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2004.11.17

広告コンテンツの新しい在りかた

  1週間ほど前だったか、HDレコーダなどの情報機器が、TVの広告をスキップすることについて、どこかの偉い人が著作権法に触れるとか触れないとかの発言をした、ということがあった。そのときふと思ったことがある。

  広告関係者は、情報機器が情報を加工する範囲を広げていくことについて、あまり心配しなくてもいいのではないか。

  確かに、Tivoが米国で発売されたときは、これは大変なことになったと思ったものだ。当時は、広告伝達を司る機能が、TV局から情報家電メーカーに移るのではないかと騒がれたと記憶している。この流れは今でもたぶん続いているだろう。私もごく普通にそう考え、書いたと思う。

  しかし、改めてよく考えてみたい。仮に、広告を強制的に見せる機能が、放送局から端末機器に移ったとしよう。その場合、TVの広告をスキップしたいと思う人が、では、情報家電が押し付けてくる広告なら喜んで見るのだろうか。そんなことはあるまい。広告のスキップを経験した人は、広告提供がどんな機器や媒体から行われようと、スキップする感覚を敷衍していくに違いない。そして、消費者のご意向に敏感な家電メーカーが、その意向に逆らって広告を押し付ける機能を製品に盛り込むとは考えにくい。また、それが売れるとも思えない。

  TV局は、情報端末を恐れる必要は、実はないのだと思う。

  さらに、最近の自分のTV視聴行動を振り返って気付くことがある。たいていはパソコンに向かいながら、その横に置かれたTVのチャンネルをザッピングしているのが常なのだが、ふと魅入る映像やメッセージは、たいてい広告なのだ。短い広告が終わって、本編が始まると、とたんに興味を失ってまたザップするというのが、このところの私のありがちな行動だ。
  広告は、ごく短い時間にいろいろなメッセージを盛り込んで、最高の映像と演出の技術を使って作られている。それが面白くないわけがない。冗長で中身の薄い本編より、ずっと美味しい部分なのだ。

  広告は、自身の持つ魅力にもう少し気付いてもいいのではないか。

  現状では、本編こそが見たいもので、広告は押し付けられる嫌なものという刷り込みが、作り手にも受け手にも定着してしまっているかに見える。しかし、先入観を取り除いてみれば、広告というものは、作品として面白く作ることができるはずであり、また、面白く視聴できるはずのものではないか。味わいのある小品、諧謔味のあるショートショートなど、鑑賞に耐えるものであれば、さりげなく商品の宣伝が入っていても私は構わないと思う。むしろ、そうした商品や広告を送り出す作り手のセンスを、私は買いたい。
  あたりまえのことだが、コンテンツの持つ力こそが、見る人を惹きつけるか遠ざけるかを決めるのだ。

  TV局は、質の良い広告を作る能力の低下をこそ恐れるべきだろう。
  伝達する媒体を握ることは、いまや、さして重要なことではなくなっている。

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