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April 2005

2005.04.27

いかがわしく朗らかに

Wired News - 巧妙な中国政府のネット検閲、米の調査で明らかに
元記事は置いておいて、essaさんのここ。

P2Pプロキシのようなソフトの開発を外交カードとして使うというのはどうでしょうか?

つまり「いいかげんにしないと、winny(みたいなもの)を完全に合法化しちゃうぞ!」という脅し。日本国内でこれが定着してしまえば、黙っていても輸出される。2ちゃんねらーが「反撃」にエロ画像貼り付け交流にいってるという話が、冗談ではなくなってしまうわけです。

思わず笑ってしまいました。2ちゃんねらーが意図せずに演出している、この朗らかな感じは、例えば、「ヨン様もうで「緊張何の」 邦人2600人に韓国驚く
で取り上げられていた人たちの行動と共通するものだと思います。このヨン様詣での人たちを指して、落合さんは、
過去はともかく現在の日本人に他国を侵略したりする意図がなく、恒久の世界平和を念願していることを印象づける上で、貴重かもしれません。
と書かれていますが、そのとおりだと思います。
私は、半ば意図的に「朗らか」と書きますが、essaさんはもっと適切に「いかがわしさ」と書いています。その「いかがわしさ」についてのessaさんの言葉。
「いかがわしさ」と「自由」は切っても切り離せないもので、「自由」が本能的に嫌いな人が「いかがわしさ」を排除しようとするものです。
一方、同じ「いかがわしさ」でも、こちらで話題の人のそれは、笑ってすまされないものがあります。糸を引いているのは誰なんでしょ。

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不自由は常

「人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くが如し,急ぐべからず.
不自由を常と思えば不足なし.」by徳川家康

有名な前半は知っていたが、後半は知らなかった。
後半の方が数段いい言葉だ。

こちら経由
KISS第60号「人生資源」」で知る。

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2005.04.26

暗黙の前提をクリアに

ニュース解説

例としては不適切かもしれないのだが、私的にタイムリーなので取り上げてみる。

暗黙の前提をクリアにして、関係者が共有することは、すべてのコミュニケーションにとってなによりも重要な一歩だ。

仕事についてもこれは言える。
言えるのだが、前提が暗黙の了解にとどまる方が好都合な場合や立場などがあって、明示的に仕事のプロセスを進める障害となることが多い。

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2005.04.25

ソフトの品質

連休合併号の日経ビジネスは、まるで日経コンピュータと合併したかのよう。品質「崩壊」は言い過ぎのような気も。崩壊しているならとっくに銀行の勘定系はダウンしているはずだし。いや、昨年は一部ダウンしたのがあったのか(笑)。
折も折、絶妙のタイミングでトレンドマイクロの騒ぎが持ち上がるなど、この問題についての関心は、連休をはさんで一部で盛り上がりそう。

まじめな企業のシステムについて言えば、営業からの無理難題などで、仕様が確定しない/知らない仕様が「なぜか」いつの間にか追加されている、など聞くこともあるような。一方、ウイルス対策ソフトは、まさに「知らない」仕様を潰すためにつくるわけで、このあたりの微妙な類似がくすぐったい。

予測でき、把握できることなら、ソフト屋はそれほど間違わないと思う。だから問題の根は、予測不能なことや、十分把握できていない/合意ができていない曖昧なことを、曖昧さを原則受け入れないコンピュータにやらせようとしている点にあるのだ。(珍しく言い切り)

