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2004.08.08

誰も知らない

  (ひとことだけ追記。泣けて泣けてしょうがない。時間が経つほどそうだ。でも、それをしばらく棚上げして、冷静に書いてみたのが以下。追記おわり(2004.08.10))。
以下ネタバレ少々。
 
 
 
  この映画をどう言えばいいのか。いろいろ思うことがあって、しかし、時間が経てば違うように思えてきそうで、口をつぐんでいる方が無難だとは思う。今年で一番印象に残りそうな映画。少し違うことを承知で、あえて似た感じを他の作品に求めるなら、東野圭吾の「白夜行」か。白夜行からミステリの要素と凄絶な感じを取り除いて、シンプルに希望を少しだけ付け加えた感じ。わけがわからん? では是非観てください(笑)。

  オフィシャルサイトに有名人からのメッセージが載っている。映画評論家は主演男優賞受賞に基づいたことだけを言っていて、内容の評価は一切していない。賢いがずるい。他のメッセージはどれも、その人なりの経験に引き寄せて書いている。けれども、私が感じたことはいずれとも違う。

  ここに登場する4人の子どもたちは、おとなの世界を、生きる糧を得る対象としてはいるものの、それ以外にはほとんど関わりを持っていない。おとなの方も、不審に思ったり、少し心配するときはあっても、余計なおせっかいはしない。時と場合によってはそれが一応成り立つことを、物語を成立させる背景として、まず描いている。

  その上で、自分達の絆と、より広い社会との絆を対置している。どちらの絆にも魅力を感じさせながら、どちらかを選ばざるを得ない状況では、自分達の絆の方を優先させている。そこには、あまり悲壮感や葛藤は感じられない。乾いた感じというか。

  だからといって、この映画は非人間的な感じはしない。あきらがゆきの冷たい手に触ったとき、どう思ったか。そう思った自分をあきら自身がどう感じたか。その受け止め方により感想は異なると思うけれど、私はあきらの「健全さ」を感じた。だからこそ、この映画に希望を見ることができた。

  生きている人として、仲間の絆を大切にすることと、社会とあまり関わらないようにすることとは、案外矛盾しないのかもしれない。「小さな絆」の小片がモザイク状にちりばめられていて、小片の間は最小限の「必要」だけで緩く繋がっているような、そうした世の中。
  小さな絆が少しづつ広がって大きくなっていくことはあり得るけれど、必ずそうなる、あるいは、はじめからそうであるわけではない。

  大きな物語のもとで高度成長を生きたおとな達、経済成長が止まった後も続いた繁栄と退廃の中で育ったおとな達、そのおとな達にはわからない、次の世代の物語が、ここにはあるような気がする。いま現在のおとな達の大半は、それをわかったりすることは、たぶんできない。

  谷川俊太郎にはそのことが見えているのかもしれないな。だから彼は「きみたちは生きる」とだけ言う。その中に「わたしたち」おとなは入っていない。


主題歌の後半の詞を載せておきます。オフィシャルサイトに載っている谷川の詩とあわせて読んでみてください。この2つは矛盾しないのだね。


氷のように枯れた瞳で
僕は大きくなってゆく
誰も寄せ付けられない
異臭を放った宝石

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