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February 2005

2005.02.26

ニッポン放送のPBR

この話はいささか食傷気味だけれど、ちょっとだけ。

  ニッポン放送のPBRがたったの1倍だということを、どう考えたらいいのだろう。日経のインタービューに応えた堀江氏の発言の中にそれがあった。

  当初、この買収合戦の件が持ち上がったときには、まっさきにPBRの異常さは挙げられていたはずだが、買収テクニックの話に関心が向かうとともに一時忘れられていた感がある。

  しかし、当事者双方の一通りの応酬のあと、企業価値を高めるための買収行為の正当性という本筋に話が戻ってきた以上、PBRは再び大きく取り上げられなければならないだろう。そして、このPBRの異常さを放置してきたフジ側が、企業価値について語る資格があるとは思えないのだが、どうか。

  もちろん、ライブドア側の企業価値についての問題もあるとは思うが、それはライブドア株が係争の的になったときに取り上げられるべき話題であって、現在焦点になっているニッポン放送株の件とは直接の関係はない。
 
 
  さて、PBRに注目すると、村上ファンドなど大株主の複雑な心境が、うっすらと見えるような気がする。投資目的でニッポン放送株を持っている株主にとっては、堀江氏がニッポン放送を経営することでPBR(やPER)が大幅に上昇することが、最善の結果だろう。しかし堀江氏に経営権を握らせるために自分が持っている株をライブドアに売却するわけにはいかない。だれか他の株主が堀江氏に肩入れして株を売ってくれて、自分は保持し続けるのがいいのだが、株主皆がそう考えれば、ライブドア側のニッポン放送株保有比率はいつまでも上がらず、堀江氏がニッポン放送を経営する時も来ない。

  そこで、ふと思いつくことがある。投資目的で株を持っている株主に共通する期待が、堀江氏がニッポン放送の経営をすることで投資効果が最大になる点にあると仮定するならば、株を手放さなくても、単に、経営を堀江氏に一任する点で結束すればいいだけ、なのではないか。それで仮に堀江氏による経営がうまくいかなくても、現状のPBR1倍より悪くなりようがないのだから、こんなローリスクハイリターンな話はない。

  その程度のことは大株主は考えているだろうから、何か別の障害があるのだろうか。
  たとえば、そんなことをするとえらい人たちから袋叩きにあうかもしれないとか。でも、しばらく耐えていれば、遠くない未来に引っくり返りそうな気もするし、まあ、それも一興なのでは(笑)。

と、無責任なことを言ってみる。

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2005.02.25

海外で売ろう

ああ、そうか。日本国債は海外で売ればいいのか。

すごい。いろいろなことが50年ほど先送りできそうな気がしてきた。

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儲けよう

「売る」から「儲ける」に変わらないとね

寺本教授もご指摘でしたが、日本の営業には精神論が残りすぎており、営業のしくみや営業の効率を考えるということが遅れているようです。お話の中にもありましたが、営業を「営業は断られてから始まる」といった個人技でとらえる人が多いのです。それでは営業の速度や効率を上げることにはつながりません。
とね。

と、人ごとのように(笑)。

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雑記050225

雑記でもいいから、時々は書かなくちゃ(笑)。


「弱者」とはだれか
書評。

本当の日本の問題はリーダーやエリートがその責任を果たさないことにこそあると思うのだが。
おおっと。言い切った(笑)。
責任を果たせるほどにはエリートでない人が量産されてしまったらしい、
という点で同意。


仕事の中の男性と女性

その時に、銀行の方ですが、女性が制服を着ていないと男性行員の気が散るから望ましくないといことをおっしゃった方がいました。驚きました。同じ世代の人でした。世代が同じでもずいぶん考え方が違うものです。
うーん。銀行員はそういう目で同僚の女性を見ているのかぁ。その程度のエリートなのね。気が散るのは私も同じだが、仕事の話になったとたんに、相手の頭の中身だけに集中すれば良さそうなものだが・・・
そうか! つまり銀行員は仕事に集中している時間が少ないのだな。だからあんなに長時間労働で営業利益が少ないんだ。疑問がひとつ解けた(笑)。