その原因を、開発時間の不足とか要件定義の不足などに求めることは簡単だが、もう少し別の方向はないものか。

そもそも世の中は曖昧なものなのだから、コンピュータの方も、曖昧さを適当に扱える仕組みをそろそろ備えたらどうかと思う。

ごく基本的な演算はもちろん正確に行うのだが、アプリケーションレイヤで、曖昧さを適度に吸収できるものってできないものなんだろうか。

ここで言う曖昧さを、暗黙知と言い換えてみることを、実は考えている。環境変数の設定に類することなのかもしれないが。


というところで時間切れ。

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2005.04.24

オレ様化する子どもたち

「オレ様化する子どもたち」 諏訪哲二

以前こちらで紹介された(たぶん)のを、図書館で予約したところ順番待ちで、先週やっと借りて読んだ。書いてあることの数は少ないのだが重要。要点をメモしつつ多少膨らませてみる。(括弧内は自分で膨らませた部分)


子どもの教育について提起されている問題を考えるとき、「子どもは変わっていないが子どもを取り巻く環境が変わった」とするのは事実誤認であり、「子ども自身が変わってきている」ことを自覚すべきだ。

(※ここで、「子ども」とは中学から高校くらいの子どものこと。それ以前の段階で、子どもが消費社会的環境に多大な影響を受けていることは了解済みと受け止めておく)


さて、その子どもの変化とは何かと言えば、自己を絶対(オレ様)化してしまうようになったことだ。

共同体的価値を知ることなく、いきなり消費社会の主体として「自立」してしまう結果、自己を相対化することができない。自己は絶対であり、他者から受け取る無償の「贈与」は成り立たず、常に「等価交換」のかたちに持ち込もうする。

「贈与」を受けないから、虚心坦懐に学ぶこともできない。偏狭な絶対性しかないから、人間の全体性を知ることもない。障害に出会えば、単純な等価交換しか知らないから簡単に煮詰まってしまう。
(※そして他者への贈与もしないから、今後おそらく新たな問題を生み続けるだろう。)


著者の見方は、保守(共同体的)とリベラル(市民社会的)どちらかに偏っているわけではない。

この二つは世界の見方の二つの流れなのであって、どちらが「正しい」といったものではない。「共同体的」に眺めるとこうなり、「市民社会的」に眺めるとこうなると腑分けするなかで、どちらがより「現実的」であるかを問いたいと思っているが、予感としてはどちらか一方が「正しい」という二項対立的なものではない。

そのような著者が考える現実的な処方は、普通教育では基礎的な知識や社会規範を身につけ、その後の高等教育で「個性化」を目指す、というものだ。
俗に「個性」を大事にしないと「個性」が潰されてしまうと危惧する人が日本には多いが、社会化のプロセスで潰されてしまうような「個性」は潰されるべきである。
(中略)
「社会化」されているあいだになくなってしまうようなものは、「個性」ではない。
---
それぞれの「個」の「社会化」は、まさに社会(共同性)から強制されねばならないが、その「個」がひとつの強烈な「個性」として自己実現していくかどうかは、教育の内部(レベル)の問題ではなく、まったくその「個」の自己決定の問題なのである。
---
公教育(普通教育)は近代的な市民(国民)形成にかかわるものとして自己限定すべきなのである。

結論はごくまともで常識的だと思うのだが、それが声を大にして論じられなければならないようになっているということが、そもそもの問題なのだろう。

教育現場の外では、消費社会的環境の浸透があり、内では教える側自身(親も教師も)のオレ様化の可能性があり、「オレ様」化していない人間にとっては嬉しくない状況ではある。
 
 
 
さて、それで、ここしばらくは教育をビジネスにと考えている私としては、この状況をどう読むべき?
というところで、一旦終わる。

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2005.04.23

巨大な国が抱える困難

チャイナ・リスクの四つの要因
たいへん勉強になります。内田さんの言葉を借りつつ要点だけメモ。

1.近代資本主義を支える労働者の資質が、中国ではまだ熟成されていない。
これはよく聞く話。中国に限らず、他の巨大な国(大国とは異なる)にも共通するはず。

2.2億人といわれる失業者
経済成長が7%を切ると社会の重要な不安定要素になる状態。それが長期に続くとは考えにくい。

3.二億五千万人に達した「中間層」
「言論の自由・信教の自由・集会結社の自由・移動の自由」など先進国における基本的人権を中間層が主張し始めたときの対応。一党独裁を捨てられるか。捨てたとしてうまく別の政体に移行できるのか。

