年金制度改革は生産性向上
渡辺千賀さんのblogで、マッキンゼーのレポートをひいて、こんな話が載っていた。「日本は復活するか?」
今年のMcKinsey Quarterlyに掲載された生産性に関する分析では、「バルク産業」の効率こそが、国民の豊かさを決める、と。ということは、日本の小売・建設が効率化するまで日本の生活水準は上がらないということか。年金の制度改革、というか制度の簡素化の話を聞いていると、バルク産業の効率化の中に、社会制度の効率化も入れたくなってくる。つまり、小売・建設に加えて、社会制度が効率化するまで日本の生活水準は上がらない、となる。
一昔前、日本人の働きすぎが問題になったとき、休暇を増やそう、もっと休もうということが言われたけれど、振り返ればあれは対症療法に過ぎなかった。本当は、生産性を上げつつ失業が増えないようにワークシェアすることで、結果として労働時間が減ることを目指すべきだったのだろう。実際にはそうはならず、相変わらずばかばかしいことに多くの資源を浪費しているわけなのだが。
その視点で見ると、年金制度簡素化は簡単には進まない予感がしてくる。なぜなら、複雑な制度のおかげで、それを説明したり修正したり議論したり運用する資格や仕事が生まれ、それで食べている人が大勢いるからだ。彼らは制度の簡素化を望まないだろう。付加価値として売り込んできたノウハウが、一夜にして意味と価値を失うのだから。
この辺りの事情は、BPRに関わったことがあれば納得がいくと思う。業務プロセスを洗ってみれば、無意味に複雑なプロセスがたくさん見つかるはずだ。それを簡素化してコストダウンを目指せば、激しい抵抗に遭う。仕事を失う人には死活問題だから。「全体最適なんて関係ない。自分の関わる部分だけが問題だ。」結構知的な職業の人でも、そう考える向きは多い。ここに到って、ばかばかしさは物悲しさに変わる。
切って捨てられれば、立派なマネジメントなのだろう。新しい仕事に切り替えができれば優れたマネジメントだ。(新たなばかばかしさの種を播いたに過ぎなくても)。
年金のような公共セクターで、BPRに相当することが実現できれば、それは大きな変化には違いない。鉄道ではできた。道路ではだめだった(ようにみえる)。今度はどうだろう。
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