.技術に対して中立の立場を貫いたこと
4.技術開発に水を差すおそれは少ないこと
このうち、なるほどと思ったのは3つめの点。
分散処理型を奨励する結果を招く下級審判決よりも、技術中立型の最高裁判決の方が好ましいことは間違いない。
以前も書いたが、この問題はDRMとマイクロペイメントで解決するのが妥当な線で、配布の手段はあまり関係がない。より正確には、配布手段を制約すると、表現の自由やトレーサビリティの許容範囲との関係が微妙になるので、配布手段と関わりなく解決できるのが望ましい、とは思う。
しかし、現実に問題が起きている以上は、当面、配布手段にある程度言及せざるを得ないだろう。そうした状況下では、この稿にあるように、技術に対して中立性を保った今回の判決はほぼ妥当と言って差し支えないと思う。
日本で進行中の訴訟が、同様にバランスのとれたものになることを期待したい。
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2005.07.11
「JAM THE WORLDから考える現代マスメディアの勘違い」
マスメディアが自分の説明責任を棚にあげて、政治家の説明責任をあげつらっていることについてのまともな指摘。
この放送にはそれだけでなく、明らかな事実誤認があったので、記録しておきたい。番組の最後の部分で、このナビゲータは「国民が反対している郵政民営化」と言っていた。
各種世論調査によれば、確かに郵政民営化の政策としての優先順位はあまり高くないらしい。また、現在提出されている法案については賛否が接近してはいる。
しかし、郵政民営化そのものについては、賛成の人は7割前後いたはずだ。
ラジオの人は仕事がいそがしくて新聞すら読んでいないといいたいのか。
それともスポンサー様のご意向であからさまな嘘を言っているのか。
スポンサーが変わったら意見も変わるのかな。
ちらりとだが、「千の丘ラジオ」を思い出した。
あれも最初は若者向けの娯楽番組でスタートしたのだった・・
やめてくれ、J-WAVE。
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「匿名は本当に悪か?」
まとめよう。私たちは顕名的なコミュニケーションと匿名的なコミュニケーションの双方を必要としている。その理由は、私たちが、共同体の内部でのコミュニケーションと外部(市場)でのコミュニケーションの両者を必要としているからである。
さすがに、考えるのが仕事の人は、きちんとまとめてくれる。が、今度はちょっとやっかいだ。
21世紀の人間は、19世紀の村人が異人を恐れ、20世紀の国民が外国人を差別したように、「匿名なもの」を社会空間から排除しようと試みる。私たちがいま見ているのは、その入口の光景だ。
なにしろ、自分は知性あるエリートだと思っている人の中にも、匿名を嫌う人は山ほどいる。おそらくその理由は、彼らが失うものを山ほど背負った不自由な人達だから。
自分の村の平穏だけを望んだ19世紀の農夫。自国の繁栄だけが願いだった20世紀の国民。その人々とさしたる違いはないのが、21世紀の我々だ。だがそれでは共同体の外とのコミュニケーションは図れない。共同体の外の価値観と断絶するのではなく、なんらかの折り合いを見つけ出すのがグローバル化というものだろう。
だとすれば、求められるのは、社会空間から匿名性を全面的に排除してしまうような制度や技術の開発ではない。現実的に私たちが考えなければならないのは、匿名的な存在をあるていど退けるのはしかたないにしても、その存在を同時に部分的に許容し、コミュニケーションの回路も準備していくような、デリケートで余裕ある知恵の獲得ではないだろうか(というのもあまりに抽象的だが、要は、市民全員がスマートカードだか携帯電話だかでゲートをくぐるハイパーユビキタス社会よりも、よくわからんやつでも小額の現金をもっていれば交通機関や公共施設を使えるような社会のほうがいいんじゃないか、ということである)。
いいんじゃないか。ということなんであーる。
実際、19世紀のひとびとも、20世紀のひとびとも、異人や外国人に対してそのようにいいかげんに接していたはずなのだ。
うんうん。といっても、
