食事は大切な文化
写真を見て唖然。こどものとき、こんなものを食わされなくて本当によかった。母に改めて感謝。
というと、「こんなものとはなんだ。大切な食べ物を」と見当違いのことを言う輩がいそうだが、そうしたふざけた言いがかりは断固否定したい。
この写真の食べ物は、ひとつひとつにはそれなりの栄養価があるのだろう。しかしそれだけではエサでしかない。「大切な食べ物」という言葉を正しく捉えるならば、そこには単なるエサに留まらない豊かな意味があるのだ。
どんな味の組み合わせをつくるか、どんな綺麗な見せ方をするか、どんな記憶を残し、どんな記憶を呼び覚ますか。
これを調理してくれた人はどんなに食べる人のことを想ってくれたか。
そうした文化と呼ぶべき要素が、食事にはあるはずだ。
この写真に写っているものは、文化に対する冒涜であり挑戦だ。こんなものを作らせてこどもに与えているのは一体どんな奴なのか。面を見たいぞ。
柄にもなく興奮してしまいますた。ハァハァ。
暴飲暴食あるいは希少価値を誇示するだけの美食は、確かに批判されるべきかもしれないが、それと、文化としての食事とを混同したあげく、粗食礼賛のようなことをもし言うなら、それは怠惰と粗暴の表れでしかない。
安くても、工夫を凝らして心を込めた料理というものは、いくらでも成り立つと思うのだ。
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