検索連動広告は4業種に集中

 Jupiter Researchの調べによると、検索連動型広告は、小売、メディア・エンターテイメント、金融、旅行の4業種が8割近くを占めていることがわかった。

ふーん。小売、金融、旅行、のほかに書籍かと思っていたけど、もっと広く「メディア・エンタメ」という分類なのか。うーん。ちょっと広すぎるような気もする。

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2005.02.23

典型的な2つの記事に見るネットの時代

パソコン通信とインターネット」。Niftyからはてなへ転職して活躍を続ける筆者による、パソコン通信とBLOG・SNSの比較論。

この記事においては、NIFTY-Serve のモデルと良くにたものとして SNS の存在を挙げていますが、僕としては SNS よりも、blog + RSS の世界の方が、パソコン通信をインターネットに移してきたすがたに近いのではないかと感じています。

逆に、なぜ SNS にそれを感じないかと言えば、一つはその閉じられすぎたコミュニティという点が挙げられるかなとおもっています。SNS は基本は現実での知り合いをベースとしたコミュニティなので、その個人が想定していなかったような事象が起こりうる機会はそれほど多くない、という点があると思います。

として、blogとSNSの違いを、意外性や開放性の違いと言っている。そして、パソコン通信に近いのはむしろblog+RSSの方であり、SNSの特徴は意外性の無さからくる心地よさにあるとしている。同意。
 
  
  ところで、上のエントリを取り上げたのには別の理由がある。その元ネタはIT-Mediaに載っている「「パソコン通信」とは何だったのか」という、パソコン通信時代をよく知る別の筆者による記事だ。

  元記事の方では、パソコン通信ユーザの目から見て、インターネットの登場にあわせて起きたコミュニティ崩壊を食い止められなかったNiftyの失敗を取り上げている。これはいかにも、「他者」から見た批評的な記事だ。それが悪いというのではないが、メディアが書く記事として一般的な視座の取り方ではある。

  それに対して、冒頭とりあげたエントリでは、Nifty内部に居た者の目からは、技術が時間と共にゆっくり発展する中で、はじめから今のような仕組みや技術を期待することはできないように見えたという、当事者の素直な意見が、述べられている。

  この2つの記事は、ブログと一般メディアの違いを際立たせるとてもよい例だと思う。どちらもそれなりに業界に詳しい人なのだろうけれど、一方は外部の目で見た記事として書いており、もう一方は業界内部の目から見た事実を書いている。そこには、傍観者と当事者の違いがよく現れている。

  もちろん、「岡目八目」と言う言葉もあるから、当事者でない人の意見の方が、視野が広く公平で優れていることがよくあることは承知しているが、しかし、傍観者の立場である従来のメディアでは伝えられないことが、やはりあるのだということも、この2つの記事の比較から見て取れる。

  そして、双方が、同じネットというメディアの上に、似たような表現形式で、併置されているそのことが、新しい時代に生きていることを、私に実感させてくれる。

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2005.02.20

ネバーランド

  もっと早く観にいけばよかった。今年のTOP5に入るかもしれない。
  現実の辛さとそれを乗り越える想像力の豊かさを、ピーターという名の頑なな少年と、劇作家との交流を軸に描いている、良質という言葉がまさにふさわしい映画。以下多少ネタバレ。

  空想シーンに着ぐるみを多用するなど、映像的には退屈と見えそうなシーンが、前半は多いかもしれない。が、お話しの中にちりばめられた子供たちの「ごっこ」遊びについ引き込まれる。そういえばそんな風に遊んだ頃が自分にもあったよなあ。

  普通のごっこ遊びと少し違うのは、そこに大のおとなが一人混じっていること。それがピーター・パンの作者である劇作家ジェームズ・バリ(ジョニー・デップ)。彼は子供たちとのひと夏のごっこ遊びからピーター・パンの物語を紡ぎだすのだが、その裏には辛い現実もあった。そうした本物の辛さや哀しさと、美しく力強く楽しい物語の初演までをうまく絡ませながら、お話しは淡々と進む。