4.13億人を長期に亘って統治することの困難。
政策決定に際して、「日本で言えば北海道や九州が独立する」といったような「SF的想定」をつねにシミュレートしておかなければならないことの困難。
 
 
 
差し当たり表面化しそうな問題は、2でしょうか。
今日の日経を見るとこんな記事が。

「米議会に中国たたきの嵐」
人民元相場に対する報復関税の実施案が、議会選挙を前にして急速に支持を集めているというお話し。

あれまあ。危機は指呼の間に。

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2005.04.22

ユーザには越えられない高い壁

AdobeとMacromediaはXMLの夢を見るか
XMLが両社を結びつける糸というご意見。それはそうかもしれない。しかし現実は結構厳しいかも。

今はXMLというバックエンドのDBにリアルタイムでジョイントできるDTPソフトも、ウェブ開発ソフトも、マルチメディアオーサリングソフトも、まだ存在しない。
そのソフトが存在しない理由は、印刷屋さんの表現に対する要求水準が、ウェブ屋さんに比べて異常に高いことだと思う。

ここで少しわき道に逸れるが、HTMLが、Validなドキュメントにしか対応できそうにないことは、実はあまり重要ではない。ページ単位で画像として処理してしまえば、Well-formedで十分だから。

さて本筋に戻って、印刷屋さんに聞くと、彼らはSGMLの時代からマークアップ言語を使って印刷工程を合理化しようと悪戦苦闘してきたのだけど、いまだ顧客を満足させられる水準に至っていないらしい。

私的には、ポストスクリプトの仕様をそのままXML化すればいいのではと思うのだけど、どうもその辺りがモゴモゴになってしまう。なんなんだ。

 というわけで僕はかの業界を見切ってしまった。今になって思うと、僕が転職したのはAdobeやMacromediaのせいだ。そうに違いない(笑)
逃がした魚は大きい(笑)。
 
 
印刷とウェブを、XMLDBの出力先として統合的に扱うことは現実に見えてきている課題ではあるけれど、ユーザが独自開発で越えるにはちと壁が高いように思う。この半年ほど取り組んでみて、それがわかった。
今回の買収で、その壁をメーカーのレベルでクリアしてもらえるなら、それは願ってもないことだ。

あと1年くらいは待たされるとしても。

蛇足だが、QuarkとIndesignで派閥争いはやめてほしい(笑)。

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2005.04.21

雑記050421


増殖とダイバーシティ
多様性を生み出すには、実はエラーを希釈せずに蓄積する無性生殖の方が有利、という説を書いた本の紹介。ただし、無性生殖にはドラスティックな環境変化に弱いという欠点があるので、そういう大変な目にあったら、死んだふりして違う環境へ移動する裏技が必要、とのこと。
で、人間について、こんなお話が。

ま、「からからに乾いて風に飛ばされていく」を人間が実現するのは大変そうですが。
それって、まさにおけら状態で就職先を探す失業者のことで。否も応もなく目下現代日本社会の課題でもあるのかと(笑)。


LegalXML
そんなものがあるとは。これにそれぞれの条文にまつわる争点と解決方法を同様にXML化して、原告被告それぞれの行動と主張を点数化(つまり酌量や勘案)すると、自動判決システムのできあがり。うひー。


1級デューデリジェンス士過去問題例
クライアントが採用する/しないとかかわりなく、コンサルティング資料として職能に恥じない出来のものを提出し、「コンサルティングに対する報酬」を請求する。