酔っ払って線路に落ちて血まみれになるほどいいかげんかというと自信はないが(笑)。
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2005.07.10
シンクロニシティというわけではないけど、このところ、またぞろ「幸福」についての話しが表面化することが多いような気がする。
▽
「「働かぬ若者」に新視点」日経本紙
で紹介された「カーニヴァル化する社会」から引いた、
内的には幸福だが使い捨てられる大衆と夢から覚めているがゆえに不幸な少数のエリートへと分裂する方向に向かう
という説。
▽
昨日見た映画「大いなる休暇」の描く幸福観。
貧しいけれど充実し、やるべきことがあることに誇りを持てる、その幸福。
これは、「カーニヴァル化する社会」の立場からすると、内的に幸福だが使い捨てられる人々にあたるのだろうか。
▽
以前引いたような、想像力と幸福との関係。それだけの想像力を持てる人は、知的エリートのようにも思えるけど、それは「カーニヴァル化する社会」の覚めていて不幸なエリートと、どう違うのか。
▽
私としては、以前どこかで耳にした問答を、また引いておきたい。
問:そんな風に人に使われるだけの人生でいいのか?
答:人の役に立つことが、そんなに悪いことだとは思えない。
この答えは確かアングロサクソン系の経営者か経済学者が、言ったことだったと思うのだけど、誰だったか思い出せない。
幸福を主観と客観のどちらで計るか、またどんな基準で計るか、それを確認しないままの主張が多いので、あちこちですれ違いが起きるのだと思う。幸せを計る基準なんて誰にも定義できそうにないから、この話しはすれ違い続けざるを得ない。
で、私の中でこの種の話しの最後にいつも来るのが、これ
死が人の平等を保証する。
これは一種の思考停止かもしれないのだが、余計なことを考えずに目の前の仕事に集中できるという意味で、当面のアンカーではある。
やっぱり自分は「覚めたエリート」とは違う存在だな、と自覚する。
というか、そういうエリートはひょっとして「覚め方」が浅いのではないか(笑)。
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「12ch:「一度は泊まりたいあこがれのクラシックホテル」……でもね〜 」
ほとんどのホテルは、自分たちがいいと信ずる「思い込み」のサービスを提供しているに過ぎないのである。
どのサービスにも言えることで、私も人のことばかり言えない。よーく気をつけていないと、いつのまにか自分に都合のいい話しを、理屈で固めてしまっていることがある。
ところで、宿泊予約サイトは成長が期待される分野だそうだけど、上の記事にあるような情報を集めて、旅館の経営指南はしているのかな。楽天はそんな風なことをしていそうだけど・・。うまく取り入れた旅館は、外国人向け推奨マークなどを理由(英語)つきで付けてあげれば、海外からの旅行客も探しやすいのじゃないか。
それはそれとして
そもそも外国人旅行客はどうやって宿を探すのだろう・・。
そもそも旅行サイトは英語版を作っているのかな・・。
そもそも・・
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純朴な僻地の島民が繰り広げる、誇りと生活を賭けた一大騒動。というありがちなお話しだが、バランスよく仕上がっている。俳優陣も味がある人を揃えて、安っぽさを防いでいる。以下ややネタばれ。
この映画で私が特に気に入ったところは、その純朴な島民の中に、あえて、冷めた視点を持つ人間を1人紛れ込ませたこと。リュシー・ロリエという島の銀行事務員の娘がそれ。
どう見ても島の人間のものではない言動だが、お話しに外から切り込む視線を常に観客に意識させる。そのおかげで、お話しがべたべたの人情ものに陥るのを防いで、引き締まって見えた。脚本を書いたケン・スコットという人のお手柄だろうか。
豊かではないが、毎日仕事をし、疲れて家路に着く。
島民は誇りを取り戻した。
それはつまり、幸せ、ということだ。
良かったね。
誇りと幸福のために必死に知恵を絞り行動する島民は、それだけで幸せそうだ。
そうそう、ニート? それはどこの国の話し?