  劇が大成功を収めた後、お話しの生みの親とも言える未亡人一家の居間で開かれる上演会は感動のクライマックス。ここで使われるちょっとした仕掛けは、演劇には真似のできない、まさに映画ならではのもの。

  ピーター・パンという美しく残酷で空想にあふれた物語の裏に、実はこんないい現実の物語があったのだなあということで、二重に感動。CG技術の洪水の中で、ふと物足りなさを感じたら、この映画を思い出してみたい。

  ジョニー・デップ、ますます好演。ダスティン・ホフマン、今回は脇役としてデップの引き立て役だったが、うまくかみ合っていただろうか。

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RSS市場サマライズ(1)
記録のためにメモ。

RSSフィードが広告メディアになるというのも確かに一つであるが、もっと動的なモデルに落ちていくと予想している。
(2)に期待。

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2005.02.19

ひとつくらいあってもよさそうなもの

 堀江という人が仕掛けた買収が、物議を醸しているらしい。大方の見方は、彼のやりくちは非人間的かつ不公正であるということらしく、この人は格好の批判の的になっているようだ。

 そこで例によってバランスをとるために、あまり人々が口にしない点を指摘することで、結果としてこの堀江という人の弁護になるかもしれないことを書いておきたい。

 それは、「ではメディアはいまのままでよいのか」「いくつかある民放キー局のうちひとつくらいは彼のような考え方のもとで運営されるものがあってもいいのではないか」「ベンチマークとして異質なものを少数許容することはよいことではないか」という問いだ。

 世の人のうろたえぶりや過剰な反応を見ていると、まるで明日にでも日本中のメディアが堀江氏の言うような考え方に染め上げられてしまうかのようだが、少し醒めて見てみれば、決してそんなことはないだろう。泡を喰う必要はまったくない。

 むしろ、彼のような考え方で運営されるメディアが、万が一にでもうまくいってしまうと、従来のメディア関係者、さらにはそうした考えに連なるもの全て、の立場がなくなるということが、堀江氏の行動が叩かれ嫌われる本当の理由なのではないか。

 具体的に言えば、堀江氏がライブドア社を買収して黒字化する過程でとったとされる合理化手法を、規制業界で甘い汁を吸ってきたメディア関係者に対しても用いることで、これまでろくでもない仕事ぶりにもかかわらず、メーカーなど他業界の平均をはるかに上回る収入を得ていた人たちが、その仕事に見合う程度の収入に改められる可能性があるということが、多くのメディア関係者の恐怖を誘い、バッシングとパッシングを呼んでいるのではないか。ということだ。


 断っておくと、私は人間性というものが大切だと思う普通に保守的な人間なので、堀江氏の考えに同調する部分は実は少ないと思う。

 にもかかわらず、あえて上のような考えを書いてみる気になったのは、やはり、従前の日本のメディアには、相当問題があるという意識を、この一件で曇らされたくないと思うからだ。
 
 
 
 
[追記]
その、一方の当事者のろくでもなさは、例えばこんな報道にも現われると思う。
フジテレビ:ポニーへのコンテンツ供給停止も-ライブドアに対抗(3)

にわかには信じ難い話だし、bloombergの間違いかもしれない。
しかし、もし本当だとすれば、フジ側に肩入れする気はやはり萎える。口では綺麗なことを言っていても、本質はこうしたやくざな体質なのではないか。

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2005.02.17

組織力には組織力で

「代表権持つ役員 退任を~道路公団総裁 天下りOBに苦言」日経本紙から。

経済界というところから引っこ抜かれて道路公団の総裁に就任した近藤さんが、公団からファミリー企業への天下り社長に対して退任を求めているそうな。風化させたくない話なので書いてみる。

  元来、公団がファミリー企業の人事に対してとやかく言う必要はなくて、単に、公団が発注する業務を公開入札などのかたちで透明にしつつ競争企業を育てることが、調達や発注のコストを下げる正道だとは思う。
だれか個人が天下りで多少懐が潤ったかどうかは瑣末な話だ。意思決定が恣意的に歪められないようにすることが、話の本筋ではある。