それが通れば苦労はしない。のでしょうけれども(笑)。
これから社内弁護士が増える世の中になっていくと、この問題ではひとしきり騒ぎがあるかも。


ゲームで勉強を
ほいきた。PSP用お勉強ソフトの開発企画書だ。

話は飛んで、任天堂のDOGなんとかに惹かれる。いいところを突いていると思うけんど。ただしDSが巷に普及していれば、の話。
(普及させるためのソフト/普及した状態で真価を発揮するソフト、の線引きは、はっきりしてはいるけれど混同したくなるのも、企画屋の常。)

MITは全カリキュラムをオンラインで公開して話題を呼んだが、高等教育をさらに高度にするのはアメリカに任せておいて、日本は、得意とする「普通の人の底上げ的教育」で世界に打って出られるのでは。既に塾の「公文」はアメリカや東南アジアでもかなり流行っている模様。
前半はちょっぴり哀しいけど、まあそのとおりかもしれませんですね。


というところで昼休みはおしまい。
今週末もまた、映画を見る余裕さえない・・
せめてタイトルバックは変えねば・・

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2005.04.16

早いもの勝ち

Jwordは、Yahooが資本参加する数年前から、日本での普及を狙って営業活動を展開していた。当時既に、この種の似たようなサービスは他に数種類あったと思う。

その当時、私がJwordに興味を覚えたのは、ドメイン名に類する公共の名称は、適切な所有者が利用すべきという考えに基づいて、名称取得時に審査を行うとしていたからだ。初期のドメイン名取得によく見られた、早い者勝ちやゴネ得を許さないという方針は、他の同種サービスと大きく異なっていた。

それを思い出して、昨年末に「商標を担保するネットサービス」というエントリで、少し穿った見方をしてみたこともある。

ところが、Yahooの中の人になった井上さんの記事によれば、現在は早い者勝ちであるようだ。
Yahoo!が資本参加したことで、方針が変わったのだろうか。あるいは、早いもの勝ちで取得はできるけれども、紛争時には運営会社が決裁なり調整なりする契約になっているのだろうか。規約を読めば書いてあるのかもしれないが、できれば井上さんのような人に、解説をしていただけるとありがたい。


振り返って、Jwordの故郷、中国では「クレヨンしんちゃん」の商標のトラブルなども起きているようだ。

商標に限らず、広く著作物すべてにおいて、早いもの勝ち以外の現実的なルールをつくるのは、やはり難しいのだろうか。

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2005.04.14

雑記050414


以前TVなどでも紹介された、このパワードスーツ。かっくいー。
こちら経由で知る。
アイデアとしては、ガンダムよりアップルシードのランドメイトじゃないかと。


対するこちらは上の対極。So Cool!!
「キリコは心臓に向かう折れた針」とでも言っておくか。

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2005.04.13

雑記050413


温家宝首相が帰国
あ。そういうことなのか。


そういえば、新聞に載っていた各国メディアの反応としていくつか紹介されていた中の、フィナンシャルタイムズアジア版の意見。

中国は共産党体制を正当化する根拠を社会イデオロギーからナショナリズムに乗り換えたようだ。これは中国の安定と東アジアの安定にとって危険なゲームだ。


上の二つを合わせてみると、その危険なナショナリズム路線を実際に煽っているいるのは・・・。ということかな。もっとも、内政を安定させるためのガス抜きとして黙認、という利用の仕方もあって、微妙。


日経が載せていた各国メディアの意見はいずれも、謝罪なりのケジメは必要との一言が入っている。私はこの問題をよく知らないので、あまり書きたくはない。
が、謝罪という対応がヘタレかどうか以前に、ヘタな対応をこれまで続けてきた結果、中国国内問題の不満に格好の捌け口を与え続けることになってしまったことだけは、どうも否定しがたいらしい。

中国が今後こけるとかこけないの予想とは別に、こじらせてやっかいな芽を育ててしまったのかなとは思う。

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2005.04.10

胎児細胞の利用

NHK「中絶胎児利用の衝撃」。まとめメモ。

胎児の細胞は、ES細胞ほどの万能性はないが、爆発的な増殖力があり、再生治療に効果があると期待されている。しかし、中絶胎児の細胞を使うことから、倫理上の問題を指摘されている。