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2005.07.09
「想像の力」
想像力が豊かな人は、だから構造的に幸福な人なのである。
どう構造的かは、記事を読んでのお楽しみ。
天/地 とか law/chaos とか。
その考えが人の堕落を招くとかいう、イデオロギごりごりlawfulな批判は不可。
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「セキュリティ投資を考える(5) 可能性を言い出したら切が無い」
セキュリティ投資の決断をするということは、極端に言えば、2つの選択肢から一つを選び、一つを捨てることと同じ。右の道を行くか左の道を行くかである。どちらの道を行くか決めなければならない。どちらの道も行くことはできない。言ってからしか分からないことがあるし、考えすぎて立ち止まっているわけにもいかない。
リソース配分のポリシーとして、発生確率を考えて防止策の優先順位を決め、確率は低くても起きたときの損害が大きいものは、被害を最小限にする手段を講じておく(インシデント管理)ことがあげられています。
慌てず騒がず、淡々と、やれることをやっておきたいものです。
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2005.07.08
気圧が低いときは眠い。
それだけでなく、遠く西方で、なにか大きなフォースのゆらぎがあったようで、頭の働きも鈍りがち。
たいへんなことだなあ。
東京は大丈夫だろうか。
うろ覚えだがテレビで聞いた、地下鉄に乗り合わせた乗客の言葉が悲しい。
煙が入ってきたがだれも動こうとしなかった。
爆弾が足もとにあったから。
我々はすし詰めになったまま、ただ死を待つだけだった。
うーむ・・・
詩人だな。
不謹慎だとわかってはいるけれど。
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2005.07.07
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今日は七夕か・・
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「イオン 32型液晶TV10万円 台湾企業と企画、「国内最安値」販売」
うひー。安すぎる。
産経の記事ではシャープと係争中の件が大きく取り上げられていたけれど、筋をはずしているような。そんな愚かなことはしないのじゃないか。
イオンのサイトによれば1万台限定ということらしい。基幹部品が安く出回ったのを台湾のメーカーが目ざとく買い付けた、のかな?
例えば液晶のような歩留まりが悪い部品は、メーカーの厳しい基準をクリアできなくても、十分実用に耐えるものが多いはずだ。そうした2級品?みたいなものが出回るようになってきたのだろうか。
メーカーにすれば、大画面テレビ全体の価格に影響があるから、できれば出荷したくないはずだけど、方式が増えてきて競争激化は避けられないだろうから、そろそろ価格帯を広げて備えておこうとか?
はたまたメーカー内部の者による横流しか(笑)。
こちら経由で知る。
それより、机の上に置ける17か20インチを3万円くらいにして頂戴(笑)。
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2005.07.05
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「あれ、エントリ書いたけど消えてる」
面白いネタというのは速度に関係している。
それはそうですね。規模にも関係していそうですが、速度が規模を制約するという意味では、速度が先に来ているのかも。
ときどき見せる人格崩壊の話しは、ツリなのかネタなのか(笑)。
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「経団連の「天下り拒否」各省次官が相次ぎ反論」日経本紙
これなど面白くないネタの最右翼だとは思うけど、お約束だから書いておこう。
この話しについて正しく問いを立てるとすれば、
役人の人事制度をどうすべきか
ということになると思う。天下りという派生的な現象に世間の耳目が集まりがちなのは残念なことだ。
