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January 2005

2005.01.30

五線譜のラブレター

あっさりしているけど、悪くないと思った。

コール・ポーターという、ミュージカルや映画の作詞作曲で有名なだけでなく、粋で伊達な社交家でもあった売れっ子音楽家と、それを支えた妻とのラブストーリー、ということらしい。長く連れ添ううちに、一時は別居していた夫婦だけれど、それでも、その一生を通じて変わらない「ラブストーリー」の感じが出ていた。と思う。

辣腕マネージャで美人で教養があって音楽を聴く耳があって、それでいて自制が効いて音楽家の夫を立てるという、あまりにもできすぎた妻。理想の妻のひとつの類型か。

こういう時代だから、一生連れ添う夫婦像は軽んじられがちだし、定年を迎えた夫はうっとうしいごみ同然のような描かれ方をすることが多いけど、この映画を観ていると、苦楽を共にしてきた才能ある夫婦というのは、やっぱり味わい深いものかもなあと思えてくる。


ああ、そうか。年をとってからお互いを疎ましく思うのは、苦楽を共にして来なかったからなのかもしれないな。やや浅薄な気もするが、一応そんな気付きを得た映画だった。

妻役を演じたアシュレイ・ジャッド。役にぴったりでよかった。

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教育産業の危機

止まらない大学の凋落

  大学のような神聖な学問の府を産業呼ばわりなどしてはいけないとお叱りを受けそうだが、先生方もとりあえず霞を食っているようにも見えないので、お許しいただけるものと思う。

  私は大学人ではないけれど一応、教育関係の業界にいまは身を置いているので、上の記事に書かれていることはたいへん身につまされる。ひとごとではない。「いま、ここにある危機」なのである。

  基本的に人間は怠惰なものだから、事態が顕わになってから縄を綯うのが常である。えらそうなことを書き飛ばす暇をなぜか持っている私などはその典型だ。そうして危機感あふれる明日という日を迎えるわけである。

  その危機感なくしては、ものごとはなかなか前に進まないということを、近頃ようやく受け入れることができるようになってきた。焦っても仕方がない。そのときを待つしかない(笑)。

  そもそも大学のように「18歳人口」という強烈な縛りがある分野と異なり、私のいる業界はマーケットサイズを広げるべく新規開拓の余地が残されている。その上、これまでさんざん稼いできた蓄積が大いに残っているはずである。などなど、何かをやらなくて済ませる言い訳はたちどころに付いてしまう。

  なるほどそう見てみると、身辺の危機感の薄さも頷ける。どうやら過去の蓄積を全て吐き出すまで、人というものは動かないものであるようだ。

  手遅れにならないうちに、蓄積を有効な対策に使うという知恵は、わかっていてもなかなか生かされないものなのである。

  笑い事ではないんだが(笑)。

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2005.01.29

ストックとフローと収入源

ロイヤリティとビジネスモデル:mixi有料サービス導入を巡って
フローとしてのコミュニケーション中心のmixiに欠けていた、コミュニケーションをストックする機能が、今回の有料化の対象になっているとの認識を示したあと、

でも驚いたのが、意外に「使わないけどドネーション(寄付)のつもりでプレミアム導入」な人が結構いたことだ。これははてなの時にも思ったことだし、実際そういうことをした人ははてなユーザーに多く見られたのだけど、こういう「ロイヤリティ→ドネーション」みたいな気持ちでサービスにお金を払ってくれる人は、実は一定数いるのだなとあらためて実感。

でも、それはやっぱりビジネスとしてはサステナビリティが低いし、今後を考えても、mixiは「ストックとフローの両立=ストックなコミュニケーションを提供して得た資金でフローなコミュニケーションを支える」のか、「フローなコミュニケーションの付加価値を高めて広くユーザーから料金を徴収する」のかを選ばなくちゃならないんだと思う。

2つの類型が参考になるので、メモ。この他にはないか?

また、フロー/ストックに関連して、「フローなブログ/ストックなブログ」も一緒にメモ。

株式市場でトリックまがいの方法で資本を集めるのとは別に、ネットからどうやって実質的かつ継続的な売上を引き出すかは、まさにこれからのテーマ。

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2005.01.28

雑記050128


「ホームページ切り貼り 東芝が編集技術開発」
日経本紙から。

著作権法の運用はますます正念場を迎えてしまいそうな(笑)。
ほんと、無理があると思うですよ。

  wikiのようなソフトは、一部の好事家の間で流行っているだけなら問題は小さいけど、誰でも使えるようになってくれば、それはもう、利害が鋭く対立する場面があちこちに出てくるわけで。


「ネット銀行参入、決済簡易に」
既に報じられているとおりだが、Yahoo!井上社長へのインタビューが載っていた。

  垂直統合の方が儲かるのは当然として、さて、銀行の他業禁止はいまはどうなっているのだろう。銀行法は改正されたのだろうか。
  もっとも、証券と銀行の分離は事実上無くなっているらしいし、今更な話しではあるのかもしれない。再びコングロマリットを許す、というか必要とする方向に、世の中は動いていっているのだろうか。
  なぜ必要とするか? もちろん、既存のコングロマリットにご退場願うため(笑)。

