贔屓の引き倒し
特にこれといった実例をあげるわけでもないのだけど、この言葉にはときどき注意したい。かなり知性的な人でも、これをやってしまうことがよくあると思うので。
贔屓になった対象には想い入れも深いから、いつのまにか私物であるかのような錯覚をしてしまうことがある。それは、贔屓された方に変調をもたらすなど迷惑であるだけでなく、贔屓する側の知性や感性も鈍らせる。よくないことだ。冷たくしろということでもないので、この辺りは表現が難しいのだけど。
てなことをふと書いてみたりする。
ここで、いつものように脱線と飛躍。
考えてみれば、子離れできない親などは、贔屓の引き倒しと同根なのかもしれない。その一方で、子どもが何かで失敗したときに、「明日はがんばろうね」という励ましは「がんばりを強制している」とやらでよくないという考えもあるそうだ。時代によってものの考え方は変わるとはいえ、これは何? と私などは思う。
たぶんこうしたことは、ひとつの場面だけを切り出してマニュアル的に評価や対応する方法には馴染まないのだろう。関わりあいの文脈の中に置かれて、言葉ははじめて意味を深めるのだと思いたい。
何を言いたいのかわからなくなったところで、こちらの言葉でおしまいにする。
仕事をしてお金を稼いでもいいし、仕事をしないならどうやって暮らしていくか方法を考えればいいし。いいなあ。
これに続く親子の対話も。
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