経団連にしろ各省の幹部にしろ、そんなことは承知の上で、それでも派生現象を舞台に鞘当てせざるを得ないということか。
一国の人事制度ともなると、おいそれとは変えられないものなのかなあ。
郵政民営化で公社・現業の処理が一段落したら、次はこの、人事制度を大きなテーマとして取り上げてもいいのではないか。HRM得意な人、出番ですよ。
などと気楽に空想してみたりする。
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2005.07.04
こちらのサイトから。
日本経団連が、中央省庁の幹部経験者が民間企業に再就職する「天下り」について、約千五百社の会員企業に受け入れを取りやめるよう要請する方向で検討に入ったことが二日、明らかになった。奥田碩会長の強い意向で、十一日の会長・副会長会議で副会長企業の了承を得たい考えだ。
コメントの中に面白いものが。
『天下り禁止されても「(○○省OB会系)コンサルティング会社」を作ればよいのですね。「官公庁相手の営業戦略や助成金獲得のノウハウを指導いたします。」として、大手企業と契約を結ぶと。』
書いた通りすがりさんは、皮肉のつもりで書いたのかもしれないが、これはいい方法だと思う。それをやりつつ、役所からのコンサルティング契約の透明度を上げていけば、お役人出身で実力ある人の待遇を確保しながら、その知恵を生かすことができそうに思う。
「役人だから一律無能」のような偏見と決め付けは避けたい。経済原則に多少うといのは仕方がないが、大局をよく見ている人は、役人の中にもいると思う。
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2005.07.03
といっても、難しい話ではない。
「2人のクリステンセン」
日経ビジネスのインタビュー記事の紹介。
余った人材の行き場を確保するためにベンチャーキャピタルが誕生したのです。それが結果的に、流動性が高くて柔軟な社会システムを確立することにつながった。
それまでは大企業でのキャリアがよしとされていた米国が、80年代に日本の追い上げを受けて、大企業が吸収できる雇用が減ったときの対応の話し。そういう変化を戦略的に短時間で起こせるところがあの国の力なのだと思う。
一方、80年代以降のソニーの変質について
80年代頃までは、新製品の発売に関する最終決定は、すべて、盛田昭夫氏(故人)が下していたのです
企業統治の話しではないのだけど、ホームページは独裁的につくるといいものができると思っているので、自分が当事者でないときは口をださないようにしている。
「口をださない」でいられる人がもっと増えたらいいのに、と思う。
もちろん独裁者が「イケテる」ことは必須なのだけど。
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少々遅ればせながら読んでみた。目次はこんな感じ。
第1章 日本の情報化の進展と、ネットワーク社会の政治およびセキュリティ面への影響について
第2章 中国の不正サイバー活動の現状および対策
第3章 中国のネットワークの自由と国の安全
第4章 米国におけるセキュリティの現状と論争
第5章 米国における「自由」と「安全」・「秩序」
-米国の保守主義における亀裂-
第6章 ネットワーク、ネット闘争、未来への闘い
斜め読みだったこともあって、とりわけ面白い本とは思わなかったけど、少しメモ。
情報革命の本質は知識革命であり、この社会変化は人と人の関係性のネットワークを強化し、かつ、その間主体的=間主観的なネットワークに膨大な情報と知識の「ソーシャル・キャピタル」を積み上げることになる。その具体的な例がある種のワールド・ワイド・ウェブである。このような情報と人々のネットワークに深く関与することはとりわけ若者たちの間に内面的な指針ではなく、より外在的な知識に行動の基準を求めるという意味で(18~19世紀的な)「近代的個人」とは異なる人間像を作り出すかもしれない。
ここはかなり私的には「イタイ」ところ。丁度、この分け方の境界領域にいるので、ぴくりとくる。
情報化に伴う日本社会の構造的変化については、他のいくつかの先進産業諸国と同じように、19世紀的なナショナリズムを統合の基軸とする近代化としての国民国家の段階を終了したという意味で、「ポスト・モダン」的な状況にある。