  おそらく、「コングロマリット」という組織形態の善悪ではなくて、それにぶら下がる人間の怠惰が問題なのだと思う。人のことは言えないが(汗)。

  ジャパンネット銀行は、Yahooのおかげで口座数をずいぶん増やしたと聞くけれど、これからは自前でがんばらないといけなくなるな。数年前になるが、「ネット銀行では口座数はトップだ。もとより三井住友に戻る気はない」と、新しい世界で張り切っていた彼は、いま、どうしているだろうか。


「2000時間分、1秒で検索 NTT」
最新技術は、わしら一般人にはほとんど魔法と同じ。

  これ、最初に読んだときは、人ごみから何かを見つけ出す技術かと思って驚愕したけど、「見本パターンが必要」とあるから、モンタージュから探し出すということだろうか。
  これもまあ、生体識別の一種なのかな。生体識別と生体認証を分けて考えるべきなのは、こちらの記事にいただいたコメントから知った。

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第三者の重要性

虚偽自白」より。
なるほど、やってもいないのにやったと言ってしまうことが、あるものなんだなあ。恥を忍んでの貴重な体験談がありがたい。

 そうした勘違いが起き得るから、強迫的な圧力に晒されない第三者の立場で弁護する人が必要なのだろう。

 法律家という職業には、短時間で論点を整理する力、それを文章にまとめる力、それともちろん法律知識、などが求められるそうだ。
 しかしそれ以上に、「第三者である」という立場がもたらす冷静な思考こそが重要なのだということを、この一件は示したと思う。

 余談だが、この司法修習生が真に無実であることを祈りたい。

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2005.01.27

ネットの効果

Long Tailとマスコミュニケーション全盛時代の終焉
 2:8の法則を崩し始めたネットの働きを、現象面の特徴で表現した言葉「Long Tail」。

 ところが技術革新は、最大公約数から漏れたニーズに対して優れたコストパーフォーマンスで商品を出すことを可能にした。新しい技術や仕組みを使うことで、もともと多様だった大衆のニーズに応えることができるようになったのだ。多様なニーズに効率よく応える仕組みを作った企業が、これからの勝者になるわけだ。
いまさらではあるけど、これがつまり「生産性と適用範囲」のうちの「生産性」の部分。
 需要の掘り起こし方が変わり始めているということでもある。

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民主的で理性的で論理的なものは危険?

essa左巻き宣言

民主的で理性的で論理的だからこそ、ネットは危険なのです。

民主的で理性的で論理的なものがいいと誰が言ったんですか?

民主的でない政府より民主的な政府がいいし、理性的でない人間より理性的な人間が信頼できるし、論理的でない議論より論理的な議論が安心です。しかし、よいものを三つ集めて極限にしたら一番よいものができる必然性はない。

なので、適用範囲が重要だと思うわけです。

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2005.01.26

ファインプレス

トレたまで、O子製紙の高機能な紙を取り上げてた。
プレス機にかけて、簡単に成型できる。
プラスチック製の皿や蓋の代替に使えるらしい。
その代替需要だけで、現在の紙の数十倍の市場になるそうだ。

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飯は残さず食え!

と、たまにはありきたりのことで噴き上がってみる。

  私は親に、食べ物を残さないように、どうしても残すときは、見苦しくなく残すように躾けられたせいか、いい大人になったいまでも、食べ物を残すことになんとない後ろめたさを感じる。

  そんな私が昼飯に久しぶりにバイキングに行った。さして旨い店ではないが、不味くて食べられないようなものを出すわけではもちろんない。品数も多いので、変に気取っている割に食べるに耐えるものがカレーしかないような、いいかげんなホテルの昼のバイキングよりずっといい。

  しかし、いやなことがひとつある。隣の客の食い散らかしぶりだ。
  いいスーツを着た男も、徒党を組んだ中年の女達も、いま風の若い男女も、どうしてそんなに食い物を粗末にする? 少しだけ取って、好みの味かどうかまず試すということをなぜしない? 好きなものだからといって、食べきれないほどの量をなぜ平気で皿に取る? 「もったいない」とか「ばちあたり」とかはもはや死語なんだろうか。情けない。

  これが世間の普通の感覚かというとそうではないことは、食い物が散らかった皿を下げるときの店の人間の悲しそうな顔を見れば、はっきりわかる。そうした店員の表情に無頓着なのも、残飯をきたなく残す人間に共通した特徴だ。

  そうした人間が、自宅でどのような立ち居振る舞いをしているのか私は知らない。しかし、どう気取ってみても、自分で気がつかないところでお里が知れてしまうとだけは言えるだろう。躾けというのはこわいものだ。

  そういうわけで、今日は満腹だけど幸せ半分なのであった。

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2005.01.24

トップの影響

サブタイトルを「検事の視点」に変えてから、告発風の記事が相次ぐこちらのブログ
今日の投稿は、シリーズものの続き、「やる気のない経済ニュース4 ~ソニー編」かと思ったら、なんとまあ、<削除>。

  脅しがあったのかどうかはわからないけど、ソニーという会社は、そういうところだけは動きが早いらしいからなあ。そんなものを監視している人手と暇があったら、もっと消費者をよく見ればよさそうなものだが。

