ブログジャーナリズムの「公正」
「綱領から消えた「公正」-手帳(2)」
から。
他の報道機関の綱領には、たいてい「公正」の二文字が入っているのに対して、共同通信のそれには、この言葉がないそうだ。理由もちゃんとあるらしい。
共同通信の編集綱領は1958年、労働協約の一部として成立しました。労働協約ですから、労使が協議して合意したわけです。協議の場で経営側は「公正」や「中立」を入れようと提案しました。それに組合が反対したのだそうです。「そんな、やじろべえみたいな概念はいらない」と。私は、少し前にも書いたけれど、「公正」ということが、左右のイデオロギーや宗教的倫理よりも重視される世の中が、自分にとっては住み易いと思っているので、「公正」の言葉を共同通信が綱領からはずした経緯を書いているこの記事に興味を覚えた。
世界平和や人類の幸福という理想を掲げて進もう。バランスを取る必要なんかないということでしょう。「メディアの戦争責任」に対する反省がまだ強かった時代の空気を感じさせます。あるいは、マスコミに働く人たちがまだ「自分たちは信頼されている」という自信と矜持を持ち得ていたということかもしません。「平和」はともかく、「幸福」は難しい。この概念は、バランスをとることを強く必要とするものではないかと思う。そろぞれの時代背景に応じて、幸福の意味や実態は変わるのではないか。
マスコミが世間の信頼を勝ち得た時代はあったのか、といえば、たぶんあったのだろう。いまはどうだかわからない。
さて、その理想はいまも記者たちを支えてくれているのでしょうか。同じことが、ブログジャーナリストにも問われ始めているかもしれません。
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