(注)「このことは、ナショナリズムが、今日、世界の政治においてあまり目立たないとか、ナショナリズム運動がかつてよりも少なくなっていることを意味しているわけではない。私が論じているのは、むしろ、明らかに目立っているにもかかわらず、歴史的に見てナショナリズムは重要ではなくなりつつあるということである。19世紀や20世紀の初頭であれば、ナショナリズムは、いわばグローバルな政治的綱領といえたかもしれないが、今やまったくそうではない。」E.J.ホブズボーム著、浜林正夫他訳「ナショナリズムの歴史と現在」
注にある、ナショナリズムは重要でなくなりつつある、というところが肝。
ところで、国内統制のために、その重要でなくなりつつあるものを持ち出さざるを得なくなっているお隣の国については、どう考えたらいいのか。発展段階が違う、というのがありがちな答えだけれど、少し違うようにも思う。
その中国に関する2章は、歴史を追って事例を挙げ分類することに多くのページを割いていて、考察は浅いように思う。ハッカーをいくつかに分類しており、その中で「紅客」というグループは他国には見られない「愛国と団結を理念とする」集団として取り上げられていた。その辺りは、グローバリズムが称揚される中での中国の特異性を表しているように思えた。
米国の2章も米国内の政治思想の歴史を追っていて、ネットについて考えることが、政治や歴史の考察と関係が深いことを窺わせる。保守主義の台頭と亀裂について多く書かれていた。
まとめの1章は、ネット闘争(あまり好きではない言葉)の形態や手法について書かれていた。中で、「リーダーレス」で「群集的」な行動と、それを方向付ける「物語」と「ドクトリン」の役割、活動の土壌となる「社会的支持」、特に「個人的な靭帯」についての言及が重要か。例として、地雷廃絶国際キャンペーンに始まって、自動車文化に対する抗議行動である自転車愛好家の集団走行、法輪功と呼ばれる集団の行動、あるいはDDos攻撃に至るまで、目的を問わず見受けられるネット的な活動が取り上げられている。また、ネット活動の弱点についても軽く触れられているが、これは強みの裏返しだからとくに取り上げる必要もないだろう。
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2005.07.02
「イーシステム 最終赤字幅が拡大」日経本紙
特損計上があったのだそうだが、その理由が、
TISからの注文書に基づいてライセンス販売したが、今年4月にTISから社内の承認を得ないで営業担当者が契約した取引なので取り消して欲しいと申し入れがあった
のだそうだ。
時々あることなのかもしれないけど。なんだかなー。
そういうことでも新聞に載ってしまうという時代でもあるし。
決裁、というか意思決定ルートに曖昧さを残していると、そういうことが起こるのかもしれないが、手順と仕組みに何か問題を抱えているのだろうか。>T社
[追記]
TIS、ソフト販売契約を巡るトラブルでイーシステムの主張に反論
今回のTISの発表は、イーシステムが主張する事実関係を否定し、法廷闘争も視野に争う姿勢を示したものである。
あれまあ。
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しばらく休止状態だったマーケティング系のメルマガから、久しぶりにメッセージが届いた。中身は迷惑メール対策の奮闘記で、いろいろな企業がやりだまに上げられていた。、その中で、使用していた転送メールサービスのアドレス宛て迷惑メールが急増したことについて、こんなことが書かれていた。
その転送メールサービスは、信用していた新聞社系列(?)会社から、ある大手検索エンジン企業に吸収されたのです。
つまり、私たちのリストが売られたという訳です。
もちろん、アドレスを漏らしている検索エンジン企業に大方の非はあるわけだが、しかしこの人のようなネット経験豊富なマーケターから見れば、信用していた企業が、サービス譲渡にあたって、自分の個人情報を「売った」と、やはり感じるものなのだろう。
転送メールサービスを手放した側にすれば、サービスを終了してしまっては利用中の客に迷惑がかかると思って譲渡した、という理屈も成り立つのだろう。しかし、安心確実なサービスを売り物に玄人を多く集めることで成り立っている企業にとって、客の情報を、客の了承なく他社に渡すことは、一定のリスクを伴う。
老舗商法というのは、それはそれで難しいものだなあ。
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