  ところで、今日の日経本紙の社説「経営者が企業の興亡を左右する」は、久しぶりにいいこと書いていた。
  トップは常に社内外の耳目を集める以上、その一挙手一頭足まで拡大(あるいは曲解)されて伝わるから、本当に大変な職業だなと思う。衆に優れたコミュニケーション能力は必須なのだろう。ソニーのここ10年ほどのトップは、コミュニケーション能力を買われてその地位に着いたと聞くけれど、結果だけを見る限りでは、それだけではやはり難しいものがあったのだろうか。

[追記]
などと書いていたら、追加のエントリが。

もう向こう三年は大幅な回復が見込めないのであるから致し方ない。さらに、このことは多くの内部の人間が指摘している。ただ、実行に移せないのは意志決定者が、己が行ってきたいままでの意思決定が間違っていることを認めなければならないという面子の問題にのみ拘泥し、抜き差しならないところまで行って初めて問題を認めるために損害が大きくなっているのだ。

 つまり、簡単な問題が野放しになっているために戦場を失い、戦線が崩壊しているだけであって、極限られた少数の人間が軌道を修正するだけで多くの果実を手にすることが出来るのである。

当分ここの買い時は来ないと読めばいいのか、それともよく見ていれば、買い時が近いうちにある、と読むべきか。

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人という資源も輸入する中国

中国の家電メーカー、定年退職した日韓技術者の獲得に注力
「それはもう放出していい技術だから」などと寝ぼけたことを言っているうちに、あっというまに追いついてくるですよ。誰かが一度切り開いた道を二度目に辿るのは簡単なのだから。
それに、あいかわらず日本のサラリーマン技術者は、働きの割には報われてないと思うしね。

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団塊の国家 その名は中国

  「タイヤが足りない」とかいう新聞記事を読んでいて、ほよーんと頭に浮かんだ言葉。

  巨大な人口が通り過ぎるときの社会の軋みは、いわゆる「団塊の世代」を髣髴とさせる。資源の逼迫だけでなく、今後も様々な現象に姿を変えて立ち現れてくることだろう。また、通り過ぎた後にもたくさんの課題を残していくに違いない。それは、いま現在の日本の社会資本の歪みを見ればわかるとおりだ。

  というわけで、題名だけは出来たので、だれか本を書いて。(笑)

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2005.01.23

客観性のあるセールス

 マーケティング系の有料メルマガで、珍しく営業に関する配信があった。参考になったのでメモ。

 セールスレッブが発達した米国での、営業職の評価方法。
 プロのセールスパーソンとしてのスキルを証明するための業界団体 NASP(National Association of Sales Professionals)というものがあって、認定資格を発行しているのだそうだ。CPSP(Certified Professional SalesPerson)というのがその資格の名前。

CPSPの核となっているのは、特定のセールス哲学に拠らない客観性を持った能力の開発~育成のモデルで、「Planning(戦略立案力)」「Process(顧客関係の構築力)」「Productivity(資源の有効活用力)」Professionalism(プロ意識)」の4面で構成されている。各項目に関する修得度がポイントによって評価されて、合格ラインをクリアーすればCPSPとして認定がされる仕組みだ。
だそうだ。オーソドックスで納得。根性論や精神論で語られがちな日本の営業手法より、百倍いい。


 また、日本と同様、セールスコンテストもあるらしいのだが、よくある社内の営業職間のコンテストだけでなく、就職情報サイト運営会社主催による、求職者間のコンテストもあったりするのが、いかにも米国的。そのコンテストのスポンサー兼審査員は求人企業が勤める仕組み。

 そういえば、ドナルド・トランプが「I FIRE YOUuuuu!」って叫ぶ例の番組も、発想は似ていた。芸能人でなく一般人にそうしたゲーム色のある競争をさせて、成績優秀者には実際にもメリットがあるという仕組みは、暮らしと遊びを上手に混在させる向こうの人に見習うところ大。


 その他の、ターゲットを絞った高確率営業とか、女性を集めた営業部隊とかは、既におなじみ。コミュニケーションがうまい女性は、営業職として優秀な人も多いかも。働いてもらう側による環境整備が、今のところ問題ありか。

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2005.01.22

ネットってそんなに儲かるものじゃないんだけど(笑)。

やる気のない経済ニュース3 ~ソフトバンク編
の中のコメント

学問極めたり体力技芸を極めたりおたく道でも極道でも極めて金稼げる人間になるならネットやらなくても自前でコンテンツ作れる人間になったほうが実は儲かる罠。
ネットは所詮、そういうコンテンツを効率よく配信する媒体でしかないわけで、根本的に、利益を産み出すものではない。
お前ら、金、吸われすぎ。吸い返せと。

思わずニヤリ。
もちろんそれだけじゃないネットなんだけど。


[追記]
さらに別種の爆笑コメントも。

まあ、ほっとけば日本人は過当競争する人種なんでしょ。
だから役人がいて、談合とかが存在していたんだから。
朝から朗らかに笑えて今日もいい一日になりそう。

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2005.01.20

雑記050120


法令違反する会社
該当しすぎ(笑)。
まあ、それを改善していくところに自分の価値を見出すことも可能ではある。


言論の自由と時間

正解を急がないこと。
これが実は「言論の自由」の核となることなのである。
・・・
私たちが「誤り」から学ぶものはしばしば「正解」から学ぶものよりも大きいのである。
それがわかるのは、ある程度歳を喰って山ほど間違いを仕出かした後なんだと思う。うはははは。


