メディアリテラシーは何のため
「「盲従するな」の声に盲従する」
メディアリテラシーは結局何のために身に付けるのかという問い。
そのアウトプットが見えない中で情報への見通しをよくしようとする試みは、結果として、「多様な読みの解釈」に開かれたがゆえに「あえて普通とは違った見方をしてみせる」シニシズムへと接続する可能性を持つ。というかそもそも我々には、解釈を弄って遊ぶくらいしか、メディアのリテラシー能力の利用法がなかったのではないか。という前半に続いて、記事の後半は、さりげなく実例を想起させながら、核になる考え方が自分にあって、なおかつ、それと反対したり共鳴したりする多様な考え方を自在に読み解いて自らの血肉にすることができるか、という話に落とし込まれています。
これ、痛いところを突かれた気がします。
もちろん、だからといって書いたり発言するのを止める必要もないわけではありますが。
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