各国の実情はどうか。

胎児組織の利用が合法である米国では、利用に際して、組織の提供は無償で行うことを法で定めているという。一方で、米国内の中絶胎児反対派は、中絶が誰かの治療に役立つことで、中絶を肯定的に考え始めることを問題視している。また、中絶胎児が金銭で取引されるようになる可能性についての懸念もあるという。

ドイツでは研究を禁止。

逆に中国では実際に移植が行われている。一般的な治療として認められているそうだ。背景には中国国内での大量の中絶がある。患者はほとんどが外国人だ。胎児細胞の大量注入による治療効果の科学的分析は公表されておらず、安全性についての疑問は消えていないが、施術者は治療効果が出ていると主張している。

日本では、結論を出せずに議論が延々と続いているという。
 
 
問題点は何か。

障害を持つ人の中にも、賛成と反対、両方の意見があるようだ。賛成の人はもちろん、この治療法に縋るような希望を抱いている。一方、反対の人は、治療への欲求もある程度までで抑制するべきだという。

主な問題点は2つある。
ひとつは安全性の問題。移植による拒否反応については、成人の細胞に比べて胎児細胞は拒否反応が起きにくいとされているようだ。しかし、治療のメカニズムはまだ解明されておらず、何が起きるかわからないという意味で安全性は確立されていない。
もちろん、研究が進めばこの問題には結論が出るだろう。

いまひとつは倫理の問題。これについて、NHKは番組中ではあまり深く追求せず、材料のみ提供しているので、以降は私の考えになる。

移植という行為は現在、特に抵抗なく受け入れられている。それは、皮膚にせよ臓器にせよ、提供する人の側にも覚悟が必要であり、それが歯止めになっているからだと思う。

しかし、意思を持たない(持てない)胎児の組織の利用となるとどうか。中絶する人にはそれなりの事情があるだろうから、提供側の意思による歯止めはあまり期待できないのではないか。

金銭による胎児の売買は、法律で禁止したところで実際には起きるだろう。が、この問題は番組中で紹介された大阪の医療センターの取り組みによって薄まる可能性がある。胎児細胞の増殖力を生かして、わずかな細胞から、大量の利用可能な細胞を作り出すことができているらしい。現在この細胞は、零下150度の環境で保存され続けている。
私は原理主義の立場をあまりとらないので、問題が薄まるのであれば、許容範囲かどうかを考えることになるだろう。

ごくわずかな胎児細胞を増殖させることで、障害を持つ多数の患者を安全に治療し、自立した生活を送れるようにできることがわかったとして、その治療を押し止めることが果たしてできるだろうか。
 
 
先頃他界したローマ法王は、自由な考え方で新しい世界の枠組み作りに貢献したが、中絶には頑なに反対の姿勢を崩さなかった。その真意は知らない。

私は、ヒトの有限性が弱められることに問題なしとはしない。一個の人間が有限であるかわりに、循環や再構成によって、生命の無限性が維持されていると思うので。

総論はそうではあるのだが、とはいえ、各論として、自分の周囲の人間が現実に、アルツハイマーや脊椎損傷や、その他の病気や障害で、一人で生きていくのが難しくなったとき、どういう態度を取るべきかは決めかねるだろうとは思う。

総論と各論が折り合いそうにない、難しい問題だ。
というわけで、結論も出ない駄文でとりあえず終わる。

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2005.04.09

雑記050409


ズバリ自動化 Waha! Transformer Personal
メモ。
GUIを使った直感的な操作は確かに楽だ。一方テキストでのコード書きは、微妙で複雑な動作を、厳密かつコンパクトに定義するときは、GUIより楽だと思う。GUIよりテキストのコードの方がいまのところは歴史の蓄積があるということか。