Yahoo! が Six Apart を買収へ? (追記)
の中に、「ブログ閲覧者というマスとブログ執筆者というマイノリティ」という言葉があって、得心する。

執筆者向けのサービスというものがポータルに統合されなければならないほど、皆がブロガーになるとは考えにくい。

 可能性がありうるのは、むしろ、mixi のような日記形態なのではないか。

この辺で再び焦点がぼやける。
が、ひとつ確かなことは、「ブログジャーナリズム」と「参加型ジャーナリズム」を混同する前に、ものごとには発展段階というものがあることを自覚するのは大切だということだ。記者に限られていた情報発信が、少し意識の高い人に広がり、さらにおおきなマスへと広がる、という順序があると思う。(既に大量の文が書かれているということと、それが多くの人に共有されていることは違う、というのは、当然の前提として有ること注意。)

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メディアどうしの泥仕合

  昨日、NHKは正面から反論していた。朝日新聞の記事は事実と正逆のことを書いているという見解をかなりの時間を割いて放送していた。その意見を聴いていると、朝日新聞記者の取材はストーリーをあらかじめ決め付けていて、それと異なることを言っても曲解されてしまう様子が伝わってくる。

  私はマスコミの内情など知らないから、この件で本当にそのような取材姿勢を朝日新聞記者が取っていたのかどうかはわからない。これまで報道被害として問題になったいくつかのケースでの被害者の話からは、そうした決め付けによる捏造が日常的に行われているらしいことは窺える。

  一方、NHKの内情をよく知る人からは、NHKと政治家が口裏を合わせて嘘を言っている可能性があるとの声も聞こえてくる。私は、中学の頃までは朝日と日経の両方を読んでいて、その後朝日を読むのは止めたような人間だから、もとより朝日新聞を信じてはいないけれど、だからといってNHKが、政治家から完全に独立して意思決定しているとも思わない。

  残念ながらこうなってしまうと、どちらを信じてよいのかわからないと正直に言うしかない。具体名は挙げないが、識者の中にも、朝日新聞の記事を根拠に、NHKを批判しつつメディアリテラシの重要性を説いている人がいるけれど、私はこうしたケースは、リテラシうんぬんのレベルを超えていると思う。


  というわけで、検閲まがいの行為があったのかどうか、事実は藪の中だ。ひとつだけいえることは、こうした騒ぎが時々起きることで、検閲の危険を再考する機会に恵まれるのは、とりあえずよいことだ、ということくらいか。
案外、朝日新聞の狙いはその辺にもあったりして(笑)。
あるいは、民営化の次の標的はNHKだよーん、てことを言いたいのかな>朝日新聞(笑)。

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2005.01.18

35歳限界

釣りネタを振っているのかもしれないけど。
「プログラマ35歳限界説」の真偽

概ね、賃金限界と体力限界に落ち着くようだ。
注目コメンツを拾ってみる。

組み込みでも「このソフトの使い方が分からん!社内の使える古参を呼んで来い!」と言ったら、
社長が来たという笑い話もあるそうですし。
(爆)。
35歳限界説は信じていません。
ただ企業が35過ぎた人間をプログラマとしては使ってくれないということだと思います。
企業にとってプログラマはいくらでも買い足せるリソースですので35以上の人間に高い給料払ってやらせる仕事ではないということです。
(泣)。
単純に日常的なデスマに持ちこたえられず死ぬってだけの話でしょ。
土建屋業界の人足計算方式を持ち込んだ時点で終わってるよね。
(号泣)。
皆いつもの書き込みより実感がこもってて,心なしか平均年齢も高い...

全体的に泣けた.

(激同)。

こんな仕事やめてやる
(笑)。

「プログラマ」の定義が不明。 いわゆるコーダーを指してるのであれば、定年は35歳どころじゃない。35歳になって渡された設計書に従ってコードを書くだけの仕事しかできないのではお金払ってられないと思う。月20万でよいのであれば生涯現役でも良いけど。 プログラマに本来要求される能力を有している人を指すのであれば、35歳で定年はあり得ない(一生使える能力だ)という結論で終わると思うけど。
というあたりがオチか。

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2005.01.16

「私(わたくし)」が起点

「隗より始めよ」と言われたりもする。「身体性」などとよばれるものにもあたるのだろうか。
こちらから。

「私」というのは、ごく少数の親近な人と衣食住を共に、肌を摺り合わせるように生きているものだ。そしてそこでだけ維持される倫理の根幹から、実は社会への意志がのびていく。逆ではない。
 そういう「私」が奇妙に空白となったり仮想となったりしているように思えた。
と前置きの後、具体的に「毎日社説 性犯罪者情報 警察は柔軟で適正な対応を」の例をひいて、
人権を侵害されるということがよくわかってないのだろうなと思うことが多い。この問題は各人が抱えている性と人権とそして家族など親密な関係性への深い理解を必要とする。うまく言えないのだが、そこは社会ではなく、「私」そのものの重要な領域なのだから。
とのこと。自省を込めてメモ。