  そんなことは百も承知のはずの現総裁が、あえてファミリー企業のトップ人事について発言しなければならないのは、おそらく、代表権を持った天下りの人達が、陰に陽に利権を確保しようと行動して、公団外の競争企業の目を摘んだり、公団内に呼応する勢力を育てたりすることを防ぎきれないからなのだろうか、と推測してみる。

  大きな組織になればそれだけ、トップ一人でできることは限られてくるだろうから、改革屋さんは、ある程度の集団を形成して、同調者を増やす必要があるのだろうな。


  このところ話題のL社の企業買収も、相手先に送り込む役員を考える前に、自社のスタッフを充実させる必要がそもそもあるような気がしてくる。組織に対抗するには(残念ながら)やはり組織の力を使わざるを得ないのではないか。


個人的には、それが理由でスモールビジネスが好きなんだけど。

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2005.02.13

あなたは人を裁けるか

結局臥せっているうちに連休も最終日。連休直前になぜか風邪にやられて、ツーリングの予定が流れることが、2回ほど続く。だんだんストレスが溜まってよろしくない。
もっとも、寒気団南下のおかげで夜は零度近くまで気温も下がったようだから、安手のシュラフとともに出掛けなくてよかったと言えなくもない。

で、やることもなくTVをガチャガチャとザップしていると、こんな番組が。

「あなたは人を裁けますか」第一夜(NHK)
裁判員制度をドラマ仕立てにした番組。

「裁けますか」と言われれば普通は裁けないもの。だからこそ、法律とその運用を定式化し、大きなブレが起きないようにするのが、法治主義というものだと理解している。それが改革を迫られていることの本質は何か。あえて一般の市民の意見を取り込まなければならないと思われるほどの、どんな問題が発生しているのか。

裁判官の判断が、年々庶民感覚からずれてきているという意見もあるかもしれない。しかし、職業裁判官は法律と運用の継続性に忠実であろうと努力しているはずだから、もしそれら司法体系のもとで下された判断が「ずれて」いると考えるなら、むしろ判断の根拠である法律の方を変えるのが筋のようにも思う。

手軽に利用できる司法に変えていく、という意見もあるだろうか。なるほど、一般の人が裁判というものに触れる機会が増えれば、利用してみようという気持ちにもつながりやすくなるかもしれない。

刑事事件のみで実施というのはどうなのか。一般庶民の感覚と乖離が生じているのは、果たして刑事なのか。という疑問はある。行政訴訟はどうなんだろ、と意地悪く思ったりする。
ガス抜きであるなど言われることもある同制度だが、刑事の分野でまず実施して失敗へ誘導し、本当に導入が必要な他の分野への適用を封じるような使われ方にならないように願いたい。


なんだかなあ。
すこし陰謀や偏向の傾向が強まってるかも。
邪なる風とはうまく言ったものだなあ。

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2005.02.11

吉野家牛丼1日限定復活

吉野家で食べてきた。行列だったが、そこは「はやい」吉野家、さして待たされることもなく食べられた。
店内には、今日の日のための証明カードと、「米国産牛肉全面的早期輸入再開を求める会」宛の署名用カードが置いてあった。

証明カードの方はこんな感じ

あなた様は、吉野家「2・11牛丼<限定>復活」にて牛丼を召し上がられた真の牛丼ファンであることをここに証明いたします。
ご意見募集先はここ

また、輸入再開を求める会の署名募集先は、ここ
そこからの飛び先は、https://www.gogonext.com/ という認証サーバ。まあ、信用してもいいかな。

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ボーン・スプレマシー

 お話しの筋は、ありがちなひとつの典型。なのだけど、テンポの良さとディテールのホントらしさで、かなりいい仕上がり。以下多少ネタバレアリ。

 私的には、マッチョなヒーローよりも、速さと巧みさと隠密性で勝負する抑え目のヒーローの方が好みなので、この映画は良かった。

 それにしても、主人公が捜査官の居場所を突き止めるノウハウを見ていると、本当にちょっとしたことで、そうした個人情報は手に入るらしいと気付く。幸い私は誰かに狙われるような者ではないから気にはならないけど、ああ、そんな方法がなるほどあるかもねと、少しびっくりする。もちろん多少のリアリティ不足は、まあ映画なのでよしとしよう。