#でもEXCELのマクロはもういや(笑)。

もともとこの製品は、ビーコンIT社の企業向け製品を機能限定して、ソースネクストが1年間の使用ライセンスで1980円で販売しているもの。本来は数十万円する商品。まずは安い価格帯で個人に慣れてもらって、会社での導入してもらおうという戦略商品であるようだ。
ソースネクストの商売(一部)は、そういうからくりだったのか。


そういえば品川あたりに新しい水族館ができるたのかな。


このところ雑い仕事で時間をとられているせいか、どうもブログに身が入らない。

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2005.04.03

英語で読むITトレンド再開

次の10年はどういう時代か?
梅田さんが再開した、英語で読むITトレンドの記事。

ムーアの法則の恐ろしいところは、10年か15年くらい価格性能比向上が着々と連続的に進んだところで、コンピューティング・アーキテクチャ全体に不連続で破壊的な変化をもたらすところである。そういうことがこれから起こる。
(中略)
SOAとかASPとかそういうことを、この10年何も起こらなかったからといってバカにしてはいけない。
ここはちょっとメモ。

さらに、3つの要素をとりあげて、
* Cheap revolution (ムーアの法則10年の重み)
* インターネット
* オープンソース
こんな風に。


「いや話は面白いけれど、どの話も、無料とかコスト低下とか、儲からない話ばっかりじゃない!!! そんなのパラダイムシフトになるの?」と思った方たちはいないだろうか。日本の大企業幹部の典型的反応でもある。でもだからこそこの3要素は、産業構造を変えるパラダイムシフトを引き起こすだけのインパクトを持っているのである。
パラダイムシフトはとりあえず置くとして、富とは何か、という深い問いかけはあると思います。

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2005.04.02

リスクに鈍感な弱者

NHK「日本の、これから」。
いろいろな立場の人をスタジオに呼んで、意見を闘わせたのはいい試みだったと思う。

内容をまとめるのはとりあえず先送り(というか難しい)するとして、最も引っ掛かった点だけを書きとめておく。それは「弱者はおしなべてリスクに鈍感であるらしい」という点だ。
それを表す端的な2つの例があった。

20歳台で投資会社の取締役を勤めている人は、「会社に頼りきりになる生き方はリスクが大きい」と言った。
一方、タクシーの運転手は「新規参入の影響で収入が減って生活は貧困状態である。どうしてくれるのか」と訴えた。

「どうしてくれるのか」という言葉はあまりにも無責任で人任せだ。「あなたはどうするつもりなのか」と逆に問いたいくらいだ。この運転手さんは、自分の生き方に潜むリスクに気付いていない。

それが、あるひとつの評価軸上で「弱者」と呼ばれてしまう人たちの特徴なのかもしれない。自分がそうでないとは、あえて言わずに自省してみる。

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雑記050402


プリキュアパスネット

貴様のせいかー!!
その貴様氏の記事がこちら。
プリキュアパスネット(メトロカード)、東京メトロで発売&霞が関駅で完売
霞が関はオタクのすくつか(笑)
今日も今日とて限られた資源を巡って激しい争奪戦が繰り広げられる官庁街の模様を中継でお伝えしますた。なお、枚数の違いは年次の違いとのこと。
小泉社長のおことば。
「土日返上で調整するように」


組み込み型全文検索エンジン Senna
へむへむ。ちょっとメモ。


日銀、インフレーションターゲットの導入を決定
え?!