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オーシャンズ12

  おもしろい。前作よりお洒落。軽快なテンポで笑いが多い。楽しめる映画。
以下、ネタバレあります。

  盗みの手口は前作の方が凝っていた。この映画は鮮やかな犯罪の快感よりも、軽快なテンポと勝敗の逆転を楽しむ映画と観た。結局のところ情報が全てだよねという安易なオチはともかくとして。

  ジョージ・クルーニーは「ディボース・ショウ」のときもそうだったけど、2枚目と3枚目の中間の役がよく似合う。その妻役のジュリア・ロバーツは、ひょんなことである有名人に変装して陽動作戦をするのだけど、その役柄が(笑)。おまけにそれにひきずられてある椿事が(大笑)。詳しくは映画を観て楽しんでください。

  一応犯罪映画で、メンバーの中にもモラルを説く勘違いな奴がいるけど、人殺しなどの荒事がないのがいい。むしろチームワークの妙とか格好よさを楽しむのが吉。

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東京タワー

 多少ネタバレあります。
 30代後半以降の女性が観にいくのかとおもったが、行ってみてびっくり。10台後半の女の子が観客のうち6割くらいを占めていた。なるほど、若者のアイドルが出演しているのかと、それではじめて気付いた。

 でも、そんな年齢の女の子が、年配女性と若い男の不倫映画なんか観ていいのか。若者アイドルを主役にすることで結果として観せた製作者はそれでいいのか(笑)。

 「冷静と情熱のあいだ」も嫌いではなかったので、同じ原作者のこの映画もまあまあと思った。台詞の言い回しや場面設定はくさいのだけど、言っている内容にはそれなりに考えさせられるものがあったので。

 2組の不倫カップルにそれぞれの結末を充てているのだけど、一方が東京、もう一方がパリに舞台を設定したところが、それぞれの結末のリアリティにフィットしていたと思う。
 それにしても、結婚して子どもがいない女って不幸なのかもねえ、というのがこの映画に流れているメッセージに思えてしまう。それで再びはじめの感想に戻る。

 10台後半の女の子が大勢で、結婚して子どもがいない女の不幸と、その結末(複数)を描いた映画なんか観てていいのか(笑)。

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仕組みの移行は表面は穏やかに

 風邪が抜けないので家でごろごろしつつNHK日曜討論を見ていたら、おもしろい話があった。

 郵政民営化によって、官のお金が民に流れるであろうという竹中さんの主張に、内橋さんが、民とは一体誰なのかと噛み付いて、続いてUFJ研の五十嵐さんから、郵政公社が民営になっても国債中心の運用が続くなら官から民への資金移動の点では効果が限られるという話しがあった。

 それはつまり、現状の日本の民間金融機関は官営と同様の低い生産性、利益率しかないということだ。それについては竹中さんも、民間金融機関はこれまで民間の資金需要をきちんと拾えてこなかったと認めていた。国債の利率よりも預金金利が低い状態は、先進国では日本だけだと。

 それに続く「民とは誰か」の議論は焦点が多少ぼけた気がする。確かに、民間金融機関が官業と大差ない営業内容で、むしろ預金者の富を収奪していると見ることさえ出来る状況では、民営にしたところで当面の効果には疑問がある、という一方の主張は理解できる。
 しかし、当面、表面的な効果はなさそうに見えても、仕組みを変えておくことはとても重要だ。私は、制度として民営にすることには賛成。また、その移行時には大きな変化が起きないほうがむしろよいと思う。

 小さな政府に向けての移行には、大きな抵抗や混乱があるのだろう。それを避けるために、制度の変更は、表面的には穏やかに行える時節に、変化を抑制する方法で行うのがよい。
 水面下の仕組みが変わることで、小さな政府に向かうようにきちんと方向づけが成されていれば、あとは自然に変わっていくはずだ。それで政策意図は達成できる。
 実際の変化がどのようなタイミングで、どのような規模で起きるか予想することは、予言に近い不確実さを伴うから、実際的な政策としては、そうしたことにあまり触れずに、ただ仕組みを整えることに専念するのがいい。


 その他、この番組で印象に残った点を簡単にメモ。

 民営化による過疎地域切捨ての不安に対して、竹中さんが出した電力会社の例はとても納得がいった。一方で、離島に飛行機が飛ばなくなったという内橋さんの意見もわからなくはないが、船という別の選択肢がある点が、郵便事業とは異なると思った。

北城さんが「これから行われる特殊法人の改革についても・・」という言い方で、郵政民営化の次について釘を刺していたのが、印象に残った。竹中さんはそれには直接答えず、少し間を置いて別の議論の中で、郵政が1の丸とすれば、二の丸は政府系金融、三の丸は。。と間接的に応えていたのもまた印象に残った。この人はちゃんとわかってやっているなという印象。


 こういういい番組は民放に期待できるはずもないのだから、NHKも捨てたものではないと思う。検閲うんぬんの話しは本当に残念だが。

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2005.01.14

持続する組織とインフレターゲティングの意外な相似?