 組織から離れたワンマンアーミーの主人公が、どうやっていろいろな装備を調達したのかなど野暮は言わないことにすれば、ジェットコースターのような気疲れもなく、徐々に高まる緊迫感とリズムを心地よく楽しめる。最後のさばさばした決着もいい。

 オーシャンズではおミソでからかわれ役だったマット・デイモンだが、ここでは堂々渋味を出していて、こちらもよかった。

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雑記050211


中央線・夢のトーマス化計画
それはナイスなアイデア。そして効果絶大の予感(笑)。
今は中央線には乗ってないけど、最近そんなに増えてるんだ。。。


地下鉄の人身事故現場
こちらも似たようなケースに遭遇した記事ですが、手堅く書かれています。
でも、酔って車を運転してどこかにぶつけて重傷、というのと、酔って入ってくる電車に頭をぶつけて重傷、の間に違いがあるのか、悩んでしまいました。酷なようですが、かなり自己責任な面があるかと。
公道でぐでんぐでんしている輩に対する見方で言えば、私はおじさん側ではなくワカモノ側に属します。

というわけで、今日の標語。
「飲んだら乗るな。電車にも」


タイトルを期間限定で変えてみる。かどうか思案中。
ここは「雑記帖」であるという自覚があるので、なにかふさわしい名前を探していたのだけど、先日どこかのblogで「お花畑のようなblog」という表現を見つけて、フィット感があったので。


そういえば、今日は吉野家へ行ってみる日だった。
建国記念日より吉野屋が気になる、そんなお花畑な朝であるなあ。

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2005.02.10

公正な枠組みへの醒めた希求

修正主義者とでも言おうか

欺瞞を見つけることで価値観や枠組みの修正を図り、結果として現状であまり芳しくない自己の情勢を好転させるための活動ではないかと私は思う。
そういえば以前こんなエントリを書いたことがあった。
結局、こうしたコンピュータ関係で発展著しい効率化や集約化の手法と思想が、世の中に多大な影響を与えていくことを夢見ているのだな。私は。ということに今日は気付く。

でもその過程で人間性や自由が必要以上にスポイルされるのも嫌なんだ。という我儘。

また、こんな青臭いものもあったり。
  来年は、そうした安易な方法を越えて、ブログが意見集約や行動を生みだす「公正な」仕組みを持てるかという課題が、表面に現れてくるのではないか。
他にも、このエントリではこんなことまで書いてる。
私は、少し前にも書いたけれど、「公正」ということが、左右のイデオロギーや宗教的倫理よりも重視される世の中が、自分にとっては住み易いと思っているので、(以下略)


 私がしていることは、自己の情勢を好転させるための活動かと言われれば、その方向性はあるとは言えるだろう。なにしろ、人生の目的は何かと問われれば、ほかならぬ自分がより暮らしやすい世の中にすること、と躊躇なく答えることにしているくらいだから。
 しかし、「自己の情勢を好転させる」目的がどれほどの優先順位かと言われると、あまり高くはない気がする。

 私の根底にあるのは、死が人の平等を保証してくれる、という一点だけだ。親が長い闘病生活の末に早く他界したせいか、その思いは人よりやや強い。

 そして、その保証の前では、自己の状況がどうたらということは、もちろん大切なことではあるのだけど、一歩引いて見ておくべきものに見えるのだ。

 だから、いまの私の最大の関心事はといえば、例えば「鼻水が止まらない。なんとかしてくれ。」といった、より現実的なものになっていくのだ。ああ、起きだしてこんなエントリを書いているから、またひどくなってきた。もう寝る。

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未利用農地の情報公開

未利用農地の情報公開
「未利用農地をネットで公開」日経本紙から。

先日このエントリで触れた、耕作放棄農地を強制的に賃貸に出す権利を自治体に与える構想は、私権制限の点で少々行き過ぎかと思ったが、今日の上の記事にあるような、情報を公開するというアプローチは、第一歩としていいのではないかと思う。まず知ることから全ては始まると思うので。

どの程度の土地がどのように分布しているのか、少し興味がある。

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風邪

花粉か風邪かわからないが、ダウン。

昨日は変に空気が埃っぽいような気はした。
まわりの人も鼻をぐすぐすいわせていたから、
風邪をうつされたかもしれん。

昔はそう簡単にはダウンしなかったのだが、
耐性が弱まっているのかな。

食べ物を少し変えてみるか・・

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2005.02.09

日本代表

現在後半42分。小笠原シュート。惜しい。

全体にへた。という印象。ばたばたしてる。
すぐにボールを取られてしまうし。


おお! 勝ち越し!
しかもロスタイム!