2005-04-01
ああ・・・。

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あぶない「大衆社会」の始まり

サンヘドリンの法理
階層化=大衆社会の到来」に続くエントリ。いろいろな話が引用されていて難しいが、筋を追ってみる。読み誤っていたらご容赦。

内田さんは、前半で米国の女性嫌悪を例にとって、それが限られた時代地域の特殊な要因によるのか、それともより普遍的なものなのか、その起源を考えることへの興味を語った後、本題に移り、現代日本に到来しつつある階層化社会の原因を、現代日本における特殊要因に求めるのか、それともより普遍的なものとするのか、を考えている。

この階層化社会、あるいはニートや希望格差の原因は「不況」、つまり金(収入)不足という特殊要因だとする意見が多い、と内田さんは述べている。しかしそれは本当の原因なのか。むしろ、カネさえあれば階層化社会の進行を押しとどめることができると、誰もがこぞって無批判に同じ考えに染まっている状況こそが、社会の階層化を進行させる土壌になっているのではないか。言い換えれば、カネ不足という特殊要因が問題なのではなく、隣人と同じ考えを無批判に受け入れ、単一尺度で多くの人が行動する結果、いたるところで軋轢が生じ不満が高まるという普遍的な現象の広まりこそが、社会の階層化を進行させているのではないか。内田さんの問題意識はそこにある。

さらに、この前のエントリ「階層化=大衆社会の到来」で、階層化の進行こそが本当の大衆化の始まりであり、それは忌むべきもののように書かれている。どのように忌むべきものであるかは、内田さんの言葉をそのまま借りたい。

オルテガは「大衆」をこう定義する。
「大衆とは、自分が『みんなと同じ』だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる、そのような人々全部である。」(中略)
ニーチェにおいて「貴族」の特権であった「勝ち誇った自己肯定」が社会全体に蔓延した状態、それが、オルテガの「大衆社会」なのである。(現に、『大衆の反逆』の刊行の一年後に、ニーチェの「貴族主義」を看板に掲げた20世紀最悪の「大衆運動」がドイツで政権の座に就くことになる)。
私は、蛸壺化・自己満足化する(しそうな)ネット上の言説や、仲良しクラブ化する(たぶんそうなる)ネットコミュニティ、例えばSNSを、内田さんの論考に重ねてみたい気が微妙にする。もちろんそれは偏屈で「うざがられる」行為には違いない。が、多様性を「うざがる」ことがどのような社会を招き寄せるか、その危険を思えば、考えておいて損はない。
民主主義(と資本主義)が勝利した現代で、そんな憂いは必要ない? でも内田さんはこう書いている。
私たちは疾くから自分たちのいるのは「大衆社会」だと思っていた。
しかし、もしかすると私たちは「見通しが甘かった」のかもしれない。
オルテガやニーチェが絶望的な筆致で記述した「大衆社会」は日本では「これから」始まるのかも知れない。
というところで、久々にゆっくりできる週末に突入。

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2005.04.01

「ネット+何か」の時代

「ヤフーを賠償提訴」日経本紙。
ネット競売詐欺被害572人が、運営会社であるヤフーを提訴との記事。

「仲介」という高収益の方式は、ネットを事業化する方法としてこれまで最有力だったと思う。その高収益を支えていたのは、「トラブルは原則、当事者で解決してもら」って運営者はリスク(コスト)負担をしないというポリシーにあった。しかし、記事にあるような訴訟の行方によっては、その構図は崩れるかもしれない。

もちろん、運営者側は「レーティング」という別のビジネスを付帯的に立ち上げることは可能だが、比較的小額な取引の多いネット上の売買で十分な利用者数を確保するのは難しい。また、「保険」というビジネスもあり得るが、これはネット企業が手を出すまでもなく保険屋さんの仕事だろう。「エスクロー」という概念もあったが既に死語になっている(と思う)。

先日、日本の総務大臣が、ネットがこれだけ広まってくると公共性を担保するための立法が必要になるとの見解を示したそうだが、こうして徐々に、初期のネットの輝きや面白みは薄れていくのかもしれない。

では次のフロンティアはといえば、相変わらず「ネット+何か」だろうとは思う。
そういう意味で、「公正さ」とか「大衆」などの「何か」が気になるこの頃なのだ。

それともいっそ、「インターネットはからっぽの洞窟」でも読み返してみるか。

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