やれやれ、仕事が一段落した。
久しぶりにbloglinesを見たらずいぶんたまっている。
面白い記事があれこれあるけど、これが今の私には一番気になる。

お気楽サラリーマンと「種の延命」について

私がフェミニストに対して一貫して忠告しているのは、「構築主義的奪還論=能力主義的な社会の再編」のスキームでやっていると、最終的にすべての質的な個体差が消失し、ただ「均質なものの間の量的格差」だけが残ることになり、それは私たちのシステムにとって致命的に不利な選択であるということ、ほとんどそれ「だけ」である。
そのことを私は別に父権制や男権主義の立場から申し上げているのではなく、「一個体」として、「人類の延命」を求める立場から申し上げているのである。
 私は昨年末に、「生産性と適用範囲」が現在の最大の関心事だというようなことを書いたけど、上の引用はそれをいたく刺激する。

 定まったスキームのもとで生産性をあげようとすることは、結果として均質化を招くことが多いはずだ。しかしそれは、その井戸の中では最適なのだけど、その中でしか意味がない。意図せずに、何も知らない蛙を増やすことになる。組織としては痛し痒しだ。

 持続的な組織というものは、それとは違う。効率をある程度犠牲にしても、多様性や発展性、山や谷のような躍動感を作り出し取り込むことで、「持続」という難題に解答を出そうとするものだろう。ここでは「持続」は「変化」とほぼ同義だ。

 あ。それって、もしかして、インフレターゲティングというものと似てる?
なんだか変なところにオチたところで、今日はおしまい。

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2005.01.10

ネットのあちら側は深く静かに。

IT産業の潮目が読めぬ日本勢 モノづくりの強さ過信を危惧す

 ここ一、二年、「IT産業における日米の関心が明らかに違う方向を向いたな」と感ずることが多くなったのだが、それは、日本が「こちら側」に、米国が「あちら側」に没頭しているからなのである。これを現象面でだけとらえれば、日本と米国が独自の特色を生かして棲み分けているわけで、悪いことではないようにも見える。しかし事の本質はそう簡単ではない。「こちら側」と「あちら側」が、いずれ付加価値を奪い合うことになるからである。
・・・
 インターネットの「こちら側」とは、インターネットの利用者、つまり私たち一人一人に密着したモノの世界である。パソコン、携帯電話、カーナビ、コンビニのPOS端末、高機能ATM、薄型テレビ、DVDレコーダー、デジタル・カメラ、そしてこれからは無線ICタグ。皆、インターネットと私たち一人一人を結びつけるつなぎ目の部分に用意するモノである。

 インターネットの「あちら側」とは、インターネット空間に浮かぶ巨大な「情報発電所」とも言うべきバーチャルな世界である。いったんその巨大設備たる「情報発電所」に付加価値創造の仕組みを作りこめば、インターネットを介して、均質なサービスをグローバルに提供できる。
・・・
 米国が描くIT産業の将来像は、付加価値が順次「あちら側」にシフトしていき、「こちら側」のモノはコモディティ(日用品)になる、誰でもいいから中国で作って世界に安く供給してくれればいい、というものだ。

梅田さんがここで言う価値とは何だろうか。久しぶりに再考してみる。
 ①情報の関所であり、通行税のかたちをとる。
 ②メディアであり、広告料のかたちをとる。
 ③公共空間であり、人々の考えを深く静かに規定する。

いずれも、自らモノを生み出すのではなく、人の行動を左右する情報を作り出したり制限したり、その流通を管理するものだ。

  ①と②はネット上に現在もある。それだけなら、検索ポータルがこれほど評価されることはないだろう。
  問題は③だ。essaさんが書いていたように、googleは一種の権力でもある。それはTVがそうであるのと同じようにそうなのだ。そして権力の周りには、利益を生む機会が自然に集まってくる。権力の主体は、その中から権力を強化しかつほどほどの利益をあげられるものを選べばよい。選択を間違いさえしなければ既得権として長生きできる。

  いちばん簡単な方法は、価値基準を自ら作り出し、それに沿って「価値あるもの」を提供してしまうことだ。ほとんど無から莫大な利益を生むことができる。千利休が肥壷を名器であるとして高く売ったという逸話のように。

いずれgoogleはそうした方向へ進んでいくのではないか。と、勝手に予想してみる。


  しかし、私は思うのだけど、そうした永続化しそうな権力を解体するように働くのも、ネットというもののもうひとつの作用ではある。現にブログは、書き手が自律的にTBつながりをつくることでgoogleの出力に影響を与えているし、SNSは検索エンジンに頼らない情報伝播経路を形成すると思う。

  米国人が考えているようにことが運ぶかどうかは、オープンソース運動とたぶん同根の、そうしたネットの別の一面を、彼ら自身がどう扱うかに左右されるのではないか。

んー。はずしているかな。

 東芝と富士通とNECの時価総額を全部足し合わせても、創業からたった六年、わずか二千七百人のグーグルの時価総額に及ばないのはなぜか。いったいグーグルとは何なのか、その台頭は何を意味するのか。本来そう問い続けなければいけない日本企業の経営者が、インターネットのことを何も知らない。米国離れを起こしている場合ではないのである。
  少なくとも考えることは必要だ。その上で、モノと不可分に結びついた価値を提供できるなら、そちらへ邁進すればいい。「あちら側」なる価値をモノの中に封じ込めて、売りやすい形にして売ろう、くらいのことは、モノづくり好きな日本人なら、考えてもおかしくない。

[追記]2005.01.14
こちらのエントリが、あちら側とこちら側を詳しく解説してくれている。どうも私は引用を間違えたらしい。というか、いつものように脱線したのだけど、「脱線します」のアナウンスをし忘れたので、文のつながりがおかしくなってしまった。
相変わらず下手だなあ(泣)。

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2005.01.08

高齢化したニート

「強制延命」という高価な嗜虐?