やっぱり海外組がはいってから落ち着いたのかな。
北朝鮮も善戦。

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2005.02.08

即効薬はない話

ここに、あたりまえだがいいことが書いてある。

即効薬なんてねえんだよ。
意外なことだが、これがわからない偉いお年寄りは多い。昔からわからなかったのか、それとも年を取るとわからなくなるのか、それはよくわからない。マーケティング本の体裁をとった単なる成功譚などを有り難がり過ぎる害というのはあると思う。
 だから、分からなければ分からないなりに少人数のチームを作って小予算でいろいろと新しいサービスを立ち上げながら何に顧客がつきそうかマイニングしてみる以外の方法は存在し得ないわけだよ。さらに、これはいけそうだと思っても思ったほどの成長を見せなかったときにようやく組織で何かするという意思決定ができるよう体制を整えておくのが年寄りのやるべきことだ。何でじじいが脳細胞の死滅したスカスカの頭で当たりそうな具体的サービスはどれかなんて協議してるんだ。何のための新卒採用なのかつくづく尋問しておきたい。
・・・・
 大投資大回収なんてお前、植民地時代の紡績産業じゃねえんだからよ、頼むからそんな意思決定してくれるな。現場で客を見る体制を作れ、そいつらに予算を与えて仕事を任せろ、結果で判断しろ、いけると思われるタイミングを外すな、言いたいことはそれだけだ、だって先のことなんて誰にも分かんないんだからよ。社運をかけてアニメ産業を育成とかいってマジ死ねと思うよ。何なんだいったい。いい加減にしろ。お前らなんか潰れちゃえ、馬鹿。
自分では思っていても書かないから、人の文をそのまま引用(笑)。

などと言っている自分も、老い先短くなってくれば同じように気が短くなって、即効薬が欲しくなる罠。自戒。

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2005.02.06

アレクサンダー

んー。この手の映画は、観客との間で何を共有するか、難しいのだろうな、というのが率直な感想。孤独な王というのはありがちな話だし。

最後の方で大王が少し言及していたローマの方に、私はずっと興味を覚える。子供の頃に読んだ弓削達さんの本と、毎年読んでいる塩野七生さんの影響には違いないのだけど。

お話の中で、「15万人の移動する帝国」という表現があって、なるほどそういうものだったのかと思った。同時に、そんな大人数が移動しながら食い扶持を生み出せるわけもないし、兵站も伸びすぎて維持できたかどうか疑わしいから、行った先々で征服と略奪を繰り返していただろうと、想像もつく。

異文化の出会いを大規模にもたらした功績は確かに大王のものに違いないけど、それには痛みも避けられなかったのかもしれない。先駆者は世俗的には報われない道理ということか。

ところで、コンピュータという異文化はどうなんだろ。と脱線してみる。案外この手の話は、遠い昔どころか、目の前で進行中のことかもしれないな。
妄想し過ぎ? それだけなら大王にも負けない(笑)。

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事業能力のない中小企業のゆくえ

日経本紙 中外時評「西武解体は恐怖のモデルか」
によれば、資産デフレは実は止まっていないようだ。ひところさんざん、土地のは下げ止まり始めたように言われていたが、収益還元法に照らせばまだまだ割高なところがほとんどだ、ということだろう。

 家を売り払ってほぼ1年経つが、やっぱり感覚的には正しかったなと思う。住宅地として悪くはない場所だったけど、それでもさして需要があるとも思えない。買い手が見つかったのは運がよかった。ひとりであんな広い床と二つもあるトイレと風呂を掃除するのは、やっぱりあほらしい。庭いじりができなくなったのは少し残念だが、まあ仕方がないか。本当にやりたくなったら、農業に転業だ(笑)。

