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2004.12.12

コラテラル

  仕事に徹するプロの殺し屋と、ささやかな夢を抱えながら平凡で煮え切らない日常を送るタクシー運転手の、共感、対立、葛藤、訣別。ありがちな話の筋なのだけれど、そこはトム・クルーズ。当然スタイリッシュ。ガンアクションが特によい。無駄を削ぎ落とした本物の所作。日本の時代劇でいえば、萬屋錦之介が演じた子連れ狼の抑制の効いた効果的な殺陣に似ているというか。

  もちろんこの映画の主眼はアクションではなく、二人の男のドラマだった。「冷徹なプロ」とは何か。それと対比される負け組み運転手の人生って何なのか。

  殺し屋という職業はさすがに普通ではないから、それを生業にする人間の考え方が、特異であることは想像できる。しかし、それと似たものが現実の普通の世の中に無いと言い切れるだろうか。

  例えば合理化を目的とするシステム構築はどうなのだろう。このところ仕事絡みでその種の問題を考え詰めているせいか、殺し屋の「これがおれの仕事だ」と言って迷い無く銃を撃つ姿にちょっと眩暈を感じた。合理化推進は、確かに銃弾で命を奪うわけではないが、ある人間を否定し去る点では、ひどく似通っている気がする。

  私はだから人を全否定はしない。仕事をセグメントに分けて、否定されそうな人にもやれる部分を、可能性として残したい。そのセグメントで努力して、高度な専門家なり熟練の多能工なりになれるのなら、そこを居場所とすればよい。また、運悪くいまここの職場でその場所が消滅しても、どこか他に仕事を見つけることはできるだろう。そんな希望をできるだけ残したい。

  そうした考えを甘いと笑うのは、人の勝手だ。切られる方の身になってみれば、簡単なことではないと、私は思う。

  一方で、そうやって用意したセグメントに当てはまらない、あるいは、そこで努力したが結果がでないケースをどうするのか。その恐れはもちろんあるだろう。しかし恐れを理由にいつまでも取り掛からないことは、単なる逃げに過ぎず、許されることではない。負け組み運転手はどうしたか。半ば居直り気味ではあるが、臆病な自分と訣別し、最後には殺し屋と対決したのではなかったか。
  逃げられるものなら逃げるのもひとつの方法だが、逃れられないものならば、向き合って足掻いてみるほかないだろう。

  映画を見ていて思わず、現実の課題にのめりこんでしまった。なんて不毛な週末。
でも映画自体は面白かった。

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