高齢化したニートというのは、ものすごく逃避的でした。もうそれは芸術的なほど。事実や現実に直面するのは、死んでもゴメンというような態度です。
  「人命は地球より重い」などと能天気な考えは、私は持っていないけど、しかし上のエントリを読んで「さっさと死んでしまえ」と言うべきなのかどうかわからない。

  試みにいろいろ書いてみたが、何か言うにはまだ心が決まっていないことが多すぎるので、下書きは全部削除してエントリだけ残しておくことにする。

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2005.01.07

メディアの嘘

メディアで使われている性犯罪者の再犯率は嘘

そもそもそのような統計自体存在しない。
・・・
また「同一罪種の再犯者率」(これも再犯率ではない)に関しても強制わいせつや強姦は刑法犯全体から比べて高いわけではない。
・・・
「警察にはそう言うデータは無いが、もしかして言葉の定義を間違っていないか?」とデータを示しておかしい事を説明すると、お姉さんに「警察発表をそのまま報道しているだけなので分かりません」と切り返される。
なるほどなあ。こうやってわれわれは日常的にメディアに騙されてしまうわけだ。

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2005.01.06

IPv6とv4の棲み分け

IPv6

問題は、そういう技術的特性におかまいなしに、国立大学のルータの調達条件は一律に「v6対応」を条件とするような実態だ。WIDEの人々も、最近は「v4をv6に置き換える」という表現はやめて、「v6を普及させる」という現実路線に転換しているようだが、行政は勘違いしたままである。
  あれ? 昨日このエントリを読んだときは、ある人を名指しで「うそを言うのはやめたらどうか」などと書かれていたと思ったのだけど(笑)。その昨日の文を読んで、言及するかどうか迷ったあげく、ともあれ記録のために何か書こうと思って改めてアクセスしてみたら、上記引用のように、より穏やかで妥当な表現に差し替えられている。この方がずっといい表現ですね。一皮むけたのかな。

  IPv6については、以前ちょっとしたやりとりがあって以来、あまり書かないようにしているのだけど、中国のように言論統制色が残る国なら、IPv6への抵抗感も小さいのかもしれないな。

  私は[v4+ISPによるアドレスの動的割り当て+電気通信事業法] のセットがもたらした、匿名性のある通信環境を残すべきだと思っているので、池田さんの記事にある、ホストにv4、デバイスにv6で棲み分けるというイメージは、匿名・実名それぞれの環境を選択的に利用できるという理由で、妥当な線だと思う。

[追記]
因みに、中国のインターネット利用環境は、いすれにせよ匿名性はなさそうだ。なにしろIPアドレスを割り当てるISPがそもそも政府の管理下にあるのだから。おまけに「通信の秘密」のような概念が在るのかさえよくわからない。少なくとも数年前はそうだったし、その後変化があったという話も聞かない。
なので、v4もv6もこと実名/匿名の問題については変わりがないのだろう。

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2005.01.05

アンディ・グローブさんの意見

日経本紙「世界システム再構築」中での、インテルのアンディ・グローブ会長の話し。透徹した意見が目白押しなのでメモ。

米国の一極優位はもう終わった。中国が米国と対峙する二極構造に移行した
EUはそこにはない。東欧出身の人だから、欧州を忘れているわけではないだろう。ということは、彼はEUは極にならないと考えているということか。その一方で、中国は極になると。
創造性は政治体制や経済の発展段階には左右されない

民主主義が技術や経済の発達を促すというのは歴史的根拠のない思い込みだ

言論の自由がない非民主主義社会で米国に匹敵する創造性のある技術が育つかとの問いに対して。
そうかもしれない。少なくとも技術については、政治体制はあまり関係がないという意見に賛成。経済についてはどうだろうか。中国がその有力な事例を示してくれるのは、これからだ。グローブさんは、中国が共産党支配を維持しながら市場経済に移行することに成功すると考えているらしい。

米欧日の先進企業はグローバル化利益を享受できても、本籍地の経済にとってはデメリットも多い。しかしグローバル化の流れは誰にも止められない
損なのか得なのかよくわからないと思っていたが、やっぱりそうなんだ。


グローバル化したり極になったりすることを、単純に得だとは思わない知恵が、欧州には有るのかもしれないな。

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郵便転送サービス

  昨年転居したため、転居通知を送っていなかったところから、三ヶ日を過ぎてもちらほらと年賀状が届く。仕事がはじまっていることもあって、今年は失礼してしまうのだが、何気なく受けているこの郵便転送サービス、考えてみるとたいへんなことだなと思う。

  手書きの宛名を機械で読み取っているとは思えないから、人手で転送するかどうか判断と仕訳をしているのだろう。個別地域の情報を把握している担当者がいるということだろうか。

  宅配便で1年間無料の転送サービスがあるかどうかわからないけれど、よく知られたサービスというわけではないようだ。それを考えると、この何気ないサービスにかかるコストが想像できる。