 ところで、上の記事は、西武グループについて、土地の含みに依存して事業能力ははなはだ疑わしいとする銀行の見解を紹介したあと、偉大な中小企業とも呼ぶべき同グループに起きていることが、今後、多くの中小企業で同様に起きると予想している。

 それが正しいとすると、なかなか世の中は大変なというか、不謹慎な言い方になるが、興味深いことになっていくのだろうか。ニートどころの騒ぎではなくなるかもしれないが、天国より地獄のほうが面白いらしいことは、既に菊池寛が言っているとおりだろう。

 一方、同じ日経に載っている、ピーター・フランクルさんへのインタビューの最後は、同氏のこんな言葉で結んでいる。

「人間の財産は頭と心だけ」という父の教えを大切に守って生きてきたので、高価なものには興味がありません。
なるほど。父の教えは偉大だ。

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レイクサイド・マーダー・ケース

 原作は東野圭吾の「レイクサイド」。ミステリファンの人にとっては、話しの展開が読める平凡な作品らしいのだが、私は原作を読んでいない上に、人の言うことを素直に信じやすいところがあるので、お話しに沿って結構楽しめた。以下ネタバレあり。

 3段構えの展開で心が動いていく主人公を演じた役所広司は、自然にうまい。柄本明は定まった個性でこちらも相変わらずだ。しかしその二人よりも、サラリーマンの親を演じた鶴見辰吾が、目立ちすぎずにうまかったと思う。前二者が、広告業界人と医者というあまり一般的ではない背景を持つ親の役なのに対して、鶴見が演じたのはごく普通の役柄だからだ。
 そうした、ごく一般的な親を持つ家庭においての、お受験やら人の命やらといった事柄の重みが、この作品では重要だと思う。話しが展開する中で変化していく登場人物の気持ちや、場が表現する文脈の変化を、鶴見はうまく演じていると思った。


 このお話しは詰まるところ、一体何だろう。

 お受験は、家族という集団にとってひとつの目標だが、その程度ならいろいろ意見の相違はあろう。しかしお受験にとどまらず、子供の一生という風に視点が変わったらどうなるか。さらに、子供を第三者的な立場に置いたままの親主体の視点から見るのではなく、子供が正に当事者であり親は脇から手助けする程度のものでしかないということに気付いてしまったら。そして最後に、当事者である子供が大人になり、再びその問題に回帰してきたら。

 そうした文脈の変化の中で、家族という集団と、子供の将来というテーマと、それを妨げる外敵とが、相互作用し立場を変えながらもつれあっていくのが、このお話しの肝なのだろう。

 最後に、役所演じる父親が、お受験に懐疑的な立場を捨てて彼らの仲間になっていくことで、妻との間のぎくしゃくした関係を解消し、やっと本物の夫婦になることができたという結末に、外敵が集団の一体感を高める、そのことの業というものを、私は感じた。

家族に限らず、人の集団一般に当てはまる話しだと、そう思った。


で、もちろんそれだけじゃ済まないよ、という暗示を込めて、東野原作のこの映画は終わるのだった。

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2005.02.05

ネットのこちら側は捨て難い

「パソコン情報教育」でいろいろ思った」の一部から。

しかし、iPodが出来てみると、情報というのは、意外とパーソナルなもので、iPodのように100GBをさらりと携帯してこそ意味がある…こういうのは、実感してみたいとわからない。このパーソナルな記憶と知識のブースターと、外部の情報をどうやりとりさせるか…。
そうなんだ。向こう側がいいと思う理由は、①どこでも使えれば便利 ②シェアリングでしか実現できない圧倒的な量と質 だと思うのだけど、そうこうしているうちに、パーソナルな道具が進化して、結構なレベルで実現してしまう。

つまるところ、これはいたちごっこというやつなのかも。

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2005.02.04

コンテンツソフトの収益

メモ。
日経本紙 ゼミナール:産業文化力が拓く(23)
「コンテンツの料金体系確立を」

うかつにも失念していたけど、わしらの業界てば、ソフト産業だった(笑)。
なんか、労働集約的な作業に埋没していると、そこんところを忘れてしまうよ(爆)。

--
電子化された商品:限界費用低減
ネットワーク外部性:規模(シェアの優位)
著作権問題
収益元
--

★商品:コンテンツ
限界費用はどの程度まで下げられるか。
=「十年一日」をどれくらい「うまく」やれるか。

★ネットワーク外部性
価値の根本は偏差値か?
ノードが増えることでリンクが幾何級数的に増えるわけではない。
(本当か?)

