ニートを語る視点
話題になっているようなので、コメントを8割ほど読んでみた。
あれだけ大量のコメントがあるのに、ニートの分類はあっても、ニートを語るときの視点の分類を見つけられなかった。ので、簡単に分類してみる。その上でひとつ問いかけをしたい。まずは視点の分類から。
軸1:ニートとの関わり方の深さ
・ニート本人
・ニートの養い手(親)
・親族、親類にニートがいる人
・知人にニートがいる人
・社会現象としてのニートに関心がある人
軸2:ニートを語るときの切迫度
・危機感を持っている
・興味を持っている
この2つの軸を直交させた2次元空間上に、コメントをマップしてみると、偏りが見られるのではないかとの印象を受けた。
すぐに気付くことが2点ある。ひとつは、ニートを養っている者(親とされているらしい)の視点がないこと。傍観者から見て親の気持ちを書いたコメントが2、3あったが、親本人ではないようだ。
もうひとつは、社会現象として関心があり、あまり切迫感を感じていないコメントが大多数だということ。ひとごとの面白い話題を求めて彷徨ういつものネット現象と言えなくもない。ニート本人であるというコメントもたくさんあったが、不思議に切迫感が感じられない。それがニートの特徴なのだそうだが。。。
さて、問いかけです。
ニートの親兄弟の立場で、目の前のニートに毎日接しているとして、コメント者たちはどう思うのだろうか。養い手の親の場合はどうか。また、親が他界したあとニートである兄弟姉妹から生活費をせびられるかもしれない立場の場合はどうか。
これはたぶん、意地悪な質問だ。けれども、当事者意識の欠如から来る無責任さを封じて真面目に考えようとするなら、こうした視点の縛りは有効だと思う。
さて、あなたなら、どうしますか?


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