  郵貯保と分けられる旧郵政省の事業は、それぞれ民間と同条件での競争が求められているけれど、場合によっては有料化や廃止の対象になるサービスもあるかもしれない。致し方ないことではあるけれど、転送サービスは有料でも残してほしいもののひとつだ。

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2005.01.04

金を出して口も出せ

国際人道援助の投資戦略

要するに、自分が出したカネがどのように使われるか、もっときちんと考えて寄付しろよと言いたいのだ。
それはもう一歩進めれば、自分が出した大切な金がどう使われるか、寄付に限らずよく考えて出せ、ということでもあります。商品やサービスの購入然り。税金や年金掛け金もまた然り。

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シン・クライアント再び

日立、社内業務でパソコン利用全廃・専用端末で情報漏えい防止

  この記事、意外にあちこちで取り上げられているのを見ると、関心が高いのだろうか。確かに何かひとこと、言いやすいテーマではあるけれど。
というわけで、ひとこと、言ってみる。

  シン・クライアントモデルがWintel対抗に担ぎ出されて騒がれていたのが、もう何年も前になる。結果はファットクライアント側の一応の勝利に終わったのだが、もちろん双方に長所短所はあり、勝敗は一時の安定に過ぎない。この時期に、thin client が再び持ち出されて、ビジネスになるとさえ言われているのは、状況が変わりつつあることの表れなのだろうか。

  役所や大企業相手の商売が多いところでは、このモデルにも一定の役割がありそうだ。定型業務をこなす端末にそれほど多くの機能は必要ない一方で、強いセキュリティが求められる職場というのは、確かに一定量存在する。そうしたところでは、中央集権型のシンクライアントモデルの方が有利だろう。役所や大企業本社内のネットワークなら、もう十分なスループットがあるだろうから、あとはダウンロードしたイメージを展開できる十分なメモリをクライアント側に載せれば、たぶんかなり使えるものに仕上がるだろう。パソコン産業が凌ぎを削ってくれたおかげで、端末の部品も安くなったのは、皮肉というか、金は天下のまわりものというか。

  反面、営業や企画・マーケティングなど、顧客や世の中と常に接してリサーチするところでは使いにくそうだ。社内でオーソライズされている情報を加工するだけで満足のいくアウトプットができるとも思えない。どこかで、やや胡散臭げなデータを取り込む必要があるだろうから、この目的には端末がシステムの外に開かれているファットクライアントが向いている。

  シン・クライアントモデルは、使いどころによって、有効だったり有害だったりする仕組みではある。


ああ、やっぱり単なる一言になってしまった。なにかひねりが欲しいなあ(笑)。

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2005.01.02

穏やかな快晴の元旦

  正月元旦は鎌倉の八幡様へ。陽が昇ってからの初詣だから、それほど人で混雑しているわけでもなく、天気も良くていいお参りだった。若宮大路の桜はもう蕾が出ていて、今年は案外開花が早いのかなと思わせた。異常気象ということだと、桜の季節も4月から繰り上がってしまうのだろうか。

  その後、折角なので久しぶりに大仏様を拝んできた。正月元旦から店を開けている商売熱心な武器屋(笑)の南洋堂を横目に、高徳院に入る。人はぽつぽつ居る程度だが、どこの国の人だろうか、横座りをして一心に念仏を唱えている人や、正座して祈りながら時折頭を地面にすりつけたりしている人なども居た。外見は東洋人だが、それ以上は不明。それとも新興宗教の人だろうか?

  この大仏様、元は殿舎に納められていたが、1495年に津波で建物が流されて以来、青空仏になったそうだ。確かにここ辺りは、海岸からの標高も距離もさほどないから、先日のインド洋大津波のような高さ10mとか15mといった非常識な波が押し寄せれば、たいへんなことになったのだろう。水面から顔だけ出している大仏様・・・思わず想像してしまいました。

  天気があまりに良いので、その足で江ノ島へ。富士山は残念ながら雲に覆われていたが、丹沢や箱根、伊豆の峰々はくっきりと見えた。

  というわけで、上天気に恵まれた穏やかな元日だった。

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2005.01.01

実践の年

あけましておめでとうございます。

  昨年は、災害の多い年だった。国内の震災や台風被害はもとより、年末のインド洋大津波には、謙虚に人間の小ささを思わざるを得ない。今年はどうか自然がおだやかでありますように。

  さて、このブログの昨年後半のテーマは、主に「生産性」と「適用範囲」だったように思う。コンピュータの発達に伴って強く意識されはじめた「仕事の合理性・生産性」を様々な時事ネタに当てはめて考える一方で、それら狭義の合理性は必ず「適用範囲」を持っており、それをはずれた場面ではかえって合理性を失う、あるいは、合理性より優先する価値観が浮上する場合があるというモノゴトの枠組みを、繰り返し検証することが多かった。少なくとも、自分の意識の中ではそうだったと思う。

  今年はこの2つ、「生産性」と「適用範囲」を、仕事で実践していく年になるだろう。困難や障害も当然あるだろうけれど、めげずにたゆまず前進したい。と同時に、ブログで能書きを書くことも、可能な限り続けたい。

  本年もよい年でありますように。

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