★著作権問題
これは変わらず。

★収益元
アグリゲーションとソース提供でやや異なる。はず。
ソース提供だけに視野を限定しなくてもいい?

広告。パトロネージュ。会費(会員制)。Pay per view。

情報掲載料(送り手)。

これは、ネットワーク外部性とも絡む。
中央集権的構造だと、その効果は限定される。
ネットワーク外部性を狙いにいくなら、理屈上はアグリゲーションとかマッチングがよい。
具体的なイメー^ジができるか?


コンテンツの供給費用とその消費の社会的効用を参加者全体でどうシェアするかという問題になるが、どの既存の市場モデルにも優良コンテンツの円滑な流通が望まれるデジタル時代に対応しにくい面がある。新しい制度体系が求められよう。
新しい制度体系? 意味深なことばと受け取るべき?

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2005.02.01

LEC水増し報道のタイミング

前から噂もあったし、そもそもこの手の数字を信じている人は少ないとは思いますが、やりすぎたのでしょうか。>LEC

それにしても、このタイミングでこうした周知の話しが記事になる・・・
教育特区絡みで刺されたのかもしれませんね。
あるいは法科大学院絡みか・・

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「言論の自由」への覚悟

落合弁護士のブログで、ご自身がコメントで述べられていること
とてもいいスタンスなので、記録しておきたい。

意見を言えば批判を受けるのはやむを得ないことで、誰でも情報を発信できるというインターネットの利便性が、上記のような現象も生んでいると思います。ただ、揶揄、誹謗中傷といったことが、多くの人に目に触れれば、何が正しく、何が正しくないかということも、自ずと明らかになるのではないか、その中で、淘汰されるべきものは淘汰されて行くだろうと思っています。
ネット上で誹謗中傷を撒き散らす輩は、誹謗対象の本人だけでなく、その周辺の人間を巻き込む卑劣な行動を取ることも多いから、本人の覚悟だけでなく、周辺にどう配慮するかという辺りが難しいが・・・

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耕作放棄農地は誰のもの?

「耕作放棄農地 強制的に貸与」
日経本紙から。
記事によれば、農水省は、耕作放棄農地の所有者に対して、自治体が農地の利用を禁止したうえで第三者に強制的に貸し出すことができるよう、農地法改正を目指すとのこと。

農地法は確かに、農地の他用途への転用や転売を厳しく制限して、農地が減らないようにしてはいるけれど、それにしても、第三者への貸し出しを強制できる権限を自治体に与えるというのは、かなり踏み込んでいる印象がある。

耕作放棄で余ることが予見されている土地を住居用や事業用に転用すれば、戦後一貫して貧相であり続けた都市住民の住環境や仕事環境が改善され、ひいては都市文化の成熟につながるという期待がひと頃あったけれど、この農水省の動きはそれへの牽制だろうか。もちろん、実際には場所のミスマッチがあるから、話しはそう簡単ではないはずではあるけど。

上の記事によれば、2000年時点で全農地の7%、東京都の面積の1.5倍もの土地が耕作放棄地になっているというから、放置してはおけないのだろうけれど、しかしこの施策は、土地の私有制限の一段の強化というよりは、そもそも農地はおカミのものという意識が、はからずも露呈しているように見えてしまう。

放棄地を貸与される第三者の方も、狭小で事業化に適さない農地や、おカミ意識の強い農水省や自治体からなにかと制約を受ける制度のもとで、必ずしも諸手をあげて事業化に協力するとは限らないのではないか。

あ、でも、高関税のもとで国内向けにおいしい商売ができるなら、喜んで事業化に邁進するのが企業というものではある。かな?

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